沢谷由香里は将棋の才に恵まれず、代わりに指導者の才に秀でていた。
その見解は沢谷自身が思っている通りのものであり、自らの才覚が棋力には繋がらないと踏んでいる点は当たっている。
しかし、唯一違っている点があった。
それは、沢谷由香里自身が持つ将棋の強さは、他者を軽く凌駕しているという点である。
勝ち方を理解し、戦況を操り、盤上を支配する。数多の定跡を教え、いかなる先をも見据える策を講じ、未来永劫絶対に成し得ない無敗の二文字をその手に掴み取った。
──将棋が強い。単純なその言葉に含まれた資質は、単純な在り方で見抜けるものではない。
事実、そんな沢谷由香里の才覚を一目で見抜いたのは、南地区天王寺道場の先代師範である天王寺玄水と、渡辺真才だけである。
……そして今、沢谷由香里自身もまた己の資質を理解し始めた。
「……ちょっと、なんのつもり?」
荒れ果てた戦場の大地に、ポツリ、ポツリ、と小雨が降る。
濡れた額からは赤い雫が落ちていき、力の入っていない腕は風で揺れる。
「なんのつもりかって聞いてるのよ、由香里!」
ドン! と机を叩いて立ち上がった翠は、怒りの籠った声色で沢谷を睨みつけた。
「アンタ、赤利に投了させようとしているの!? あの子は凱旋の基盤でしょう!? それを、こんな醜態の中で投了させるって正気なの!? この対局は世界中が見ているのよ!」
世界中が見ている。そう、世界中が見ている中で、この策は打ち立てられた。
あり得ないと感じている点は沢谷も同じだ。しかし、それ以上に慌てている翠を見て、その思考はかつてないほど冷静だった。
「随分と焦った言い方ね。赤利をどう使おうと、私の勝手じゃない?」
「オマエのものじゃない!」
「いいえ、アンタは捨てたのよ。そして私が拾った」
「っ……」
雲ひとつない春風が吹く空の下で、巨大なまでの才覚をその小さな体に秘めた天才は、伸ばされた手を確かに掴み取った。
後戻りはできない。青薔薇家に対する絶縁の始まりともとれるその行為に、少女は目元の隈をこすりながら承諾した。
沢谷はそれからずっと少女を育ててきた。凱旋の復活、無敗の威が返ってきたと周知されるようになるまで。
──誰よりも神童の本質を理解しているのは、沢谷由香里である。
「それに、私がいつ赤利に投了させるって言ったの?」
「……はぁ?」
「赤利は勝つわよ。私の宣言通りに、無敗でね」
「何をふざけたことを……。ここから勝つですって? アンタ、局面の形勢すら把握できていないの? さすがは低級の
低級、それは事実である。
沢谷由香里の将棋人生は、アマチュアの中でも下に分類される『級位者』で終えている。
有段にすら届かないその棋力では、30手の詰み筋どころか詰んでいることすら分からない。
だが、沢谷は"直感"でそれを感じ取った。
「いいえ、この結論は覆らないわ」
直感で感じ取り、才能で本質を見抜き、経験から過程を推測し、実力で将棋指しの壁を越えた。
ゆえに、出された結論は奇しくも真才と被る──。
「青薔薇赤利なら、ここから逆転するわよ」
『青薔薇赤利なら、ここから逆転できる』
※
──感じる。
交代を宣言され、再びカインとの一騎打ちとなった対局の場にて、久しく感じていなかったものを思い出す。
絶望に苛まれたあくる日の蒼天、霧がかった世界が晴れたかのようなあの感覚を思い出した。
真才が落ち、天竜がなんとか延命しようと試行錯誤したこの盤面。もう助かることはないと頭で分かっていながら、それでも足掻こうとする意志が芽生える。
スポットライトで照らされた額は、対局が再開したばかりだというのにもう汗をかいている。
血の汗、赤く、赤い、バラで切られたような滲んだ色。
「……終わった」
「だったら早く指すか投了しろよ」
瀕死の状態で行う
持ち時間を全部使い切るほどの思考はいつぶりだろうか。人を率いていた自分が、仲間に引っ張られるのはいつぶりだろうか。
──でも、終わった。
できないと思っていたことは案外すんなりできてしまい、それが本当に答えになっているのかをずっと確認していた。
自分の実力を疑ったのは生まれて初めてだった。
でも、おかげで見えた。
