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第百四十四話 完全復活に際し、本気を出す陰キャ

 ──何もかもに納得がいった。というわけじゃない。


 俺は未だに賢人の死を悔やんでいる。自分の進んできた人生に決別がつかず、過去の思い出に囚われている。


 でも、それでいいのだ。


 結局は自分の中で妥協するしかなく、落としどころを探すことでしか問題は解決しない。


 何せこういった問題に答えはなく、その答えすら自分の手で作らなければならないのだから。


 嫌なことを与えられる人生には慣れた。でも、好きなものを取られる人生はどれだけ繰り返しても慣れない。


 賢人が死んだことも、約束が果たせなかったことも、俺の中では何も解決していない。


 納得も、妥協も、できるものではないから。


 ただ、それとは別に──俺は将棋が好きなんだ。


 これだけは絶対に間違いがなくて、他のどんなことを差し置いても貫ける。


 俺は昔から将棋が好きだった。父と指す芸術的な将棋が好きで、戦うごとに成長していく自分が好きで、相手の思考を上回る戦いも好きで、そうやって誰かと創り上げていくひとつの将棋が好きだった。


 それがいつしか父に見せる夢へと変わった。俺がプロ棋士になって、父の将棋が正しかったと証明する方向へと舵を切った。


 別にそれが悪いと思ったことはない。誰かのために夢を追いかけることもまた、ひとつの正しさなのだから。


 でも、俺はそこに舵を切ったばかりに、父が死んでしまった時に持っていた夢を打ち砕かれた。


 いうなれば、心が折れてしまったのだ。


 俺がもし、将棋を指す楽しさだけに重点を置いていたなら、そんなことにはならなかった。


 でも、そんな時に現れた賢人のおかげで、俺は新たな夢を持つことができた。


 賢人の置いていってくれた約束のおかげで、俺はまた将棋に触れ始めた。


 俺が、俺自身が──本当は将棋が好きなのだと思い出させてくれた。


 だから、東城が言ったように、賢人の目的は既に果たされていたのかもしれない。


 俺との約束を守れなくても、俺が自分のことを、渡辺真才のことを、将棋が誰よりも好きな男なんだって思い出すということを。


 ……雨上がりの空を一瞥する。


 俺に将棋を教えてくれた父は死んだ。俺に将棋を思い出させてくれた賢人も死んだ。約束は果たされず、目標も消え、何のために将棋を指すのか分からなくなっていた。


 そんな風になってまで、渡辺真才おまえはなぜ、将棋を指すのか?


 その問答にはもう、答えが出ていた。


 曰く、渡辺真才は心の中で再三答えそうだ。



 ────将棋を指したいからだ、と。


 ※


 突如として目の前に現れた存在に、宗像は驚愕を禁じえなかった。


 言葉のまま突然に目の前に現れたわけではない。それも一生徒いちせいとだと思って流し見していた宗像は、まさかその生徒が渡辺真才であることなど想定していなかった。


「……何か用か?」


 宗像は驚きを隠しつつも、冷静に真才にそう尋ねた。


「聞きました。宗像先生が将棋部の顧問だったんですね」


 真才は普段通りの表情でそう聞き返す。


 そう、普段通り、いつも通りの表情で。


「……ああ、そうだが?」


 宗像の焦りが募る。


 渡辺真才がここに来ているはずがない。そんな簡単に復調できるはずがない。


 先日、香坂賢乃の言葉によって、雨に打たれながら絶望した表情を浮かべていたのを宗像は知っていた。


 ──当分は元に戻らない、死んだ目になっていたのを知っていた。


 会話の内容を全て聞き取れたわけではなかったが、ずっとしていた約束が果たせずに決別を切り出された、というところまでは宗像も微かに聞き取っていた。


 約束というのが何なのかは分からないが、それは真才にとっては命より大切なことなのだろう。学生にとっての学校が人生の全てだと錯覚するように、渡辺真才にとってはその約束が人生の全てだったのだ。


