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第百九十五話 終演

 その瞬間、三岳は新たな時代の到来を感じたという。


 海外支部の絶対王者であるアリスターが指した常識外の一手を、その男はなんの躊躇いを臆することもなく指し返した。


 あの手を受け、一体何人の指し手が同じことをできただろう。


 必勝の形勢を確信した中で何の前触れもなく指された反則手に、一体何人が同じように指し返せただろう。


 それはたったの60秒。思考を巡らせるにはあまりにも短い秒読みの中、その手を指摘して解放される救いの糸が目の前に垂らされていてなお、その手に指し返す狂気がどこにある。


 三岳は震えた。


 自分には絶対に真似できない境地。プロ棋士の自分ですらその選択を選ぶ自信は無かった。


 立場もある、世間の声もある。リスクとリターンが全く見合っていない選択。


 だが、渡辺真才が指したこの場所は『WTDT杯』。アマチュアとはいえ世界中が注目する将棋の一戦だ。


 同じとは言わずとも、自分が彼の立場だったら絶対に指せない。そう思ってしまうほどの異質な最後だった。


 ……むしろ、あの反則を堂々と指摘してしまったら、これまでの一局が台無しになって賛否が大きく分かれる結果になっていたかもしれない。そしてそれこそが、アリスターが目論む最後の狙いだったのかもしれない。


 そう考えれば、最後の最後まで正解を引き続けた渡辺真才という男は、一体どれほどの強さを持っているというのか。


 ──アリスターの投了と共に幕が降ろされた瞬間、会場から大歓声が巻き起こった。


 あり得ないことである。静を纏う『将棋』という競技において、これほどまでに歓声が轟くのは。


「青薔薇ーー! よくやったぁ!!」

「天竜ーー!! お前が最強だーーっ!」


 三岳は驚いた顔で会場へと振り返る。


 耳が割れるほどの拍手に紛れて飛ぶ声援。ボルテージが上がり切った末に起きた反則手と、その切り返し、その上での流れるような投了に観戦者の感情は放出された。


 それは、この界隈では絶対に見られない光景。


「……す、凄かったですね三岳六段!?」

「え、ええ……これは本当に、凄いとしか言えない一局です」


 語彙力すら低迷してしまう聞き手と解説に、会場の拍手は未だ鳴り止まず。


 終われば振り返るのが将棋の流れというもの。しかし、振り返った先にあるのは衝撃を上塗りするかのような攻防ばかり。


 天竜一輝の完璧な指し回しに、青薔薇赤利の驚異的な勝負手。初めの疑似頓死から終幕の反則手にいたるまで、この一局全てが常軌を逸していた。


 大したことはないと思っていた第三世代の気鋭たちがその意を示す、まごうことなき"快局かいきょく"である。


 誰が予想したか、誰が想像したか。


 今年のWTDT杯にその名を刻んだのは、今や忘れ去られた黄龍王者と、練習試合で大敗を喫した凱旋道場のエースと、畑違いの場でしか活躍していなかったネット将棋のトップランカーである。


 それが現役最強と言われた海外支部『ミリオス』を打ち倒したのだ。


 ──三岳は到来を感じた。新たな時代の、世代の幕開けを。


 ※


 WTDT杯の終局から1時間、ぜぇはぁ言いながら一局の振り返りを解説し終えた三岳は、そのあまりにも高難度な手の応酬に疲労困憊となっていた。


 特に真才の手に含まれる情報量は膨大で、三岳はそれを上手く解説出来ているのか不安になるほどだった。


 そうしてようやく表彰式の時間が訪れ、真才達は再度マイクを向けられることとなった。


「まずは、本日初参戦となった渡辺真才選手におうかがいしていきましょう! ──真才選手、今回のWTDT杯は自身でも初めての大舞台ということで非常に緊張されたと思います。肝心の対局の内容も非常に白熱していたと思いますが、ご自身でその辺りの感想などあるでしょうか?」

