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第百六十四話 夢の戦いへ

「な、なんなんだ……このデタラメな戦い方は……!」


 一人の選手が足を後退させながら恐怖に慄いた言葉を漏らす。


 かつては全国制覇も夢ではないと、そう謳われていた道場の一角を易々と潰していくその姿はまさしく鬼神。


 否、こんな小さい身体に鬼神など宿れるのか。


 その戦術は世界でただ一人だけに許されたもの。世界でただ一人だけが扱えるもの。


 それを、目の前の小さな少女は使いこなしている。


「お、おまえ……生きていたのか……!?」

「"誰の"、そして"何の"ことでしょう?」


 少女は笑顔を見せながらバチンと盤上に駒を打ち付け、王手を掛ける。


 高難易度の完全作かんぜんさくにも等しい実戦17手詰みをあっさりと読み切り、30分以上もの時間を残して相手の大将を完封。


(うわ……賢乃の奴、五段を相手に瞬殺かよ……)


 味方同士、同じチームを組んでいる虎飛こたかは、その少女──香坂賢乃を見て軽い悪寒を覚える。


 そう、今開催されているのは黄龍戦・団体戦の県大会、その"決勝戦"である。


 誰もが全国を目指して自身の全力を発揮していく中、賢乃は余裕綽々の状態で圧勝する。


 彼女を除く6人の仲間たちも、その賢乃のあまりにも恐ろしい独立した指し回しに恐怖するほかなかった。


 決勝戦を終えた賢乃が席を立つと、片手にスマホを持った虎飛が話かける。


「そういや賢乃、もうすぐWTDT杯始まるけど、見なくていいのか?」

「結果が分かってる勝負には興味がない」


 虎飛の話を賢乃は一蹴した。


 今の賢乃にとって、黄龍戦とは全く別の大会であるWTDT杯には興味がない。


 例年通りであれば代表選手は凱旋道場になる。そして、賢乃にとって凱旋道場の存在は脅威ですらなく、結果すら知る必要がなかった。


「アリスターが来日してるんだろう? 奴を倒せるだけの選手は今の凱旋道場にはいないからな」


 そういって立ち去る賢乃。悠々と黄龍戦の県大会で優勝を果たしたその後ろ姿に、引き留める者は誰もいない。


 しかし、虎飛はスマホを見ながらWTDT杯の出場メンバーに目を通していた。


(……そういう意味じゃないんだけどな)


 ※


 暗雲立ち込める東地区の大会会場。


 いつも通り、遊馬環多流の一強で終わるはずだった『銀譱杯』は、とんでもない荒れ方をして幕を閉じた。


「そんな……この俺が……」


 盤上を呆然と見つめながら項垂れる環多流。


 それを前に席を立ったアリスターは、つまらなそうな目を向けながら一言呟いた。


「肩慣らしのつもりだったが、期待外れだ」

「……っ」


 アリスター、まさかの初参加で『銀譱杯』の優勝である。


 計84手、アリスターは全く王様を囲わない居玉いぎょくという舐めプをしただけにとどまらず、ただの一回も王手を喰らうことなく環多流の王様を詰みまで追い込んだ。


 東地区の選手達は青ざめた表情でそれらを目視する。


 あまりにも強い、強すぎる。


(これが今の日本のアマチュアか。レベルが低すぎるな)


