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第百四十二話 誰よりも強い一歩を・後編

 言葉は上手く紡げなかった。


 口元は重く、吐き出る言葉は簡略的で、言い訳は盛大で、それでいて身勝手な願望。


 叶うはずもない希望を愛でるように、届くはずもない星空に手を伸ばすように。


 ──滑稽だった。


「そんなことが……」


 ひとしきり言い終えたところで東城が言葉を漏らす。


 俺は先日の賢乃という少女との出会い、そして賢人との出会いも含めて東城たちに赤裸々に語った。


 もちろん"約束"についてもだ。


「マジかよ、渡辺って香坂賢人と知り合いだったのか……」

「てかアイツ香坂賢人の妹かよ……! どうりで自分の道場と同じように扱っていたわけだ……」


 二人の間で何かに納得する佐久間兄弟に対し、葵が尋ねる。


「……あ、そういえば二人とも、県大会の期間中に誰かに教えてもらいに行っていたとか言ってたっすよね……?」

「ああ、さっき渡辺が言っていた香坂賢乃にな」

「それって香坂賢人の道場に行ったってことですか?」

「そうだ。少し遠いが、香坂道場は隣県にある。行こうと思えば行ける距離だ。……まさか、渡辺がその妹と接触していたんてな。……ボロクソ言われただろ?」

「いや、まぁ……気は強かったかな……」


 実際、俺は彼女に何かをされたわけじゃない。


 ただストレートに真実を告げられて、俺が勝手に動揺しているだけだ。


「そうか、彼はもう……つらいな」


 俺から出る言葉を全て聞いた後で、武林先輩は珍しく落ち込んだ表情を浮かべた。


「部長、何か知ってるんですか?」

「いや、賢人はオレも少し見知った顔でな。もう会うことはないと思っていたが、本当に会えなくなるとは思わなんだ」

「結構繋がりがあったんすね……アオイはその……けんと? って人知らないっすけど……」

「ウソだろ、歴代最強のアマチュアだぞ」

「アオイは世間の情報とか知る機会なかったっすから」


 賢人の存在は稀有な例だ。世間一般的に目立っていたわけじゃない。


 アマチュアという舞台ゆえにメディアに出ることはほとんどなく、プロの対局を中心として見ている一般的な視聴者層の『見る将』にとっては賢人の存在など認知外だ。名前すら聞いたことないだろう。


 だが、その存在は界隈を脅かすに足るほどの実力者であり、ひとたびプロの世界に入れば界隈の席巻は時間の問題だった。


「……俺はそいつの……賢人との約束を守るために将棋を続けていたんだ。……部活に入ったのだって、気まぐれみたいな理由だ。だから大会に出られるなら、部活でも道場でも別に良かった」