「そうですね。善悪はおいといて、自分なりに精一杯指せたんじゃないかなとは思います。危ない局面は何度もあったので、そういった点では本当に仲間に救われました」


 そう無難な答えを告げると、一部の者達から一斉に睨むような視線を受ける真才。


 それを知らない記者は続けるように天竜へとマイクを向けた。


「ありがとうございます! 続いて、同じく初参戦となった天竜一輝選手はどうでしょう? 非常に安定した指し手が多かったと三岳六段も絶賛していましたよ」

「それは嬉しいです。俺なんてとても……仲間が強すぎた・・・・結果ですので、これに甘えずこれからも精進していければなと思ってます」


 ニコッと笑った天竜は、何故か真才の方を向いていた。


「ありがとうございます! さぁ、それでは連年に引き続き代表、そして勝利を収めることができた青薔薇赤利選手、今の気持ちはどうですか?」

「正直言うと今回は厳しかったのだー。……恐らく、というより間違いなくボク一人では勝てない戦いだった。でも、強すぎる・・・・仲間に恵まれたおかげで勝てたのだー! 感謝なのだー!」


 赤利も同じようにニコッと笑って真才に顔を向ける。


 何故か真才からは冷や汗が出ていた。


「……? ありがとうございます!」


 流石に違和感を覚えた記者が疑問符を浮かべるも、突っかかることはなくミリオスの方へとマイクを持っていく。


「それではチームミリオスの方にも聞いていきましょう! 惜しくも負けてしまわれましたが、最後にとんでもない手を指してくれたアリスター選手にお伺いします! 今回の敗因、そして次の機会があれば意気込みなどはあるでしょうか?」

「敗因は色々あるな。まぁ強いて言えば、どこかの誰かが想像以上に強すぎた・・・・せいで負けた。指運なんざ信じねぇが、こればっかりは自分の不運を呪う他ない」

「……???」


 まるで意趣返しとでも言わんばかりに乗ってくるアリスター。


 記者が真才の方へと振り返ると、当の本人は目をそらしながら明後日の方向を向いていた。


「えーっと……真才選手??」

「……え? なんのことだか……」

「そういえば、今回の対局で頓死となってしまった場面。噂によると真才選手の意図した形だったと言われていますが……本当でしょうか?」

「いやいや、初耳です。え、頓死していたんですか? それは知らなかったです。だとしたら頓死から巻き返してくれた仲間に感謝ですね」

「で、ですよね! すみません、気になったもので……」


 真才の対応に思わず「うわぁ」と小声でドン引きする赤利。同様に舞台下で目立たないようメモを取っていた水原記者もそんなわけないと苦笑い。


 真才が真偽をハッキリさせなかったせいもあってか、この『疑似頓死』問題はネット上で多くの議論が交わされることとなった。


 しかし、それ自体が『自滅流』という本来情報源となるべき自滅帝の情報から遠ざかってしまっていることを彼らは知らない。


 ──記者たちの取材が終わると、それから表彰とトロフィーの授与が行われた。真才たちは例年の凱旋道場が率いる面子とは違い、異色となるメンバーでWTDT杯を勝利したことで大きな反響を呼ぶことに。


 特に、この一件で一番の痛手を負ったのは凱旋道場だった。


 毎年のように自身の道場から日本代表を選出するのは一種の贔屓であると世間の声は高まっており、今回凱旋道場以外のメンバー構成で勝利を収めた事実でその声は一気に加速、来年度からは他の道場、ひいては全国から代表を選出しろと苦情が殺到。


