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第百四十六話 自滅帝は権力のカードを切るようです・後編

 凱旋道場の教室では、ソファに寝転んだ赤利が機嫌悪そうに定跡書を読み漁っていた。


「あ"ー……つまんない、つまんないのだー!」


 赤利は読んでいた定跡書をポイっと投げ捨てると、目の前で道場の面々と対局をしているメアリーの背中を小突く。


「ちょ、チョット! 集中できなくなるからあまり騒がないでくれる? それとさっきからワタシの背中蹴ってるわよネ?」

「うるさいのだー! 全部全部オマエが悪いのだー!」

「いた、いたたたっ……!」


 赤利は子供のように駄々をこねてメアリーの背中を蹴りまくる。


「オマエの下手な将棋のせいで『ミリオス』の連中にデカい顔されて、赤利まで弱いと思われたのだー!」

「そ、そんなこと言っても仕方ないじゃない! アカリの将棋は小難しすぎてワタシには理解できないのよ!」

「言い訳無用なのだー!」

「いた、いたたたたっ──!!」


 赤利がここまで不機嫌なのには理由があった。


 先日、黄龍戦を敗戦という形で終えた凱旋道場は、各々の敗北によって全員に相応の処分が下されるはずだった。


 しかし、その敗北は予期できなかった陣営側にも当然責任があり、教育方針に問題があったのではないかと議題に上がっている。


 そこで、凱旋道場の師範である沢谷が介入、当面の間は道場自体のノルマを免責とし、結果に問わず活動に注力して欲しいとの結論が出された。


 つまり、本来であれば全員が破門されるところを、沢谷の具申によって結果不問とされたのだ。


 これまでの歴代の凱旋道場が行ってきた対応を鑑みれば異例の事態である。


 そして、凱旋道場は暇ではない。将棋に関わる多くの行事や大会に出向かなければならない。


 黄龍戦を経た凱旋道場の前に待ち構えていた次なる試練は、毎年恒例で開催される海外チームとのタッグ戦だった。


 将棋を世界に普及させ、海外の将棋指しを日本に取り込もうとする銀譱委員会に対し、第十六議会は世界展開によって生まれた海外の将棋指し達を育成することに重きを置いている。


 今や海外でも日本に引けを取らないレベルの将棋指しが生まれており、アマチュア帯ではトップに手が届くほどの選手は何人も誕生している。


 そこで凱旋道場は年に1回、海外のトップレベルとされる将棋指しを数人呼んで特殊ルールの『タッグ戦』の大会を開催している。


 本来なら日本からもトップ帯である現役のプロ棋士を呼んで戦わせるのが正解なのだが、当然そんなものが叶うはずもなく、その役目は目下アマチュアトップ帯で活躍している凱旋道場に一任する、というのが現状だった。


 しかし、問題はここからだった。


 海外のトップ選手と言えど、日本との差はまだ歴然と残っている。


 だからこそ、去年までは凱旋道場が圧勝を決めていた。


 だが今回の大会で、なんと凱旋道場は負けてしまったのだ。


 ──黄龍戦に続く2敗目である。


 赤利の機嫌が悪いのはそれが原因だった。


「あ"ー"ー"っ"!!」

「うぅ……誰かアカリを止めテ……」


 タッグ戦で負けた原因は互いの読み違い、赤利の先々を想定した思考を読み切れずに普遍的な手を指してしまった、メアリーの失態によるものだった。


「なんでワタシが今さら勉強なんテ……。ねぇ、なんでここ最善手じゃないの……あとここ、わざわざ銀引く必要ある……?」

「文句言ってないでバカはさっさと研究譜を暗記するのだー! たった1000パターンしかないのにチンタラしすぎなのだー!」

「わ、分かったわよー……!」


 メアリーに対して『バカ』と言える者は赤利だけだろうと、周りの者達は黙々と研究譜を頭に叩き入れていた。


「はぁ……天外が急用なんて言い出さなければ勝ってたのになー……」


 そんな様子でずっと上の空で落ち込んでいる赤利。


 タッグ戦は3人vs3人で行われ、練習試合と本番試合の計2回が対局として行われる。


 凱旋道場は当然、トップメンバーである赤利、メアリー、そして天外を起用した3人でチームを組んでいた。


 しかし、天外が急用で席を外したことで急遽他のメンバーを起用。当然バランスが取れるわけもなく、練習試合ではボロ負けの結果となってしまった。


 せめて2人、いやあと1人でも有能な将棋指しがいればと、赤利は叶わない願いを天に馳せていた。


 ……そして、そんなことを思っている赤利のポケットから、スマホの着信音が鳴り響いた。


「もしもしー、誰なのだー?」


 赤利は着信相手の名前を見ることもなく電話に出る。


 自分に電話をかけてくるような人間は基本的に上の立場にいる人間が多い。それを理解している赤利は相手の名前だけを問いただした。


 そして、スマホの向こうからその名が告げられる。


『──渡辺真才だ』

「!!」


 それまで暗かった赤利の表情が一気に明るくなった。


「おー! 真才、真才なのだー!? 久しぶりだなー! 大会ぶりなのだー!」

『そうだな』

「元気にしてたかー!? んーでも声がちょっと沈んでるなー? 嫌なことでもあったのかー? いや、お前は嫌なことをされても大丈夫な人間なのだー。それどころか嫌なことをするような連中を軒並み焼け野原にするタイプなのだー。つまりお前は今それを実行しようとしている最中なのだー? 赤利への要件はそれかー?」

