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第百七十六話 真才、本気を出す

 カインの失態を見て、アリスターはその場に立ち尽くしていた。


 大量の関係者が見張りを行う交代用の通路とは違い、選手達が待つ待機室の中では自分チームと敵チームの選手しか残されていない。


 スマホ等の機械類は没収されており、辺りには対局画面を映す巨大なディスプレイと飲食物だけ。


 そんな中で待機する者達は、自らの鼓動の音だけを張り詰めた空気の中に溶かす。


 王の座にでも腰掛けるかのように座っていたアリスターは、気付けば立ち上がって対局画面を凝視していた。


 いや、凝視なんて生易しいものじゃない。余裕を見せつける態度すら忘れるほどの釘付けである。


 カインのミスは勝利を逃す致命的な一手。それはまさしく、アリスターが自力で取って来た魚を海に投げ捨てるような行為に等しい。


 ──アリスターの表情に大きな変化はないものの、その瞳の奥が怒りに染まっていることは誰の目から見ても明らかだった。


 カインの失態もそうだが、久しく穏やかだったアリスターが本気の怒りに染まっていることを知ったジャックは、アリスターの隣でひたすらに怯えて声を潜める。


 そして、そんなジャックを構いもせずにただ無言で画面を見つめるアリスターは、やがて持っていた水入りのペットボトルを握り潰して破壊した。


「……そうか」


 アリスターは奥の方で椅子に座りながら優雅にくつろいでいる真才へと視線を向けると、射殺すような殺気を放って睨みつけた。


「お前、そういう人間か」

「……」


 アリスターは両者の声が聞こえるほどの距離まで近づき、真才にそう告げる。


 カインが犯したたった一手のミス。偶然、運悪く起きてしまったその出来事をアリスターは偶然で済ませない。


 これまでの棋譜、この対局の終始を頭の中で一瞬のうちに読み返したアリスターは、この一連の出来事が真才を起点として始まったことを瞬時に理解した。


 自分を相手に勝負を仕掛けた。怖いもの知らずの天才大馬鹿であると。


「人を見下しながら指す将棋はさぞ楽しいだろうな? 分かるぜ、その気持ち」


 返ってくる言葉はない。


「お前みたいな人間はこれまでもよく見てきた。過去に自分の思い描いた理想の策が相手に通用した経験から、自分の策はどんな相手にでも通じると勘違いするバカだ。多少頭が回る程度の自分を全能だと思い込み、上から目線で他者を操って快感に浸る変態だ。そしてそういうヤツらは揃って足元をすくわれて死ぬ運命にある」


 返ってくる言葉はない。


「オレを相手に一本取れて気持ちいいか? お得意の戦法を囮に、裏の裏を読んだオレを罠にハメて優勢になる将棋は楽しいか? 楽しいだろうなぁ、まさに勝利の前に飲む美酒だ。──それで? お前はこの一手をもってオレに何が言いたい? たかが数百点のリードで何を優雅にくつろいでる? まさか、自分の方が強いとでも誇示したかったのか?」


 そうやってまくしたてるように告げるアリスターに、真才はしばらく黙ったまま虚無を見つめるように思案すると、殺気を放つアリスターの目にその視点を合わせた。


「──What're you さっきからな talking about?に言ってんの?


 疑問符を浮かべながら、首を傾げてそう返す。


 真才はアリスターが告げる話の真意がよく分からなかった。


 先の逆転の読みは真才にとっても一世一代の大勝負。単純な思考と労力で果たせるはずもなく、短時間で成し遂げるには多大なエネルギーを消費した。


 おかげで酷使した脳は今にも糖分を欲していたため、真才はこの待機室に置かれていたお菓子を手に取って食べただけである。


 疲れていたせいもあって味覚が敏感になり、久方ぶりに食べる少し値段が高めのクッキーは真才の舌を満足させる味だった。


 ご満悦。真才はただただご満悦にお菓子を頬張っていたに過ぎない。


 アリスターが何かを察して暴いたように告げてきたところで、肝心の真才はアリスターが何を言っているのかよく分からなかった。


 しかし、その返しを受けたアリスターは、瞠目したその表情を変えずに静止。重力に逆らって髪が浮き上がるほどに青筋を立てると、握りしめていたペットボトルを真才に向かって全力で投げつけた。