 しかし、この展開は沢谷由香里の狙い通りだった。


 今回の事例を見ても、海外支部の平均棋力の上昇は確かである。……となれば、このまま凱旋道場が最前線に立っても敗北は時間の問題。


 昔と違い、凱旋道場が最前線に立っても道場の集客率はさほど変わらない。既に完成された名誉に、これ以上維持しても無駄な負担を増やすだけである。


 沢谷は肩の荷を下ろしたかった。


 しかし、負けて去るというのはあまりにも不格好。やるなら勝ち逃げ一択なのだが、歴代最強の『ミリオス』相手にどうやって勝ち逃げを謀ればいいのか分からない。


 そんな時に来た一報が真才の参戦である。


 まさに天の恵み。──否、悪魔からの取引だ。


 今の沢谷がどういう立場にいるのかをまるで全て理解しているかのようなタイミングだったが、それでも沢谷は真才の参加を認めた。悪魔との取引を承諾したのである。


 結果、全てが沢谷にとって都合のいい結末へとたどり着いた。


 ──青薔薇赤利を失ってしまう目覚めさせるという大きすぎる代償と共に。


 それが悪魔の取引の内容なのだと理解した沢谷は、再び凱旋道場の復帰を天外たちと目指していくのだった。


 ※


 沢谷が部屋を出た後も、翠は一人椅子に座ったまま項垂れていた。


「アリスターが……負けた……?」


 入玉なしの200手以上にも及ぶとてつもない大激戦の末、内容だけ見れば大敗とも取れる戦いに認めたくない現実が襲ってくる。


 アリスターは、どんな絶望的な状況であっても巻き返す男だった。


 盤上だけにとどまらず、ありとあらゆる方法を使って窮地から脱する天才。それはアリスター自身がこれまで生きてきた人生経験から生まれ出る本能である。


 第二世代の英雄たちによって一度は敗北したものの、それはただ運が悪いだけだった。手が届く範囲にはいたはずなのだ。


 事実、その世代に自身の妹である青薔薇赤利は追いつけなかった。弟子のように可愛がられていただけだった。


 だからこそ、今回のWTDT杯はアリスターの圧勝が決まっていたはずなのだ。


 相手のエース格は青薔薇赤利のみ。自身の妹の才は翠もよく理解している。それがアリスターに数段劣ることもまた、理解していた。


 ──突如、穴倉から出てきた怪物が全てを蹂躙して終わらせた。


 あれは一体なんなのだ? あの男は一体何者なのだ?


 渡辺真才、眼中すらなかった男があっという間に盤上を支配した。躊躇いもなくアリスターに牙を向けた。


 その男はそれだけに留まることなく、赤利の力を最大限に引き出す手伝いまでやってのけ、その価値観すら変えた。


 解放された赤利の手を、翠はただの一手すら当てることができなかった。


 ふらついた様子で部屋を出た翠は、隣の会場から響いてくる拍手の音に思わず振り向く。


 そこへちょうど、表彰式を終えた赤利が待機室へ荷物を取りに来ていた。


「あ、赤利──!」


 翠が声をかけると、赤利は振り返らず止まった。


「きょ、今日は勝てて良かったわね? アナタらしくない指し手だったけど、仲間に恵まれたのかしら?」

「……そうだな、強い仲間に恵まれた」


 淡々と答える赤利に、翠は焦燥しながらなんとか間を置かずに尋ねる。


「そ、そう。ねえ、赤利? これを機にもう一度アタシのところに戻らない? 今のアナタならきっと母も納得してくれる、いやさせるわ。それに、いつまでもあんな女のところで燻っていられないでしょう?」