この男がどの手を毛嫌いし、どの形を苦手とし、どの局面であればその指し手の精度が鈍るのか。
その弱点を突く一手は、カインの余裕を崩すに値するだろう。
だが、それをやってしまえば彼は"本気"になる。
本気であれば、この難解な詰み筋は読み解ける。否、難解な局面に陥ってから本気で考えようとしている。
そんな男の逆鱗に触れるのは、勝負師としての一手ではない。
……誰でも分かるような簡単な一手。
簡単で簡単で、あくびが出るほど簡単で。──考えてしまうのが恥ずかしくなるくらいの読み筋。
人とは複雑ながら、単純でもある。どんなに強くとも、周りを意識してしまう生き物でもある。孤高はない。赤利もそうだったから。
──この男は、カッコつけるのを癖としている。
それは表に出すほど分かりやすいものではなく、かといってそうでないと断言できるほどのものでもない。
内心で自尊心を高めるためにどうしても出てしまう小さな癖。
そう、自分はアリスターと同格である。自分はアリスターのお眼鏡にかなうだけの存在である。今もこうして彼の隣に立っているのだから。だからこんな簡単な詰み筋、読むまでもない──。
駒音が響く。螺旋の選択肢から出られないと踏んでいるカインの視線は、決して盤上から離れることはなく、赤利の手を全力で警戒している。
……ああ、そういうことだったのか。
仮にこの策を天竜に伝えていたら、アリスターは天竜を通じてその意図を理解していたかもしれない。
真才がここに座っていないのも必然で、何も知らされていない天竜が最長手数で逃げ惑うことも必然で、唯一会話ができる赤利にだけ一声かけてその意図を勘付かせるのも必然で。
そうやって創り上げられた歪な形に、由香里が気づいて交代を宣言するのですら必然だった。
どうしようもない状況で、どうしようもない状態で、誰もが勝敗を悟ったその中で、青薔薇赤利という人物が指す一手だからこそ意味がある。
盤面だけじゃない。状況も、世界も、相手の心理すら、ありとあらゆる全てを利用したんだ。
──真才、分かったぞ。
お前が赤利に指して欲しかった手は、これだろ──?
「……」
パン。というボタンが押された音と共に、こちらの止まっていたタイマーが動き出す。
──それ以外の時間は、全て止まった。
カインがノータイムで切り返し、対局時計のボタンを押すまでの数秒が永遠にも感じられる中で、赤利は黄龍戦を思い出す熱気をその身に受けながら、苦笑した。
……本当に。お前は一体、何者なんだ。──真才。
「……あ…………??」
十数秒の沈黙を経て、何かに気づいたカインがそんな呆気に囚われた声を漏らす。
澄んでいた瞳は脈打つかのように異質な動き方をし、中に魚でも入っているかのように右往左往へ視点が移動する。
息をすることすら忘れてしまうほどの"何か"に怯え、そんなはずはないと否定しながら、口を半開きにし、目を泳がせ、局面を何度も読み返す。
何度も、何度も、読み返し──。
読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し、読み返し。
終始31手の詰将棋を幾多もの分岐点から紡ぎ合わせたその脳は、金づちで殴られたような衝撃を受けてグラついた。
「あ……あ……ああっ…………!!?」
──詰まない。否、詰んでいたはずの局面が消え去った。
ミスった。ミスをした。ミスを犯した。ミスってしまった。たった一手、妙手の隠れた凡手の対応、しっかり読み切れば簡単に読めていたはずの手筋。それまで何度も経験し、何度も本で読み返し、頭に入れていたはずの作為的な妙手。
それを、読み忘れた。読むのを怠った。
絶対的な勝利を目前に、勝ちが見えていた道を前に、歩み方を間違えた。
人は完璧じゃない。どれだけ強くとも、ケアレスミスをすることなど多々ある。
問題は、それが今この場で起こしてしまったという点で──。
──カインの右手は既に、対局時計のボタンを押してしまっている。
「う"ぁ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"ッ"ッ"──────」
【戦犯自滅帝】【『WTDT』ワールド・ザ・ドリーム・タッグ生配信板part12】
名無しの934
:は?
