中央地区の面々を相手に堂々と立った真才は、右の頬を僅かに膨らませながら彼らに視線を向ける。
「……ミカドっち、なんか食ってるっすよ」
「あれはブドウ糖入りのラムネね……」
決勝前ということもあり、ブドウ糖を含んだ食べものを食べることによって集中力を上げる作戦──というわけでもなく、真才は旅館の無料お菓子コーナーに置いてあったラムネを適当に取って食べただけである。
そんなことを知らない中央地区の者達は、真才がやる気を見せていることに感化されてニヤリと口角を上げた。
「……へぇ、アンタが自滅帝か」
そう言って前に出てきたのは、三白眼が特徴的な青年──
天外はここ数年で突如として頭角を現した将棋指しであり、今ではアマチュア界で活躍する上澄みの一人である。
かつては中央地区の小さな道場で戦っていた天外だったが、そのあまりに飛びぬけた強さに凱旋道場の師範である沢谷が目を付け、凱旋道場側が勧誘するという異例の事態で入門を果たした天才である。
そして、そんな天外の活躍は全国にまで轟いており、引きこもっていた真才も顔くらいは見たことがあるほどに有名人だった。
対する天外は、今日会場に着いたばかりで真才の一連の事件に関することをほとんど知らない。
ただ知っているのは──敵対する地区のエースということだけである。
「俺は将棋戦争をやらないから詳しく知らないが、ネット将棋界最強らしいな」
「……」
「その実力が本物なら、凱旋に入ることは考えなかったのか? 実力を持つ者が上を目指すのなら、より厳しい環境で戦っていくのが道理だと思うんだが」
真才の沈黙に天外は率直な疑問をぶつけた。
確かにその言葉は道理を得ている。より強くなるためにより厳しい環境下で戦っていくことは、今後の成長に飛躍的な効果を与える。
しかし、それは真才の目的には全く関係のないことである。
「……結構だ、俺には俺の目的がある」
「そうか。なら俺から言うことは何もないな。──残念だ」
そう言って天外は真才の横を通り過ぎ、一人だけその場を去っていった。
そして、同時にすれ違うようにやってきた青薔薇赤利が中央地区の面々に目を向ける。
「──オマエたち、何をしてるのだー?」
首を傾げてそう疑問を投げかけると、
赤利は子供らしい声色でそう告げるが、その声とは相反するように目は全く笑っていなかった。
「相手にちょっかいかけてる暇があるなら、さっさと準備しろー?」
その言葉に隆明たちはそそくさと解散し、赤利の横を通り過ぎていく。
「うちの馬鹿共が迷惑をかけたのだー」
赤利は去っていく者達に聞こえるくらいの声量でそう告げ、西地区に軽い謝罪をした。
天才と呼ばれた者達を"馬鹿"と一蹴できるのは、彼女だからこそ許される言動である。
そして自らもまた子供らしい歩き方で決戦の場へと向かっていく。そんな赤利の後姿を見て、今までほとんど言葉を喋れていなかった佐久間隼人が口を開く。
「……青薔薇赤利、中央の切り札か。地区大会で見た時より威厳が増してる気がするな」
「ああ……。おい、渡辺。アレは今までの相手とはケタが違うぞ。勝算はあるのか?」
隼人の言葉に同意した佐久間魁人が、真才にそう問いかける。
「さぁ、どうだろうね。戦ってみないことにはなんとも」
そうは言いつつ、どこか余裕そうな様子を見せる真才。そんな真才に佐久間たちは怪訝な表情を浮かべていた。
「そうはいいつつ、なんだか楽しそうね?」
「というか、この緊迫した状況でよく平常でいられるっすね。さすがのアオイも緊張でほとんど口を開けないっすけど……」
県大会の決勝という大舞台を前にすれば、さすがの葵達も緊張が目に見えてくる。
地区大会の場とは違い、県大会の価値は想像以上に大きい。ここで勝利すれば全国への切符が手に入る。という状況も相まって各々の緊張はピークに達している。