 目に見えるほどの冷や汗を浮かべながら、翠は赤利を勧誘する。


 翠にとって、今回の敗北はあまりにも痛恨だった。


 アリスターという虎の威を借りてまで出した結果がこれでは、今後の翠の進退は芳しくない。


 せめて血の繋がっている赤利くらいは手中に収めないと釣り合いが取れない。そう考えた翠は、一番の関門である母の承諾を条件に赤利からイエスを引き出そうとする。


「そうだな。ボクはもう由香里のとこにはいられないのだ」

「そ、そうよね! あんな女のとこよりアタシの方が──」

「ボクは女流を目指す」

「……は?」


 突然のカミングアウトに、翠は硬直した。


「約束を思い出したのだ。夢野……ううん、ボクが今まで目を背けていた真実に立ち向かわないといけない」

「真実……? な、何言ってるの? 」

「ボクは行くのだ。きっと天竜も、そして真才も気付いているから。オマエたちはそうやって何も知らないまま生きているといいのだ」

「ちょ、ちょっと──!」


 荷物を取って今にもその場を去ろうとする赤利を制止させると、翠は地雷を踏み抜くように赤利を煽った。


「ね、ねぇ、その一人称は何? そのボクっていうの気持ち悪いからやめなさいって昔母も言われていたでしょう?」


 その言葉を受けた赤利は殺意に満ちた視線を一度だけ翠に向けると、すぐさま前を向いた。


「……これは、ボクのことが好きだった男の子が可愛いって褒めてくれたものだ」


 これまでの人生でただの一度も青薔薇家から純粋に褒められたことがなかった赤利にとって、それはずっと記憶に残る数少ない思い出だった。


「その男の子も、オマエたちにどこか遠くへ飛ばされたらしいが」

「あの家族は──!」


 翠が言い切る前に、赤利は足を進めた。


「あの女に伝えておけ。──青薔薇赤利はもう二度と戻らないとな」

「う、嘘でしょ? ま、まって──!」


 呼び止めようとする翠を無視して、赤利は対局会場から出ていく。


 そうして一人取り残された翠は、ただ呆然とその場に立ち尽くすしかなかったのである。


 ※


「いやぁ~ん♪ さっすが『みかど』ちゃん、期待通りの素晴らしい指し回しだったわぁ!」


 WTDT杯の会場から少し離れた見晴らしの良い屋上。顔を紅潮させた"男"が、内股で合わせた手のひらを頬擦りさせながら裏声で喜びに浸る。


 その手の中には画面が所々割れているスマホが掴まれており、そのスマホからWTDT杯の解説をしている三岳六段の声が漏れ出ていた。


「……あぁっ、でも惜しい、実に惜しいわ! ワールド・ザ・ドリーム・タッグ、世界の強豪と交えるこの『WTDT杯』の舞台ですら、アナタには役不足だった」


 輝き、希望に満ち、闘争を追い求めるギラついた目は、まるで狩人のような狡猾さを感じる。


 両手を広げ、空を仰ぐ男。


「──実に素晴らしいわっ!」


 誰もいない、何もないその場所で叫び狂う男の姿は、その異常性を独自の世界で容易に包み込む。


 ただひとつ差異を付けるのならば、その男は片目が無かった。


「……フフフ、一体どんな舞台なら帝ちゃんを満足させてあげられるのかしら♪」


 想像するのは四面楚歌となった地獄のような光景。逃げ場はなく、勝ち筋も見えず、絶望的な局面から全てをひっくり返す男の姿。


 理想の逆転、気が昂る。


 男がそんな風に自分の世界へと浸り続けていると、背後から声を掛けられた。


「……不知火しらぬい様、そろそろ戻りませんと会議に遅れてしまいます」


 悦に浸っている最中に割って入った雑音。


 それまで赤く染まっていた頬は一気に熱を冷まし、酔いから目覚めたような気怠い視線を割って入って来た死んだ目をする女に向けると、苛立ちを含みながら男は返した。


「……うっさいわね、老人共の退屈な話し合いなんて興味ないのよ。アタシは今、凄く幸せに包まれているの♪ ほら! 今日の赤い空もアタシに同意してくれているわ」

「本日の空模様は真っ青の晴天でございます。しかし不知火様、今回は末席からのご報告も兼ねておりますので……」

「あら、"みっちゃん"が?」


 久方ぶりに思い浮かぶ知人の参加に、男は少しだけ女の話に耳を傾けた。


 女はコクリと頷くと、男が屋上から出るスペースを確保するべく出口から僅かに身を引く。


「……そう、なら仕方ないわね」


 男は壊れかけのスマホを手に乗せ指先で回すと、納得のいかない表情をしながらも大人しくその場を後にする。


 そして去り際に、WTDT杯の会場がある方角を見つめて不敵に呟くのだった。


「──いつか会えるのを楽しみにしているわ、帝ちゃん♪」






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