これまでの多くの戦いを経て、アタシは成長を実感していた。
並みいる強豪を倒し、負けることなく勝ち進み、最後の関門となった凱旋道場を、
──少しは強くなっていると思っていた。成長しているんだと確信していた。
でも、現実はそう甘くはなかった。
「……負けました」
「ありがとうございました」
舞蝶麗奈との対局にて、アタシは投了の合図として頭を下げる。
順風に満ちながら、激しく吹き
それも1局どころじゃない。3局も戦って、その全てで負けてしまっていたのだ。
「どう? まだやる?」
「っ……」
麗奈の言葉にアタシは下唇を噛む。
県大会で優勝した、凱旋道場を倒した。だからかつての西地区の王者であっても、その実力はもう届いていると思っていた。
──全然ダメだった。
実力は回数をこなして埋まるような差ではなく、勝機すら見えないほどの壁がある。
居飛車も、振り飛車も、ましてや奇襲戦法であっても、目の前の少女には通用しなかった。全てを見切られ、流れるように一刀両断された。
「とりあえず、少し休憩しましょ」
「……そうね」
お茶を取りに席を立つ麗奈を見送りながら、アタシは目の前にある投了図の盤面を見て表情を曇らせた。
──あまりにも、強すぎる。
「……ごめんなさい。アタシ、アンタを舐めてたわ」
「別に構わないわ、今は私達の時代じゃないもの」
麗奈は台所で麦茶を注ぎながら、達観するようにそう答えた。
「……そうよね。今はアタシ達が代表ってだけで、それまではずっとアンタたちがこの地区の代表だったんだものね」
正直、自分の立ち位置を見失っていた。
アタシはこれまで中学生大会で敵無しだったから、一般戦にどれほどの魔物が跋扈しているのかを遠目から見ることしかできなかった。
この前の地区大会で『チームふなっこ』と戦った時も、明らかに手加減されているのが丸わかりだったし、アタシは本当の意味で彼らの全力を知っているわけじゃない。
あの佐久間兄弟が天敵として見ていた
今思えばとんでもないメンバーだ。そして、その全員が青薔薇赤利に匹敵する、もしくはそれ以上の実力者だというのは容易に想像できたはずだった。
でも、県大会を優勝したことで完全に自分の実力を見誤っていた。
……これは、三段と評されても文句は言えないわね。
「もしあの地区大会で本気で戦っていたら、アタシ達は負けていたのかしら?」
興味本位で、アタシは麗奈に尋ねた。
「さぁ? 私は勝っていたから何とも言えないわ」
「そう言えば、アンタと成田聖夜はウチの佐久間兄弟に勝っていたわね」
「別に負けることは強制されていなかったわけだしね。私は私の信条に従って本気でやっただけよ。わざと負けてあげても良かったけど、決勝の場で堂々とそれをやったら八百長になる。だから全員、全力は出してないにしても本気で戦っていたと思うわ」
もしそうだとしても、青薔薇赤利に関してはアタシと戦った時と真才くんと戦った時とで実力が桁違いだった。
あのレベルの手抜きをされていたんじゃ、真才くんと戦った天竜一輝は、もしかして真才くんを超えているんじゃ……?
「一応言っておくけれど、アンタの大好きな渡辺真才はうちの師匠よりは強いから安心してちょうだい。今はね」
「ちょっ……な、何言ってるの? 大好きだなんてそんな……」
思わぬ切り返しに顔が火照ってしまうのを感じる。
なんとか冷静になろうと、アタシはさきほどの麗奈の発言から出た違和感を指摘する。
「そ、それに"今は"ってどういうこと?」
「言葉のままよ。今は敵わない。いや、何回か戦ったら勝つくらいの差ではあるんでしょうけど、師匠が求めているのは実力差での勝利。紛れもなく完全な"格上"になることよ。今はそのための研究を続けているわ」
格上……そんなこと可能なのだろうか?
