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第百四十九話 たった3日の蹂躙劇

 その日のうちに学校から追い出された宗像は、憤怒に染まったその顔を隠しもせずに地面を強く踏みつけながら校門を出る。


「クソ……クソ……ッ!! こんなはずじゃなかった、こんなはずでは……ッ!」


 全ては渡辺真才に関わったことによる弊害。廃部を実行するところまでは問題なかった。穴埋めも外堀も完璧に仕上げ、後は時間が経つのを待つだけの簡単な仕事だった。


 それが、真才に関わったことで一瞬にして崩れ去った。


『──詰みですよ、宗像先生。逃げても無駄です』


 校長室を去る前、真才に投げかけられた言葉が脳裏を過ぎる。


 あり得ない。例えどんな手法を用いたとしても、自身の経歴があんな一瞬で全てバレるようなことがあるはずがない。


 書類の入手手段も、自分が銀譱委員会と関わっていたことも、何もかも真才は知らないはずである。


 なのに、証拠はそこにあった。いつの間にか目黒校長との話し合いも済ませており、腰が重いとされる鈴木哲郎を、第十六議会を動かしていた。


 ──ただの学生にできることじゃない。


「絶対何かしているはずだ……そうじゃなければこの私がここまで追いつめられるわけがない! ……必ず化けの皮を剥がしてやる。渡辺真才ォ……!」


 宗像は怒りを露わにしながら校舎へと振り返ると、真才のいる2階の教室を睨みつけた。


(計画はまだ破綻していない……! この事が本部にバレる前に軌道修正を行って、何とか廃部に持ち込めばまだ条件はクリアできる、まだ私は銀譱の席に戻れる可能性がある……! そうだ、何も内部から直接手を下さずとも、外部から出来る方法は色々あるじゃないか……ククク……)


 宗像は下卑た笑みを浮かべながら踵を返すと、次の計画についての立案を脳内で考え始める。


 しかし、その足は数歩ほど歩いたところで止まった。


「な、お前は……」

「よぉ、こうして顔を合わせるのは初めてだな。宗像銀司」

「──遊馬、環多流……!」


 そこに立っていたのは、かつて銀譱の遊撃役として東地区で暴れまわっていた男、遊馬環多流だった。


 悪魔のような悪知恵を持つ男。──『死神』とすら呼ばれた盤外の猛獣は、虎の威を借りただけの小物に過ぎない。


 銀譱という後ろ盾を失ったその男にできることは何もない。無力に散っていくだけの残滓だ。


 だが、忘れてはならない。


「楽しかったか? 高校の教師は」

「なに……?」


 その男の背後にもまた、新たな虎が顕現していることを──。


「せっかく俺が反面教師になってやったんだから学べよな。喧嘩を売っちゃいけない相手くらいさ」

「何のことだ?」

「まだ気付かないのか? ……お前が今考えていること、それがもうダメなんだよ。それを悟られる感情を抱いちゃいけねぇ、考えてもいけねぇ。ただ真っすぐに反省して、後悔して、謝罪するしか生きる術がねーんだよ」


