休憩室の扉を開けて中に入る。
そこで見えたのは、異様な空気感を醸し出してる来崎と、それに気まずそうにしている武林先輩の顔。
第一声、そんな来崎を見て反応したのは東城だった。
「ちょっ、来崎……アンタ殺気が駄々洩れじゃない」
「うわっびっくりした……っす。何かあったんすか? 部長なんかやっちゃいました?」
ただ一点を見つめながら凄い殺気のようなものを放ち続けている来崎に、後続で入ってきた葵や佐久間兄弟までもが驚いてしまう。
「う、うむ……来崎君が休憩室に来てからずっとこんな感じでピリピリしていてな。オレが何かしてしまったんだろうかと声を掛けたのだが全く反応がなく……その、すごい不安だったぞ……」
武林先輩を怯えさせるって相当だな……。
「それで? このピリ
いやピリ崎って……。
「まぁ、大体は俺のせいかな……。この後一局指す約束をしていたから」
「えっ、この後って今すぐ……? 正気?」
「うん。──おーい、来崎ー、来崎ー!」
「……はっ!」
来崎はまるで夢から覚めたかのようにハッとしてこちらに視線を向ける。
そして、目の前にいた俺達を認識すると、途端に慌て始めた。
「わわっ! 真才先輩、来てたんですか!」
「いや、うん。まずは横にいる部長に気づいてあげて……」
すると来崎は疑問符を浮かべて横を向いた。
「わっ!? 部長!? いつの間にいたんですか! 驚かさないでくださいよ!」
「最初からいたぞ……むしろ来崎君が後から入ってきたんだぞ……部長かなしい」
どんだけ影薄いんだ武林先輩……。
「……それで、本当にこれから来崎と戦うの? 感想戦じゃなくて?」
「うん、真剣勝負」
「にゃはは~、二人とも体力オバケっすね~!」
葵のいつもの茶化しに、俺は真剣な声色を乗せて答える。
「いや、体力はもうないよ。俺も、多分来崎も」
「え……?」
来崎もコクリと頷いて席を立つ。
「将棋盤を持ってきます」
「待って、ここでやるつもり?」
「そうですけど……?」
「少し狭いんじゃないかしら……」
確かにここだと少し狭いな。かといって表彰式の準備をしている会場の中でするわけにもいかないし、別室とかあればいいんだが。
そうして悩んでいる内に、俺はふと他にもやってもらいたいことがあったのを思い出した。
「あぁ、そうだ。棋譜取りお願いしたいんだけど、東城さんとかできるかな?」
「アタシ!? 棋譜取りを? ムリよムリ! 棋譜読むのだってそんな得意じゃないんだから……!」
やはり東城では難しいか。大会中は棋譜取りの係がいるおかげで気にしなくて済んだけど、この場は大会じゃないからなぁ……。
普段なら自分の指した手は全部覚えてるけど、この後の戦いはきっとそんなことをする余裕もなくなるくらい激しくなりそうだし、できれば棋譜を取る記録係が欲しい所なんだが……。
そう思って俺は葵に視線を向ける。
「ふぇっ? アオイっすか!? い、いやぁ……確かにアオイは棋譜取れるっすけど、二人の戦いはさすがに遠慮願いたい……というかついていける気がしないっす」
ダメか……。佐久間兄弟は──。
「俺達は疲れてるから無理だ」
視線を向ける前に断られてしまった。
うーん、残るは……。
「……オレか? 無理に決まってるだろう! ハハハハッ!」
こっちもダメか。
──うん、全滅じゃねぇか!
まぁ、対局するだけなら駒と盤さえあればいいんだけど、なんか味気ないというか、もったいない。
それに、この棋譜は一応残しておきたい理由もあるんだよな……。
「──ちょっといいか?」
すると、休憩室の扉の隙間から一人の男が覗くようにこちらを見ていた。
周りが一斉に驚き、扉の方に視線を向ける。
一瞬誰かと思ったが、その男には見覚えがあった。
「……
そう呟いたのは、かつて彼と対戦したことのある隼人だった。
そしてその後ろには、
二人とも、かつて西地区の地区大会決勝戦で戦った『チームフナっこ』のメンバーだった。
「俺達で良ければ棋譜取りをしてやってもいいぞ? 西地区のよしみだ」
唐突に現れて手を貸すと告げる聖夜に、魁人が怪訝な視線を向ける。
「……何が目的だ?」
「目的なんて無いわよ。まぁ、強いて言うなら、そこの子に少し興味が湧いただけ」
そう言って、聖夜の後ろから扉を開けた麗奈が来崎の方に視線を向ける。
「アンタ、素質があるわよ」
「……私が、ですか……?」
「ええ、アンタには──」
そこまで言いかけた麗奈は、俺の方を一瞥するとすぐに視線を落とした。
「いえ、なんでもないわ」
「……?」
一瞬神妙な空気が漂ったが、聖夜がそれを切り裂く。
「まぁ、決勝戦、あれだけいい試合を見せてもらった礼とでも受け取ればいい。……どうする?」
「……じゃあ、お願いしようかな」
俺としては断る理由がなかったため、聖夜の好意を甘んじて受け入れた。
さて、後は場所だが──。
「話は聞かせてもらいましたっ!!」
今度は扉を蹴破るような勢いで何者かが休憩室に飛び込んでくる。
「いでっ!」