「っ!?」

「おいっ!?」


 ジャックの怯え、そして天竜の静止を無視し、アリスターは真才の顔面目掛けて投げつける。


 真才はそれを首を傾けながら軽く回避すると、ペットボトルはそのまま真才の後ろにある壁に叩きつけられ、おおよそプラスチックから出るような音ではない爆音を響かせながら壁一面が水の跡で埋まった。


 そして、真才の真横を通過する際に飛び散った水の雫が少しばかりその頬に付着した。


「気に入った。お前この試合終わったらコッチ来いよ、ウチの雑魚共よりよっぽど使えそうだ」

「仲間にも頼れない暴君の隣なんて冗談、俺は破滅主義者じゃない」


 一切物怖じしない言い方に、ジャックから無言で「お前正気かよ!」と言わんばかりの圧を感じる。


「いいねぇその度胸。お前、見た目によらず"死線"を知ってる側の人間だな。何者だ?」

「あいあむ、はいすくーる、すてゅーでんと」


 真才は両手を広げて適当な返事で誤魔化す。


 まるで相手にされていない。あのアリスターを相手に、一歩も退かず、自らの意思を誇示し続ける。


 そんな圧倒的強者の立ち振る舞いに、周りで見ていた天竜とジャックは滝のような冷や汗と驚愕に表情を染めながらも、なんとか口には出さずに沈黙を保っていた。


 そして、そんな真才の心境はというと。──実はアリスターにめっぽう『恐怖』を抱いていた。


 当然である。


 自分より遥かに高い身長、体格、そして威圧感。目には修羅をくぐった猛獣のような色が刻まれており、体全体から放たれるオーラは豪傑の如き覇気を感じる。


 まさに圧倒的な格上。そんな相手に殺意の矛先を向けられて恐怖しないのがおかしい、恐怖するのは自然なことである。


 アリスターの隣で今にも漏らしてしまいそうなほどに震えているジャックの気持ちが、今の真才には痛いほどよく分かった。


 それでも、真才がアリスターを前に一歩も退かないのは何よりも『対局中』だから。ここが対局の場、将棋をしている最中だからである。


 真才の信念は初めから一貫して変わっていない。自分が人としてどれだけ劣った存在であっても、周りからどんなに後ろ指を指される人生を送ったとしても、こと将棋に関してだけは誰にも譲らない。


 アリスターは将棋指しとしてこの場に立っている。ならば自分も同じ将棋指しとして彼を真っ向から相手にするのが道理である。


「……なるほど。と会うまでは退屈な日になると思っていたが、少しは楽しめそうだ」


 ──そこへ、交代を知らせるブザーが鳴った。


 ※


 WTDT杯、大盤解説会場。


 驚きとざわめきに包まれた客席からは、それまで絶体絶命だった日本が逆転するかもしれないという期待で溢れかえる。


 真意など知る由もなく、水面下の駆け引きなど小難しいことは分からない。


 だが、映像の端に僅かに映り込んだカインの絶叫は、見る者に「何かが起きている」と悟らせるほどに異常なものだった。


 ──そんな中で、本局の解説を行っていた三岳六段はその手を止めて唇を震わせていた。


(これは……まさか……っ)