 ……一体、何を言ってるんだコイツは? そう宗像が怪訝に眉を顰めると、環多流が再び口を開いた。


「──お前、真才になんて言われた?」


 直後、宗像の背筋が凍る。


「──『詰み』だよ」


 次の瞬間、宗像の死角からぞろぞろと黒づくめの男達が出てきて、宗像を取り囲むように迫ってくる。


「……! なんだ、これは!? 貴様、何を……っ!?」

「おやおや? 誰か知らないけど怖そうなお兄さんたちに囲まれちゃってまぁ」


 環多流は嘲笑うように宗像を蔑む。


 宗像を取り囲んでいるのは裏の世界の掃除屋。銀譱委員会とは一切関わりがないものの、宗像にはその背後に銀譱委員会の意志があることを一瞬で悟った。


「まて、な、なんだこれは!? 計画はまだ……! 猶予も2週間以上残っているはずだ!」


 その声は環多流に届かない。


 代わりに男たちがどんどんと近づいてくる。


 一体なぜ、自分がこんな目にあっているのか。なぜ、銀譱委員会を追い出されたはずの環多流が目の前にいるのか。


 それはほんの2日前の出来事である。


 ※


 環多流と接触した後日、真才は再び環多流を呼び出していた。


「……また急に呼び出したかと思えば……俺にこれ以上何をしろと?」

「宗像が銀譱と繋がっている、その確固たる情報が欲しい」

「はぁ……?」


 直球で告げられた物言いに、環多流は意味も分からず困惑してしまう。


「宗像の元居た席、もしくは本人のデスクにでもあるはずだ」

「ちょ、ちょっとまてよ。話が早ぇーって。何? この俺に忍び込めってか?」

「端的に言えば」

「冗談じゃねぇ。い、いくら脅されたってそこまでやる義理はねーぞ……!」


 環多流は少し言い淀んで強気に言い返す。


「いや、これは脅しじゃなくて交渉だ」

「……交渉?」


 自身を脅す材料を多く持っていながら対等な取引を持ちかける真才に、環多流は疑問を持つ。


 だが、その感情は次の一言でかき消えた。


「──遊馬環多流は銀譱委員会に戻りたがっている」

「……!」


 環多流の表情が強張る。


 驚愕と共に真才を睨みつけた環多流は、声を震わせながら怒りを恐怖を混ぜて吐き捨てた。


「お前……本当にやってることえげつねぇぞ……今度は誰に聞いたんだ?」

「黄龍戦の時にお前の舎弟みたいなポジションにいた男、西田だっけか。その人に優しく尋ねたらあっさり教えてくれたよ」


 それは、環多流の本音を唯一聞かされていた人物だった。


「……たった一ミリの情報すら見逃してくれねぇのかよ」


 真才はその"唯一"を見破り、情報を手に入れ、環多流との交渉に臨んだ。──開始早々、チェックメイトである。


 行動ひとつひとつがあり得ないほど合理的で、あり得ないほど的確。凡人を装っているのが嫌味に思えるほどの男。


 改めて、環多流は目の前の存在が如何に理不尽な存在なのかを理解した。


「……別に、俺は銀譱に戻りたいわけじゃねぇ。ただ、今いるこの場所が不満ってだけだ。あそこは金払いがいい」

「多分、宗像も同じ理由だろうな。学生ながら気持ちは分かる」

「あぁ、学生のするバイトなんかとは比にならねぇほど出るからな」


 結局のところ、人が生きていくためにはお金が必要である。


 夢を叶えるのためにも、それを行動に移すのにも、ひいてはお金を稼ぐことにすらお金は必要となる。


 環多流の本心は実に真っ当で、実に普遍的な理由だった。


「俺が今から言う情報を2日後、銀譱に渡せば……お前はもう一度銀譱の椅子に座ることができる」

「……笑えねぇ冗談だぞ。本当にそんなことが可能なのか?」

「交渉を願い出た手数料として、情報は前払いで開示してもいい」

「……言ってみろ」


 冷や汗をかきながら息を呑む環多流に、真才は一呼吸置くと、その"虚構の真実"を発した。


「宗像銀司の持ちうる全ての情報と策が西ヶ崎高校に露呈し、銀譱委員会と繋がっていることがバレている。その上で宗像はその一連の流れを秘匿しようとしている」

「なっ……!?」


 とんでもない一言に、環多流は面食らったような顔をする。


「銀譱にとってはこの情報は寝耳に水。絶対に知っておかなければならない終始だ。それをお前の口から告げてやればいい。……そうすれば、遊馬環多流は再び銀譱委員会の席に復帰できる」


 まだ宗像を咎めてすらいない。何も始まっていない段階で結末を読み切っている真才に、環多流は漠然と沈黙する。


 確かに、その情報が"後に真実"になるのなら、とんでもない価値を生む。


 少なくとも銀譱は宗像の結果如何いかんで事態が変化することを予期していない。宗像の策が失敗しようと、成功しようと、それは別の話であり、宗像が銀譱と繋がっているなどという特大の情報が西ヶ崎高校に知れ渡ることなど予期できるはずがない。


