奥の方からガタンと椅子の引いた音が聞こえてきて、仲間達の対局が終わったことが暗に伝わる。
最初に終わりを告げたのは東城だろうか。横を見る暇がない俺にとっては、誰の対局が終わったかなんて確かめる術はない。
しかし、それから数分も経てば次々と椅子の引く音や喋り声が聞こえてくる。葵か、はたまた武林先輩か。それとも佐久間兄弟かもしれない。
きっともう、大会の行く末は決まっているのだろう。
──だが、関係ない。そんなことは俺達の戦いには全くもって関係のないことだ。
「……ッ」
俺は周りの音が聞こえなくなるほどの集中を目の前の盤面に向けて、その全てを手の読みに使い果たす。
威風による圧の斬り合い。己が道を信じた攻撃の応酬。
──青薔薇赤利の重い一撃を受け止めながら、俺もまた渾身の一撃を叩き込む。
だが、それでも折れない。潰せない。赤利もまた俺の一撃をギリギリのところで受け流している。
「ふッ──!」
赤利の余裕に満ちた笑みがこちらの心を折りに来る。
濁流のような汗をかいて、辛そうに呼吸を乱して、それでも赤利は笑うのをやめない。
混戦の局面で一手も見逃さないことだけが、この場における唯一の最善策。
俺と赤利の戦いは終わりを迎えるどころか更なる激化を進めていた。
『【黄龍戦・団体戦】について話し合うスレPart101』
名無しの56
:『評価値』先手+210 互角
名無しの57
:>>56 は?
名無しの58
:>>56 え?
名無しの59
:>>56 なんで互角になってんの!?
名無しの60
:>>56 さっき+1800だったんじゃ……?
名無しの61
:>>56 なに?どういうこと?自滅帝が悪手指したのか?
名無しの63
:>>61 いや、自滅帝はここまでほとんど悪手指してない。恐らくAI側の読みが不足してると思われる
名無しの64
:>>63 はい?w
名無しの65
:>>63 AIの読みが不足するとかそんなことある?w
名無しの66
:>>63 自滅帝がどっかで悪手指したんじゃないの?
名無しの67
:ほんまやw青薔薇赤利が自滅帝の城に
名無しの68
:>>67 マジかよ
名無しの69
:>>67 嘘でしょ?
名無しの70
:>>67 は?w
名無しの71
:>>67 どんだけ先読んだらそうなるんだよw
名無しの72
:>>67 AIの読みを超える青薔薇もおかしいし、それに対応してる自滅帝も何なんだよw
どれだけ読むことに苦痛を感じなくても、どれだけ将棋に楽しさを見出しても、今の俺には40秒という限られた時間でしか考えることを許されない。
秒読みの世界は
それが当たっているかどうかは運。完全な運だ。
だから、感覚と経験を信じて、奇跡を信じて、自分の可能性を信じて、目の前における正解の一手を放つしかない。
──なんて、そんなふざけた言い訳を考えてるようじゃ目の前の怪物は倒せないだろう。
「──ッ!」
押し寄せてくる限界の境地に、俺は更に読む速度を速める。
ズキンと重い痛みが脳に響くが、その痛みすら感じないほどの読みを局面に対して向け続ける。
奇跡を願う? 可能性を信じる? 指運? そんなものは事の本質を何も突いちゃいない。
将棋は実力の勝負だ。例え時間に縛られようとも、運に頼る勝負なんて敗勢への歩みでしかない。
限られた時間の中で常に最善を模索する。言葉にすれば到底無茶な行為でも、不可能だと押し付ける道理はない。
なぜなら、少なくとも青薔薇赤利にはそれができているから。
彼女にできるのであれば、俺にできない理由はない。そこに天才も凡才も関係ない。得意不得意も関係ない。同じ人間であれば可能なはずだ。
いいや、可能か不可能かなんて確認はどうでもいい。やるしかない。今、この瞬間まで続けてやってきたのだから、今さら疲労なんて言い訳に出来ない。
やれ、渡辺真才。考えろ、渡辺真才──。
「はぁ、はぁ……はははっ! まだまだ死なないのだー!」
俺の猛攻を受けても赤利は一切諦めない。このまま永遠と戦ってきそうな勢いで俺の手を全て見切り続ける。
今の赤利は間違えない。どんな手を使っても全て読み切って対応してくる。
形勢はずっと互角、最初からずっと互角だ。混戦していて分かりづらいが、俺達は細かい攻防戦を繰り返して少しずつリードの奪い合いをしているに過ぎない。
大勢的に見れば、俺達の形勢はほとんど動いていなかった。
『【黄龍戦・団体戦】について話し合うスレPart101』
名無しの87
:『評価値』先手+1610 渡辺真才・優勢
名無しの88
:>>87 これマジ?