 盤面から導き出される答えとは、常に表面的な答えであってはならない。


 人間同士の対局だからこそ生まれる棋風。それは将棋という一つの分野を極めた者ほど、深く、そして捉えにくくなるものである。


 中段玉を利用した乱戦の型、それを瞬時に咎めにいったアリスターの判断は決して間違っていない。


 だが、三岳六段は感じていたのだ。


 この形を創り上げる者が、その咎めを良しとするほどこの形に初心ではない。


 渡辺真才による頓死と、天竜一輝による最長手数での逃げ切り、そして青薔薇赤利による過誤かごへのいざない。


 その手、その判断、そこまでの考慮時間、そして指し手から時計を押すまでの一連の動作すら、赤利は勝負手として織り込んだ。


 心理戦と言えば単純なそれは、確かな勝利への"作業"としてカインから意図的なミスを引き出したのだ。


 つまり、事の起点は真才の頓死から引き起こされた。


 最善からわずかにズレた指し回し。アリスターを立てるように、ほんの一歩届かない実力差によって生み出される形は、プロ棋士である三岳の思考すら騙した。


(自滅帝……そうか、自滅帝なのか! この形、この戦い方……どこかで見た覚えがあると思ったら、彼はあの将棋戦争の……!)


 三岳六段はすべてを察した。


 自滅帝、三岳六段はその人物を知っている。──いや、戦ったことがある。


 将棋戦争という子供でも遊べる将棋アプリにて、その名はあり得ないほどの有名だった。


 棋界でもたまに耳にするその名は、プロの仕事として戦う自分達にはあまり関係のある話ではない。


 正体が分からず、一説ではアマチュアという噂も流れている。プロの世界で生きる自分とは無縁の存在だ。


 ──だが、それは確かに三岳の記憶の奥底に刻まれていた。


 圧倒的な早指し、こちらに猛追してくる王様。慣れない中段玉を空中楼閣のように形成し、プロ顔負けの異常な読みの入った手を何度も繰り出してくる。


 初見ではまず勝てない。しかも時間制限がある将棋戦争ではプロ棋士ですら上手く戦えないため、自滅帝を倒すのは困難を極めると言われていた。


 しかし、それはあくまで将棋戦争というアプリ内での話。ひとつのゲームとして着目するからこそ誰も危惧していなかった実績である。


 ──現実のそれは、三岳の想像を絶した。


(なんてことだ……まさかこれほど逸した読みを軽々と入れてくるとは……! "妙手最善を越える"とはよく言ったもの、相手の間違いを前提に入れた指し手は常軌を逸している! それも自分が指すわけではないこのルールで……! あぁ、俺はなんて失礼な考えを、これじゃまるで節穴じゃないか。……やはり瑞樹も連れてくるべきだったな)


 引きつった笑みは盤上に向けられ、会場の観客からは見えない。


 しかし、三岳の内心は期待と戦慄で入り混じっていた。


 ※


 奇しくも同時に交代となった赤利とカインは、同じ場所で死闘を繰り広げたとは思えないほどの対比した顔つきで席を立つ。


 真才の真意がこの程度で終わるはずがないと、その小さな手を顎に添えて必死に思考を巡らせている赤利。


 対するカインは死んだ魚のようなひどい目でトボトボと歩き、何かをぶつぶつと呟きながら赤利の前を歩いていった。


 そして、その二人とすれ違うようにまた別の二人の選手が対局場へと向かう。


 ──真才とジャック。二回目となる再戦がここに果たされる。


「……」


 終始一貫して落ち着いた表情を見せる真才は、最初の時と変わらず集中した様子でジャックの方に視線を向けることはない。


 しかし、肝心のジャックはそうではなかった。


(コイツ……!)


 無駄な言葉よりその一言で全てが完結してしまう。


 カインが失敗することを予見した指し回しをしたことも十分異常だが、それ以上にあのアリスターを相手に一本取ったことが信じられない。


 元々、アリスターの得意分野は邪知暴虐を企てる悪知恵ではなく、その実力をもって真っ向から全てを潰すことを得意とする人間である。


 自ら何かを仕掛けることはなく、あらゆる策に対して事前的に対処する。それが叶わぬのであれば後手になっても対処する。事実として、真才の自滅流も真っ向から受けて立った。


