目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第百八十四話 100手後の追撃

「……」


 大盤解説の会場。後ろで大いに盛り上がっている西ヶ崎高校の面々たちを外目に、凱旋道場の準エースであるメアリーは不服そうに肘をつく。


 ──そんなメアリーの肩に手が置かれる。


「なんだ、思ったより盛り上がってるな」


 そう言って上機嫌な声色と共に姿を現したのは、凱旋道場の伏兵である三枝天外だった。


「え、テンガイ!? どうしてここに……? 今日はいないって……」

「たまたま通りかかったから見に来ただけだ」

「あ、アナタも大概自由ね……」


 思わぬ隠れエースの登場に驚く凱旋道場の面々たち。


 本来ならこの男があの場に座っていたはずだった。青薔薇赤利、メアリー・シャロン、三枝天外の3人で例年通りに戦うつもりだった。


 しかし、今のこの状況、ミリオスの圧倒的な強さを鑑みれば、恐らく例年通りに勝つことは叶わなかっただろう。


 メアリーはこの対局を観戦して、それを誰よりも感じ取っていた。


「流石は元黄龍王者、実力はいまだ顕在か。ほら、見てみろよメアリー。SNSでは一致率100%なんて単語で地域トレンドを席巻してるぞ」

「言わないで。……ワタシ、あの男嫌いなんだから」


 メアリーは珍しく不機嫌な態度をして、スクリーンに映る天竜の手を睨む。


「そういえば、当時の黄龍戦でお前が唯一負けた相手が天竜だったか」

「そうよ。ワタシが優勝してアカリに強さを認めてもらうハズだったのに、あの出来事以降、アカリのワタシに対する評価は下がる一方よ!」


 何とも子供らしい悩みに、天外は思わずジト目で沈黙する。


 その間にも天竜は次の一手を指し、その平凡さが再び会場をどよめきで埋め尽くしていた。


「正確無比な特化型か。青薔薇と同じ系譜だな」

「ホント、何が居飛車一辺倒よ。全部指しこなせる怪物の癖に」

「常に隣で競い合っている相手が、かのオールラウンダーの舞蝶麗奈だからな」

「……あの女も嫌いよ」


 目を瞑って嫌味を振りまくメアリー。


 県大会以降すっかりふてくされてしまっている条谷、天外は後部座席から体を乗り出してメアリーを直視した。


「メアリー」

「何よ?」

「……似非外国人っぽさが抜けてるぞ」

「う、うっさいわネ!」


 ※


 互角に思われた局面は、カインの勝負手を全て受け切るという神業によって圧倒的な差をつけていた。


「なぜ……どうして……!」


 今この状況は、カインにとって最悪なルートを辿っている。それは確率的にあり得る未来だったとしても、心理的には絶対に辿らない未来だった。


 天竜がカインの意図を見抜けなければ決してこうはなっておらず、仮に見抜けたとしてもこの順を選ぶことはなかった。


 どちらに転んでも得をする、必勝の展開。だからこそカインは踏み込んだのだ。


 それが今、その通りになっている。カインの思惑通りになっている。それがカインにとって何よりも"想定外"。


 今の天竜はカインの策によって崖際まで追い込まれている状況。カインからしてみれば選択を迫る側だ。なのに、天竜それを受けて選択を決断するどころか、選択することそのものを放棄して自ら率先して崖の下へと飛び込んでいる。


 それは事実としてカインの作戦勝ちになっているはずなのに、自ら飛び降りるという不気味な選択にカインの中で不安が増大する。


 ──何故なら、彼が主人公であれば、そこで物語が終わらないからだ。


 死ぬからこそ死にに行くのではない。助かるからこそ、死にに行くのだ。


 それが道理であり、それが道筋というもの。


 ──そうなれば、崖際まで追いつめたはずのカインと天竜の形勢差はどうなる? 確実に勝つ、必勝の状態だった二人の優劣はどうなる?


 振り出しに戻る。全てが無かったこととして処理される。


 それはつまり、カインの必勝の策が打ち破られたに等しい。


(ありえない……ありえない、ありえない、ありえない、ありえない!! どうやって、なんで、どうしてこんなことになってンだ……ッ!!?)


 秒読みの勝負で過剰に上がっている思考力。そのせいで、カインは刹那の不安を延々と味わっている。


 ──対する天竜は、右手の痙攣が止まり、完全にイップスを克服した状態で全身全霊の読みを入れている。


 その差は外野で騒がれている通り、全てを最善手へと変える瞬間的な鬼神へと成り上がっていた。


「クソ……ッ!! あと8秒、っざけんな……ッ」


 カインは額に手を当てながら必死に考えるが、解決策が思い浮かばない。


 あれだけ完璧な作戦だと思ったのに、相手の判断が狂気的過ぎて何もかもが瓦解してしまう。


 一体どうしてこんなことになっているのか? 一体どうやってこの窮地から這い上がろうというのか?