名無しの935
:!?
名無しの936
:は?
名無しの937
:え
名無しの938
:は?
名無しの939
:は?
名無しの940
:はっ……?
名無しの941
:え、嘘でしょ?
名無しの942
:は?
名無しの943
:え……?
名無しの944
:は……?
名無しの945
:え、
名無しの946
:うそでしょ、カインミスったの????
名無しの947
:は!?
名無しの948
:え、日本逆転???
名無しの949
:頓死ミスったの? 表記ミスとかじゃなくて!?
名無しの950
:一体何が起こったんだ……?
名無しの951
:青薔薇が何かしたのか?
名無しの952
:え、これマジ?
名無しの953
:日本負けじゃ……??
名無しの954
:『評価値』後手+418 日本(Team:無敗)・有利
名無しの955
:>>954 はぁああああ!???
名無しの956
:>>954 カインミスったああああああああ!!!
名無しの957
:>>954 はぁ!?
名無しの958
:>>954 え、あそこからミスることある???
名無しの959
:>>954 なにこれ……マイナス9999点から10419点巻き返したってこと???
名無しの960
:>>954 夢でも見ているのか俺は
名無しの961
:>>954 カインミスってて草ァ!!!
名無しの962
:いやこれ絶対なにかやっただろ青薔薇www
名無しの963
:青薔薇の巧妙な指し回しがカインのミスを誘ったのか!w
名無しの964
:青薔薇Tueeeeeeeeee!!!!
名無しの965
:赤利ちゃんしか勝たん
名無しの966
:青薔薇マジかよwww
名無しの967
:さすが凱旋のエースすぎるwww
名無しの968
:いや、ミスしやすい詰み形だとは思ったんだよ
頓死してるって分かるけど駒の枚数がすげー混乱するし、中段玉だから筋が変に邪魔して読みが狂う
名無しの969
:あー確かに、AIの評価値を一旦頭から消してフラットな視点でよくよく見てみると間違えやすいな
名無しの970
:青薔薇強すぎワロタw
名無しの971
:青薔薇の功績デカすぎん??
名無しの972
:そもそもこれ相当特殊な詰み形だよ、詰んでそうって思っても詰み筋に妙手が2~3手混ざってるって詰将棋問題並みだし
名無しの973
:まぁこの形だからこそできた逆転みたいなところはあるよなw
名無しの974
:>>973 そういやそうかw
じゃあ実は自滅帝がわざと狙ってこの形にしたってことかもな!
なんちってw
名無しの975
:>>974 え
名無しの976
:>>974 あ
名無しの977
:>>974 ???
名無しの978
:>>974 え?
名無しの979
:>>974 おいまて
名無しの980
:自滅帝スレでは最初からその話しかしてなかったよ
名無しの981
:>>980 ??????
名無しの982
:え、まって。自分は冗談のつもりで言ったんだけど
本当に自滅帝が狙ってこの形にしたの???
