目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第百六十七話 開戦

 照明とカメラがひとつの将棋盤に向けられ、そこに二人の選手が向かい合う。


 映像は流れるが、音声は取られない。別会場で次の一手問題や対象の選手の手を当てる問題などのイベントが行われるため、映像では最低限の状況しか映されない。


 しかし、対局の内容とその棋譜は別である。


 対局の内容はリアルタイムで中継され、映像は各所のネット番組等にて放映される。そして棋譜も永劫に残り続け、日本と海外どちらが強いのか、という刻印はその年の確かな証明として飾られるだろう。


 両者向かい合う。青薔薇赤利とカイン・ディール。日本と海外のぶつかり合い。アマチュアには荷が重すぎる世界の戦い。


 それが今、始まった──。


「「お願いします」」


 別会場からの大きな拍手に包まれながら、ついにWTDT杯が幕を開ける。


 赤利が対局時計のボタンを押し、海外陣営の代表の一人、カインの先手で対局が始まった。


 そして俺達はそれを見ることなく、別室の待機室に移動させられる。


 ──さて、WTDT杯の正式なルールは以下の通りだ。


 ■


 一、本対局は1チーム対1チームによるタッグ戦である。各チームの定員は三名A選手・B選手・C選手を順守し、これを1チームとして結成。選抜基準を全て満たしていた場合は出場を認めるものとする。この時の選抜基準に国籍は含まないが、日本陣営は各日本支部、海外陣営は各海外支部に所属していることが条件となる。


 二、本大会は対局席に座る選手の手数に制限があり、一定の手数を越えた段階で交代の権利が発生する。又、既定の上限手数に達した場合はその時点で強制的に交代となる。


 三、対局席に座る者が指すことのできる手数は5手以上、15手以下とする。5手を指した時点で交代の権利が発生し、15手を指した時点で強制的に交代となる。


 四、交代の宣言がなされた場合、次の選手が対局席に座るまで両者の持ち時間は停止する。しかし、盤面把握等による意図的な遅延行為等が発見された場合はその時点で対象のチームを失格処分とする。


 五、交代の宣言は各チームの指揮役選手は禁止のみが行えるものとし、指揮役は選手からの意図的なハンドサイン等で交代の予兆を禁ずるため、別室での対局盤のみをリアルタイムで表示させるものとする。


 六、各チームの選手A選手・B選手・C選手は必ず決められた順番で交代を一巡するものとし、A→B→A、A→C→Bといった間隔を崩す交代は不可能とする。よってA→B→C以外の順番を認めない。


 七、対局中の選手が何らかの手段を用いて、対局外にいる味方選手とのコミュニケーションをとることは禁止とし、これらが発見された場合、そのチームは即時失格処分となる。又、交代の宣言によって自身が対局中の選手でなくなった場合、選手待機室でのみ味方選手との会話や相談は可能とする。


 八、指揮役は基本別室での指示となるが、緊急時のトイレや外出等によって味方選手との接触を試みる行為は禁止である。


 九、大会中、何らかの要因によって選手が対局を続行することが困難であると判断された場合、そのチームは反則負け扱いとする。また、これらの要因、原因を引き起こさせないためにスタッフは全選手の衛生管理を徹底させる。


 十①、各チームの持ち時間は30分、持ち時間が切れた場合は1手60秒とする。


 十②、本対局は『フィッシャールール』を採用する。これは1手指すごとにそのチームの持ち時間が+5秒加算されるものである。又、このルールは持ち時間を有している場合にのみ有効であり、持ち時間が切れ1手60秒の秒読みに入った場合は、そのチームのみ『フィッシャールール』が消失する。


 以上をもってWTDT杯の特別規定となり、他は日本将棋連盟の対局規定及びアマチュア規定に基づくものとする。


 ■


 これが本大会の規約とルールだ。


 まぁ、小難しく書かれているが重要なポイントはそこまで多くない。簡単に言えば俺達は5手から15手までしか指せず、その交代は全部凱旋道場の師範である沢谷由香里が決めるというだけだ。


 俺達は普段通り、と言っていいのか分からないが、全力で対局に臨めばいい。


「始まったか」


 別室に入った天竜は、そこに置いてある大きな中継用ディスプレイをみて赤利たちの対局に目を向ける。


 その表情はこちらから詳しく読み取れるものではないが、今まで一番真剣に指しているのが見て取れた。


 そして俺は今回B選手、つまりは2番目である。今こうして天竜と別室に入ったものの、赤利が手数分を消化したらすぐに対局場へ向かわなければならない。


「……はぁ、緊張する」

「まだ言ってるのか、真才」

「こういう場には慣れてないんだよ。つい最近まで人前に出ることすらなかったんだから……」


 これまで色々と人付き合いは頑張ってきたが、結局俺の根は陰キャのままだ。それは成長だとか努力だとかで変わるものじゃない。根は根、何でもないように振舞っているのは頑張ってそう思わないように堪えているに過ぎない。