 あまりに読めない、あまりに理解できない。


 しかし、それがカインの頭上にのみ吊るされた疑心の糸であることを、カイン自身は知る由もなかった。


 ……天竜は初めから気づいていた。


 何に? ──この名ばかりの必勝法を相手がやってくることにである。


 それは知っていても避けられないもの。しかし現実は知っているどころか、知らぬ間にやられる可能性も含まれていた。


 だから真才は見せたのだろう。……あの『疑似頓死』を。


 初見で見た時も、その違和感はずっとあった。たった数百点程度のリードを得るためにあんな危険を冒すなんておかしいだろうと、天竜はそれがずっと気がかりだった。


 様々な理由を考えた。様々なメッセージを受け取った。


 だがそれでも、これは勝負である。勝つための戦いである。


 相手を騙し、味方も騙す。──あの男の策がそんな凡庸なわけがない。


 相手を騙し、味方も騙し、それによって相手が仕掛けることも想定した上で対策の痕跡を残す。その策が本当に火を噴くまで全てを騙し尽くす。最後まで火花を散らす。


 一度やっても二度目はない。しかし、明確な答えはバラまかない。中途半端に付けられた火が、他の者達から見ればあまりにももどかしく思えるだろう。


 だが、二度目はないのだ。本来は"二度目"はやってはいけない。


 なのに今こうして──カインが同じ轍を踏みに行っている。


 真才の放った『疑似頓死』は確かに衝撃的だった。それによってこのWTDT杯という特殊ルールの穴が明確になり、誰もが後ろを気にして指さなければならないと気づき始めた。


 だからこそ、この終盤、誰もがアリスターが出てくる前に決着させたいと思うこの終盤で、カインの指す悪手は一気に勝負手へと変わるのである。


 ──しかしそれは、言ってしまえば諸刃の剣でもある。相手が開き直って後続を気にしなければ、その策は無意味な凡策に成り果てる。


 だがそれでも、その策が衝撃的な策であることに違いはない。


 真才が初見でそれを行い、以降誰も使わなければ、その策には付加価値が付く。その後になまじ頭の回る者がその価値に気づけば、自分だけが気づいたと言わんばかりの『納得感』を得てしまう。


 だが、それは最初だからこそ意味を為す手法。相手が対策を知らない、できないと判断することが前提である策。


 真才のアレが、『疑似頓死』が必殺の威力を持つ武器だったのなら別だ。それを行ったことで形勢に大きく差が開いたのなら別だ。


 それなら誰もが警戒する。誰もが使おうなどとは思わない。だって、皆が警戒している中で使ってもどうせ不発に終わるからだ。それこそ俗にいう二番煎じになってしまう。


 ──これは、真才が放った『疑似頓死』がインパクトのわりに大した成果を得られなかったからこそ生まれた悲劇。


 形勢にしてたったの数百点。カインは真才の置いた地雷にまんまと引っかかり、大爆発をその身に食らった。


 ……にしては、そんなに大怪我を負っているわけではない、と。そう後から気づいてしまった。


 カイン自身が、その身をもって、この策が"中途半端"であると気づいてしまったのだ。


 だからこそ、誰も警戒していないと情報が上書きされてしまった。リスクに対してリターンが上回っていない、実は派手なだけの小技だったのだと。局面が進んだ先で高段者以上の実力者なら薄々そう感じるだろうと、カインは勘違いをしてしまった。


 事実、その認識は間違っていない。三岳を含め、多くの者は真才の放った『疑似頓死』を『やっていることは凄いがリターンが低い』と認識してしまっている。


 それは危機感の欠如であり、隙を生む慢心である。リターンが低ければ誰もやらない、誰もやらなければ少なくとも、当事者である真才以外には警戒する必要がない。


 そして、天竜一輝と青薔薇赤利。二人とも間違いなく強敵。カインはそれを理解していた。理解していたからこそ、真才の『疑似頓死』が大した効果でないことをその二人はすぐに理解する。


 だからこそカインはそこを突いて真才の策を流用したのだ。誰もが見せるその隙を、一瞬の間合いで刃を突き刺すように飛び込んだのだ。


 まさしく必勝。相手の油断を突く正鵠な手法。


 ──まさかその策自体に毒を塗っていたなどと、分かるはずもない。


 それは、天竜にしか伝わらない策の全容だった。


 渡辺真才が自分達の作戦を無視してまで通した策が、あれだけのリスクを負って通した策が、たかが数百点の形勢を奪うだけで済むはずがない。


 ──天竜だけがそれを理解していた。


 そして、天竜だけが理解していたからこそ、カインの策に対抗する手段を前もって準備できていた。後続を無視し、罠を踏みつけ、我が道を歩み続ける覚悟を秒読みの世界で決断できた。


