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第百二十六話 勝利を手にしたのは

 互いの持ち時間が消え、秒読みの勝負に突入する。


 自滅流の原点にして頂点。ネット将棋界に突如として現れ、ただの一度も破られなかったその戦術の名は『絶無指し』。


 かつての覇を食い散らかしたその戦術が、耀龍ようりゅうの輝きと共に走駆する。


「なんなんだ、この将棋は……」


 盤上にある、真才の持つ全ての駒達が襲い掛る。


 王様自らによる顔面受け──いいや、顔面攻めである。


「王様自ら攻めるとか正気かよ……!」

「取られたら即負けなんだぞ……!」


 そんな常識、この男に通用するわけがなかった。


 命を刃に、つかを口に。四肢が折れた帝王の逆襲は、楽園を目指す女王の首元へと容赦なく噛みつく。


 ──将棋における王様は、最強の駒のひとつである。


 取られたら負けという性質上、それが攻めに参加することはない。常に多くの者達に守られ、いざとなったら逃げだすのが役目である。


 しかし、真才は違った。


 最強の駒であるならば、攻めに使ってやればいい。


 たとえ危険にさらされるとしても、守らなければならないとしても。


 ──最後まで取られなければ、どうということはない。


「はぁっ、はぁっ……まだ、まだですっ!」


 滴る汗をぬぐいもせず、来崎は攻勢と守勢を交互に繰り返しながら真才の思考を翻弄する。


「ふぅ──ッ!」


 対する真才は高鳴る心臓を無理やり抑えつけて、冷静な思考をなんとか維持しながら来崎の攻撃をかいくぐる。


 二人の思考は極限に到達していた。


 もはやそれは、相手を王様を詰ますなどという生温い話ではない。


 詰みが見えたその瞬間、互いに決着がついたも同然になる。


『この世界で勝ちを確信していいのは、相手の詰み筋が見えた時だけだ』


「……ッ!」


 真才の言葉が再び来崎の脳裏を過ぎる。


 そう、詰みが見えた瞬間にその勝負は決まる。詰ます詰まさないの次元の話ではない、そこまで行くことはなく、詰みが見えた瞬間に勝負は決まってしまうのだ。


 二人の先読みは常人の域を超えている。それはもはやゴールを決める必要すらない。


(ほんのひと欠片でも詰み筋が見えたら、真才先輩は絶対に読み切ってくる……!)


 来崎は、その恐ろしさを知っていた。


 ──自滅帝には逸話がある。


 それは、これまでの戦いで一度も詰み筋を逃したことがないということ。


 終盤における真才の読みの正確性はAIと同レベル。つまり最後の"寄せ"である詰将棋に関しては並ぶ者がいない、史上最強レベルである。


 評価値9999点。……一度でもその局面になってしまったら、真才の勝利は絶対に揺るがない。


 ──その名の通り、必勝となる。


(これは表面上、来崎の成長を目的とした戦いだった。彼女の成長を促し、今後の戦いについてこれるように強くする。……それにこの戦いは多くの者達の目に晒されているはずだ。そこも含めて、に必要分の情報だけ与えて終わらせるつもりだった)


 強固なガラスを両断するように、つんざく一手が真才から放たれる。


(真才先輩はきっと、私の成長に期待していた。限界を超えて、殻を破って、そうして強くなる私を引き連れて全国に挑む。……真才先輩はいつだって先のことばかり見据えていたから、この勝負にもそういった意味があるのだと思って、心のどこかでブレーキを掛けていた)


 周りから包囲し、一気に爆縮ばくしゅくするような一手が来崎から放たれる。


(でも、試してみたくなった)

(でも、貴方がその枷《かせ》を外してくれた)


 相対する二人は、笑って盤上を見下ろす。


 ──それでいい。そう言わんばかりの己のリミッターが外される。


(余計なことを考えるのはもうやめた。今はただ純粋にこの勝負を楽しみたい、まだ成長できる高みがあることを知りたい)

(私はまだ成長できるんだって、まだ自分に可能性が残ってるんだって。……そうして、この何もない真っ白な景色の先が見たい)


 多くは望まない。


 ただ今は、誰にも邪魔されることなく、誰にもけがされることなく、ただ純粋にこの勝負を楽しみたい。


 そして、その先にある結末へと駆け抜けたい。


 恐怖、興奮、期待、希望、夢、想い、そのすべてを通り越して──。


(そう、俺は──)

(そう、私は──)


 両者の王様が向かい合う。1マス差、死の淵一歩手前の両者が、互いの狂気に身をやつしてぶつかり合った。


(ただ、誰よりも強い目の前の相手を超えたいだけだ──!!)

(ただ、誰よりも強い目の前の相手に勝ちたいだけだ──!!)