 確かな恐怖とは、どんな戦法でも叩き潰す絶対的な『棋力』である。


 才能、努力、そして経験。アリスターがどれだけの研鑽を積んだのか、想像を絶するほどの先読みから生まれる指し手は、どんな相手だろうと恐怖を覚える。


 だがこの男は、真才は──そんなアリスターを相手に、さらに上回った読みを見せた。


 ジャックにとっては評価を改めざるを得ない衝撃である。


 しかし僥倖ぎょうこう、不幸中の幸い。真才の強烈な一打が入っても、形勢は未だ互角の範疇。


 元々これは、真才が自らを危険にさらすことで相手を罠に嵌め、その失策を狙うという大技である。


 しかし、それは結局のところ孤独のダンスだ。真才が地雷の仕掛けられた草原で一人で勝手に踊っていたに過ぎない。


 ミリオスの守りには一切のダメージが入っておらず、駒の損得もほとんど変わっていない。


 カインの犯した失態は"勝利を逃した"というもの。決してミリオスが負けになったというわけではない。


 まだ巻き返せる。──そうジャックは考えていた。


 ※


 ──と、ジャックがそう考えるであろうことを、沢谷は先んじて読んでいた。


 だからこその交代。このまま赤利を残しておいては、士気が下がっていないジャックやアリスターとの対決に致命的なミスを生む可能性がある。


 今の赤利は疲労困憊している。カインを逆手に取るための思考の果てで、見た目以上に相当な体力を使い果たしているはずである。それは対局の盤面しか映っていない画面を見ただけでも、沢谷には痛々しいほど伝わっていた。


 このまま使い続ければ、いずれ悪手を指してしまう。あのカインですらミスを犯したのだ。それが例え真才の策であったとしても、普通ならあり得ないようなミスだ。


 このWTDT杯では通常の将棋と違って選手を交代させる司令塔、指揮者が存在する。それは要するに、普段選手自身が考えているペース配分を指揮者が管理するということでもある。


 選手はその判断を指揮者に託し、自身はペースを考えず全力で戦うことに専念している。そのため、実力があるからと一方の選手に全てを押し付ける判断は、その選手の体力を削るだけの悪手だ。


 だからこそ、ミリオスを率いている翠はアリスターを限界まで酷使することなく、カインやジャックにも15手まで目一杯めいっぱい指してもらっていた。


「嘘よ……ウソ……ウソ嘘嘘嘘嘘…………こんな……っ……」


 カインの失態に翠は頭を抱えて絶望している。


 それは決して勝利への希望が無くなったことに対する絶望ではない。圧倒的な差をつけて勝つという、翠自身が思い描いていた算段が崩れたことに対する絶望である。


 沢谷はそんな翠に何かを語りかけることもなく、無言で画面を見つめていた。


(真才君、きっとアナタはここで本領を発揮するんでしょうね。誰もが戦慄し、誰もが恐怖を抱いてしまったこの瞬間で)


 自信ありげにそう考える沢谷。事前に知ったわけでもない、真才と長い付き合いがあるわけでもない。


 それでも沢谷は確信していた。


(──だって、私ならそうするもの)


 ※


 驚愕が全国を席巻する中、それでもWTDT杯は時を止めることなく進んでいく。


 2週目の順番を迎え、再び席に着くことになった真才とジャック。両者は冷静な面持ちで盤面へと顔を向ける。


 ──盤面は悲惨だ。


 真才の頓死によって、中盤戦から一気に瓦解し終盤へと入った局面は、カインの悪手によって再び中盤へと逆戻りしている。


 何も知らない者がパッと見て思うのと、ここまでの経緯を知った者が見る感情は凄まじいほど差が生まれている。


 それでもジャックが前者の思考へと切り替えられたのは、自らもまた頂点に上り詰めた強者だからに過ぎない。


 真才は露出した王様の安全を、ジャックはカインが指してしまった悪手の対応にそれぞれ追われる。


 一手の価値が絶対とされる将棋にて、二人の対応は最小手数で済まされる。


 ──そして事が動いたのは、再開から僅か2分。6手目の出来事である。


 動いたのはミリオス陣営、ジャックだった。



『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪www【十段おめでとう】Part55』


 名無しの356

 :あっ


 名無しの357

 :あっ


 名無しの358

 :あっ(白目)


 名無しの359

 :話題変えるか


 名無しの360

 :こ、これは……!