『え、こわい』


 電話先数秒で真才の真意を見抜く赤利に、真才からは素直な反応が返ってきた。


『まぁでも、話が早いのはいいことか。大体あってる』

「んー。でもなー、赤利はこれでも結構腰が重いのだ。先日の恩を返したいし、オマエの話に乗りたい気持ちはあるんだがなー……。多分聞くだけになると思うぞー?」


 赤利とて凱旋道場のエースを張っている存在である。真才が厄介事を持ってくるというのなら、それに易々と手を貸すわけにはいかない。


 しかし、真才はそんな赤利のド急所を突く一言を発した。


『──1日だけ時間を貸してやってもいい』

「……!」


 その言葉が何を意味するものなのか、赤利には一瞬で理解できた。


 1日だけ時間を貸す。──それはつまり、1日だけ真才を使ってもいいという権利である。


 今の赤利に必要な人材、その者の時間、両方を満たす好条件──。


 ──心を読まれたかのような交渉術が真才から飛んできた。


「……なんでオマエがそれを知ってるんだ?」

『さぁな、風の噂だよ』

「……」


 赤利は暫し考え、すぐに結論にたどり着く。


(立花め、口が軽くなったなー……)


 交渉とは、始まる前には既に終わっているものである。


 赤利に話を持ち掛けていた段階で、とうに結果は決まっていた。


 そう、真才もまた、赤利の真意を見抜いていたのだ。


 赤利はまたもや真才に先を読まれたと思いつつも、口角を上げて電話を続ける。


「……それで、要件はなんなのだー?」

『これから俺が言うことを、沢谷さわや師範に話を通して欲しい』

「自分で言った方が早いんじゃないかー?」

『いや、君から言ってくれるのが一番効果的だと思っている』

「……よく理解しているのだ。アイツは赤利の言葉しか聞かない」


 凱旋道場の師範、沢谷由香里ゆかりの特徴まで見抜いている。この男はどこまで物事を理解しているのかと、赤利は真才と会話をするたびに楽しそうな表情を浮かべる。


 そして、赤利は真才からの言葉を耳に入れると、二つ返事で許諾した。


「──分かったのだー。約束は守ってもらうからなー?」

『もちろん、俺は"約束"を守る男だからな。楽しみにしてるよ』


 こうして一連のやり取りが終わった後、赤利は嬉しそうな顔で電話を切る。


「……アカリ、何かあったの?」

「ザコは黙ってろなのだー」

「ひどいっ」


 そうして赤利は沢谷のところへ向かうと、真才から預かった伝言をさっそく伝えた。


「──『西ヶ崎をやる。報酬は青薔薇赤利に支払った』……だそうなのだー」

「……本気?」

「本気。赤利は受け取った。……やられっぱなしなんて、凱旋の名が立たないだろ?」

「もう折れてる名よ」

「倒れた旗を立ち上げるには誰かが持ち上げる必要がある」


 ──1勝くらいしなければ、メンツも何もありはしない。そう赤利は言いたげだった。


「……分かったわ、会長のところに行ってちょうだい」

「これで議会は渡辺真才に足を向けて寝られなくなるのだ、あははーっ」

「ほんと、権力を動かす学生なんて聞いたことないわよ」


 沢谷は頭を抱えながらもやれやれと言った感じで仕事へと戻っていく。


(一応赤利も学生なんだけどなー……)


 赤利はそう思いながら凱旋道場を飛び出したのだった。


 ※


「──と、言うわけで、オマエは今日から立派な教員なのだ!」


 ビシッと指をさしてそう告げる赤利に、鈴木哲郎は困惑した様子で頭をおさえた。


「……待ってくれ、話についていけない。……まず、どうして私が第十六議会に繋がっていると真才君は知っているのかね? 誰にも話した覚えはないはずだよ?」

「それについては先んじて真才から伝言を預かっているのだ」


 そう言って赤利は一呼吸置くと、声のトーンを落として真才の言葉を哲郎に伝えた。


「──『一番最初に地区大会で顔を見た時、鈴木会長は青薔薇赤利を起用した反則のチームを組んでいました。鈴木会長の人柄は後から知ったので当時は疑問が尽きませんでしたが、今でこそその理由が分かります。……あの時、鈴木会長は銀譱道場を潰そうと画策していたのだと。それは天竜一輝が本気を出してこなかったことと、目的を達成した顔をしていたことからなんとなく察せられます。……では、県の会長である貴方が、なぜあんな反則のチームを起用してまで銀譱道場を潰そうとしていたのか。これはあくまで俺個人の考えですが、貴方が銀譱と対立している側の人間。つまり、第十六議会の椅子に座っている者だからではないでしょうか? 確証はありませんが、少なくともこれまでの貴方の対応と言動からそう見えました。……葵玲奈を助けたことも、俺達に肩入れする理由も、後々に自分達に取り込もうと思っていたから、銀譱委員会を出し抜けるピースになってくれると期待していたから。と、そういう結論にたどり着いたのですが、違いますか?』」


 ──静寂が包む。


「…………」


 長い沈黙の果てに、口を開いたのは哲郎ではなく、赤利の方だった。


「『──最後に、俺は将棋を指すのが好きです。それ以上でもそれ以下でもありません。──ただ、葵がいるおかげで、最近時間が空いたであろう貴方の暇を解決する手段くらいはご用意できますよ』……と」


 とんでもない見透かした発言に、哲郎は苦笑を零した。


「銀譱は、とんでもない男を敵に回したようだね」

「……正直赤利もそう思うのだー」


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