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第百七十一話 自滅帝、秒殺

 誰かの頼みを聞くような性格ではなかった。ましてや過去に一度、敵意を向けられた相手からの言葉など聞くに値しない。


 ただ、その言葉に込められた熱は本物に感じた。将棋を道具に使おうとする者の言葉なのに、なぜか芯が込められていた。


 ──俺は、その言葉に返事をしなかった。


 ※


 WTDT杯で盛り上がる歓声がこちらまで聞こえてくる。しかし、その歓声が向けられる主役は渡辺真才おれじゃない。


 ──海外王者、アリスターが席に座った。


 その一挙手一投足から湧き出るオーラは異質であり、常人の域から逸脱しているのが身に染みて分かる。言ってしまえば将棋とは無関係な修羅を纏った気配、平和に自惚れた自分を鏡越しに見下ろしているかのような、住む世界が違うことを体現する立ち振る舞いをしている。


 相手は海外から来日してきた挑戦者だ。しかし、今この構図を為しているものは真逆と言っていい。


 この瞬間において、挑戦者はこちらの方である。


「──来いよ」


 アリスターが時計を押し、間を置くことなく対局が再開される。そして、その言葉と共にぞわっとするような悪寒が全身を這いずり回った。


 決して偽物の覇気ではない、経験から来る貫禄。例えその才が将棋にひいでずとも、将棋に活かす形にねることができるのならば、またそれも才覚のひとつだ。


 俺は息を呑み込んでそのプレッシャーを押し殺す。


 相手はアリスター。正真正銘、海外支部最強のアマチュア選手。赤利によると、その棋力はプロ棋士にも匹敵しているらしい。


 ──果たして、今の俺にどこまで届くか。


 ※


 WTDT杯の観戦用会場。


 アリスターの登場により、見識の広い者達は盛大な拍手とはちきれんばかりの声を上げて歓声を飛ばす。


 そして、それ以外の者達は、ひたすらのざわめきと星が渦巻く期待の眼差しを向けた。


「……ついに、始まったか」


 会場の最後列、カメラと照明を整えるスタッフ以外誰もいないその場所にて、鈴木哲郎が姿を現す。


 見下ろせば数多の観戦者達が席に座っており、その中には全国クラスの選手やメディアに顔を出している有名人すら混ざっている。


 アマチュア準拠といえど、その舞台は世界を紡いで行われる大会。その反響は文字通り日本全国に轟くものである。


 そして今回のWTDT杯、鈴木哲郎にとってはそこまで重要な大会ではなかった。


 自身の立場は今や西ヶ崎高校の顧問教師。向けるべき指先は直近、黄龍戦の全国大会のみである。


 本来であれば、この大会はあくまで対岸の火事。銀譱委員会との水面下でのやりとりは議会の上層部の仕事であり、自由気ままに動く哲郎の知るところではない。


 だが、この大会には自身の教えるべき生徒が、渡辺真才が参加している。


 見て見ぬフリをするわけにはいかなかった。


「まさか、東城君以外全員来ているとはね。しっかり休むように言ったのに……」


 下の列では県内の面子が地区ごとに分かれて観戦しており、中央の列には西地区の代表である西ヶ崎高校の面々が集っている。


 これまで自分達を引っ張ってきた大将の晴れ舞台。今まで受動的だった真才が初めて、自らの意思で参加した大会。


 彼らは皆、何かが起こる予感だけを感じ取っている。


 何も起こらないかもしれない。何も得られないかもしれない。


 ただ、今この瞬間──渡辺真才はアリスターと対峙している。それだけは事実だ。


「果たして真才君の真意は、黄龍戦への布石か、それとも……」


 哲郎は席の布地を掴む手を強くしながら、真才の指す一手に注目するのだった。


 ※


【『WTDT』ワールド・ザ・ドリーム・タッグ生配信板part11】


 名無しの217

 :攻めたぞ!


 名無しの218

 :ついに開戦か


 名無しの219

 :序盤終了、中盤戦開始


 名無しの220

 :この渡辺真才って強いの?


