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第百一話 勝利宣言

 ──青薔薇赤利に勝つことの異常性。


 それは、彼女の実力を知る者ほど首を横に振って否定したくなる。


 会場の隅っこで肩身が狭そうにしている桜坂さくらざか明日香あすかと、気力の失った目で二階から観戦していた遊馬あすま環多流わたるは、二人の戦いを見て唖然としていた。


 ──こんなことが起こっていいのだろうか。


 常軌を逸するような千日手を二度も挟み、一切の休憩なしでぶっ通しの戦いを繰り広げる二人。その手数は先の千日手と合わせて既に300手に及んでおり、未だに決着がつかない。


「……お、俺は、あんな奴を貶めようとしていたのか……」


 環多流はその場に崩れ落ちながら、柵を掴む手はそのままに視線だけを落とす。


 銀譱ぎんぜん委員会に所属している者なら、誰もが赤利の強さを理解している。


 負けイベ、捨て試合、触らぬ神に祟りなし。赤利と対峙した者は皆、そういった感情をもって運が悪かったと己を律する。


 あれは自然災害のようなもの。避けられない天災のようなもの。対峙したところでどうしようもない存在だ。


 だからこそ、彼女と真っ向から対峙しようなんて思える人間は、この県には存在していない。


 あの天竜一輝でさえ、極力戦いたくないと身を引くほどなのだから。


「ッ──」


 ──だが、その男は笑っていた。


 誰よりも笑顔で、誰よりも楽しそうに、ただ目の前の勝負を純粋に楽しんでいた。


 あり得るだろうか。


 あの青薔薇赤利を前にして一歩も退かないどころか、笑みを浮かべ、楽しさを享受し、あまつさえ勝負に勝とうとしている。


 正気を疑うほかない。


 相手は全地区の中で最も強いとされる中央地区、その中で最も秀でた凱旋道場、その中のトップだ。


 勝てるわけがないだろう。勝てると思う方がおかしい。


「──やっぱり……本物、だったんだ……」


 明日香は恐怖と絶望に身震いしながらそう呟く。


 秒読みになっても一切崩れない正確な読み筋、追い詰められても勝機を探り続ける異常なまでの探究心。


 ネット将棋界最強のプレイヤー、自滅帝であればそれを成し得る。


 明日香は目の前に広がる光景に現実を疑いたくなるが、その戦慄を生む指し回しに既視感があり過ぎて否定ができない。


 あれはこの世でたった一人しか指すことのできない戦術。他の誰にも真似できない、たった一人だけに許された戦い方だ。


「くそ……っ!!」


 赤利が舌打ちをしながら何重にも読みの入った強烈な一撃を放つ。


 しかし、真才は1秒も使わずノータイムで防ぎきる。しかもその手はただの受けの手ではない、会心の反撃手となって赤利の王様を狙撃する。


「ぐっ……!?」


 真才の手は何もかもが会心譜かいしんふだ。


 入玉戦をするのかと思えば赤利の王様を詰まそうとする。赤利がそれを嫌って受けに回れば真才はその隙に入玉を目指す。


 ただの逃亡ではない。いつでも相手を仕留める姿勢を見せた、猛威を振るいながらの逃亡である。


 これがどれほどの離れ業なのか、それを知る観戦者達は口を開けたままろくに反応ができていない。


「あ、赤利が全力を出してまで負ける相手なんて……いるものか──ッ!」


 彼女がこれほどまでに冷静さを失っているのは、初めてだった。


 あの青薔薇赤利が、真の意味で追い詰められている。


 勝つための戦いは全て勝利し、それ以外の戦いでは敗北しても飄々《ひょうひょう》としていたあの赤利が、凱旋道場のエースが、苦しそうな声を上げて視線を右往左往させている。


 全員の視線が真才に向く。


 アマチュア界で生まれた新星。新たな時代を作る開拓者。


 あり得ないと思われながら、そんなことが起こるはずがないと思われながら、それでもその男は容赦なく自らの王様を前進させる。


 ──凱旋だ。これは凱旋の行進だ。


「そんなっ……!」


 自身の目元まで迫ってきた真才の王様に、赤利は思わず狼狽える。


 自滅流を構築しながら進み行く天空城に、赤利の残した最後の防波堤が崩される。


 どれだけ攻撃してもホログラムのように再生する楼閣。どれだけ抑えても闘牛のように猪突猛進してくる王様。


「赤利はっ、凱旋の……っ」

「はぁ、はぁ……っ」


 両者とも疲労困憊の状態で40秒の牢獄からもがき続ける。


 赤利が真才の王様を詰ますか。真才が入玉を決めて勝利するか。


 ──結末は、ひとつしか許されない。


「真才くん……っ」

「ミカドっち……!」

「青薔薇が、負けるはずがない……!」

「詰ませ、詰ますんだ青薔薇……ッ!」


 会場内の離れた観戦席から両地区の選手達が祈りをささげて結末を待つ。


 既に西地区は3勝している。凱旋道場には後がない。ここで西地区が1本でも取れば、黄龍戦の優勝が確定する。


「──!」

「頓死か……!?」


 一瞬、真才が受けを間違えたかのような手を見せる。


 しかし、赤利はその手を咎めることなく別な手を指して真才を攻めた。


「な、なんだ? また見逃しか!?」

「どうして王手をしないんだ……!?」

「──バカもの、王手をしたら逆王手がかかるじゃろうて」


 他の観戦者の言葉に呆れた声で玄水が呟く。


 さきほどの真才が指した手は一見不安定で隙をみせる手に思えるが、赤利がそれを咎めようと攻勢を仕掛けると、手順に受ける手が逆王手となって手番が逆転する。


 今の真才は1手でも手番が渡ったら入玉が確定する状態。そんな状態の相手に手番を渡すなど言語道断である。


 だからこそ、赤利は当然のようにその罠を見切って別な手を指したのだ。


 二人の読みは、もはや誰の目にも理解できない先の先まで考え抜かれている。


 どちらが勝つのか、どちらが勝負を決めるのか。そんなことばかり考えている周りの観戦者と違って、二人はただ一心に相手の思考を上回る手だけを考えていた。


 選ばれた者にしか灯せない、棋士の片鱗が両者を纏う。


 時代が塗り替わる瞬間。勝負が決まる瞬間。そんな極限の勝負の行方に、ほんの少しだけ朧げな憂いを感じてしまう。


 だが、たどり着かなければならない。決着を付けなければならない。


 これは、そんな先を読み合った者同士が最後に見なければならない"現実"という映画なのだから。


「──宣言します」

「──なっ!?」


 相手の対応に追われてろくに駒の損得計算もできていない赤利を差し置いて、その声は唐突に響き渡った。






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