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第百三十一話 彼氏連れの浮かれた女の子が名人部門で勝てるわけがない

 クラス内の雰囲気が変わりつつあるのを感じながら、三原は午後の授業が終わるまで机に突っ伏していた。


 そうして気が付けば、自分の机の上に期末テストの解答用紙が配られていることを知る。


「おい三原、お前また全科目80点超えかよ。すげぇな……」

「んあー? 適当だよ適当ー」

「嘘つけ」


 三原の成績は上の中、東城のような素の天才には敵わずとも、常に上位の成績を維持していた。


 これだけ眠っていても教師達から怒られないのは、それに見合うだけの成績を取っているからだろう。


 もしくは、どれだけ指摘しようとも懲りずに眠り続けていたせいで、教師側がある意味で諦観してしまったのかもしれない。


 ──放課後、帰りのホームルームが終わり、部活の始まりを告げるチャイムが鳴る。


「……」


 誰もいなくなった教室でゆっくりと顔を上げた三原は、今この教室には本当に自分一人しかいないことを改めて理解する。


 いつもであれば、真才がいた。


 彼はクラス内に友達を持っておらず、帰宅部だったこともあってすぐには教室を出ない。


 放課後、クラスメイト全員が部活へと向かって教室を出てもなお、彼は最後まで残って一人で将棋戦争をプレイしていた。


 忘我状態でスマホを覗き込むその眼は常に真剣だった。真剣に生きている者の目だった。


 ゆえに、その眼に自分は映っていなかったのだろう。


 自分が教室に残っていることを知らずに、彼はいつも感情豊かにその将棋戦争の勝敗の結果に情緒を突き動かされていた。


「……自滅帝か」


 ポツリと呟いた三原は、誰もいなくなった教室で静かに席を立つ。


 そして、吸い寄せられるように将棋部の廊下へと歩みを進めた。


 理由は特にない。入部する気も毛頭ない。


 ただ、野生の勘のようなものが働いて、それが三原の足を動かす原動力となった。


 もっと具体的な理由を述べるのなら、窓の外に映る夕日がいつもより赤かったからである。


「──ふ、ふざけんじゃないっすよ!」


 廊下を歩いている途中で、将棋部の部室から怒声のようなものが轟いたのを三原は聞き取る。


 廊下まで聞こえると言うのは相当なものであるため、三原の足はそこで止まった。


 聞き耳を立てれば、何やら部員たちと顧問教師との間で言い争いが起きていることを三原は知る。


 その話の具体的な内容までは聞き取れないものの、会話の節々で『廃部』という単語が使われていることだけは三原の耳に届いていた。


 やがて一連の話が終わったのか、ガチャっと扉が開く音と共に顧問教師が姿を現した。


 よく見れば、それは3年2組の担任をしている宗像という男だった。


「……なんだ? 入部か?」

「いえ、奥の道が詰まってたんでこっちから帰ろうと思っただけです」

「そうか」


 宗像は威圧的な目線を三原に向けてそのまま隣を通り過ぎた。


 三原は宗像が通り過ぎるまで作り笑顔でほがらかに微笑んでいたが、宗像の視線が切れた瞬間に一瞬だけ真顔に戻る。


「あー、そうだ。先生」

「なんだ?」


 そして、そのまま去ろうとする宗像に、三原は振り返らずに告げた。


「"右"の階段から降りた方がいいですよ」

「……?」


 そうして三原は将棋部へと続く角を曲がっていった。


 宗像は怪訝な目を向けながらも踵を返し、目の前の廊下を視界にとらえる。


 ──しかし、右に階段など無かった。


 ※


 誰かとこうして遊びに出かけるのは何年ぶりだろう。


 明日香と付き合っていた頃はデートなんてしたことなかったし、そもそも陰キャの俺に遊べる友達なんていなかった。


 ずっと孤独。自分から行動を起こす勇気がないから、誰かを誘って遊びに行くこともない。


 デートこの約束だって、来崎から提案されたものだった。


「真才先輩ー! 早く次のところ行きましょうよー!」


 遠くの方で、買い物袋を持った来崎が手を振っているのが見える。


「元気だなぁ……」


 俺はやれやれと大人ぶりながらも、内心では女の子とデートをするという多幸感で満ち溢れていた。


 先頭を切って俺を連れまわす来崎は、どこか楽しそうで、いつものような冷静沈着な来崎からは程遠い笑顔を浮かべている。


 見た目に沿った年相応の振る舞いで可愛いと告げたら、顔を真っ赤にしながら両手でぽんぽんと叩いてきたから、多分禁句だ。


「真才先輩遅いですー!」

「ごめんて……次は?」

「服を買おうかなと思ったんですけど……真才先輩、ちょっと疲れてます?」

「うん、ちょっとだけね。いつも家に引きこもってたから」

「私はまだまだ大丈夫ですけど……そうですね、真才先輩もまだ本調子じゃないですし、少し休憩しましょうか」

「助かるよ、ありがとう」

「いえいえ!」


 来崎は手に持った買い物袋を片手にまとめると、もう片方の手でスマホを出して時間を確認した。


「どこかで食べますか?」

「今12時?」

「はい、ちょうどです」

「ちょっと混んでるかもしれないね……」


 俺は軽く周りを見渡すが、色んな店を出入りする人と人との入り混じりが激しくて先の方が全く見えない。


 平日なのになんだこの人の多さは、お昼とはいえちょっと混み過ぎじゃないか? それとも俺が普段外に出ないだけで、いつもこんなに混んでいるのだろうか。