 名無しの361

 :自滅流……?


 名無しの362

 :自滅流じゃん!


 名無しの364

 :ジャックが自滅流!?


 名無しの365

 :自滅帝に自滅流仕掛けたぁ!?



 戦々恐々、土壇場で放つは緋色の模倣。浮き上がる戦火に身を委ねるが如く、ジャックの王様が玉座を蹴り飛ばして走り出す。


 ──その指し回しは、誰がどう見ても自滅流そのものである。


 ついにその本領を発揮し始めたジャックに、解説をしていた三岳は二度驚く。


 その恐怖を知っている者達は観戦席で小さな悲鳴を上げ、その形成が如何に困難なことであるかを理解している来崎達は目を見開いて驚愕する。


 そして、アリスターの口角がわずかに上がった。



『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪www【十段おめでとう】Part55』


 名無しの366

 :ジャックって自滅流知らんよね? 初見で見て真似したってこと?


 名無しの367

 :>>366 自滅帝って知られてるようで知られてない節あるからなぁ、多分初見で真似してると思う


 名無しの368

 :中盤からの真似将棋とかリスク高すぎやろ……


 名無しの369

 :すげぇなジャック、王様突進じゃんw


 名無しの370

 :是非はどうあれ、評価値見せろ


 名無しの371

 :>>370 『評価値』後手+299・互角


 名無しの372

 :>>370 『評価値』後手+381 日本(Team:無敗)・有利


 名無しの373

 :>>370 『評価値』後手+366 日本(Team:無敗)・有利


 名無しの374

 :評価値出すのは1人でいい! てか結構評価値グラついてるな


 名無しの375

 :使ってるソフトによって多少はズレるからしゃーない


 名無しの376

 :若干日本有利だけどほぼ互角みたいなものか


 名無しの377

 :いやいや、ジャックが自滅流指して評価値下がらないって、それほぼ最善指してるようなものじゃん

  どういう奇跡?


 名無しの378

 :>>377 逆だよ、多分両者とも最善手からは少し遠のいた手を指してるんだと思う


 名無しの379

 :>>377 これチーム戦だから、最善手指すのが必ず良い手とは限らない

  後ろに控えてる仲間が繋げられなかったらカインみたいな大惨事になる


 名無しの380

 :>>379 あーそっか、じゃあカインがミスったのはカインの責任というよりアリスターの責任になるのか


 名無しの381

 :>>380 そうなるね。自滅帝が仕組んだ高難度の頓死をアリスターが咎めず他の手を指してたら、多分ミリオスが勝勢を維持したまま日本が即負けしていた可能性がある

  でも自滅帝はアリスターなら全力で潰しに来ると踏み、天竜が逃げるであろう手数を計算した上で勝負強さに長けた赤利とカインの戦いに持ち込める状態を作った


 名無しの382

 :>>381 改めて聞いてもやってること意味分かんないくらいエグくて草


 名無しの383

 :そんな相手に自滅流を仕掛けたジャックも度胸凄いな……



 ジャックの勝負術が火を噴く。


 それを見ていた大勢の者達を再び驚愕の渦に巻き込み、その"戦法"は形となって真才に牙をむいた。


(これはお前への意趣返しでも、この戦法を認めたわけでもねぇ。俺の後ろに控えてるのはアリスターさんだ。だから多少の無茶も通じるんだよ──!)