 これだけ大勢の人に見られている状況は正直きつい。自分から身を乗り出した挙句に言うことじゃないのかもしれないが、本当にきつい。


 ……それでも、俺は俺のために頑張っている。誰かに強制された人生じゃなくて、自分で考え行動に移した結果の人生だ。


 俺はそう思うことで少しでも緊張を和らげる。


「結局、1週間も無かったな」


 天竜は不満そうに映像に映る赤利を見た。


「そうだね……」


 タッグを組むということは、チームになるということは、それだけ信頼や絆、チームワークが求められる。


 普通ならそれは何日も、何ヵ月もかけて築き上げなければならないものだ。少なくとも相手のチームはそうしているだろう。


 だが、俺達は即席のチーム。連携なんてあったもんじゃない。互いに定跡を構築することはおろか、居飛車か振り飛車かの戦法を決めるところから話し合わなければならないレベルだ。


 そんな状態で相手チームに、日本を除く世界で最強を名乗る連中に勝てるはずがない。


 少なくとも天竜はそう思っているし、あの場に座っている赤利もそう思っているだろう。


 でも、それはあくまで前提の話だ。


「きっと上手くいく」

「それは、こちらの作戦が全て嵌ってってことか?」

「いいや、全部崩れたとしても、必ず」

「……そうだな。結局人が成長するのはアドリブの瞬間だ。そしてそれはきっと、俺たちだけの話じゃない」


 天竜はふと部屋の端、何もない空間へと視線を向ける。


 その先にいるのは沢谷師範たちだ。この大会で俺達とは一切の会話が禁じられ、それでいながら一緒に戦う仲間の一人でもある。


 鈴木会長だったら俺の意図を汲み取ることは簡単だっただろう。しかし、沢谷師範が劣っているわけではない。むしろ、これまで凱旋道場を率いてきた実績と胆力がある分指揮能力には長けているはずだ。


「それに……」


 天竜は再び対局が映し出されたディスプレイを見上げる。


「アレは本物の天才だ。凱旋の思想は嫌いだが、才能のある者を掘り当てる眼は確かだからな」

「それには同感。まぁ俺から見たらアンタも天才だけど」

「言ってろ天才ぼんじん


 ※


 WTDT杯の開戦と同時に始まった対局は、両者の情報戦から剣戟が行われる。


(さぁーて、前回は振り飛車だったが、今回は何で仕掛けるつもりだ? アオバラアカリ)


 カインは舌なめずりでもするかのように獣の視線を将棋盤に向ける。


 どうせ自分たちの勝利は変わらない。だが、どう勝つかで自分達の今後の進退が決まる。


 接戦で熱い戦いを演じ、いかにも強敵を倒した風を装うもよし。最短手数で詰まし、日本陣営との格の違いを見せつけるもよし。あえて詰まさず限界までいたぶって自分達の圧倒的な力を思い知らせるもよし。


(あぁ、俺はなんて幸福なんだ。戦場の行く末、その始まりを俺が決める。俺だけが決められる。まさに断頭台の処刑人、コイツを叩き切って俺はプロになる──!)


 傲慢、強欲、横柄の三大を兼ね備えたその思考は、誰かに止められるべきものではない。


 なぜなら、理不尽にもカインの実力はアマチュア界で世界屈指だからである。


 対局開始の合図とともにカインは角道かくみちを開け、飛車先を突き、居飛車の定跡にて最もオーソドックスな局面へと向かわせる。


 海外であっても定跡は定跡、アマチュアであっても彼らはプロを目指す新鋭。タッグ戦であっても常に最善と最良を模索し戦う。それが彼らをまとめ上げるアリスターの判断だった。


「薄氷の上でこそ輝く背水か……」


 赤利はボソッとそう呟く。


 カインはそれを怪訝に見つめ、鼻で笑った。


「結果は変わらないんだ、リラックスして指そうぜ?」

「結果などどうでもいい」

「……なんだって?」


 赤利はカインに向けてニコッと適当な笑顔を見せると、重力に身を任せるかのようにガクッと頭を落として盤面に視線を向ける。


(瑞樹、赤利は今さら……)


 懺悔は済み、過去に決別し、新たな一歩を踏み出す覚悟を決める。それがどれほどの苦痛を伴う反抗か、きっと本人にしか分からない。


 突如、場の空気が一変した。それを感じ取ることができたのは、その場にいないアリスターだけである。


 赤利は静かに深呼吸をすると、その小さな手を盤上に伸ばして"ある駒"を掴み取った。


「は……?」


 カインはそれを見て呆気にとられる。


 いや、カインだけではない。


 海外陣営の者達が、客席にいる観戦者が、その映像を見ている視聴者が、解説を挟むプロまでもが、口を開けて絶句した。


 それがどれだけ異常な手なのか、ついぞこの日まで世の中に知れ渡ることはなかった。


 なぜならそれは、小さな界隈で起きた大きな事件に過ぎず、一部の者しか知ることが無く、ましてやそんなアマチュアの世界など一般人は知る由もない。


 だがこの日、将棋界は目にする。本当の意味でおおやけとなる。


「……さぁ、地獄の始まりなのだ」


 青薔薇赤利は、王様を繰り上げ『自滅流』を指した。



コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?