 そこを明確に突いた香坂賢乃には称賛を贈りたいほどに名演技だった。いや、彼女にとっては事実を告げただけなのだろう。


 少なくとも、宗像から見たその時の真才は、完全に心が折られた表情をしていた。


 銀譱委員会に所属していれば、そういった者達を目にする機会が多い。


 下手すれば自死──自ら命を絶つこともするだろうと踏んでいた。


 それはそれで問題が起こるだろうと、宗像は事後処理に関することも考えていた。


 ──だがこの瞬間、その死んだ目をしている男など、どこにもいない。


 目の前にはまるで何事も無かったかのように立っている男だけ。目は死んでいるどころか、以前よりイキイキとしているようにすら思える。


 何があったのか、何がこの男をそうさせたのか。宗像には皆目見当がつかなかった。


「将棋部、廃部にするそうですね?」

「ああ、そうだ。だからなんだ?」


 宗像は威圧的な態度で教材を持つ手を入れ替える。


「──廃部するの、やめにしていただけませんか?」

「……何?」


 宗像の眉がヒクつく。


 何か交渉材料を持ってくるのならまだしも、その願いは一方的なものだった。


「仲間っていいものですよね。俺は今まで誰とも関わってこない人生を歩んできたせいか、誰かとの繋がりがこんなにも幅広く道を照らして、自分の人生に彩を添えてくれるものだとは思ってもみませんでした」


 一体何を言っているのか、宗像には分からなかった。


「……宗像先生、俺達と一緒に西ヶ崎将棋部を一緒に支えていきませんか? これからの全国大会、決して勝機のない戦いじゃないと思うんです。だから──」


 そう語り続ける真才に、宗像は面食らったような顔を浮かべた後、内心で大笑いしていた。


(バカかこいつは?)


 渡辺真才は事の真相を知らない。


 部活の廃部が恣意的しいてきに行われていたことだとも知らず、ただ真っすぐに廃部の取りやめを申し出ている。


 所詮は学生の知能。水面下で行われていた策略など気づきもしないだろう。


 そして当然、真才の頼みは宗像にとってあまりにも無理な相談だった。


(武林勉が顔を出してくるのならともかく、部長でもない男が来るとはな。しかもよりによって渡辺真才……多少の予定は狂ったが、部の廃部さえ実行できれば計画に支障はない)


「──残念ながら、廃部は既に決まったことだ。今さら変えることはできない」

「理由を聞かせてもらってもいいですか?」

「……活動の功績が減少傾向にあるためだ」


 宗像は嘘の理由をその場ででっち上げた。


「県大会では優勝を収めましたよ?」

「そういう問題ではない。お前達将棋部はこれまでの長い期間の中で全くと言っていいほど活躍してこなかった。それが原因だ。それこそ今回の事例を除けば、東城以外で大会を優勝した者は皆無。加えて日に日に募っていく大会参加費や支部会員費もある。これらを鑑みても、将棋部を我が校に残しておくメリットはない」


 悪くない言い訳を思いついたと、宗像は自賛した。


 実際、盤や駒などの活動品を含め、月に行われる大会に連続で参加し、合宿を含めた本格的な活動を行うとなると、将棋部の活動費は年に十数万に届くこともある。


 去年の活動費は8万円。高校生の部活としてはあまりにも破格だ。


 だが、その資金は全て──銀譱委員会から支援金として出されている。


 つまり、西ヶ崎将棋部は実質的に銀譱委員会に心臓を握られているような状況だった。


 どちらにしろ、この部活に未来はない。そう宗像は考える。


「なるほど、そうですか。……ではせめて、全国大会に参加するまでは廃部を延期させて頂けませんか? 学生時代の最後の思い出にしたいんです」


 ここまで言っても引き下がらない真才。しつこさが増すだけで、まるでそこに覇気は無く、ただただワガママな少年のように無意味な抵抗を続ける。


 宗像も少々イラつき始めながら、怒気の籠った声色で告げた。


「ダメだ。既に決まったことだ。……もう授業が始まるぞ。お前も早く教室に戻れ」


 強引に話を切り上げ、宗像は真才の横を通り過ぎようとした。


 ──次の瞬間だった。


「──っ!?」


 何かが宗像の心臓を握り潰そうとした。


 否、幻覚である。そういう感覚が宗像の全身になだれ込んだ。


「宗像先生、"最後"のお願いです。廃部を取りやめにして頂けませんか?」


 二度目に聞こえたその言葉は、果たして先程と同じ人物が発しているのか甚だ疑問であるほど、全く別な声で聞こえた。


「……しつこいぞお前!」


 宗像が怒鳴り上げて振り返ったその時──。



 ──学校内に、呼び出しのチャイムが鳴り響いた。



『────宗像先生は、校長室まで、来てください』



 たった一言そう告げられ、再び終了のチャイムが鳴り響く。



「よかったですね、先生。──授業はもうないそうですよ」



 そう言われ、硬直する宗像の目には──確かに、覇気に包まれた男の姿が映っていた。






「……はえ?」


 何が起きているのか分からない宗像は、口を開けたまま呆けた声を出した。



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