さっきまで結構格好良さそうに登場していた聖夜の背中を突き飛ばして中に入ったきたのは、会社員のような恰好をした女性だった。
「うへぇ……」
「……誰?」
困惑する面々の中、聖夜の上に被さって倒れていた女性はハッとして起き上がり、俺の前まで迫ってくる。
「あ、あのっ! わ、わたくし自滅帝のファンでして……! あっいえ、わたくしの趣味なんてどうでもいいですよね! まずは優勝おめでとうございます! じめつ……渡辺真才様! ……じゃなくて西地区の皆様っ!」
「う、うん。ありがとう……」
「……何? 大丈夫なのこの人?」
「なんか凄い人がきたっすね……」
何このアクティブ全開な女性は……会話するだけで陰キャな俺の心が抉られていくんだが……。
「っと、申し遅れました! わたくし西地区在住の
観戦記者……俺達の棋譜を世に届けてくれる人か。
そういえばこの人、大会のときにずっと近くにいた気がするな。観戦者に混ざっていつも凄い鬼気迫った顔つきでタブレット操作してたから何かと思ってたけど、そんなことをしていたのか。
「今回の大会は実に素晴らしいものでした! 圧倒的な棋力でねじ伏せる王者凱旋道場に対し、それをさらに上から押しつぶしていくチャレンジャー西ヶ崎高校! 小動物が猛獣を狩るかのような高揚と衝撃! 西地区の新たな革命期を垣間見たような気がします! 特にっ! 大将戦と副将戦は見ている側もドキドキワクワクで燃え上がるような熱い試合でしたっ!!」
物凄い剣幕で興奮気味にそう伝えてくる水原と名乗る女性。
そこまで喜んでくれるのは素直に嬉しいけど、顔に凄い唾が飛んできてる。
「そしてッ、そんな大活躍した二人が真っ向から戦う真剣勝負! それも疲弊した状態からのバトルッ! 全力全開、手加減無しの戦いがこれから行われるというのは本当ですかっ!?」
「は、はい……本当です」
俺は近くにあったティッシュで顔を拭きつつ、冷静に返事をする。
「なんとっ!! であればぜひ、ぜェひ!! わたくしに今回の試合の観戦記を! いえ、せめてリアルタイムで世にお届けすることだけでも許可していただけないでしょうかっ!!」
直角で勢いよく頭を下げる水原さんに、俺は少しばかり思案する。
──これはある意味、棚から牡丹餅かもしれない。
「まぁ、別に構いませんけど……」
「うひゃーーッ!! ありがとうございますっ!!」
「大丈夫かこの人……」
水原さんの狂人具合に、思わず白い目で見る佐久間兄弟。
しかし、彼女が割って入ってきたことでようやくまともな準備が整った。
「ここでは狭いので3階にある広々とした別室に移動しましょう! あっ、ギャラリーの封鎖はどうしましょうか? この事を公開すると自滅帝目的でやってきた観戦者たちがこぞって戻ってくると思いますが……!」
「別に好きにしていいですよ。公式の対局じゃありませんし」
「分かりました!」
こうして俺達は3階の別室へと移動し、俺と来崎の一騎打ちの対局を行うためのセッティングが完了した。
棋譜取りの記録係は聖夜と麗奈に、大まかな審判は武林先輩に、そしてその棋譜をリアルタイムで発信するのは水原さんに。
──これで準備は整った。
「なんだなんだ?」
「おい、聞いたか? 西地区の大将と副将がガチで戦うっぽいぞ……!」
「あの凱旋道場のエース二人を破った奴らがか!?」
「表彰式までまだ1時間以上あるよな、見に行かねーか……!?」
水原さんを含めた何人かの取材陣が団体で3階に移動したことで、何事かと観戦者たちが追従してくる。
「はぁ、もうワタシ帰りたいんだけド……」
「いいからついてくるのだー! ついてこないとぶちころすのだー!」
「アカリ……やっぱりワタシが負けたこと怒ってる?」
中央地区も階段を上って3階を目指す。
「ほほう……面白そうじゃのう、いくぞ、魁人よ」
「マジかよ、もう頭痛いんだけど」
「これも成長に繋がる」
「分かったよ、親父。ほら、凪咲もいくぞ」
「はい……」
その後ろを南地区も追いかける。
「ほぉ? これから全国が待ってるってのに、あえて自分から情報を拡散すんのか。思ったより考えて行動してやがるな。──おい、さっさとついてこい。環多流」
「うるせぇよ、龍牙……なんで俺なんかに構うんだよ」
「何ヘラってんだ? テメェのおかれた状況はテメェ自身の不手際だろうが。また元の場所に戻りてぇなら必死こいて学べ」
「……」
北地区、そして東地区の面々も階段を上がっていく。
気づけば大所帯となった3階の別室、会場までとはいかずとも、相当な人数が集まっていた。
「──じゃあ、始めるか」
「──はい」
決勝が終わったからこその魅力ある戦い。本当の限界が垣間見える戦いに、多くの者が惹かれる。
そんな中で中央に座った二人は、互いに顔を見合わせる。
渡辺真才と来崎夏。雌雄を決する戦いが、今始まった──。
「「お願いします」」
一方その頃──。
「……あれ、誰もいない……」
表彰式までもう少し待ってもらうようにマイクを手に取った立花は、殺風景となった会場で一人寂しくそう呟くのだった。