名無しの983
:>>982 ありえない
名無しの984
:>>980 適当なこといってんなよ
名無しの985
:>>982 なわけない
名無しの986
:>>982 それはさすがに人間じゃない
名無しの987
:>>982 因みに今見てきたらガチで自滅帝が狙ってやったんじゃないかって考察されてる
ログは18分前
名無しの988
:>>987 a
名無しの989
:>>987 あ
名無しの990
:>>987 あっ
名無しの991
:>>987 あっ
名無しの992
:>>987 あっ……
名無しの993
:>>987 はい自滅帝批判してたやつ挙手
名無しの994
:>>987 うせやろ……?
名無しの995
:>>987 おもんないって
名無しの996
:え、俺らもしかしてやっちゃった?
名無しの997
:早く戦犯消せ!!
名無しの998
:スレタイの戦犯消した方がいい
名無しの999
:あーあ
名無しの1000
:俺らまたやらかしたのか
名無しの1001
:次スレ大炎上決定です
名無しの1002
:やってしまったな
名無しの1003
:このスレッドは1000を超えました。
新しいスレッドを立ててください。
『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪www【十段おめでとう】Part53』
名無しの87
:うーわ……
名無しの88
:ほんとにミスした……
名無しの89
:夢じゃないのかよこれ……
名無しの90
:冗談でしょ……魔法使いか何か?
名無しの91
:シナリオが出来過ぎてる、これで台本無いってマジ?
名無しの92
:こわい
名無しの93
:怖すぎる
名無しの94
:ヤバすぎて吐きかけた
名無しの95
:未来予知とかそんなレベルじゃない、ラプラスだよ
名無しの96
:鳥肌エグイんだけど……
名無しの97
:こ、これが本物の自滅帝ちゃんですか……
名無しの98
:なんで青薔薇が指して自滅帝に恐れ慄いてるんだ俺達……
名無しの99
:マジでその通りになったよ、なんなんだよこれ、俺達は一体何を見せられてるんだよ
名無しの100
:率直な感想言っていいか?
これ絶対中身に『玖水棋士竜人』の魂が乗り移ってるだろ……
名無しの101
:俺達は自滅帝の正体を知ったつもりになっていた
だが、何一つ分かっていなかった
名無しの102
:うん、もうスレタイ正体不明のままでいいよw
誰も自滅帝について理解できてないw
名無しの103
:自滅帝今までも色々とぶっ飛んだことやってきたけど、ここまでとんでもないことするとは思わなかった
名無しの104
:さすがに妄想だと思ってた
名無しの105
:形勢逆転して嬉しいというより怖い、ひたすらに怖い
名無しの106
:これが噂の戦慄させる指し回しですか
あの、指してすらいないのですが……
名無しの107
:どうしてこんなに強くなるまでアマチュアの中に放っておいたんだ
名無しの108
:い、いや……強いのかこれ? もう強いとかそういう問題じゃ無くないか?
名無しの109
:スレ民の戦慄が止まらない模様、なおワイは風呂からスレだけ眺めてる
名無しの110
:>>109 そこで見たら溺死するからまずは安全な場所に移動しよう
名無しの111
:自滅帝指すだけで見てる奴らに被害及ぶのヤバすぎて草
名無しの112
:>>111 指してすらいない定期
名無しの113
:これ一番びっくりしてるの青薔薇だろ、自分の手で相手が思い通りになるの怖すぎだろ
名無しの114
:指し手を予測するなんてよく言われてるけど、本当に予測するバカがいるか
名無しの115
:WTDT板の勢い1万越えて大炎上してて草
名無しの116
:>>115 草
名無しの117
:>>115 www
名無しの118
:>>115 マジかよw
名無しの119
:>>115 あーあw
名無しの120
:>>115 そりゃそうなるw
名無しの121
:WTDT杯と大逆転がSNSトレンド入りしてるな
名無しの122
:>>121 見たけど一般層は自滅帝の失態を青薔薇が取り返したように見えてるっぽいね
名無しの123
:>>122 仕方ないよ、この大逆転を自滅帝が仕組んだと思ってる層なんてほぼいないし
名無しの124
:>>122 もはやオカルトだからしゃーない
名無しの125
:自滅帝、次はどんなマジックを見せてくれるんだい?