しかし、それでも真才は葵にいつも通りの言葉を投げかけた。
「葵、何度もいうが将棋を楽しめ。勝ち負けなんて気にする必要はない」
「い、いやいや。これからやるのは県大会の決勝なんすよ? しかも相手は中央地区、それも凱旋道場なんて天才集団の集まりじゃないっすか。そんな相手に将棋を楽しめだなんて……」
南地区を打ち倒した直後はハイテンションだった葵だが、昼食休憩を挟んだことで段々と決勝へのプレッシャーが高まってしまい、今のような情緒不安定な状態に陥ってしまっていた。
それを見た勉が葵を励まそうと席を立ちあがるが、真才が目で制止させ、間髪入れずに葵に告げた。
「──葵、左を見ろ」
「え? 左……?」
おもむろに左を向いた葵は、隣にいた東城と目が合う。
「南地区相手に圧倒的な試合を見せた東城さん相手に、葵は直前の練習対局で何連勝したんだ?」
「……6連勝」
「それで、どこの誰が天才集団だって?」
真才の殊勝な言い回しに葵は沈黙した。
東城相手に6回も連続で土を付けた存在など、真才以外に存在しない。あの隆明ですらそこまでの数には達していなかった。
そんな東城の、それも最も強い状態の直近の東城を相手に6連勝。初めはあれだけ惨敗していたのに、将棋を楽しむようになってからは6連勝である。
──天才なのはどちらなのか。傍から見れば一目瞭然であった。
「アンタは自分が思ってるよりも凄いのよ? だからもっと自信をもって指しなさい。アンタが楽しんで指してくれないとこっちまで暗くなっちゃうわ」
東城は葵の頭を優しく撫でながらそう言った。
「……わかりま……分かったっす。──東城先輩、ミカドっち、アオイは楽しむことに全力を注ぐっすよ!」
「うん、それでいいんだ」
真才も微笑んでそう答えた。
「……本当に強くなったな、この部は」
「いつまでも部長に頼っておんぶにだっこってわけにもいかないですからね」
「ワッハッハ! 隼人君! 君の成長は特にそうだなっ!」
「ちょっ、痛いですって」
隼人の肩を叩いて大きく笑う勉に場の空気が僅かに和やかになる。
そして各々が互いに目を合わせて深く頷くと、既に椅子に座って準備をしている中央地区の方へと視線を向けた。
「──ここまで来ればもう余計な言葉は不要だろう。皆、勝って帰るぞ!!」
「はい」
「ええ!」
「もちろんっす!」
「「ああ!」」
全員が一斉に返事をして勝負師の炎を目に宿す。
向かうは決戦の舞台。黄龍戦・県大会──決勝戦。
相手は県最強の座を不動のものとする中央地区・凱旋道場。
──全国への切符を賭けた、最後の戦いが始まろうとしていた。
※
中央地区と西地区の決勝戦が始まろうとしているせいか、会場の中に大勢の観戦者が入り込んでくる。
決勝戦、そして中央地区の対局ということもあり、カメラを持った取材陣も会場に顔を出し始めていた。
そんな中で静かに息を整えた来崎は、真才たちと合流することはなく、そのまま中央地区が座っている決戦の場へと足を進める。
そうして自分の座る場所へとたどり着いた来崎は、これから自分が対局するであろう相手に声を掛けた。
「お久しぶりです。メアリーさん」
それは、中央地区の中でも青薔薇赤利とはまた別の意味で異色の存在感を放つ少女だった。
窓から伸びる太陽の光に当たって宝石のように輝く金色の髪。美しくも近寄りがたい解語の花を彷彿とさせる青い目。
中央地区の代表の一人、凱旋道場ナンバー2の怪物。──メアリー・シャロン。
青薔薇赤利が認める数少ない本物の天才の一人だった。
「──ええ。久しぶりネ、ナツ」
メアリーは来崎に目を向けることなく駒を並べながらそう告げる。
まるで自分を見ていない。そんな雰囲気を漂わせるメアリーに、来崎はただ一言どうしても言いたかった言葉を告げた。
「"約束"通り、死の淵から舞い戻ってきましたよ」
「……そうネ」