 そう、所詮はそんな理由だ。


 本音を言えば個人戦の方がよかった。その方が自分だけの力を発揮できるし、勝ち続ければいずれは賢人と戦える。


 だけど団体戦はそうもいかない。団体戦で必要なのは自分の力より勝ち星の数だ。仲間の実力に結果がのっかってくる。


 だから俺は部員の成長を第一に考えた。自分は二の次で、まずは部員が成長できるようにと。


 別に俺自身、リーダー格みたいな立ち回りができるとは思ってないが、目的のためにそうすることは必要最低条件だった。


 約束を守るためなら、体は動いた、口が回った。まるで父の生きていた頃の自分に戻るかのように、躓く自分の背をいつも目的だけが後押ししてくれていた。


 ──だから、今の俺には何もない。


「そのために、アタシたちを利用していたってこと?」

「……うん」


 俺は正直にそう答える。


 すると東城は立ち上がり、安堵したようなため息をもらした。


「なんだ、良かった」

「……え?」


 予想外の反応に俺は思わず東城の顔を見上げる。


「すっごく深刻な表情をしていたから、聞いても解決できない悩みだと思ったの。また力になれなかったらどうしようって焦っちゃった」

「何言って……」

「ねぇ、真才くん。──将棋は好き?」

「それは、当然……」

「そうだよね。真才くんはアタシと違って将棋が誰よりも好き。きっとそれは、誰かから与えられた『好き』なんじゃなくて、自分で感じで掴み取った『好き』なんだと思う」


 俺の顔を覗き込んだ東城の瞳は穏やかで、それでいて芯はしっかりと持った目の色をしていた。


「でも真才くん、前にアタシに言ったわよね。将棋が嫌いな時もあったって。……それって、香坂賢人と出会う前のこと?」

「……そうだよ」

「じゃあ、その香坂賢人が真才くんの将棋観を変えてくれたんだ。凄いね、尊敬しちゃう」

「そう……賢人は凄かった、凄かったんだよ、誰よりも……っ」


 俺は過去を振り返り、拳を握りしめる。


 思い出だけは残り続けるから、叶わない約束だとしてもその時の言葉が頭の中でループする。


 そんな俺に、東城は核心を突いた言葉を告げた。


「──なら今の真才くんは何のために将棋を指すの? 約束を果たすため?」

「っ……!」


 その矛盾を突いた一言は、俺の根底にあった言い訳を呆気なく離散させた。


「きっとその人は、香坂賢人は、真才くんに対しての目的をもう果たしてるんじゃないかな」

「えっ……?」


 唖然とする俺に、東城は続ける。


「真才くんに自分の意志で将棋を好きになってもらいたい。お父さんの死にとらわれず、将棋を目的の道具とせず、純粋に楽しむ価値観を築いてほしい。そう思って自分を目標に掲げたんじゃないかしら? ……もちろん、これはアタシの勝手な意見だけどね」


 考えたことも無かった。賢人が俺にそんな意味を込めていたなんて。


 ……でも、それがあり得てしまうのが香坂賢人という男だ。俺は彼が先々を見据えて行動しているところを何度も見たことがある。今の俺が先を見据えて動く癖は、賢人から譲り受けたものなのだから。


「──それに、約束ならまだ潰えていないじゃない」

「……?」


 東城は優しく笑いかけると、後ろで見守る面々を一瞥する。


 そして、俺の方に振り返った。


「──まだ、香坂賢乃が残ってる」

「……!」


 その一言で、俺の目に光が戻る。


「香坂賢人の記憶を持っているらしいじゃない。なら実質本人と言っても差し支えないわよね?」

「いや、差し支えると思いますけど……」

「なによ来崎、アンタだって気になるはずでしょ? 香坂賢人の記憶を保持した妹。きっと実力は本人と同等、いや、それ以上のはずよね」

「まぁ、ちょっと指してみたくはありますね」

「……でも、約束は果たせないって……」

「バカねぇ、約束なんて主観よ主観。向こうが果たせずともこっちから果たしてやればいいのよ」

「東城先輩、無茶苦茶言ってるっす……」


 そんな様子を見ていた武林先輩が、含み笑いで口を開いた。


「いや、一理あると思うぞ?」

「部長まで……」

「まぁ、骨が墓に入っていても、心臓には挨拶しておかねぇとな」

「何言ってんだ隼人……」


 そんな部員たちのやり取りに、俺は静かに考え込む。


 確かに、東城の言うことには一理ある。もしかしたら俺は、賢人の死と賢人との約束を混同していたのかもしれない。


 そもそも俺は一切悪くない。勝手に死んでおいて、約束を反故にされて、それを実の妹の口から容赦なく告げられた俺の気持ちはどうなる? 普通に考えてこれ言ったらヤバいんじゃないかなって察することできるだろ。


 いや、絶対できるはずだわ。絶対これ賢人の意志だわ。俺がこうして落ち込むの分かっててわざと自分の死を告げたまである。なんならこうなることを見越して嬉々としてやったまである。記憶の残骸に成り果てても賢人ならやりかねない。うん、アイツなら絶対やるわ。