 なぜならその情報は、"本人のデスク"にしかないのだから。


 宗像の口の堅さは顔を見るに一目瞭然。本人が情報を吐かない以上、銀譱との繋がりが証拠となることはない。


 だが、環多流が動くことでその情報は手に入る。そして、その手に入った情報を真才が活用すれば、さきほど言った展開には間違いなくなるだろう。


 銀譱にとっては最悪のスパイ行為。宗像をスパイとして西ヶ崎に配属したのを逆手に取るように、環多流をスパイとして銀譱に送り込むようなものである。


 環多流は何も情報を持っていないがゆえに、銀譱に切られた。……それはつまり、何も持っていないがゆえに銀譱に再び復帰できる可能性を示唆している。


 しかも、今の銀譱には宗像銀司の枠がちょうど残っている。環多流が復帰できる可能性は相当高い。


 あまりにも奇跡的なタイミング。まるではかったかのような、いや、謀っている策だ。


「……お前、それは俺だけじゃなくて、銀譱も手のひらで転がすようなものだぞ……?」

「そうだね」

「……」


 たった一言の肯定。悪魔のような頷きである。


 真才のこの行為で西ヶ崎高校の将棋部は救われ、宗像は行き場を失い、銀譱の席には真才の息が掛かった環多流が座る。


 銀譱委員会にとってはあまりにも大打撃だ。水面下で何百発もの殴打が直撃しているに等しい。


「……お前は悪魔なのか?」

「……? ただの高校生だけど」


 ただの高校生がしていいレベルの読みと動きじゃない。


「……分かった、分かったよ! お前のことだからどうせ上手くやるんだろ! ……ただし、絶対にしくじるなよ?」

「もちろん。……というか、もう大体終わってる」

「……」


 もうこの男に喧嘩を売るのはやめよう。そう環多流は改めて心に誓ったのだった。


 ※


「……ま、まさか。私の情報を抜き取ったのは……!」


 宗像は勘づいた。


 自身の情報を抜き取った犯人を、そしてその犯人が誰と手を組んだのかを。


「悪いね、宗像銀司。テメェの席は俺が貰った」

「き、き、貴様ァーーーッ!!!」


 黒づくめの男達に拘束されながら、宗像は絶叫を飛ばす。


 自身の計画を潰された挙句、その情報を関係者から抜き取られ、それで得た功績すら奪われる。もう最悪どころの騒ぎではない。


 宗像の表情が崩れる。


 そして、恐怖と挫折に涙があふれだした。


「バカな、バカな、バカなバカなバカなァ……ッ!! 私が……この私が……俺がァ! こんなガキどもに足元をすくわれて溜まるかァッ!! 認めん……!! 俺は認めんぞ貴様らァ……!!」


 宗像は大声を張り上げながら脱出を試みるが、黒づくめの男達に口元を抑えられ、そのまま奥に駐車してある車の方まで引きずられていく。


「俺とお前の敗因は一緒だが、反抗しようとしたのがいけなかったな。過ちは認め、前に進むべきだった。それがたとえ悪の道であったとしてもな」


 そう、宗像には幾度となくチャンスがあった。


 この3日間、いや、それよりもずっと前から、この惨状に陥らないためのチャンスが幾度もあった。


『──廃部するの、やめにしていただけませんか?』


『せめて、全国大会に参加するまでは廃部を延期させて頂けませんか? 学生時代の最後の思い出にしたいんです』


『宗像先生、"最後"のお願いです。廃部を取りやめにして頂けませんか?』


 最悪の結末にならない道筋は何度もあった。


 せめてあの時、真才の言葉に耳を傾けていれば。否、天秤にかけることもなく実行してしまったのが、そもそもの過ちである。


 学生だからと、将棋しか能のない凡人だからと、侮った。


「俺が……この俺がァアア──……!!」


 車の扉は開かれ、そこに宗像は放り込まれる。


 涙声で絶叫する宗像に対し、環多流は最後の一言を告げた。


「──お前、渡辺真才を舐めすぎだ」


 バタン!


 車の扉は強く閉められ、男達は散らばるように消えていく。


 そして、車のエンジンがかかった。


「う"ァ"あああああァあああ──ッッ!!」


 その声は長くは続かず、かき消されるように宗像は車ごと去っていくのだった。





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