 詰めろのがれの詰めろ。その詰めろを逃れる必至。その必至を逃れる中合ちゅうあいの受け手。


 常人を超えた戦いを繰り広げる二人に、もはや誰もついていけない。


 ──形勢が乱高下する。



『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪www【十段おめでとう】Part44』


 名無しの99

 :『評価値』先手+3011 自滅帝・勝勢


 名無しの101

 :おしきれえええええええええ!!


 名無しの102

 :いけええええええええええええええ!!!


 名無しの103

 :うおおおおおおおおお二人ともがんばれーーーー!!!!


 名無しの104

 :『評価値』先手+3263 自滅帝・勝勢


 名無しの105

 :うああああああああああああああああああああ!!!


 名無しの106

 :9999になったら自滅帝が間違いなく確勝してくるぞ!

  逃げろライカぁあああああ!!!!!!


 名無しの107

 :自滅帝押し切れえええええええええええええ!!!


 名無しの108

 :自滅帝いけええええええええええええええええ!!!


 名無しの109

 :熱い!熱すぎる!!!


 名無しの110

 :二人とも負けるなああああああああああああああ!!!


 名無しの111

 :これがアマチュアの戦いってマジ?



『将棋配信者ライカの応援スレPart15』


 名無しの902

 :『評価値』先手+3555 自滅帝・勝勢


 名無しの903

 :ライカ耐えろおおおおおおおおおおおおお!!!


 名無しの904

 :アカン


 名無しの905

 :いいいいいいいやああああああああああああああああああ


 名無しの906

 :耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ耐えろ


 名無しの907

 :『評価値』先手+4288 自滅帝・勝勢


 名無しの908

 :ひいいいいいいい!?


 名無しの909

 :これが本気になった自滅帝……


 名無しの910

 :ライカ逃げてええええええええええ!!!


 名無しの911

 :『評価値』先手+3901 自滅帝・勝勢


 名無しの912

 :戻した!!


 名無しの913

 :よしよし!!


 名無しの914

 :このまま耐えろ!!


 名無しの915

 :ライカ頼む勝ってくれ、夢見せてくれ


 名無しの916

 :『評価値』先手+4429 自滅帝・勝勢


 名無しの917

 :ああああああああああああああああ!!!


 名無しの918

 :バケモンすぎる


 名無しの919

 :でもまだ4000、カンストまでまだ半分くらい余裕ある!


 名無しの920

 :>>919 ばかやろう、5000超えたら9999まで一直線だぞ


 名無しの921

 :マジ!?


 名無しの922

 :『評価値』先手+4579 自滅帝・勝勢


 名無しの923

 :ひっ


 名無しの924

 :aaaaaaaaaaaaaaaa!!?!???!?!?!


 名無しの925

 :ぎゃああああああああああああああ


 名無しの926

 :これもう入玉宣言法させるかどうかより自滅帝が詰ましにかかってるやん……


 名無しの927

 :こええええええええええええwww


 名無しの928

 :耐えろ耐えろ頼むうううううう!!!!



 誰もが両者の勝者を願い、誰もが両者の敗北を望まない戦い。


 ここまで熱く、燃えがらせてくれたものだからこそ、終わりを迎えたくない。


 しかし、そんなことはあり得ない。


 将棋は二人零和有限確定完全情報ふたりぜろわゆうげんかくていかんぜんじょうほうゲーム。


 全ての情報が両者に開示され、利害が対立し、運の要素が無く、必ず有限の手番で勝負が終わる。


 そう、この勝負は必ず決着する。引き分けは無い。


 だからこそ、二人とも本気で戦っているのである。


「……親父、見えるか?」


 魁人の言葉に、玄水は乾いた笑いを見せる。


「……見えるわけなかろう。もはやこれは、二人だけの世界じゃよ」


 誰にも読めない先を行く二人の戦いは、もはやひとつの思考の世界を作り出していた。


 詰むか、詰まないか、逃げるか、捕まえるか。それとも宣言法の条件を満たすのか、それ以外の反則が行われるのか。


 分からない、誰にも分らない。戦いの果てにある真意が遠すぎて、誰かが予想出来る範疇を超えている。


 しかし、決着はつく。それだけは分かる──。


 真才と来崎、二人の攻防は先の先で斬り合い続ける。


 飛び散る血飛沫をものともせず、心臓を潰されても動き続け、魂の躍動が止まるまで極限の攻撃が飛び交い続ける。


 途中から、二人とも体力が尽きていた。ゾーンも覚醒も切れていた。


 しかし、空っぽになった器ですら気合で満たして動き続ける。フラフラになった思考を叩き直して無理やり動かす。


 正しい成長とは、常に己の限界を超えた果てにしか存在しない。


 たかが将棋、されど将棋。二人は将棋を通じてこの対局に自身の命すら天秤にかけている。


 だって将棋が好きだから──。


 だって将棋しか取り柄がないから──。


 結末はふたつにひとつ。明暗は分かれる。勝敗は決まる。



 そして、その時は訪れた──。



『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪www【十段おめでとう】Part44』


 名無しの138

 :『評価値』先手+9999 自滅帝・必勝


 名無しの139

 :あ


 名無しの140

 :あっ


 名無しの141

 :あっ!?


