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第百二十四話 憧れは好敵手へ

 いつまで経っても脱出できないスランプ。将棋を指していく意味すら見失って冷めていく熱意。


 このときの私は絶望にさいなまれていた。


 もしこのまま孤独に延々と悩み続けていたら、私は将棋をやめていたかもしれない。


 でも、それは唐突に姿を現した。



『【ヤバい】自滅帝とかいう正体不明のアマ強豪wwwPart4』


 zimetu119

 :休憩がてら見物


 名無しの120

 :>>119 偽物


 名無しの121

 :>>119 偽物乙


 名無しの122

 :>>119 名前付けただけで本人だと思わせるとかキッズかよ


 名無しの123

 :>>119 どうせ偽物やろ



「……!」


 ──『zimetu』という名前と共に突然書き込まれたそのコメントに、私の死んでいた目が僅かに動く。


 しかし、周りの反応は冷めたものだった。


 ここは匿名掲示板。いくら名前を付けようとも本人だと確定することはない。


 しかし、自滅帝は慣れた展開と言わんばかりにそのコメントを投下した。



 zimetu124

 :20時ちょうどに切れ負けの部屋入る


 名無しの125

 :>>124 え?


 名無しの126

 :>>124 はい証明完了


 名無しの127

 :>>124 いつもお疲れ


 名無しの128

 :>>124 つっよw


 名無しの129

 :>>124 手慣れてて草


 名無しの130

 :>>124 マジで本物かよ


 名無しの131

 :偽物扱いしてた奴らもういなくなってるやんw



 これまでも同じことが複数回あったのか、それともこうなることを事前に理解した上で書き込んだのか。


 どちらにしろ、自滅帝の対応力は優れていた。


 指定の時間に将棋戦争をプレイすることで、すぐに本人であることを証明。匿名という場でありながら、彼は周りからの信頼を一瞬で勝ち取った。


 そして宣言通り、自滅帝は切れ負けの部屋に入るとあっという間に決着を付けた。



 名無しの132

 :勝利おめ


 名無しの133

 :はっや、5分も掛かってないやん


 名無しの134

 :勝ち方キモすんぎ



 誰もが彼のことを自滅帝本人であると確信した。


 そして、自滅帝が掲示板に降臨したことを理解した多くの者達は、こぞって彼に質問を投げかけた。



 名無しの135

 :帝ちゃん今日何食べた?


 名無しの136

 :年齢教えて


 名無しの137

 :中身は本当はプロなんでしょ?


 名無しの138

 :強くなる秘訣とかある?



 自滅帝によせられた質問の内容は、私にとってどれも興味のないものばかりだった。


 そもそもこのときの私は強者に対して良い印象を抱いていない。


 強者はいつも大志を掲げる。


 誰かを超える存在になろうとしたり、誰かを追い抜こうと闘争心を燃やしたり。


 だから、それを持たない者は弱者として見られる。そうやって見てくる。


 どうせこの人も同じだ。──そう思っていた。



 名無しの139

 :純粋な疑問なんだけど、自滅帝はなんで毎日将棋戦争に入り浸って何十局も指してんの?無双するの楽しいから?


 zimetu140

 :>>139 いや、好きだから指してるだけ



「えっ……」


 思わず声が出た。


 それまでモノクロで染まっていた画面に色彩が浮かぶ。



 名無しの141

 :>>140 分かりやすくていいねw


 名無しの142

 :>>140 いくら好きでもあんだけ戦ってたら飽きるくね?夢とかないの?


 zimetu143

 :>>142 特には


 名無しの144

 :うわーなんか嫌味、こんだけ強くて夢ないんかよ


 名無しの145

 :宝の持ち腐れっつーか、好きだから将棋指してるって安直すぎるっていうか


 名無しの146

 :アンタくらい強い奴らはみんな人生懸けてプロ目指してるのに、自分はネット将棋で無双してばっかで申し訳ないとか思わないんか?


 zimetu147

 :好きなことをやるのにいちいち理由とかいる?



 周りから浴びせられる非難に、自滅帝は堂々とその言葉をぶつけた。


 まるでそれが当然だと、不自然なのはお前達の方だと。


 それは、強者の吐くセリフではない。


 ──強者をねじ伏せる側の吐く言葉だった。



 zimetu148

 :大体、将棋を指すことに夢や意味、理由を持たなきゃいけないなんて、ちょっと考え方が卑屈すぎると思う


 名無しの149

 :>>148 それはそう


 名無しの150

 :>>148 正論や


 名無しの151

 :>>148 その通り


 名無しの152

 :>>148 お前の勝ち


 名無しの153

 :好きだから指すって至極真っ当だしな、むしろそこに理由を添えなきゃならないなんて誰が決めたんだって話



 なぜだか、彼の言葉は私の胸に強く刺さった。


 別に重ねているわけでもないのに、境遇だって違うのに、どこか自分のことのように思えてしまって。


 ──将棋が好きだと思いたかった。将棋が好きな自分で在りたかった。


 だから、気付いたときには手が動いてしまっていた。



 名無しの154

 :横から突然失礼します。キモかったら無視して構いません。

  私は将棋が好きじゃないです。嫌いでもないです。

  でも将棋しか取り柄がないので惰性で将棋を指しています。

  先日、将棋を指す理由を訊かれたときに、将棋しか取り柄がないからと答えてしまいました。

  こんなていたらくな考え方では、いつまで経っても強くなれないのでしょうか?