 名無しの221

 :>>220 見りゃわかる


 名無しの222

 :>>220 自滅帝だからそりゃ強いよ

  ……って言われて脳内で思い浮かべる10倍は強い



 将棋の開戦は歩の突き捨てから。自滅流という定跡型から外れた戦い方を繰り広げながらも、その手は正道の狭間に体をねじ込むほど強い意志を感じさせる。


 そんな真才の一手に、アリスターは顔を上げて真才の目を鋭く凝視した。


(ジャックから交代した瞬間に即開戦。……この男、渡辺真才と言ったか。判断が迅速で正確だな)


 それは、珍しくも驚愕の混ざった反応だった。


 これまでもアリスターを前に迅速で正確な判断を下す者は巨万とした。しかし、アリスターの『唯一の負け筋』を的確に見定め、そこに正確な判断を加えて即判断を下せる者はいなかった。


 それが自身にかすり傷ほどもつけられない攻撃とはいえ、アリスターは目の前の男がただの将棋指しではないことをすぐに理解する。


(このままオレを相手にずっと攻め手を繰り出し続け、優位を築きつつ、こちらの手番を少しでも多く減らすのが目的と言ったところか。こちらの攻勢が無力化されれば、後続の天竜一輝と青薔薇赤利ならカインとジャックを抑え込めると踏んでいるわけだ)


 アリスターの強さは誰もが知っている。しかし、それが個人戦であれば対処のしようがない棋力差になるものの、これはチーム戦、タッグ戦である。


 アリスターが脅威になるという事実は、裏を返せばアリスターのみをなんとかすればいい話でもある。


 多少の無理攻めでも、アリスターに攻勢の一撃を繰り出させないほど打撃を叩き込めば、自然に手数は消化され、アリスターはこの回で使い物にならなくなる。


 つまり、この攻防さえ乗り切れればいいと、真才は踏んでいた。


(悪くない策だ。……が、少しがっかりだな)


 そんな真才の考えを見破ったアリスターは、それまでジャックが築いてきた守りの陣形を崩すかのように、王を守る金将──最大の守り駒に手を付ける。


「……!」


 アリスターは真才の開戦を示す手に対し、自らもまた攻勢を仕掛けた。


 本来は真才の攻めを受けなければいけない状況に対して、アリスターはそれを無視して自らもまた無理攻めを繰り出す。


 異質な攻め。異常に異常をぶつけて相殺させるかのような、達人の思考が真才を襲う。


「これは……」

「すごい……」


 二人の指し手に、別会場で大盤解説をしていたプロ棋士の三岳と聞き手の女流棋士が驚く。


 マイクを通して伝わる感嘆の声色に、会場には息を止めるほどの静寂が流れる。


「……三岳六段、これはすごい応酬ですね」

「え、ええ。これは互いの筋をズラすための応酬というか……とにかく深い読みが入っているのは間違いありません。いやー……驚きましたね、はー……これはレベルが高い……」


 魅入られるようにただの感想だけを呟く三岳。


 やがて会場のざわめきが大きくなってきたことに勘付いた女流棋士は、思わず三岳に突っ込みを入れ、本来の役目を思い出させる。


「え、えっと……三岳六段、解説をお願できますか?」

「え? あ、ああ! 失礼しました」


 ハッとしてマイクを持ち直した三岳は、大盤の前に立って解説を始める。


「まず、後手のこの飛車回りがよく分からないのですが……」

「そうですね。まず、この真才君の一手はかなり先の展開を考えた手で、あえて桂馬を取らせてる間に飛車を回り、3筋への利きを強めつつ、後に9筋への転換を見せた手です。この瞬間は空ぶっていますが、後に効いてくる重要な一手になるので、実は念入りに考えられた手順です。そしてそんな真才君の手に対し、先手のアリスター君はすかさず▲4七成香と香車を捨て、△同金とさせてから▲5五桂と打って両取りを仕掛けつつ、先程の真才君の飛車の転換、つまりは横利きを遮断するのが狙いと言ったところでしょう。そして真才君はこれも読み切っていたように冷静に受けましたが、アリスター君は拾った銀を埋めて飛車取りにし、これまでノーガードでボロボロになっていた陣形を再整備すると同時に手番も得ています。こうしてみると、真才君の狙いだけが潰された格好となり、アリスター君が見事に作戦勝ちしたことが分かりますね。……正直恐ろしい指し回しです」