 いや、そう考えたらなんか普通にムカついてきたな。


「大体ね、アタシ真才くんが他の人を目標にしていたのちょっと嫉妬しているんだけど」

「えっ」


 俺が一人で考え込んでいると、東城から唐突な流れ弾が飛んでくる。


「こんなに強い面々が西ヶ崎に揃ってるのよ? なのに他のところに目を向けるなんてあんまりじゃない?」

「そ、それは……」

「あー別に謝らなくていいわ、アタシ次の目標決まったから」


 そう言って東城は一呼吸おくと、口の端を吊り上げるように好戦的な意思を見せた。


「──アタシが香坂賢人を超える」

「なっ……」


 この女、とんでもないことを口にした。


「そうすれば真才くんも昔の男なんて気にならなくなるでしょ?」

「先輩、私欲が出てますよ」

「あっ……今のは気にしないで」


 いや、気にするとかしないとかより言ってることヤバすぎでしょ。


 賢人を超える? 東城が? そんなイメージ湧か、湧か…………。


「……本気?」

「当然よ。言っておくけど、アタシ、自分が定めた目標にたどり着かなかったこと一度もないから」


 ビシッと指を俺に突きつけてそう言い放つ東城。


 普段の東城が見せるいつもの一面に、言葉の説得力が一気に増す。


「……まぁ、東城さんの戯言はおいといて」

「戯言!?」

「少し、ほんの少しだけ気持ちの整理ができたよ。……ありがとう、みんな」

「それは良かったです。私ほとんど喋ってませんけど」

「東城先輩の独壇場だったっすよねー」

「ア、アタシは別に……! ちょっと口から言葉が垂れ流しになっただけで……」

「妖怪っすか……? 東城先輩そんなジョークも言えたんすね」

「ところで真才くん」

「無視っす!?」


 葵のツッコミをスルーした東城は恐る恐る振り返ると、申し訳なさそうな顔をして両手の人差し指の先をツンツンと合わせる。


「ここからが本題って言うかぁ……大変な状態にある真才くんにお願いするのは本当に気が引けるんだけどぉ……」


 え、なに、気持ち悪い。キャラ変した?


 ていうか周りのみんなも察したのか一斉に目をそらし始めたんだが。


「──将棋部、廃部になっちゃった!」

「…………」


 約束果たせねーじゃん。


 ※


 雨上がりの夜、誰もいない夜道を一人下校する三原は、最奥から複数人の集団を引き連れて歩いてくる一人の男に目を凝らす。


「……よぉ」


 すれ違いざま、声を掛けたのは相手の方からだった。


「──久しぶりだな、龍牙りゅうが

「あァ、久しぶりだ。……なんで黄龍戦に来なかった?」

「俺はもう上北道場所属の人間じゃないからな」

「観戦くらいはできただろ?」

「俺はいつも忙しいんだよ」

「寝ることにか?」

「そーだ、寝ることにだ」


 三原はそういうと、手に持っていた傘を龍牙の頭にポンポンと当てる。


 その行為に、周りにいた全員が青ざめて足を後退させた。


「個人戦、期待しているぜ?」

「……チッ」


 龍牙は舌打ちだけすると、そのまま何もせずに三原の横を通り過ぎた。


「あ、あの、龍牙さんよろしいんですか?」

「あ?"」

「い、いえ! なんでもありません……!」


 普段と違う対応を見せた龍牙に対し、取り巻きは怪訝な表情を浮かべるが、すぐさま龍牙の圧に耐えかねて身を引く。


「──青薔薇もいねぇ個人戦で勝ったところでつまんねぇだろうが」


 龍牙は一人、取り巻きには聞こえない声量でそう呟くのだった。


 ※


 東城から廃部の件を聞いた俺は、当初呆れた顔を浮かべていたが、そのあまりに強引な強硬策と内容に少しだけ湧き上がるものがあった。


「……へぇ」


 まさか俺が来崎と楽しんでいる間にそんなことがあったとは。


 賢人の死、賢乃との接触、そして偽造された退部届、色々と問題が重なってたらしい。


 ──実に敵意を感じる行為だ。恐らく主犯格は一人だろう。


「あの、真才くん、説明しておいてあれなんだけど、無理はしなくていいからね?」

「というか俺ら学生にはどうすることもできねぇだろ、いっそのことネットにバラまくか?」

「いや、明確な証拠が掴めてない以上、悪意かどうかも判断つかないはずだ。それは最終手段だな」

「つっても他にやりようなくね?」


 佐久間兄弟のやり取りを聞きながら、俺はある程度の筋道を立てる。


「……みんな、まだ時間はある?」

「え? ああ」

「大丈夫ですよ」

「今日は全員、部活で遅くなることをオレから親御さんに伝えてある! 問題はないぞ!」


 よし、じゃあ大丈夫か。


 俺はその場から立ち上がると、長時間同じ姿勢だったせいで強烈に痛みが走る足元を見る。


 ──誰よりも強い一歩を、か。


「おいおい、まさか学校に行くのか? 本人に抗議しても無駄だと思うが……」

「一応月末までの猶予はあるっすから、まずは色々調べるところから始めた方がいいんじゃないっすか? こう、法律関係とか……」


 法律? そんなものは時間をコストに掛けた博打でしかない。


 俺達は全国に行く。約束は香坂賢乃を通じてハッキリと決別を付ける。時間を掛けている暇などない。


 俺は葵たちの不安をかき消すように振り返ると、一言だけ告げて玄関へと向かった。


「大丈夫。──3日で片付くから」


 瞬間、長い沈黙が流れた。


「……え?」

「……は?」

「……冗談よね?」

「ミカドっち、今まで以上にやる気に満ち溢れてるっす……」




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