 前回のカインとアリスターの連番とは違い、ジャックとアリスターは同じ休憩室で会話が可能な状態だった。


 つまり、今のジャックはアリスターから可能な限りの助言を受けた状態。今の真才がどんな策を練ってくるのか、そしてどんな手を指してくるのか、事細かにアリスターと相談をしていた。


 相手の思考を読むという行為。そこには膨大な選択肢と手段があり、そこから正解を導き出すのは途方もないことである。


 しかし、ジャックはアリスターから受けた真才の対抗策を一切の反芻はんすうを行うことなく暗記し、そこから最善の手法を選択した。


 ──それが自滅流である。


 安全を取り柄としていたミリオスの堅い囲いはジャックの手によって崩壊し、まるで真才が二人いるかのように完璧な自滅流を再現する。


 模倣はジャックの専門ではない。だが、彼にとってその程度の芸当は簡単にできるものだった。


 王様が前面に出れば、次にするのは囲いの再構築。元々上部に出ていた真才の王様はすぐに狙いの的へと変えられ、ジャックは自滅流を築きながらも真才の王様を追い詰めるという一石二鳥の手を放った。


 AIはこの状況を読めていたからこそ、その評価値はジャックの自滅流を肯定していたのである。


(ここで無理に攻めればカインと同じ目にあう。だが、俺は失敗しない。俺の役目はこのまま完璧な形だけを残してアリスターさんに繋げることだ)


 この時のジャックの判断は正しかった。


 目の前の一手に絶望し、指し手もままならなくなったカインとは違い、ジャックの指し手のバランスは常に一定をキープしている。


 最初の真才との対決でも決してムキにならず、守りに徹底していたからこそ作戦勝ちを収めていた。


 翠の交代によってその優位は消え去ったものの、あのままいけば確実に真才との差は開いていた。……個人では勝っていたのだ。


 ──そう、ジャックから見て、真才はそれほど脅威ではない。


 両者の勝負開始から12手目。互いの残り手数が10手を切った段階でジャックの口角が上がる。


 このまま真才を抑え込めば、アリスターが全てを覆してくれる。それを見たカインは調子を取り戻し、再び自分の番が来たときに安定した指し回しを見せれば、次のアリスターの番で終結だ。


 大げさな策略を見せたところで大した影響はない。形勢は互角なのだから、また1から築き上げればいいだけだ。


 ──そう考えるジャックが盤面から目を離した時に、気付いた。



『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪www【十段おめでとう】Part55』


 名無しの442

 :WTDTスレが荒れすぎてるからこっちに来た

  ジャックが自滅流放ってまた形勢変わりそうだけど、どうなの?

  評価値変わってないどころか若干落ちてきてヤバいと思うんやけど


 名無しの443

 :同じくやってきた

  ジャックが本気出してきたみたいでちょっと不安な自分がいる

  渡辺真才が一発入れたって言っても冷静に考えてみればたかが数百点だし


 名無しの444

 :>>442-443 いや……そのですね……


 名無しの445

 :>>442-443 釈迦に説法


 名無しの446

 :>>442-443 自滅帝に自滅流仕掛けた時点でここのスレ民は察して別な話題に切り替えたぞ


 名無しの447

 :>>442-443 自滅帝に自滅流仕掛けることがどんなにタブーがご存じない!?


 名無しの448

 :教えよう!

  なぜ現在の将棋戦争で自滅流を使う奴が誰もいないのか?

  それはな。…………それしたやつ全員自滅帝にボッコボコにされてるからや


 名無しの449

 :>>442-443 お前らは『香坂流』の悪夢を知らんのか、戦術は真似したらアカンのやぞ……


 名無しの450

 :あの自滅狩りですら自滅流は使わないのを考えるとおのずと答えに行きつく


 名無しの451

 :なんで真似したらダメなんだ? 単純に知識量が足りてないから? でもそれ実力で補えるくね?


 名無しの452

 :>>451 日本人に日本語で勝負する外国人おる?


 名無しの453

 :>>451 自滅帝が人生懸けて築き上げてきた戦い方やで、急所も弱点も全部知り尽くしてるんやで

  ……どうやって勝つつもりなんや?



