目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第百八十三話 天衣無縫(後編)

(何故だ……罠に嵌めているはずなのに、このままじゃマズい気がする……!)


 カインの勘がそう叫ぶ。自信満々に悪手を咎めに来る天竜の対応に、自分が間違っているんじゃないかと不安になる。


 ……その思考に陥ったが最後、カインは焦燥して気づかない。自分がここまで積み上げてきた論理戦ロジックが崩れてしまっていることに。


 悪循環の根源は目の前で何かに目覚めつつある男だ。この混沌とした局面の中で、その男は特に難しいことをしているわけではない、ただ受けるように応対の手を指しているだけ。


 青薔薇赤利のように勝負強さがあるわけでも、渡辺真才のように異次元の手を指すわけでもない。


 ただ"普通"。それがカインの恐怖をより駆り立てる。


『さあ、先手のカイン君はこれまた驚きの手を指しましたね』

『桂打ちですか。同歩でタダですが、同桂として無理やり後手陣の金銀を剥がそうとしてますね』

『しかし三岳六段、後手に桂馬が渡ると危ないのでは?』

『ええ、後手に桂馬が渡ってしまうとと一気に寄せが早くなると思います。先手のここは王様の弱点コビンですからねぇ、桂馬はあまり渡したくない駒だと思いますが……』

『カイン君に何か狙いがあるのかもしれませんね』


 ──ある。狙いはあるのだ。


 カインはその天才的な頭の回転の速さで再び策を構築し、天竜に向けて何重にも罠を張る。


 しかし──。


『後手の天竜君は普通に取りましたね』

『手順ですねー、先手はここからどういう狙いがあるのでしょう?』

『恐らくですが──』


 天竜が指したのはただの対応手、ただの凡手である。そんな相手の手を受け手順に指している天竜を前に、カインだけが恐怖を覚える。


(なんだ……なんなんだコイツ……!?)


 それは仕掛けるとか見破るとか、そんな次元の話ではない。


 ──技巧すら見えない。


『──といった感じで攻めると、カイン君の狙いが炸裂して先手勝ちになりますね』

『はぁ~なるほど、こんなすごい狙いが……! 果たして後手の天竜君は見破れるのでしょうか』


 誰もが自然に天竜一輝という人間の歩みを見ている中、カインだけは地に足を付けてない歩行を見ている。


 あまりにも自然で、あまりにも無意識で、ただ手を重ねるごとに形勢が入れ替わっていく。


 得体のしれない何かと対峙しているかのような、身の毛のよだつ不安感。


 カインの勝負手を、天竜はただ受け入れる。地雷に足を踏み入れるように、クレバスの中へ吸い込まれるように。警戒心の無い応対が不気味に連鎖する。


『さて、天竜君はまた手順に取りましたが……』

『これは先手のカイン君の猛攻が止まりませんね。こうなると後手は受け一方になってしまうので、事前に王様を一個横に逃げておくのが正着だったかもしれません』

『なるほど、これで角の利きから避けると攻めの余裕が生まれますからね。……実は後手の天竜君はアマチュア黄龍戦の全国大会で優勝経験のある凄い選手なのですが、今回は復帰戦ということで少しブランクがあるのかもしれません』

『将棋は少し指さないだけで一気に棋力が落ちてしまいますからね、そういうこともあるでしょう』


 大盤解説の会場ではまるで天竜にブランクがあるかのように告げ、それまで凡手しか指せていない天竜のフォローに回っている。


 しかし、現状は真逆だった。


(クソ! 一体何が起きているんだ……!)


 解説では、まるで天竜がカインの罠に嵌められたように言われていた局面で、当の本人であるカインだけが窮地に追い込まれた表情をしていた。


 ──その先に待っている奈落を、深く読み進めているカインは知っている。


 だが、そうはならいと踏んだ"前提"での仕掛けだった。


(なぜだ、なぜ……!? その交換と次の攻防を含めたらアリスターの出番まで手が伸びるんだぞ……! 逆転される恐怖はないのか……!?)


 ない。そんなものは一切無い。


 ──後のことなど知ったことではない、自分以外のことなど考える必要がない。それを考えるのは後の続く赤利の、そして真才の仕事であり、今この場に座している天竜の仕事はただ全力の手を指すことである。


 後続を考えると言うのは、良くいえば仲間同士の助け合い。しかし、悪く言えば相手のレベルに合わせるということでもある。


 自分本意に戦い続ける天竜の姿勢を、その『不自然なまでの自然』な挙動を、見惚れずにはいられなかった。


 ──天衣無縫。その真実を知っていたのは、"答え合わせ"ができる者達だけだった。



【『WTDT』ワールド・ザ・ドリーム・タッグ生配信板part16】


 名無しの949

 :【驚愕】天竜氏、WTDT杯で指した全手、AI一致率100%であることが判明


 名無しの950

 :>>949 !?


 名無しの951

 :>>949 !?


 名無しの952

 :>>949 え!?


 名無しの953

 :>>949 嘘だろ?


 名無しの954

 :>>949 what!?


 名無しの955

 :>>949 へ???


 名無しの956

 :>>949 え、天竜ってさっきまで悪手も普通に指してなかった?


