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第百五十八話 決意

 深々と頭を下げ、誰よりも低い場所に目線を持っていく赤利は、その両手を震わせながら涙声で投了する。


「おいおい、日本の将棋プレイヤーってのはこの程度の実力なのか?」

「見ろよこの数字。俺らの持ち時間がたったの3分スリーミニッツしか減ってないぜ!」


 したり顔で呆れたジェスチャーをする男たち。鼻が高く、細い手足に筋肉がついている。そんなアスリートのようなガタイをしている彼らは、海外陣営の代表──『ミリオス』のメンバーである。


 その中でも特に口数が多いのが先鋒の『カイン』と副将の『ジャック』だった。


 二人はほぼノータイムで手を指していくと、まるで文化と歴史の違いを見せつけるかのように定跡を外した戦い方で終始圧倒。


 そのまま逆転の目が出ることもなく押し切られ、青薔薇赤利を含む日本陣営は海外陣営『ミリオス』に大敗を喫した。


「……っ」

「ご、ごめんアカリ……ワタシがアカリの意図を理解できなかったから……」

「クソ……僕なんかじゃなくて、天外がいれば……っ」


 この時の日本陣営は凱旋道場のトップ3。青薔薇赤利、メアリー・シャロン、浅沼あさぬま隆明りゅうめいの三名だった。


 今までであれば、隆明の枠には三枝さえぐさ天外てんがいが入っており、それである程度のバランスが取れていた。


 しかし、天外は急用で帰省しており、メンバーは急遽変更。見栄え的には天外の枠に凱旋道場トップ3の隆明が入っただけと、実力的にはそんなに変わってないように思える。


 しかし、そこが大問題だった。


 青薔薇赤利の我の強い戦い方。メアリーの最善を追求する戦い方。相反する二人の間を天外が入ることでなんとか保っていたバランスが崩れる。


 結果、赤利の構想をメアリーが読み違えてしまい、チグハグな戦い方となってミリオスの攻勢が止まらなかった。


 凱旋道場は各々の力で王の座を勝ち取ってきた者達、協力して戦うことには慣れていなかった。


(将棋は相手との呼吸。自分よがりな戦い方だけでは策を見抜けず翻弄される。チーム戦だと特に。……ウチの道場は個々が強いせいでその辺りが未熟ね。まだまだ改善の余地がありそうだわ)


 沢谷は深々と思案し、今後の計画について見積もりを立てる。


(……とはいえ、来週の本戦には間に合いそうもないわね。このまま同じメンバーで戦っても結果は同じ。どうしたものかしら……)


 現在の凱旋道場に実力が特化した層はいない。それこそ赤利やメアリーが抜きんでているだけで、他の面々は精々全国下位クラス。


 対する『ミリオス』のメンバーは棋力自体がトップアマに匹敵している。


 その他にも知略、経験、チームワーク。どの分野においても今の凱旋道場が勝っている部分はない。


 いくら個々として実力があったとしても、チーム戦になればひとたびその戦力差など書き変わる。


(愛染《あいぜん》か瑞樹みずき、あの二人のどちらかでも残っていれば、まだ勝ち目はあった。でも今はそんな妄言を垂れている暇はないわね)


 沢谷はとうに叶わなくなった願いを心の中で吐露しながら背を向けた。


 赤利を含めた凱旋道場の面々は、未だに蒼白した顔色で彼らの結果に唖然としている。


「──少しは楽しませてくれると思っていたんだがな。これが日本のアマチュアのトップだってんなら、未来のプロ界は絶望的な弱さになるだろうな」


 そんな赤利たちを見下すように顔を現したのは、彼ら『ミリオス』のチームリーダーであるアリスター。


 アリスターは先陣を切ったカインとジャックの間に入り、的確な指し回しで繋いで場の混沌化を防ぐ戦い方に注力していた。


 それはさして汎用的なよくある手法のように思えて、完璧だった。


 何故なら、アリスターの手をメアリーは一度たりとも読み切れていなかったからだ。


 二人の間にはそれほどの実力差があった。


「アリスター……!」

「メアリー、お前には随分と失望した。最善ばかりに固執した戦い方で何が得られる? そんな程度の低い芸当、オレにだって出来る」

「なんですって……!?」


 嘲笑うようにメアリーを見下すアリスター。


「お前はガキの頃のようにチェスでもやってろ、ジャンル違いだ」

「……っ!」

「よせ、メアリー」

「でも……!」


 言われたまま引き下がるなんて凱旋道場の名が廃る。この場で自分達に勝利したとはいえ、今回の勝負は公式に記録が残らない練習試合。本番で土を付けたわけでもない彼らに勝ち誇った顔をされるなど癪に障る。


 しかし、その傲慢な思考こそが黄龍戦での敗北を招いた最たる要因であることを理解している赤利は、今にも噛みつきそうになっているメアリーに制止の合図を出した。


「そうそう、敗者はそうやって縮こまって隅に隠れてりゃいいんだよ! なぁ、アリスター?」

「うるせぇ黙れ。……いくぞ」

「お、おう!」


 アリスターの静かな気迫に気圧けおされて、カインはその背中についていく。


「……クソっ!」


 バン! と大きな音を立てて机を叩いたのはメアリーだった。


 赤利はそれを見ながらひと睨みを利かす。


「……メアリー。オマエ、来崎夏に負けてから何も学んでいないな? 指し手が以前から何も変わっていないぞ」

「そ、それは……」

「いい、別にいいのだ。オマエなんかアテにした赤利がバカだった。……あーイライラする」


 仲間との連携やチーム戦の経験が薄く、その綻びが今になって浮き彫りになってきたことを自覚する赤利。


 その内心は、メアリーより苛立っていた。


 連携や信頼というのは短期間で会得できるものではない。赤利は自身の我が強い指し回しであることを理解しているからこそ、次回の本番までに同じチームの面々と連携が取れるようになることはないと思っていた。


(赤利の実力が足りないせいだ。赤利の視野が狭かった。周りがついてこれると勝手に勘違いしていつも通りの指し方をして……本当に成長していないのは……っ!)


 赤利は自責の念に駆られながらも、背を向けて去っていくミリオスを視線で追うことなく、その場から立ち上がって会場の外へ歩き出す。


「ちょ、ちょっとアカリ……! どこへ……!」

「……最強のチームを作る」

「え……?」

「オマエは道場で赤利の出した研究譜を暗記してろ。それと隆明、オマエは次回は不参加だ、いいな?」

「……ああ、僕もこの戦場には相応しくない自覚はあった。今回は大人しく身を引くよ」


 隆明の返答を待つことなく、赤利は会場を後にした。





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