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第百二話 才能に終止符を

 天は二物を与えず。才能を持つ者は、どこかしらで才能の対価を支払うように欠点が生まれる。


 ボクは、青薔薇赤利は──人並外れた天才だった。


「赤利、その"ボク"って言うのをやめなさい」

「……わ、わたし」

「そう。あなたは女の子なんだから、自分のことを男みたいに言うのはやめなさい」


 自分の一人称を初めて注意されたのは、5歳になった頃の話だった。


 いつものように近場の公園で近所の友達と遊んでいたボクは、周りからよく男の子だと勘違いされていた。


 活発な態度、褐色の肌、そしてボクという一人称。女の子らしい格好をしなければ、誰もボクを女だと認識しなかった。


 特に日焼けしたかのような褐色の肌色は親の遺伝を引き継いでいない。性格も、髪の色も、目の色も、両親の面影はほとんどなかった。


 あるとしたら、将棋に才覚があったことくらいだ。


 まさに突然変異と呼ばれる形で誕生した青薔薇家の娘。それは早くから多くの期待を背に受けることとなる。


「赤利、もっと威厳のある態度を示せ」


 まだ小学生という子供でありながら、将棋の大会で次々と優勝を収めていくボクに、父は喜びながらもそう指摘した。


「……分かった」


 両親の言うことは絶対。そんな青薔薇家の教育方針を生まれた時から刷り込まれていたボクは、苦痛なくその言葉を受け入れる。


 そして、それまで子供らしい態度を取っていたボクの言葉選びは一変。それからはまるで、堅物のように威厳のある口調へと変わっていった。


「赤利、平常時は常に余裕を見せなさい。格下の相手に舐められるように」

「あー……そうだな。分かったのだ~」


 自分の中で解釈がごちゃごちゃになっていくのを感じながらも、両親の言うことだからと素直に聞いてきた。


 だってまだ8歳だ。どれだけ才能が秀でていても、自分の意見など持っていない。


「赤利、女流棋士を目指しなさい」

「おー、目指すのは女流でいいのかー?」

「……プロ棋士もいけるというの?」

「逆に問いたいんだが、どうしていけないと思ったのだー?」

「……」


 10歳になる頃には、段々と物事の理解が進んでくる。


 そうすると、自分に見えている世界が何もかもズレていることに気づき始める。


 天賦として授かった才能はその考えを加速させ、何かに答えを出そうと思案する時間が増えていった。


「赤利、どうしてあんなあっさりと玖水棋士に負けた? 本気を出したのか? 実力だったのか?」

「……」


 振り返って見えた父の表情は、ボクの期待を裏切るように"一般人"としての顔色だった。


 この時点でボクは、青薔薇赤利という存在は、何もかもが手遅れだと感じ始めた。


「赤利、どうして奨励会を受けなかったの?」

「……さぁなー、赤利もよく分からないのだー」


 両親から向けられる怪訝な視線に、ボクは適当にはぐらかした。


 結局のところは、傀儡かいらいだった。


 才能を持って生まれてしまった。才能を持ちながら世に出てしまった。


 だから、才能を活かさなければならない。才能に相応しい人にならなければならない。


 ボクの両親は揃ってボクに期待を押し付けた。青薔薇赤利という人間に、期待を。


 才能に枯渇はない。才能に粉砕はない。偽物の才覚を自称する者達と違って、本物の才能には終わりがなかった。


 ──心のどこかで、叫んでいたのかもしれない。


 誰か、この才能に終止符を打ってくれと。


 青薔薇赤利としての人格が形成される前に、使命を果たすだけの傀儡へと成り果てる前に、誰かがこの怪物を止めて欲しい。


 ──ただ、ボクは……誰かと笑って将棋を指したかった。


 ※


「──宣言します」

「──なっ!?」


 その言葉を聞いて、わたしは思わず声を上げた。


 乱雑に散らばる成駒なりごま、駒台から落ちそうになる持ち駒、そして幾多もの戦線を潜り抜けてきた両者の王様。


 戦いの途中で聞こえたその宣言は、わたしの思考を両断して勝負を強制的に終わらせる。


「失礼します。規定の確認と点数を計算しますので、少々お待ちください」


 そう言って審判は対局時計の確認に入り、近くのスタッフに声を掛けて誰かを呼び始めた。


「……」

「……」


 わたしは頭を抱えたまま蹲り、目の前の対戦相手から視線を逸らす。


 計算はしていない。する余裕がなかった。


 結果がどうなっているかなんて、考えたくもない。


「青薔薇が、負けたのか……?」

