目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報
第百九話 最善手≦最善手

 絶対に打ち破れない壁、青薔薇に次ぐ無敗の障壁。


 メアリー・シャロンの最たる特性は、そのあまりにも特出したAI一致率にある。


 彼女の持つ感性は天性の勘から生み出される最善の構想であり、希望的観測を排除した機械的な判断を瞬時に下すことができる。


 いわば指し手の私情を別個として考えられる才能、人間にとって指しにくい局面を選択できる才能があった。


 それは将棋において"神からのギフト"を貰っているに等しい。


 どんなに先を読むことのできる先人の鬼才たちであっても、AIの一致率はそこまで高くなかった。深くまで手を読めることと、正解の手を見つけることは全くの別分野だからである。


 メアリーは後者に特化していた。正解を見つけ出せる才能があった。


 だから多くの者は、彼女を前に顔を歪ませこうべを垂れるしかなかった。


 ──そんな不動のパワーバランスが、均衡が、崩壊する。


(……なに、この違和感……?)


 メアリーは怪訝になっていた。


 決着が程遠くなる難局の盤面。大長考してからノータイム指しを始める来崎。そして、そんな勢いを取り戻した来崎の手を受けても大して変わっていない形勢。


 全てがメアリーにとって違和感を与える。



『将棋配信者ライカの応援スレPart13』


 名無しの601

 :『評価値』後手+346 来崎夏・有利


 名無しの602

 :エグいって……


 名無しの603

 :なにこれ……


 名無しの604

 :こっわ……



 あれだけ勝勢だったメアリーの形勢が地に落ち、振り出しに戻っている。


 それを可能にしたのは、ただの指運でも、ましてやメアリーのミスでもない。ただ真っ当にメアリーの上を行こうとする来崎自身の先読みである。


 しかし、その事実を知る者は限られている。


「……何なのよ」


 メアリーの表情が歪む。早指ししていた手が止まる。


 来崎の大駒を全て奪い取り、圧倒的な駒得を活かし、逃げ道も豊富に用意されている王様。


 間違いなく勝勢、低く見積もっても優勢はある局面で、来崎は勝利への執念を保ちながら指し続けている。


 メアリーの眼には、来崎が延命行為をおこなっているようにしかみえなかった。



『将棋配信者ライカの応援スレPart13』


 名無しの605

 :『評価値』後手+381 来崎夏・有利


 名無しの606

 :メアリーもしかして形勢逆転されてることに気づいてない?


 名無しの607

 :こんなスーッと形勢入れ替わっていくの気付けるわけないやろ


 名無しの608

 :てか普通に局面みてメアリーが優勢だと思ってるんだけど、ワイの眼がおかしいんか?


 名無しの609

 :いや、俺もメアリーの方が優勢にみえる


 名無しの610

 :逆にライカには何が見えてるんだよ……



 難解な局面であっても冷静さを怠らずに考える。相手の罠に嵌らないよう、しっかりと見極めてから読みを入れる。


 メアリーの思考は常に完璧。……なのに、何かの辻褄が合わない、合っていない気がしてしまう。


 それがどうしようもなく気持ち悪かった。


(最善手を指しているはずなのに、勝ちまでの道のりが遠くなっている気がする……)


 持ち時間は大差。駒の損得も大差。互いに攻撃されてはいるものの、王様がすぐに捕まるような状態じゃない。


 そんな大差の形勢を感じているメアリーは、どこか腑に落ちない表情で次の手を指す。



『将棋配信者ライカの応援スレPart13』


 名無しの611

 :『評価値』後手+403 来崎夏・有利


 名無しの612

 :おいおい……


 名無しの613

 :もう後手優勢になるぞ……


 名無しの614

 :これ本当にライカが指してるんか?


 名無しの615

 :強い、あまりにも強すぎる。メアリーと同じであれからAI一致率100%だし



 ここまで、メアリーは一度も悪手を指していない。


 致命的なミスも犯さず、相手の罠に嵌ることもなく、高確率で最善手を叩き出している。


(ワタシは間違えていない。間違えるような手は一度も指していない。なのにどうして……!)


 メアリーは手を震わせながら額を抑える。


(……どうして、いつまで経っても玉将《アレ》を寄せられないの!?)


 詰ませそうな状況なのに、なぜか寄せられない局面。もうとっくに終盤に入っているのに終わらない攻防。


 来崎の王様は限界まで追いつめられていた。もう瀕死であることに間違いはない。


 なのに、あと一歩が届かない。



『将棋配信者ライカの応援スレPart13』


 名無しの616

 :『評価値』後手+449 来崎夏・有利


 名無しの617

 :追い詰められているはずなのに形勢良くなっていくの恐怖なんだけど


 名無しの618

 :メアリーのパンチがライカに当たりまくってるのに何故かライカの評価値が上がり続ける……


 名無しの619

 :こわい


 名無しの620

 :何を見せられてるんだ俺達は……


 名無しの621

 :あれからまだ一回もライカの形勢が落ちてないんだが……



 困惑のコメントで溢れかえる掲示板。


 それもそのはず、正確な判断を下せるAIによる評価値と実際に並べられている局面の形勢とで認識のズレが生じている。多くの者が形勢判断を誤っている。


 それは素人目から見るだけではなく、高段者から見ても明らかにメアリーの方が優勢に思えてしまうほどの局面。まるで何かの錯覚に陥っているとしか思えない認識のズレに、掲示板の多くの者達が動揺を隠せない。


 しかし、彼らには"答え"が見えている分、まだマシな方である。


 形勢を知らない者にとって、その違和感は時に絶大な恐怖として感じることもある。


(や、やっぱりおかしいわ……! 手が進むごとに形勢の良し悪しが不透明になってくる、候補手に悪手が混ざり始めてる……!)


 ついに、メアリーの感性が来崎に追いつき始めた。


 どれだけ正解の手を指そうとも、どれだけ最善手を指そうとも、──遥か先を読んだ考究こうきゅうの一手には敵わない。


 1秒で数千を読み解くその思考力は、純粋な評価値を微弱ながら上回る。


「──ナツ、アナタは一体何を指しているの……!?」


 換気のために開けられた窓から入ってくる風が、来崎の隠れた目元の髪を靡かせた。


 そこから見えた華奢な瞳の奥底には、メアリーの全身を震え上がらせるほどの知将の光が宿っている。


「貴女と同じ──最善手ですよ」


 目の前で放たれる常人を超えた一手に、その象徴は露わとなった。



『将棋配信者ライカの応援スレPart13』


 名無しの622

 :『評価値』後手+536 来崎夏・優勢


 名無しの623

 :ついにライカが優勢になった……


 名無しの624

 :(絶句)


 名無しの625

 :評価値の変わり方が怖すぎる


 名無しの626

 :この指し回しなんか自滅帝を思い出すわ


 名無しの627

 :確かに、自滅帝の戦慄させる指し方にどこか似てる……


 名無しの628

 :自滅帝と同じチームって時点である程度予想付いてたけど、これ自滅帝の棋風混ざってねぇか……?





コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?