  もしよかったらアドバイスお願いします。



 溢れ出した感情を抑えきれなくなって、訊くなら今しかないと思って。


 だから、私は思わずそんな長文を掲示板に書き込んでいた。


 どうせ答えてくれるわけもないのに、一縷いちるの希望に縋って。


 ──数分後、自滅帝が書き込んだ。



 zimetu160

 :>>154 俺は将棋が好きだから将棋を指す

  君は将棋しか取り柄がないから将棋を指す

  そこに何も違いはないし、理由も必要ない、考え方もクソもないよ

  指している『事実』がすべてでしょ


  あと、それだけ悩んでこんなところに書き込んでいる時点で君は将棋が好きだと思うよ

  多分ね



「あ、ああ……っ……」


 スマホを握っていた手が思わず震え出す。


 ──それは、誰かに言って欲しかった言葉だった。


 孤独な戦いで、誰も味方がいなくて、それでも努力を続けることに終わりが見えなくて。


 夢も無くて、希望も無くて、将棋を指す意味だって持っていない。


 くじけそうだった。諦めそうだった。


 確固たる目標を持っていないと、誰にも負けない夢を抱いていないと、そうしないと強くはなれないと思っていたから。


 ──でも、その人は言ってくれた。


 そこに理由なんて必要ないと、指している『事実』が大事なのだと。


 それは、ただ愚直に努力だけを積み重ねてきた私の歩みを肯定してくれたようなものだった。


 ──憧れた。尊敬した。誰よりも眩しい憧憬を抱いた瞬間だった。


 だって、液晶に反射するその瞳は、こんなにも輝いていたのだから。


 ※


 攻守逆転の崩落した盤上。


 自滅流は通され、形勢が意味を成さない状態に突入する終盤戦。


「……私は、貴方のおかげでここまでこれたんです」


 もう、どうにもならない盤上を見つめながら、私は小さくそう呟いた。


「貴方に憧れて、貴方に追いつきたくて、惰性で将棋を指してきました」


 対局時計の残り時間を一瞥しながら、私はどこか嬉しそうに手を指す。


「来崎の王様が……」

「上がった……?」

「これって……」


 同時に、周りがざわめきだした。


 その手を受けた真才先輩は、表情は見えないながらもその口元は笑っていた。


 そして、迷うことなくその手に応じた。


「──でも、それはもうやめます」


 死闘への入口、その地獄を切り開く。


 真才先輩は自滅流を通して入玉を狙っている。


 一度入玉すれば、どれだけ私が優勢でも、真才先輩の王様を詰ますことはもう二度とできなくなる。


 だからといって、私に入玉を目指すだけの体力は残っていない。


 入玉は思考を倍以上に必要とする戦い。体力の消耗が激しい。例え万全の状態であっても自ら望んで入玉をしたいとは思わない。


 もう限界はとうに超えている。これ以上はない。これ以上はもうどうやっても集中力が続かない。


 こんな状態でもゾーンに入っているのが"奇跡"なのに、これ以上なんて高望みにもほどがある。


 ──でも、そんな甘い考え方じゃいつまで経っても自分は倒せないと、真才先輩はきっとそう言うんですよね。


 だから、決めたんです。


 貴方の思考を超えるには、私が絶対に取らない行動を取ることだと。


 ……いや、その考えすら読まれているかもしれない。


 でも、貴方に勝つにはこれしかない。


「来崎が、入玉を狙っているのか……?」

「おいおいおい……」

「冗談だろ……? これは大会じゃないんだぞ……」

「見てるこっちが頭痛くなってきた……」


 入玉戦を仕掛けようとする真才先輩に対し、私も入玉戦を仕掛けようと王様を前に繰り出す。


 ──相入玉戦あいにゅうぎょくせん。地獄の中の地獄。


 互いに精神も体力も摩耗している状態で、私は最も思考をすり減らすであろう戦いを自ら始めた。


「貴方から貰った希望を返しに来ました」


 かつて抱いた憧れは好敵手ライバルへ。超えられなかった壁に背を向ける時間は終わった。


「真才先輩……いえ、自滅帝──。私は、貴方を超える」


 刹那、髪の隙間から狂気を滲ませた笑顔が垣間見えた。


 誰よりも将棋を楽しんでいる。きっとあの頃から何も変わっていない、それほど将棋が好きなんだろう。


 でも、私は将棋しか取り柄がないから、貴方のように純粋な気持ちで将棋を愛することはできない。


 でも、その表情に釣られて、どこか楽しくなってしまったから。


 ──だから私も思わず、笑ってしまった。





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