 完璧な形を築き始めたジャックの自滅流。美しく輝く、うなぎのぼりのような王様の行進に、その戦法の存在価値が詰め込まれているかのようである。


 ──が、その城は一瞬で崩壊した。


「……はっ?」


 ひとつの隕鉄が降り注ぐ。


 それはジャックの目で追えない速さで楼閣を貫き、風穴を開け、突き刺さるように下段まで落ちていく。


 一瞬、ジャックは自分だけの時が止まったように思えた。


田楽でんがく刺し』──からの『両取りの桂馬ふんどしの桂』──からの『王手飛車』。


 そんな初心者が受けるような手を、まるでコンボでも決めるかのように次々と放たれる。


 悪手は指していない。ジャックはミスを犯していない。


 なのに、絶対的とまで言われる差を真才の手によって突きつけられる。


 間接的とはいえ、飛車角交換に持ち込む準王手飛車を掛けられたジャックは結果的に金銀2枚の丸損となる。


 あまりに一瞬の一撃、恐怖を感じる暇もない。──が、それだけでおさまらない。


 そんなジャックに対し、真才は取った飛車を自陣に打ち込んで下段二枚飛車という異常な受け手を放って王様を後退させた。


 結果、残ったのは完璧なバランス陣形を築き上げた真才と、ボロボロになった上に駒損までしてしまったジャックの空中楼閣である。


 ※


「こいつ……!?」


 待機室でそんな声を発したのは、なんとアリスターである。


 その驚きは完全な意表、先の件とは比較にならない驚き方だった。


(あの王手飛車はほとんど無意味だ、インパクトは強いがやっていることはただの飛車角交換に過ぎない。だがあの迷いのない王手飛車と自陣の飛車打ちはやってやがる!)


 真才の行動が未だに信じられないアリスターは、心の中で冗談じゃないと激怒を露わにする。


(そうだ、オレは読んでいた。ジャックが自滅流を繰り出せば、お前は絶対に咎めに来ると。だがジャックはあれでもアマ六段最強だ。形勢に絶対的な差が出るほど失敗する雑魚じゃねぇ。ある程度はしてやれてもオレへのパスは確実に繋げてくるはずだ。……そこでオレがすることは一択、荒れた盤面を利用しての開拓と『入玉』。──入玉宣言法も視野に入れた点数勝負での終幕だった)


 アリスターは先程の一件で、真才が想像を超える策を使ってくることを理解していた。


 だからこそ、アリスターはあえて真才の策を咎めるのではなく、自らが悟られない手法を選択した。


 そう、アリスターは真の目的をジャックに告げていない。入玉して勝ちに行くという、絶対強者にあるまじき手法を取るなどとは誰にも言っていない。


 言ってしまえば、ジャックの手は必ずその片鱗を見せてしまう。それを真才が見抜いてしまえば作戦は崩壊だ。


 アリスターは狡猾ながらも理解していた。真才が他者の心情を、その指し手や棋譜を通して見抜く力がズバ抜けて高いと、どんなに高度に策を練っても瞬時に見抜いてくる天才だと。


 だからアリスターはあえて仲間にも伝えず、その真意を真才にぶつけるまで眠らせておくことにした。ジャックには自滅流を使って優位をキープし、そのままこちらに手を渡せとだけ告げていた。


(プライドの高いオレなら絶対にしてこないと、ここまでの高圧的な態度を見てそう理解していたはずだ。だからオレは、その裏を読んで泥臭く勝ちに行く選択をしたんだ)


 アリスターの拳がさらに強く握られる。


(なのにコイツ……自陣に飛車を打って、オレの狙っていた『入玉』を先んじて防ぎやがった!)


 さきほどの、世界中を騙してカインを失脚させた大技とはまるで別物。油断していたアリスターを相手に一本取った方法とはまるで違う。


 本当に、本当に、真正面からアリスターの策を潰してしまったのである。


 ──渡辺真才が見せた、本気の片鱗。


 それがマグレではないことを証明するかのように、真才は自身に残された手数である"たったの6手"をもって、盤上の蹂躙を始めるのだった。



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