名無しの89
:『評価値』後手+394 青薔薇赤利・有利
名無しの90
:>>89 え
名無しの91
:>> 89青薔薇逆転!?
名無しの92
:『評価値』先手+193 互角
名無しの93
:>>92 は?w
名無しの94
:>>92 おいw
名無しの95
:>>87-89-92 統一しろwww
名無しの96
:>>87-89-92 どうなってんだよwww
名無しの97
:>>87-89-92 形勢振れすぎだろw
名無しの98
:>>87-89-92 メトロノームかな?
名無しの99
:>>87-89-92 AIさん仕事してー!!
名無しの100
:>>87-89-92 AIが混乱してるじゃねーか
名無しの101
:>>87-89-92 これ全部同じ局面での形勢判断だよね? こんなにグラついてるのヤバすぎでしょ……
混戦の将棋はいくつもの地雷が仕掛けられた足場のない草原である。
そんな場所でずっと戦い続けていれば、いつかは地雷を踏み抜く瞬間が訪れるわけで、ずっと回避し続けることはどう頑張っても不可能だ。
だから、俺は──。
「……!」
何かを察した玄水は目を見開き、俺の方を見る。
もしここで一手でも間違えたら、取り返しのつかないことになる。だから手は慎重に選択しなければならない。
40秒の攻防で紛れるように、40秒の構想で破れないように。赤利の思惑をかいくぐり、自分の思惑を悟らせない。そんな手を指さなければならないんだ。
──全ての情報が開示されている盤面の中で、
作らなければならない。たった40秒という短い時間で。刹那の間合いで。
父に恥じないような将棋を指すためにも、俺は作り上げなければならないんだ。
「っ……、そろそろ限界かー?」
「はぁ……はぁ……そんなわけないだろ」
「だよなー!」
繰り返される早指しの中で、疲労のせいもあってか俺と赤利の指し手の精度が少しずつ落ちてくる。
しかし、それでも俺と赤利は一瞬も気を緩めない。
駒の損得はかなりの大差。俺は赤利の倍ほどの駒を所持している。
ただし、局面はこちらが追い詰められる格好となっており、赤利の攻めが止まらず続いていた。
局面は未だに互角の域を出ない。大量の駒を持っている俺と、そんな俺を追い詰めている赤利。
互角、全くの互角だ。
しかし、今の赤利にほんの少しでも駒が渡ってしまえばこちらは一気に詰まされる。このままではいつまで経っても攻めることができない。
俺の王様は宙ぶらりんの格好だ。城となる楼閣は残っているものの、そう易々と入場させてくれるはずもない。
このままずっと互角の勝負が繰り広げられるのか。このまま勝負がつかずに大会は終局してしまうのか。
多くの注目を集める中、時間切れの警告音が鳴る刹那の間合いの中、俺は流れるように駒台から飛車を掴んで盤面に打った。
「あっ」
──会場が、凍り付いた。
それが誰の声だったかは分からない。誰の声だったか咎める気にもならない。なぜなら、全員が心の中で同じ声を漏らしたのだから──。
俺がその手を指して時計を押した瞬間、赤利は反射的に角を打っていた。
「え……?」
次に小さくそう声を漏らしたのは、東城だった。
ドクンと跳ねあがる心臓。ぶわっと湧き上がる鳥肌と汗。
対局者、観戦者、審判員。それを見ていた全員の視線が俺に注がれる。
──俺は、
『【黄龍戦・団体戦】について話し合うスレPart101』
名無しの119
:あっ
名無しの120
:あっ
名無しの121
:あっ
名無しの122
:え?嘘でしょ?王手飛車くらった?
名無しの123
:あ……
名無しの124
:あっ……
名無しの125
:やっちまった
名無しの126
:王手飛車取りだああああああああああああああ
名無しの127
:ああああああああああああああああああああああ!?
名無しの128
:うわああああああああああああああああああ
名無しの129
:これは決まったな……w
名無しの130
:青薔薇勝ち決定wwwww
名無しの131
:決まったああああああああああああ
名無しの130
:ここにきて見逃しwww
名無しの132
:自滅帝も疲労の限界だったんだろうなw
名無しの133
:うわまじかよおおおおおおおおおお
名無しの134
:これはもう逆転不可能w
名無しの135
:王手飛車、致命傷ですwww
名無しの136
:うわああああ青薔薇が勝ったあああああああ
名無しの137
:ここに来てようやく人間らしいところを見せたな自滅帝w
名無しの138
:青薔薇が勝ったかぁ
名無しの139
:『評価値』先手+2140 渡辺真才・勝勢
名無しの140
:>>139 え?