 名無しの142

 :あ、あ!?


 名無しの143

 :ああああああああああああああああああああああ!!


 名無しの144

 :ぎゃあああああああああああああああああああああ!


 名無しの145

 :きちゃああああああああああああああああああああああああ


 名無しの146

 :必勝きたああああああああああああwwwww


 名無しの147

 :きたああああああああああああああああああああ!!!!!


 名無しの148

 :詰んだあああああああああああああああああああああwwww


 名無しの149

 :詰みキタコレ!!!www


 名無しの150

 :うあああああああああああああああああああああああああああ


 名無しの151

 :女王にトドメをさせええええええええええええええええ!!!


 名無しの152

 :いけえええええええええええええええ!!!!!!!!


 名無しの153

 :あああああああああライカああああああああああああああああ!!!!



 ──来崎の王様は詰んでいた。


 それは、赤利や玄水、そして西ヶ崎高校の面々ですら直感で分かるほどの詰みである。



 実戦21手詰──ついに二人の戦いに決着がついた。




 つまり、勝敗は──。




「……あーあ、やっちゃった」


 真才は苦笑いを浮かべて頭を掻いた。


 来崎に敗北の烙印を押す詰めろの一手、王手の連続。これで宣言も適用されない。


 そんな状態にあった真才は、その手を指した後、そのまま頭を下げた。


「負けました」

「えっ……?」


 何が起こったのかと一瞬瞠目する観戦者達。


 しかし、二人の盤面から目を離すと、おのずと答えが見えた──。


 対局時計に目を向けると、真才の持ち時間に『end』の文字が表示されていたのだ。


 ──時間切れである。


 真才は残り1秒というギリギリの状態で手を指してしまい、すかさずボタンを押した瞬間には0秒となってしまっていた。


 そう、つまり。──来崎の勝利である。


「マジ、か……」


 環多流が絶句して言葉を漏らす。


「わ、わたしが……真才先輩に……自滅帝に……」


 震える手を見つめながら、実感の湧かない顔を浮かべる来崎。


 途中で何度も挫けそうになった。何度も投了しようと思っていた。


 しかし、来崎は最後まで諦めなかった。諦めなかったのである。


「……まぁ、一言伝えるのに随分と遠回りしちゃったけど、そういうことだよ」

「え……?」


 顔を上げる来崎に、真才は疲労困憊した表情で照れくさそうに告げた。


「──諦めなければ、勝っただろ?」


 そう、それはあのとき──南地区との戦いで諦めて投了してしまった来崎への、真才からのアンサーだった。


「……真才、先輩……」


 真才は来崎の素質を見抜いていた。出会う前から、ずっと前から。


 しかし、来崎は最後の最後で負けることが多かった。それは無意識に諦めてしまう本人ですら自覚できなかった癖だった。


 だから、真才は伝えたかった。ただの言葉ではなく、身をもった体験として──。


 ──どんな状況であろうとも、最後まで諦めなければ、来崎夏は最強であると。


「……す、すげえええええっ!!!」


 沈黙した空気を切り裂いたのは、自滅帝のファンとして来ていた観戦者のひとりだった。


 それに次いで他の者達も一斉に湧き上がる。


「なぁ見たかよ最後の攻防!! あんなのプロも超えてただろ!!」

「これがアマチュア同士の戦いかよ! 県大会出てた俺達の立つ瀬がないぜ!」

「マジで眼福だった……こんなのタダで見れていいのか……!?」

「こんなの見せられたら疼きが止まらないなー! おいメアリー、さっそく赤利と指すのだー!」

「いや、まだ表彰式すら終わってないんだケド……」

「ふむ、魁人よ。少しは勉強になったじゃろう?」

「凄すぎて勉強にならねぇよ。……でもまぁ、気合は入った。な? 凪咲」

「……はいっ。二人の将棋を見て、私もまだ負けてられないと思いました!」

「ヒューーっ!! この棋譜は永久保存確定だ! イイもの見させてもらったぜ!」

「二人ともすごかったぞ!! 本当にお疲れさま!!」


 祝福と歓喜、そして拍手の嵐に飲まれながら、誰もが二人の戦いに称賛をおくる。


 それは嫉妬も憎悪もない、心からの拍手である。


 来崎はそんな大勢の拍手に包まれながら、屈託のない笑顔を浮かべて頭を下げたのだった。


「ありがとうございましたっ……!」



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