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第百九十三話 最後の一手・②

 俺は思わず目を見開く。


「それじゃ、遊馬家と葵家は……」

「間接的にじゃが繋がっておる。もっとも、若き娘一人だけを残すほどの凄惨な事件が殊更ことさら表に出ることはなかったが」


 ということは、葵は遊馬環多流の姉を、いや、遊馬家のことを知っている……?


 ……まさか、最初から知っていたのか?


 俺は一度思考を整理しつつ、その逆のことを玄水に尋ねる。


「……環多流は、葵のことを知っているんですか?」

「これまでの様子を見る限り、恐らく知らぬじゃろうな。当時は遊馬環多流も若かった。姉弟とはいえ、当事者の中に含まれていない者がそう簡単に事の真相は知れぬ。それに、あれほど凄惨な事故を経て生き残った幼き子供だ。もし事の詳細が伝播しようものなら、衆人に囲まれて大変なことになりかねん。情報の統制は徹底されておった」

「じゃあ、逆に葵は……? 葵は環多流のことを知っていたんですか?」

「……」


 思わず頭を抱えて失笑してしまう。こんな単純な矛盾にも気づけない自分の愚かさに、グーパンのひとつでも入れたくなる。


 そうか、思い返してようやくわかった。その違和感の正体に。いや、違和感にすらなっていない会話の全容に。


 俺が思い出したのは県大会の初日、会場に入場した時のやり取りだ。


『去年辺りに遊馬環多流という男が銀譱道場に入って以来、その銀譱道場のパワーバランスが崩壊したらしいのよ』

『そ、そんなに強いんすか?』

『直接戦ったことはないから分からないけどね。悪魔的な指し回しで圧倒するその姿に、東地区では"死神"呼ばわりされているらしいわ』


 この時、葵は環多流の存在を知らない様子だった。西ヶ崎将棋部として初めて大会に出場する俺は、葵のその言動に疑問を持つことはなかったのだ。


 だが、おかしい。よくよく考えれば、葵は東城ほどではないものの毎年大会には出ているはずである。


 現に、葵は東地区の面々と面識があった。


『どこかで見た顔だと思えば、葵玲奈じゃないっすか。女なのに未だにプロの道とか目指してるんすか?』

『あぁん? 舐めた口きいてっといてこますぞ西田ァ』


 この時、俺は葵と西田が犬猿の仲だと思っていた。実際、こんなやりとりをするということは良くも悪くも長い間敵対していたということだろう。


 しかし、その西田が環多流に対し舎弟のようなポジションにいたことを俺は知っている。二人の対比する言動を除けば、どうみても関係は浅くない。


 だとすれば、そんな西田と長く戦い続けている葵が間接的に環多流の存在を知らないわけがない。いや、仮に知らなかったとしても、名前すら聞いたことないなんてありえない。


 大会に顔出していない俺やずっと引きこもっていた来崎ならともかく、葵と東城は大会出場の頻度がそこまで変わらないはずだ。


 ……なんで気付かなかったんだ。


『ちょっとアンタ、ウチの大将に何してんすか……!』


 環多流が突っかかってきたとき、東城や来崎は俺の名を呼んでいたが、葵だけは環多流に怒りの言葉を放っていた。


 その眼が殺意に染まっていたことを俺は知らない。


 何ひとつ違和感なんてなかった、あるはずがないだろう。だって葵は元から自分を隠すのが上手かったんだから。


 それに、あの時の俺はそこまで冷静じゃなかった。自分がこれから何をするのか知っていたから、周りに注視することなんてできなかった。


「……なるほどね」


 納得の呟きは自分への愚かさを突きつける吐露になった。


 きっと、気付かなければいけなかったことなのだろう。他人の世界に土足で踏み込むなんて無粋なことを、なんて考える前に、もっと人を……いや、それこそ自分本意か。


 何でも一人で抱え込んできたから、何でも一人で解決できると思い込んでいる。それゆえに人の表面だけを知った気になり、内面を察することで勝手に自己完結する。


