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第百六十八話 上に立つ者同士の舌戦

 WTDTの戦いは何も選手同士だけで行われるわけではない。


 通常の将棋と違い、明確なチームが出来上がる。チームがあればそれを導く指揮官が必要であり、それは対局の場からいくつもの部屋を渡り歩いた先に存在していた。


 ディスプレイが置かれた席に座り、頬杖を突きながら部屋に入ってくる女性を沢谷由香里は睨みつける。


「久しぶりね、みどり

「ええ、久しぶり。由香里」


 部屋に入ってきた女性、翠は沢谷に軽く挨拶を交わすと、向けられた敵意を受け流すように隣の席に座る。


 ディスプレイにはWTDT会場の対局盤が映し出されており、手元の操作で画面の拡大や棋譜の履歴など細かい操作ができるようになっている。


 対局がスタートし、翠は画面に映る青薔薇赤利を眺めながら沢谷に尋ねた。


「赤利は元気にしてる?」

「さぁ? 直接会ってみたら?」

「イジワルね~、アンタの所有物じゃない。それに、アタシが会おうとしても、あの子逃げるもの」


 まるで赤利を深く理解してるかのような、そんな翠のそぶりに、沢谷は口には出さないもののイラついた表情を浮かべる。


「何よその顔。……あぁ、まさかまだ期待しているの? そうよねぇ、アンタがアタシ達から奪い取った宝物だもの。中身は光輝くだけの石ころだったけど」


 翠は沢谷を一瞥しながら、机に両肘を立て、両手を口元に持ってくる。


 見えないその口元からは嘲笑の意図が感じ取れた。


「安い見限りね。これからの成長を鑑みずに捨てるなんて」

「無理よ、赤利は成長しないわ。あの子はね、自分で自分を苦しめる天才なのよ。その身に実力以上の才能を宿しながら、それを全く扱えない不憫な子。きっと『先生』と戦ってから全てが変わってしまったのね」


 二人は相対すると、表情に出さないだけで強烈な嫌悪感と共にその笑みを押し付ける。


「──おい、お前ごときが玖水棋士竜人を先生と呼ぶな」


 笑顔でそう告げる沢谷に、翠は嗤う。


「あら? アタシはれっきとした彼の弟子よ? 自分の師を『先生』と呼んで何がいけないのかしら」


 翠はあたかも当然のように自らの立場を沢谷に示す。


 伝説の棋士、玖水棋士竜人の弟子はこの世にたった一人で在り、その一人はもうこの世にはいない。


 ただ一人の伝説を受け継いだ、ただ一人の人間。それで完結する箱庭である。


 それでも、翠は自身を玖水棋士竜人の弟子だと自称している。それがどういう意味を持つ発言なのか、沢谷は理解しつつも鬱陶しく思っていた。


「……まぁ、死人に口なしだものね」

「そうそう。伝説は幕引き、終わったのよ。由香里、アンタも過去の原石にばかり囚われていないで、そろそろ第四世代の教育でも始めたら?」


 遠回しに、今の沢谷のチームは時代遅れだと告げる翠。


 第三世代は時代の寵児。新たな時代を創り上げる者達の象徴だった。


 しかし、それらは所詮アマチュアの枠に収まる凡才でしかない。天竜一輝も、青薔薇赤利も、翠からしてみれば一列に非才だった。


 特に、翠が赤利を見定める際は誰よりも厳しい目で見ている。天才を許さないのか、天才だと思っていないのか。


 ──どちらにしても、沢谷は知っている。


「アンタ、黄龍戦見てないの?」

「黄龍戦? あー、赤利がブザマに負けたあの試合のこと? 見てないわよ。敗者の歴史なんて知る必要ないでしょ」


 噂程度にしか情報を得ていないことに、沢谷は呆れたように察する。


「それとも何? 勝利が全てと謳っていた凱旋道場の師範サマが敗北に価値を見出してるの? ……だとしたら滑稽だよ、由香里」


 耳が痛い言葉を被せられ、沢谷は乾いた笑いを浮かべるが、それ以上に事の本質を知らない翠に沢谷は自らの矜持を放つ。


「アンタも議会の連中も、凱旋道場をやたらと無敗の額縁に入れたがるけれど、凱旋の意味を履き違えているわ。……凱旋はその名の通り、勝って帰ること。勝って帰ればいいのよ。無敗である必要はない。……そして、赤利は勝って帰ってきた。だから私は何も言わなかったのよ」


 勝つ、ということが何を意味しているのか。翠は沢谷の真意が理解できない。


「……意味が分からないわ」

「ええ、そうでしょうね。アンタは何も分からない。赤利を子ども扱いしているその思考すらも、赤利を知っているようで何ひとつ知らない」


 翠の頬がヒクつく。


「イライラする言い方をするわねぇ、たかが数年使ってきた程度で玩具の資質を知った気?」

「玩具……? 私は赤利をそんな風に扱った覚えはないわ」

「純潔気取りの無敗風情が。今や敗走道場に成り下がったわけだけど、気分はどうなの?」

「最高よ、やっと面倒なしがらみから解放されたんだもの。気分爽快ね」

「そう、今度はその座からも降ろしてあげる」


 ギョロリと向けられる瞳の輝きに、沢谷の口は思わず閉ざされる。


 黄金の色をした瞳と、赤い眼光が走駆するような笑み。背丈こそ違えど、その様子は青薔薇赤利とそっくりである。


「……何? 今さら怖くなった?」

「いや、昔の赤利を思い出しただけよ。赤利は変わりつつあるのに、アンタは昔から全く変わらないのね、翠。いいえ、──青薔薇翠」









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 次回更新日9月6日


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