 そう、天竜は最初から真才の策を誰よりも警戒しっぱなしだったのだ。


「ウソ、だろ……!?」


 遅れてやってきた衝撃は、今までと違って派手さもインパクトもない。


 ただ、全身を蝕み溶かしていく。音も立てない猛毒である。


 そう、これは無限に使える必勝策などではない。たった一回しか意味を為さないボロボロの武器、しかも派手な割に効力は微妙。


 真才はそれをあたかも自身が扱う"神業"のように披露し、自分の番は終わったからと煌びやかに光るその武器を放棄した。


 そんなものが落ちていたら拾いたくなるだろう。使いたくなるだろう。そして自分流に改造したくなるだろう。


 真才はそれを正しく扱えていなかっただけで、自分が使えばもっと威力を出せると。


 だが、カインが使ったのは『必勝策』などではない、真才が置き去りにした『毒饅頭』なのである。


 それを流用などと、あまりにおこがましい。


「こんな、はずじゃ……っ!?」


 カインには視えてしまう。──天竜の背後に浮かび上がる悪魔の影が。


 どこまでも痕跡を残す、どこまでも相手を陥れる。初めはただのモブ程度にしか認識していなかったその男の、冷酷無比な策の残滓。


(俺は一体、何と戦っているんだ……!)


 血の気が引く、額が冷たくなる。全身から滝のような冷や汗が流れ出し、勝てるという士気すら湧いてこなくなる。


 チーム戦といいながら自分勝手な戦い方をして場をめちゃくちゃに荒らす。かと思えば仲間を信頼して罠を張り、自分が戦っていないところで自分の策を爆発させる。


 こんな無茶苦茶な男が属するチームにどうやって勝てばいいのか。


(し、仕方ねぇ! 今からでも読み直して──)


 そうして急いで軌道修正をはかろうとしたカインだったが、その手が盤上に伸びることはなかった。


「もう遅い」


 ──交代のブザーが鳴る。


 満30手。限界まで指したカインと天竜の勝負は、天竜が渾身の指し回しを披露しきったところで終わりを迎えた。


「そん、な……」


 ──評価値・後手+2500点。ついに日本のチーム『無敗』が勝勢でバトンを繋げるという大逆転劇に、それまで勝ち目を感じていなかったアマチュアの観る将たちが希望を見出し始める。


 特に最後の天竜の指し回しがAI一致率100%で終わるという衝撃は、将棋を知らない者にも分かりやすく伝播でんぱし、それまで霞んでいた『天竜一輝』の名を一気に輝かす結果へと繋がっていくのだった。






 ──待機室、天竜は疲労困憊の状態で入室すると、またもや優雅に飲食物を胃に詰め込んでいる真才を発見する。


「これで満足ですか、渡辺真才さん?」


 天竜はそんな真才の前まで迫り、若干怒り気味にそう告げる。


「もちろん大満足。やっぱり地区大会では俺の方が負けてたね」

「何を言うかと思えば。あの時はあの時で全力だったよ、右手も治ってなかったし」

「それでも負けてたよ、きっとね」


 奇策も愚策も使わず、相手の策は全て受け止める。まさに王者らしい堂々とした指し回し。これができる人間が一体どれほど少ないことか。


 やっぱりこの男とは戦いたくないなと、真才は天竜を見て再認識するのだった。


「それで? 天上天下唯我独尊の真才様はこの後どう勝つつもりだい?」


 天竜は真才が食べようとしていた未開封のお菓子を奪うと、慣れた手つきで開封して口に放り込む。


 そんな天竜に、真才はしらを切るように答えた。


「さぁ……? そんな大層な呼ばれ方をする真才様が一体どこの誰なのかは知らないけど、俺はただ普通に楽しく指すだけだよ」

「はぁ……君ってやつは……」


 天竜は肩の力を抜くように呆れ、真才の放つ一手の重さを改めて理解する。


 赤利の勝負術や天竜の完璧な指し手があったとはいえ、当時の+418という形勢で押し留まっていた真才の『疑似頓死』は、結果的に今の+2500という勝勢を生み出すことでようやく役割を終えたのである。


 いや、むしろ本来はこっちが正しい形勢だったのだろう。まるであの時、地区大会で見せた角捨てにも似た遅効性の策。目の前で爆ぜれば誰もがその地雷の役割が終わったと思うだろうに、真才はその先まで考えていた。


 天竜にとってこれほど恐怖を覚える相手はいない。戦慄の噂は真実。これを前にこの先の棋界を生き残るのは至難になる。


 本当に常識の通用しない高校生だと、天竜はため息をつくばかりだった。


「さて、次は青薔薇の出番か」

「応援しがいがあるね」


 局面的にはもう寄せの段階に入るところ。天竜、及びカインからのバトンタッチで後続の選手に多少の縺れは生じてしまうだろうが、それでも決着は近くなっている。


 手数的にも、もう自分の番まで回ってこないことを理解した天竜は、残された赤利と真才のことを気にし始めた。


「……ちょっとまて、嫌な予感してきた。真才、君はさっきまで青薔薇と一緒だったはずだ。……またなんか仕込んだんじゃないだろうな?」

「まさか、これはチーム戦だよ? 俺のことを人を操る悪魔みたいに言うのはやめてほしいな」

「………………………………」


 もう策は何もないと両手をぶらぶらと振る真才に、天竜はただひたすらに疑心の目を向けるのだった。



この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?