 大盤の駒をいじりながら早口で解説をする三岳六段。


 あまりに高度なやりとりに、それを聞いている観戦者の半数は雰囲気で理解することくらいしかできていない。


 ただ事実として分かるのは、アリスターが真才の策を破ったということ。優位に立っているということだった。


「むぅ……なにが"狙いが潰された格好"っすか! これも全部ミカドっちの作戦のうちっすよ!」


 その解説を聞いていた葵が、頬を膨らませながら周りに聞こえないくらいの声量で反論のヤジを飛ばす。


 しかし、冷静な目で見ている隼人はその意見を否定した。


「いや、渡辺の狙いが潰されたのは事実だ」

「解説が読み違えてる可能性もあるかもしれないじゃないっすか!」

「解説してるのは三岳六段、正真正銘のプロ棋士だぞ……。俺達アマチュアとは天と地の棋力差がある。そもそも渡辺が目指しているのがプロ棋士だというのを忘れたのか」


 隼人の冷静な一言に葵は押し黙ってしまう。


 プロ棋士とアマチュアの実力差、そんなものは誰だって理解している。真才とアリスターのあれほど激しい戦いを、まるで児戯でも見ているかのように軽々と解説してのける三岳六段の実力は本物だ。


 しかし、隼人の言葉にはひとつだけ間違った点があった。


「……真才先輩が目指しているのは、プロ棋士じゃない気がします」


 ※


 終始張り詰めた空気だけが醸し出される盤上にて、俺の手は良くも悪くも好手に引き寄せられる。


 確かな手ごたえと対等に戦えている感覚だけが指先に伝わり、アリスターの猛攻に対する核心的な一手が見えない。


 だが、その攻防はこれまでの経験を呼び覚ますように理想的な形を成し、やがて求めていた条件が揃う。


「……」


 盤面を眺めて沈黙するアリスターを一瞥し、俺は一瞬だけ指し手を躊躇った。


 それでも、次の瞬間にはその手が動く。


 ──自滅流。赤利が繋いできた作戦を戦術へと昇華させる。


 これまでの攻防で散りばめられた瓦礫をよじ登るように王が進軍し、胡乱に紛れた空中に確かな囲いを顕在させる一手。


 俺は、躊躇わなかった。



【『WTDT』ワールド・ザ・ドリーム・タッグ生配信板part11】


 名無しの234

 :自滅流きた!


 名無しの235

 :これが噂のヤツか


 名無しの236

 :おー!


 名無しの237

 :自滅流ってこんな危なっかしいやり方なのか


 名無しの238

 :いくらアリスターといえど自滅流を受け止めることはできんよw


 名無しの239

 :いっけーーっ!!


 名無しの240

 :誰か評価値貼ってくんない?



 実績とは、あくまで過去の結果であり、決して今の実力と結びつくものではない。


 それは信頼か、期待か。誰かを破るごとに箔が付き、誰かを越えるごとに輝きは増す。


 霧を掻き分けるように伸ばされた手は、どこまでも軽く駒をみ、どこまでも的確に心臓を詰ました。


 絶後を為した妙手の崩壊、開花する花を踏みつけるが如く放たれる無慈悲な一閃。


 それは、俺が自滅流を指した直後だった。


「──お前、オレの言ったことを聞いていなかったのか?」


 張り詰めていた空気が弾けた。


 たった2秒。アリスターからノータイムで返された一手に、俺は思わず笑ってしまう。


 それは、堅牢な壁の隙間を呆気なく通った銃弾にだろうか。それとも、心臓付近から流れ出る赤い液体にだろうか。


「……はぁ。自滅流ジメツリュウ、だったか? 確かにお前のソレは理にかなった戦法だ。中段玉からの玉頭戦は乱戦を必然的なものに変えるだろう。定跡ばかりに執着しているニワカ強者には手痛い指し方だ。そして、お前はそんな戦いに長けていたからこそ、これまで多くの棋士キシをその戦法で倒してきたんだろうな」


 それまで聞こえていた歓声が、なにひとつ聞こえなくなった。


 熱気がかき消され、動きが止まり、絶句だけが残っているのを肌で感じる。


「だが、それは悪手を妙手に塗り替えてるだけの詐欺的な一手ペテンだ。純粋な最善の一手ホンモノには敵わない。言ったはずだ、オレには通用しないと。……それとも、まだ差が分からないのか?」


 静かに語るアリスターの言葉に、俺は冷や汗と精一杯に上げた口角だけ返答がわりに見せつける。


 それが無意味であることを、アリスターは理解していた。


 ※


 その頃、観戦会場ではアリスターのノータイムで繰り出した一手に静寂が場を支配し、それを見ていた西ヶ崎の面々は口を開けて驚愕していた。


「は……?」

「みかど、っち……?」


 もはや自分達が何に驚いてるかすらはっきりしない。真才が悪手を指したことに驚いたのか、アリスターがその手を一瞬で咎めに来たことに驚いたのか。


 三岳六段はスクリーンに移された対局の盤を見て硬直している。突然降ろされた幕にどう反応したらいいのか、分からない。


 ──いや、全員が分からなかった。


 待機室でその映像を見ていた天竜一輝も、青薔薇赤利も、アリスターと同じミリオスのメンバーであるカインも、ジャックも、別室で翠と相対していた沢谷由香里でさえも、その言葉を紡げずにいた。