「宣言法はひとつでも間違ってたらアウトだぞ、まだ分からない!」


 周囲が騒ぎ始める中、蹲っていたわたしは顔を上げて呆然と天を見上げる。


「…………あー……」


 何も考えられない、理解が追いつかない。


 終わりの瞬間から思考が再開した今も、まだ何もかもが夢の中にいるようだった。


 ──これが、疲労というものなのだろうか。


「……俺が言うべき立場じゃないのかもしれないけど、お疲れさま」


 息を乱しながら、満足したかのような表情でそう声を掛けてくる渡辺真才。


「……」


 さきほどまでしのぎを削り合っていた相手からの労いの言葉。


 本来なら敵意を向けるべき相手なのに、わたしはどこか吹っ切れたかのような表情を浮かべていた。


「……オマエの指し手からは、才能を一切感じなかった。千日手の回避策を取ったことも、入玉戦を逆手に取ったことも、全てが才能に直結していない。凡人から編み出される、努力の思考で得た策だ」


 くたくたになりながらもなんとか言葉を紡ぐわたしに、真才は面食らったかのような様子でこちらを見つめた。


「……こわかった。──赤利はずっと、オマエがこわかった。……だから、全力で叩き潰さなきゃいけない相手だと思ったんだ」

「……そっか」


 それは本心から出た言葉なのだろう。


 プライドも何もかもをかなぐり捨てて戦った相手だからか、普段は出ないような弱音が吐露とろしてしまう。


「でも、楽しそうに笑っていた」

「……赤利は、笑っていたのか……?」

「あぁ、怖いくらいにな。俺と一緒だ」

「……」


 そこで初めて、わたしは己の頬に手を当てる。


 ──すると、暖かい雫の感触が指先に伝わってきた。


「……オマエは、赤利と将棋を指していて楽しかったのか……?」

「もちろん。誰にも譲りたくないほど──最っ高に楽しかった」


 視界が歪む。


 頬に触れていた指先が熱くなって、思わず視線を落としてしまいたくなる。


『──お前とは二度と戦いたくない』

『──うわ、青薔薇かよ。最悪。はい、負けましたー』

『──はぁ、これだから天才は。やる気無くすわマジで』


 これまで告げられてきた多くの言葉が脳内にフラッシュバックする。


 沢山の人間を不幸にして、沢山の人間を倒してきた。


 嫌な言葉を言われ、嫌な視線を向けられ、それでもアマチュア界の王者だからと、凱旋のエースだからと、ずっと気丈に振舞ってきた。威厳をもって立っていた。


「赤利は……赤利は……っ」


 ちょうどそこへ今大会の責任者である立花徹がやってきて、驚いたような顔をしながらも目の前の盤面を精査し、その場で審判と既定の確認を始めていく。


 そんな中でわたしは両手で顔を覆い、喉元まで上がってくる激情を抑える。


「──いい将棋だった。……少なくとも俺はそう感じたんだが、違うか?」

「違わない、違わないぞ……っ」


 わたしは溢れ出る涙を拭きながら、嗚咽おえつしつつ首を横に振った。


「……赤利の中で、一番っ……いっちばん、いい将棋だった……っ!」


 その言葉を受けて、真才は優しく微笑んだ。


「えー、局面と手数を精査し、宣言の規定を確認しましたところ……先手の条件が全てクリアされていることが認められました」


 その言葉によって、会場内が騒然とする。


「──よって、大将戦は先手、渡辺真才様の勝利となります」


 そうして告げられた一言は、どこまでも重く会場内に響き渡った。


 わたしと真才は互いに顔を合わせ、深々とお辞儀を交わす。


「負けました」

「ありがとうございました」


 この時、この瞬間──わたしは本当の意味で、勝負における敗北と、相手と指す将棋の楽しさを味わったのだった。







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 補足。

 本大会はアマチュア大会なので、本編の規定描写にもあったように『27点法』が採用されます。

 尚、プロの公式戦では『24点法』が採用されます。この場合による入玉宣言法の適用は、宣言側が31点以上だった場合を勝利、30点以下だった場合を持将棋引き分けとするため、『27点法』とは若干ルールが異なります。


 つまり、アマチュアの大会とプロの大会では入玉宣言法のルールがちょっとだけ違うよ!という補足です。

 こう言う細かいルールは本編とは関係がないので覚える必要はありません。仮にあったとしてもその度に分かりやすく描写しますのでご安心ください。



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