 それは今も変わらないし、変えられない。救いようのない自分を鏡面きょうめんに見ている気分だ。


 俺はすぐに頭を働かせて情報を俯瞰する。


 そして、玄水へと問いただした。


「聞き忘れていましたが、なんでこの件をあなたが知っているんですか?」

「……」


 沈黙する玄水に、俺はすぐに事の全容を察する。


「……! そういうことですか」

「何を察したかは聞かぬが、早まるな。ワシが言いたいのはあくまでも葵玲奈の心身の問題じゃ」

「分かっています」


 しかし、これは大きな問題だ。


「……それで、俺に何をしろと?」

婉曲えんきょくな言い方しかできんが、あの娘の呪縛を解いてやってほしい」


 それはまた無理難題を言う。俺は葵の家族でもなければ、恋人でもない。出会って数ヶ月の同じ部活仲間の関係だ。


 責任が伴う社会人同士であればともかく、一介の学生風情に人が抱える悩みの根源を絶つなんて大層なことができると思うのか。


 俺は一度葵に手を貸したことがあるが、あれは俺の中で切れる手札にそのカードがあったからできたことだ。


 いうなれば自身の範疇にある行動。動くことで解決できる問題だった。


 だが、今回玄水が言っているのはそういうことじゃない。葵自身の考え方から生じてしまう問題、精神面の話だ。


 ハッキリ言ってしまえば、解決できる問題じゃない。


 葵から『こういう風に悩んでいるからアドバイスが欲しい』とでも言ってくれる程度の悩みであれば、答えを用意するだけで解決できるだろう。


 しかし、葵自身が『こういう生き方をしている』と主張している以上、それを否定して考え方を正そうとしても意見の押し付けにしかならない。


 周りから悩んでいるように見えるそれも、本人からすればそれが"自分の生き方"である。


 だとしたら、俺のようなただの部員仲間が何かを言ったところで解決はしないだろう。


 ──こういうのは、結局積み重ねが大事なんだ。


「……分かりました、なんとかします」

「……本当か!?」

「はい」


 俺は二つ返事で承諾した。


 承諾したはいいものの、何か解決案が浮かんでいるわけではない。


 ただ、俺はひとつだけ気付いている。葵と接してきてずっと感じていた違和感を。


 今まではそれが違和感だと分かっていても、そう感じることを避けていた。それが葵自身の"キャラづくり"だというのなら、真面目に指摘しても恥ずかしいだけだ。


 でも、今回玄水に言われて新しく気付かされた違和感が、俺の感じていた違和感とようやく整合した。


 気付いたんだ。──なんで葵は、自分のことを『アオイ』って呼ぶんだろうって。


「……即答しましたが、正直どうすればいいか分からないので少し考えます」


 俺は少しだけ思案するポーズを取る。


「そうじゃな。我ながら老婆心を拗らせた無茶な頼みだ。もしかしたらずっと長くなるかもしれぬ、これから先ゆっくりと考えるとよい」


 俺は暫しの間考え込み、十数秒ほど経ってから目を開いた。


 一瞬チラついた赤い視界を瞬きで消して玄水に告げる。


「…………解決しました」

「お主はバケモノか?」


 失礼な、俺はまだ人生の半分も生きていないピチピチの高校生だ。バケモノ扱いは困る。


 ──とりあえず、事の終点を環多流と葵の邂逅にしよう。何をするにも二人が接しない限り問題は解決しない。


 だが、今の俺と遊馬環多流に接点はない。何より県大会の一件以来、顔すら見ていない。


 それに、環多流は俺を恨んでいる。いや、今は恐怖しているという方が正しいだろう。あの県大会での大きな対立を経た因縁は簡単には消え去らない。


 だから、どんな関係でもまずは環多流と接点を作る必要がある。


 ──ちょうどいい。