 名無しの957

 :>>949 さっきカインが悪手指した時天竜も悪手指し返してたぞ


 名無しの958

 :>>956-957 それAIに深く読み込ませないですぐ出したやつ

  正確にはカインもそんな悪手指してないし、天竜は全部最善手指してる


 名無しの959

 :AI一致率100%って何……


 名無しの960

 :ワイ氏いつも観る将で将棋初心者、AI一致率100%の凄さを教えてくれ


 名無しの961

 :>>960 打率10割


 名無しの962

 :>>960 言い換えると最善手100%悪手0%

  つまり絶対に負けない


 名無しの963

 :>>960 将棋の神


 名無しの964

 :>>960 ワンチャンAIに勝てる


 名無しの965

 :>>960 脳内コンピューターって言われてたメアリー・シャロンですら格下相手にAI一致率89%が限界だった

  しかし今の天竜は海外最強の一角を相手に通常の将棋の3分の1の手数とはいえAI一致率10割、つまり完璧な将棋を指してる


 名無しの966

 :ふつくしい……


 名無しの967

 :えっなんか神聖な領域入ってない? 人間やめた?


 名無しの968

 :ホレボレするほど一致してて怪しすぎる、本当に人間が指してるの? スマホとか見てない?


 名無しの969

 :>>968 残念ながらWTDT杯は手持ち検査めちゃ厳しいからスマホどころか扇子とかの小道具すら持参不可だぞ


 名無しの970

 :え、自滅帝超えた?


 名無しの971

 :は!? ヤバすぎるだろなんで解説こんな平然としてんの? カインが押してるみたいな言い方だし


 名無しの972

 :>>971 そりゃ解説は評価値見えてないからな

  プロの棋戦みたいにコメント流れる放送じゃないから状況も分からんし、当然対局してる選手達も分からん

  俺らは答えカンニングしてるからその凄さにいち早く気付けてる


 名無しの973

 :そもそも天竜の指してる手って一見すると凡手ばっかやしな

  でも逆に言えば全部が正しいとも言えるのか……


 名無しの974

 :もしかしてこれ、本当に日本勝つ? 連覇守れる?


 名無しの975

 :>>974 少なくとも今の天竜は人が入っちゃいけない領域に足踏み込んでるから、カインはここから逃げきれるかの勝負になってる


 名無しの975

 :天竜ってこんな強かったのかよ……


 名無しの976

 :自滅帝といい天竜といい、今のアマチュアどうなっとんねん


 名無しの977

 :天竜って右利きだったっけ? 最初左手で指してなかった?



 ──感じる。不規則な羅列の中で、パズルが組みあがっていく律動を感じる。


 しめやかな手さばきの中で放たれる一閃は光の名の如く音すら立てない。


(全部受けて、受け流される……っ!?)


 本物の技巧とは、技巧の片鱗すら見せない自然な着手のことである。


 かつて伝説の棋士と言われた玖水棋士竜人は、その対局を見ていた者達から『勝敗が分かっても勝因が分からない』と常々言われていた。


 天竜が今行っているのは、それに近い芸当である。


 大盤解説の会場。リアルタイムで発信していく三岳六段の解説により、先手後手の状況は時間がたつごとに細かく分析されていく。


 しかし、その解説が進められていくごとに、会場からはどよめきが走り始めた。


『あれ、三岳六段、この手は先手に詰めろが掛かりませんか?』

『……あ、確かにそうですね。ではここは同銀でしょうか』

『同銀、7六銀、4八玉、2五桂……こちらも挟撃の形になりますね』

『あれぇ?』


 真実に近づくごとに生まれ出る"違和感"。確かにカインが押していたはずの局面が手を進めるごとにおかしくなっていく。


『……なんだか、いつの間にか形勢が入れ替わってしまいましたね!?』

『いやそんなはずは、ないと思うんですが……。…………???』


 三岳六段は大盤を凝視して硬直してしまう。


 しかし、三岳六段もさすがの高速読みでその真実に気づく。


『あ、あー……すぅーっ……』


 三岳六段は形勢が入れ替わるその節目が分かったようだが、あまりに細かい攻防に上手く言語化できず言葉を呑み込む。


『えーっと、そうですねぇ、そうだなぁ……これは……』


 大盤解説として盤上に立っている以上、重要視されるのは手の正確性よりも会場の盛り上がりである。


 天竜の指した一手というのは常に対応手、故に地味で映えない凡手に他ならない。


 しかし、その局面へと持っていく構想力が異常に抜きんでている。最善手とは読んで字のごとく最善の対応を取っているだけであり、その手に魅力というものは詰まっていない。


 人間らしくもなく、かといって機械的な容赦のない一手でもない。天竜の指した手の凄さは、カインの攻めを全て読み切ってただ前に進んでいる"狂気性"なのである。


 そのことを三岳六段は理解するも、それを解説するにはあまりにも抽象的な言葉しか浮かんでこない。


 ──故に、この一言にまとまった。


『天竜君が全部最善手を指してるんじゃないかなぁこれ』


 思わず言ってしまったその衝撃的な一言は、会場にいた者達全員を絶句させ、見ている者達全員をドン引きさせるのだった。




 ──────────────────────

 次回、真才の策が明らかに


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?