 どのみちこれでは店の中に出入りする余裕がない。このまま近場の外食店に入ろうものなら数十分は待つことになるだろう。


「お腹、空いてますか?」

「朝食べたからまだ持つよ」

「私もまだ大丈夫そうです。じゃあ、どこかで時間潰しましょうか?」

「うん、そうしよっか。でも……」


 近くで時間を潰せそうな場所は……こちらも当然のように満席だった。


「全部埋まってるね」

「ですね……」


 はてさてどうしたものか。


 そう手をこまねいていると、奥の方で何やら人集ひとだかりができている場所を見つける。


「なんかやってますね?」

「あれって……」


 気になったので二人でそこまで行くと、そこには大きめの看板が立て掛けられていた。


『西地区交流戦将棋大会 ※当日受付可、誰でも参加可能』


 珍しいことに、平日に行われる将棋大会がそこで開催されていた。


「大会! 真才先輩! 将棋大会ですよ! これって非公式戦ですよね?」

「そうだね。交流戦って書いてあるから、多分お祭りか何かでやる大会なんだろうね」


 中の方を覗くと、大会はまだ始まっていないらしく、老若男女が入り乱れるようにワイワイと練習将棋を繰り広げていた。


「見ない顔ばかりですね」

「アマ棋戦じゃないからね。多分初めての人も参加できるように敷居を低くしてるんじゃないかな」

「真才先輩、参加しませんか!?」

「え、いや……俺はいいよ。なんかスマーフィングみたいになっちゃうし……」

「スマ……? そうですか……まぁ、まだ体調も万全じゃないですしね」


 一応これでも県大会優勝しているチームの大将を担っていたわけだし、公式で行われる棋戦ならともかく、西地区内で行われるお祭りに出るのは少しばかり気が引ける。


 仮に天竜がこんな感じの小さな大会に出場することを想像してみろ、一発で優勝して一発で出禁だ。


 俺は一瞥だけして他の場所を見て回ろうとしたが、いつの間にか隣に来崎がいないことに気づく。


 思わず振り返ると、さきほどの大会の運営スタッフか何かのおじいちゃんに絡まれていた。


「なんだいお嬢ちゃん、将棋に興味あるのかい?」

「はい。でもちょっと合わなそうだったので、また今度来ます」

「あー待ちな待ちな!」


 その場から去ろうとする来崎を老人は必死に呼び戻す。


「女の子は大会参加費が今割引なんだよ。それに商品はこの近くの店全部で使えるクーポン券さ。……その手荷物を見る限り、お嬢ちゃんお買い物は好きなんだろう?」

「え、まぁ、そうですけど……」

「じゃあ是非参加していっとくれ。お嬢ちゃん頭良さそうだから絶対に勝てるよ。因みに、将棋のルールは分かるかい?」

「え、はい……一応分かります」

「じゃあ何も心配いらないね。なぁに、初心者部門ならそんなに強い奴はいないから大丈夫さ!」


 老人はそう言いながら、参加の受付場を指差した。


 会場には『初心者部門』『中級者部門』『上級者部門』『名人部門』の4つの看板が立て掛けられていた。


 来崎は流れるがままに老人に参加券のようなものを渡されると、そそくさと俺の元へと駆けよってくる。


「真才先輩……」

「いいよ、俺が払うから行ってきな」

「い、いいんですか?」

「もちろん、後ろで見ててあげるよ」


 そういうと、来崎は一気に明るい顔になって頭を下げた。


「ありがとうございます! 絶対優勝してきます!」

「そんな本番みたいな……リラックスだよ、リラックス」

「はい!」


 来崎は再び老人の方へ向かうと、俺から受け取ったお金と参加表を渡した。


「えっと……じゃあ名人部門でお願いします!」

「え?」

「え?」


 老人と来崎が顔を見合わせる。


「お、お嬢ちゃん、名人部門っていうのはねぇ……何十年も将棋の経験を培った『有段者ゆうだんしゃ』がごろごろいるようなところだよ? お嬢ちゃんにはさすがに無理だよ」


 老人は来崎を将棋初心者だと思っている。


 無理もない。来崎の名は大会に参加するような猛者だけが知っているレベルだ。市内で行われるお祭りのような大会では来崎を知らない者の方が多いだろう。


 それに、来崎はつい最近頭角を現した将棋指しだ。天竜のように長く王座に君臨し続けたわけじゃない。


 だが、来崎はにこやかに微笑むと、老人に向かって事実を告げた。


「大丈夫です、私一応『高段者こうだんしゃ』なので」


 よくあるのが1級までを級位者、初段から四段までを有段者と呼ぶのが通説だ。


 だが、来崎は高段者。つまりは有段者の上、五段以上の実力を持っているということになる。


 当然だ。彼女は将棋戦争で"七段"なのだから。


「こ、高段者? あはははっ、そうかい、そうかい。それじゃあ名人部門にエントリーするよ? 負けても泣いちゃあダメだからね?」

「はい」


 老人は諦めた顔で来崎を会場に通す。


「最近の若者は自信過剰だなぁ…」


 どうせ、一度は痛い目を見ないと分からない若者だと思っているのだろう。


 だが、来崎は痛い目どころか地獄のような苦痛を何度も体験している。修羅を潜り抜けた将棋指しだ。


 さぁて、思わぬ機会に恵まれたわけだが……これ、来崎のリハビリになるかな。







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