 ただ、今そこにある『事実』だけを述べるのなら、それはあまりにも呆気ない結末だ。


 ──交代を知らせるブザーが鳴る。


 照明の光が弱まり、中断された時計を見ることもなく立ち上がった真才に、アリスターはもう興味すら向けなかった。



【『WTDT』ワールド・ザ・ドリーム・タッグ生配信板part11】


 名無しの237

 :『評価値』後手-9999 ミリオス・必勝

  自滅帝が頓死とんししてる、お疲れ、日本チーム


 名無しの238

 :>>237 は?


 名無しの239

 :>>237 は?


 名無しの240

 :>>237 え?


 名無しの241

 :>>237 え、頓死……


 名無しの242

 :>>237 は? 頓死? AIが間違ってるとかじゃなくて? マジで言ってる?


 名無しの243

 :>>237 え、まって、頓死って詰んでるってこと? もう逆転不可能???


 名無しの244

 :>>237 嘘だよな自滅帝


 名無しの245

 :まってくれ、あまりに唐突過ぎてついていけない


 名無しの246

 :嘘でしょ? まだ中盤始まったばかりだよね?


 名無しの247

 :嘘だろ……


 名無しの248

 :それほどアリスターと棋力差があったのか?


 名無しの249

 :自滅帝秒殺……w


 名無しの250

 :終わったw


 名無しの251

 :WTDT杯、解散ですw



 乱雑に巻き起こった戦場にて真才が自滅流を指した瞬間、その一瞬だけ評価値が虚数へと振り切れた。


 ほんの一瞬、微々たる間だ。誰もが見逃してしまうその一瞬の隙を、アリスターは見逃さずに咎めた。


 真才ですら読めなかった長手数の詰みを、隙を、アリスターはノータイムで見切ったのだ。


 その結果、真才は頓死したのである。


「──天竜。……おい、天竜」

「……」

「天竜!」

「はっ……」


 待機室にて、真才の頓死した映像を上の空で見ていた天竜は、赤利の声掛けに正気を取りもどす。


「オマエの出番だぞ。……その、頑張れ」

「……あ、ああ」


 出番とは、頑張れとは。この場において、そんな言葉に意味はあるのか。


 頓死、詰み……負けが決まっている戦場に赴く自分に、もはや意味などあるのか。


 フラフラと立ち上がった天竜。頭の中で渦巻く様々な感情に混乱し、今にも倒れそうなほど全身から嫌な汗が噴き出ている。


 今、自分達の負けが確定しているこの状況にすら思考が追い付いていないというのに、アリスターが長手数の詰みを瞬時に読み切った事実にも驚きが止まらない。


 だが、一番理解できないのは──。


「っ……!」


 対局場への廊下にて、天竜はアリスターとの一戦を終えて帰ってくる真才とすれ違う。


 そして、目が合った瞬間──天竜は胸ぐらを掴もうと手を伸ばした。


「くっ……!」


 だが、この場で味方同士の接触が厳禁であることを思い出し、天竜はその手を下げるしかなかった。


 そのまま、頭を抱えつつ対局場へと向かう天竜。


 頭の中は、ぐちゃぐちゃだ。


(どういうことなんだ。なんなんだ、これ……! なんでこうなった! 意味が分からない……!! なぁ、どういうことか説明してくれよ、渡辺真才……っ!!)


 託された戦場は必敗の境地。四方八方囲まれ、踊ることすら許されない。


 否、心臓は既に撃ち抜かれている。死んでいるのだ、このチームは。


 対局場に入り、アリスターの前に立った天竜は、凄惨な一手を喰らった後の盤上を見下ろして苦痛に歪む表情を浮かべる。


「……気の毒に、投了くらいは許してやるぞ?」


 既に勝ちが決まって暇を持て余してるアリスターの言葉に、天竜は拳を握りしめて席に着く。


「黙れ……」


 どうしようもない負け戦が、始まろうとしていた。








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 長らくお待たせしたので、2話分を1話にギュッと詰めました!

 そして次回更新日は31日です!楽しみに待っていてくれ……


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