未だプロ棋士ですら九段になったことのない将棋戦争で、真才くんは十段になっている。それはいくら早指しとはいえ、世界で一番強いことが証明されている実力者だ。
そんな真才くんを相手に完全な格上になるだなんて、アタシには夢物語にしか思えない。
天竜一輝……真才くんに"強敵"とまで言わせる男。一体、どんな勉強をしているのかしら。
アタシがそんなことを考えていると、後ろの方から男の人が聞こえた。
「あんまり余計なことを言うなよ、麗奈」
「ひゃっ!?」
思わず驚いて振り向く。
するとそこには、天竜一輝本人がいた。しかも片手にさっき麗奈が入れた麦茶の入ったコップを持っている。
それだけじゃない。
よく見れば着ている服も一緒だ。
「あ、アンタたち同棲してるの!?」
「そうよ」
「そうだが?」
素知らぬ顔でそう返事する二人に、アタシは唖然としてしまった。
「言葉の節々で『師匠』って言ってたから近しい関係なのは察していたけど、まさかそういう関係だったなんて……」
い、今時は普通なのかしら……? いやいや、中学生の麗奈と明らかに成人してそうな見た目の天竜一輝が一緒に住んでるって、完全にヤバいでしょ……。
あまりに突然の出来事にアタシは脳がショートしそうになる。
しかし、麗奈はそんなアタシの表情を見てため息をつくと、その考えを否定した。
「勘違いしているようだけど、私達は別に付き合ってないわよ?」
「え?」
「私の成長には師匠の存在が必要不可欠なの。だから一緒に住んで24時間将棋をやってるってわけ。もちろん親公認よ」
「俺の許可は貰ってないけどな」
「じゃあ出てくわよ?」
「ごめんなさい嘘ですいつも家事助かってます」
それはもう付き合ってるような、それどころか結婚しているようなやり取りをする二人。
そんな二人の異常さに思わずツッコミが頭を過ぎったが、言ったところで無駄なほど自然ないちゃつきを見せる二人に、ツッコむ気力も無くなった。
「はぁ……そう……。でも大変ね、自分の弟子に将棋を教えながら自分は真才くんを倒そうと頑張ってるんでしょう?」
アタシは遅れながらもペコリと天竜一輝に挨拶をして、そう告げる。
しかし、天竜は「あー……」と何とも言えない表情で頬を掻いた。
「また勘違いしてるわね」
「え?」
麗奈が持ってきたお茶をアタシに渡すと、腰に手を付けてフフンとドヤ顔を浮かべた。
「私は天竜一輝の『師匠』なのよ」
「……???」
一瞬、言っている意味が分からなかった。
そして、そんな混乱するアタシに天竜一輝は説明する。
「俺達は単純な師匠と弟子の関係じゃないんだ。麗奈は俺のことをよく師匠と呼んでいるけど、俺は師匠になった覚えはないし、むしろ麗奈の方が俺からすると師匠なんだよ」
「それはつまり、二人は師匠でもあり弟子でもある。ということなのかしら?」
「そういうこと。師匠……天竜一輝はひとつに特化した戦術が得意なの。逆に私はあらゆる戦術を万能に活かすことが得意。だから私達はそれぞれの得意分野を互いに教え合って強くなっているのよ」
それはある意味で衝撃的な納得度だった。
なるほど、互いに互いの長所を教え合って短所を補う。よくあるやり方だけど、ここまで密接にそれを実行できる者は少ない。
さっきは同棲なんて茶化すようなことを言ってしまったけど、二人の実力を鑑みれば当然というべき環境だった。
二人とも師匠であり弟子でもある。ひとりで『師弟』を築くその関係性は、何事も孤独にこなしていたアタシから見ればとても魅力的だ。
いつかはアタシも、真才くんとそういう関係になれたらいいな……。
──っと、ダメよ美香。今は将棋のことに集中しなきゃ。
「……因みに、二人は毎日どのくらい将棋を勉強しているの?」
「逆に将棋以外やってないぞ?」
「師匠は今は一人で研究してるけど、普段は毎日私と二人でずっとよ」
毎日、という言葉でアタシは思わず疑問符を浮かべた。
「え、アンタ中学生よね? 学校はどうしてるよ?」
「学校なんて行ってないわよ? うち裕福だし」
「ぎ、義務教育……」
「知ったこっちゃないわ」
「……」
この狂気度合、どこかで既視感あると思ったら"来崎"とそっくりね……。