名無しの126
:>>125 この惨状みてもまだそのセリフが言えるのは強い
名無しの127
:>>125 本当に次がありそうなのがマジで怖い
名無しの128
:>>125 次は投了したところから逆転します
名無しの129
:>>128 ルールぶっ壊れてて草
名無しの130
:>>128 頓死からの逆転って実質これなんだよな
名無しの131
:>>128 それ今さっきやったんすよ
名無しの132
:>>128 自滅帝は絶対にありえないって状況から何かしでかすからな、実はそれシャレにならんで
※
真才の指し手によって引き起こされた大逆転は、それを知る者、知らない者、そのすべてを巻き込んでWTDT杯の盛り上がりへと繋がっていた。
もはや指し手の信用すら消えてしまうほどの両者の大ミスは、傍から見れば両国の代表選手が世界大会という大きな舞台で緊張したとも取れ、またある者達からは狙って起きた恐るべき出来事なのだと知り心底震えあがる。
ごちゃ混ぜの喧騒、祭りに相応しい盛り上がり。
そんな中でとどめを刺したのは、記事の信憑性が随一と知られている水原記者による『自滅帝の思惑』という提言である。
その記事の中身は、現局面に至るまでの様々な部分図と、AIを使った詰み筋の数と計算式、そしてそれらがどうして形作られたかの説明だった。
つまり、自滅帝──渡辺真才が意図して詰み筋へと入り、その意図を読み取った青薔薇赤利が勝負手を放ち、思惑通りカイン・ディールが凡ミスをしてしまった結果、後手有利を勝ち取ったという内容である。
これに衝撃を受けた者は多く、信用するにはあまりにも現実味を帯びていない内容に驚く声も多かったが、水原記者がこれまでの記事で書いてきた推測はその大半が正しかったこともあり、その仮説はやがてネット中に浸透していった。
──結果、直前まで自滅帝を戦犯として吊るし上げていたWTDT杯のスレッドは大荒れとなり、SNSへ自滅帝が頓死したことを揶揄する記事を投稿した一部の将棋ニュース運営は大バッシング。
渡辺真才不正事件の二の舞。あれから何も学んでいない。と手のひらを返すような自滅帝擁護の勢いに飲まれ、その常軌を逸した真才の判断は少しずつ大衆に理解されるようになっていったのである。
──が、WTDT杯の対局が行われている現場ではそんな様子を知ることはできず、選手達はカインのミスに絶句していた。
「……悪魔だよ、お前」
恐怖に包まれた顔でそう告げる天竜。
待機室の端で休憩用のお菓子をつまみ食いしながら優雅に観戦している真才は、そんな天竜の言葉にクッキーを頬張りながら答える。
「? 俺は何もしてないけど?」
「…………」
「いやぁ、それにしてもすごいね、赤利は。俺があれだけやらかした形勢をあんな短手数で逆転させたんだから。それもこれも、天竜一輝さんが必死に最長手数で逃げ回ってくれたおかげだ。二人が俺の尻拭いをしてくれて、本当に頭も上がらないよ」
白々しいその発言に天竜は全身から血の気が引いていくのを感じた。
地区大会、あの絶体絶命の状況から逆転してきた真才の胆力を理解しているつもりだった。
初出場で前期の日本王者を撃破、あまりにも輝かしい実績だ。
それなのに、この男はそんな過去の栄光を振り返りもせず、更なる成長を続けている。
それも単なる成長ではない。誰も予想だにしない、やろうとも思わない狂気の領域へ軽々しく入っていくのだ。
「お前……絶対地獄に落ちるぞ」
「将棋が指せるなら構わないよ」
そんな真才の返しに、天竜は開いた口がふさがらなかった。