 以前のWTDT杯で自分にトラウマを植え付けた3人の棋士の顔を思い浮かべながら、アリスターはそう心で呟く。


 そして、まだ環多流が投了していないにもかかわらず、会場を出ようと歩き出した。


「ちょ、ちょっと君! まだ対局は続いているのに勝手に帰ってもらっては困るよ! せめて2週間後の県大会に出るには名前と住所くらいは教えてもらわなきゃ!」


 立ち去ろうとするアリスターに係員が駆けつける。


 傍若無人極まるその態度に周りの怒りは募っていくものの、実力が全てを決めるこの世界において下位の者が文句を言える筋はなく、皆黙ってアリスターを睨むだけ。


 そんなアリスターは係員の呼びかけに振り返り、一瞥を返したあとすぐに背を向けた。


「──棄権する」

「……はい?」

「あぁ、こう言えばいいか? ──『負けました』と」


 衝撃の発言に全員が絶句する。


「……」

「なんて奴だ……」


 アリスターはハナから優勝になど興味が無かった。ただ強い相手と戦えると踏んで最も直近に行われる大会に出たまでである。


 つまり、この『銀譱杯』の大会など、アリスターにとっては自分のさびを落とすための砥石といしでしかなかったのだ。


 なんということか、アリスターの投了によって『銀譱杯』の優勝者は環多流になった。


「……テ、メェ……ッ!!」


 これ以上の屈辱があるだろうか。環多流は拳を握りながら怒りを露わに体を震えさせる。


 しかし、そんな環多流のことなどどうでもいいと言わんばかりに、アリスターは一度たりとも振り返らずに会場を立ち去るのだった。


 ※


 凱旋道場の教室に集う異例の面子。誰もがその人物に口を開け、驚きを示す。


 教室に入ってきたのは3人。青薔薇赤利、天竜一輝、そして渡辺真才である。


「あら、本当に集まったのね」


 教室で生徒達に将棋を教えていた沢谷さわや由香里ゆかりは対局を中断して立ち上がる。


「初めまして、沢谷さん。渡辺真才と言います」


 真才は軽く会釈をして沢谷に挨拶をする。


 しかし、沢谷は苦笑した表情を見せると、砕けた言い方で返事をした。


「あー……アナタの噂はかねがね聞いているわ、真才君。私は沢谷由香里、凱旋道場の師範で、今回のWTDT杯におけるアナタ達の指揮を任されている者よ」

「よろしくお願いします」


 互いに挨拶を交わし、真才は空いている席に着く。それに倣うように、天竜と赤利も席に着いた。


 それを傍から唖然として見守るメアリーと他の凱旋道場の面々たち。


「……師範」


 何かを察したのか、メアリーは焦ったような表情で沢谷を睨んだ。


「ごめんなさいね、メアリー。アナタは今回出番がないわ」

「ワタシはっ! 確かに先日の一戦では負けていましたが、ですが師範! ワタシの実力がこの二人に劣っているというのは認められません!」


 普段の喋り方とは打って変わって平凡な抑揚と声色でそう告げるメアリー。


 しかし、メアリーの言葉に沢谷は厳しい言葉を投げかける。


「……申し訳ないけど、アナタの実力はこの二人に遠く及ばないわ」

「そ、そんなことは……! た、確かに師範がそう思われるのは分かります! ですが、ワタシが負けたのはナツ……来崎夏ただ一人です! この二人とはまだ戦ってもいません!」


 額に汗を滲ませながら決して引き下がろうとしない。


 それは凱旋道場の副エース、メアリー・シャロンとしての格を賭けてでも阻止しなければならない矜持だった。


 WTDT杯への出場は凱旋道場の沽券にかかわる問題。それを外部のメンバーを引き入れて戦うなど言語同断、そこへ自身の出場を除外されるなど、メアリー自身のプライドが許さない。


「はぁ……赤利」


 沢谷は困ったように赤利の名を呼ぶと、赤利は脳内で即座に詰将棋の難問を作成し、それをメアリーに向けて言い放った。


玉方ぎょくがた、2一玉、2三歩、3一歩、5二飛。攻めかた、2五桂、3二飛、4二金。持ち駒歩。ほら解いてみろメアリー、5秒だ」

「え? えっ?」


 赤利から突然出題された詰将棋問題に、メアリーは頭の中で考える間もなく答えを要求される。


 視覚情報を全く有しない詰将棋の難易度は通常のそれとは次元が違う。それをたったの5秒という短時間で特にはあまりにもこく


 しかも、赤利の出題した詰将棋は、先日のライ帝聖戦を思い出させるような打ち歩詰めを回避した不成問題である。


 メアリーはそれを理解する間もなくあっという間に解答時間の5秒となり、慌てて答えた。


「えっと、▲3一飛成……」

「外れなのだ。──真才」


 赤利はメアリーの回答を即座に否定し、全く矛先の向いていなかった真才へパスを出す。


「9手」

「天竜」

「▲3一飛不成、△2二玉、▲3二飛不成、△2一玉、▲2二歩、△1二玉、▲1三歩、△1一玉、▲3一飛成」

「正解なのだ」


 真才は正解の手数を、そして天竜は正解の手をすぐさま言い当てた。


 両者とも自分が出題される立場でないにもかかわらず、赤利のキラーパスを見事に繋いでゴールさせたのだ。


 これは常に脳内が将棋に染まっていなければできない芸当。将棋を愛していなければできない芸当である。


「さすがね、二人とも」

「……っ」


 沢谷の称賛にメアリーは悔しそうに項垂れる。


「メアリー、別にオマエを弱いと言っているわけじゃないのだ。だがオマエがこのまま本戦に出場しても成長しないと赤利は踏んでる。そして、それはきっと赤利も同じことなのだ」

「アカリ……」

「だから見ているのだ。天才ぼんじんが天才という愚かな枠から飛び出す瞬間を、まだ成長できる可能性があるということを」


 それは赤利にとっての決意に他ならない。


 相手は海外のトップメンバー。しかもあれだけ地力の差を見せつけたアリスターが立ちはだかっている。


 さすがの凱旋道場の面々であっても、アリスターの強さを前にして怯えないほど感覚は麻痺していない。


 だからこそ、赤利の発言には底知れぬ力が込められていた。


「オマエたちもよく見ておけ。赤利はこの日をもって傲慢を捨て去るのだ。これまでの多くの対局で自惚れた指し回しをしていた自分と決別し、さらに上の世界に手を届かせにいく。そして必ず奴らに勝つ。──これは"絶対"だ」


 普段の余裕がある眼とは違い、追い詰められた者の眼。それを軸にしているからこそ逆境に立ち向かう強さが手に入る。


 赤利は常に狩る側だった。天才ゆえに、狩られることなど一度もなかった。


 だが、今回は違う。狩られる側だ。赤利は初めて追い詰められる側に回った。


 ──いいや、それも違う。


 赤利は初めて正しく『狩る側』に回ったのだ。


 ただ無作為に勝利を積み重ねる勝負ではなく、意味のある勝負へ、勝つことに意味を為す戦いへと身を投じた。


 それは、今まで凝り固まっていた成長の阻害をほぐしていく至高の考え方。正しく王道を目指す成長の兆し。


 天才が天才の枠を超える。その可能性を見出した決意である。


 何故なら赤利は、"将棋"を知ったから。


「……夢のチーム。夢の戦い。赤利は赤利が考えたこの"最強のチーム"でWTDT杯を勝ちに行くのだ!」



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