 実は宗像を断罪するカードが足りていなかった。いや、どちらかというとデッキが悪い。鈴木会長単独だと少しばかり確実性に欠ける。


 ならば、環多流を上手く使って宗像を断罪するカードの種類を増やそう。それをきっかけに少しでも接点を作り、関係を構築する。


 どうせなら先に西田に聞きに行った方がいいか。環多流のことについて何か知っていれば得策だ。先の県大会の一件で多少強くも出られる。


 正直、宗像の一件はあまり大きな障害にはならない。個人的には香坂賢人の一件の方が痛恨だった。


 あの若さで事故死してるなんて、一体誰が想像できるのか。


(……交通事故、か)


 ※


 画策、というほど大きな何かを為したわけではない。


 小さな子供が秘密基地を見つけた時のような、不意に自らの体温を上昇させる行為の延長線上にあるものだ。何も企んではいない。


 だから、そんな"またやりやがったな"みたいな顔を向けるのはやめてほしい。


「……葵、玲奈……!?」


 俺の顔を葵の顔を何度も見返しながら驚く環多流と、何かを察して鋭い視線をこちらに向けてくる葵。


「……ミカドっち、アオイをここに呼んだ理由を聞いてもいいっすか」


 その声色からは、冗談など一切受け付けない真剣な感情が伝わってきた。


 まぁ、何も知らない環多流が驚くも無理はないが、葵に至っては事前に何をするかも教えずにただ呼んだわけだから、かなり困惑しているだろうな。


「……まずは、場所を移動しよっか」


 俺はそういうと、二人を連れて観戦会場から少し離れて、対局会場近くにある個室へと移動した。


 大会の会場は観戦会場と対局会場に分かれているが、対局会場付近はほとんど人の出入りが無く、自由に入れる個室も無人となっている。


 俺はその誰もいない個室に二人を案内した。


 道中、環多流は葵の方をチラチラと一瞥しながら当惑とうわくしていたが、一言も発さない葵にどんどんと不安が募り始めていたようだ。


 やがて個室に入ると、その沈黙を破るかのように、鋭利な声が背後から投げかけられる。


「……それで?」


 先に口を開いたのは、葵だった。


 いつもとは違う冷徹な口調で告げる葵に、俺は以前の一件を思い出す。


「まず、葵には頼まれてたのを渡しておくよ」


 そう言いながら、俺は懐から一枚の紙を取り出した。


 それは先程アリスターが貰ったものと同じ、WTDT杯の対局棋譜だ。


 俺は今回、学校側にはほとんど無断で大会に出たことになっている。本来であれば部活の一環として西ヶ崎高校の名を背負って大会に出場するのが決まりなのだが、俺は鈴木会長を通して学校側に申請することなく出場した。


 これによって何かペナルティがあるわけではないが、完全に個人として沢谷由香里の推薦を受けての出場となるため、しっかりとした後ろ盾はない。無名の選手として出場したようなものだ。


 ……ということで、俺には間接的にでも今回の大会の対局棋譜を鈴木会長に渡す必要がある。


 まぁ、そんなことはしなくとも棋譜自体は世界中に公開されるわけだし、学校側も大なり小なり"世界大会で勝利した"、という実績は寝耳に水だろう。後で根掘り葉掘り聞かれるのも厄介なので、鈴木会長に後処理して貰うという意味でも棋譜くらいは渡さなければならない。


 そして、俺が葵を呼んだ際に、何故か葵も今回の棋譜を欲しがっていたので、それを先に渡した。


「……ありがとうございます」


 完全に語尾が消えている葵にはツッコまず、俺は環多流の方を向く。


 ──生憎と、怜悧れいりな婉曲表現は玄水から受け継いでいない。だから結論から話させてもらおう。


「……なんだよ?」


 戸惑う環多流に、俺は告げた。


「お前の姉が昏睡状態に陥った原因とされる10年前の事故。──その相手側の唯一の生き残りが、ここにいる葵玲奈だ」



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