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第六十一話 伝説の再来。黄龍戦・県大会

 中央地区、黄龍戦の開催地である『ラッセル新聞社』にて、一人の男が必死に頭を下げていた。


「オレたちを、いえ……私達を県大会に参加させてください。お願いします」


 背筋を直角に曲げて頭を下げるその男は、西ヶ崎高校将棋部の部長であり黄龍戦西地区代表メンバーの一人、武林勉である。


 彼は普段の様子とは別人と思えるほどの静寂を纏っており、真面目な表情で頭を下げ続けていた。


 そして、そんな勉の前にいるのは、ラッセルの看板を背に鎮座する今大会の責任者。


 ──立花たちばなとおるだった。


「……これで何度目だ?」


 立花は厳しい視線を勉へと向ける。


「……うちの渡辺真才は断じて不正をするような人間ではありません。そして事実として、不正などしていません。どうか彼の出場停止を取り消しては貰えないでしょうか」


 勉は頭を下げながらそう訴えかける。


 この1ヵ月間、勉は真才のフォローに全力をとしていた。方々に回って火の移りを事前に防いだり、詳しい事情を説明してなるべく事が大きくならないようにしていたりと、とにかく事の収拾に立ち回っていた。


 そもそも、渡辺真才に関するデマが掲示板に書き込まれていると最初に知り、その事実を佐久間兄弟に伝えたのは勉である。


 自分達西ヶ崎高校の活躍を外側から見てどう思われているのか、そんな疑問からふと掲示板を覗いた時にその書き込みを発見していた。


 勉はその事実をすぐに鈴木哲郎へと話し、同時にフットワークの軽い佐久間兄弟への助力を懇願。最速で事態の解決へと急いでいた。


 しかし、火の手は大きくなるばかりで解決には至らない。裏で誰かが糸を引いているのか、外から邪魔する人間がいるのか、渡辺真才を不正者として扱う書き込みは日に日に増す一方だった。


 さらには、県の会長である鈴木哲郎自身もこの大会における全権を有しているわけではなく、県大会は開催地であるラッセル新聞社に運営権が与えられていると苦言。


 そのため下手な口出しをすることが出来ず、事態は泥沼に引きずり込まれるかの如く後手後手の対応に追われていた。


 その間にも勉は降りかかる火の粉を事前に払うことに徹しており、渡辺真才を含めた将棋部の部員が県大会へ向けてしっかりと活動できるように、学校を休んでまで積極的に動き回っていた。


 不正の話題は既にネット中でも目の届くところまで拡散されており、西ヶ崎高校の教師たちがそれを目にして、渡辺真才に問い詰めようとしていたことも何度かあった。


 しかし勉が事前にそれらを全て対処し、本人になるべく被害が及ばないよう立ち回っていたのだった。


 そんな勉の前に最後の壁として立ちはだかったのが、ラッセル新聞社の親玉、立花徹だった。


「どうか、お願いします」

「ダメだ。認められない」


 立花はハッキリとそう告げる。


 彼の目の奥には冷たい光が見え隠れしており、その表情に慈悲はなかった。


「君達が県大会に出るのは自由だが、その渡辺真才という選手は不戦敗扱いだ。不正の有無が有耶無耶の状態で大会に記録をつけるわけにはいかない」

「しかし、彼は不正をしていません……!」

「不正をしているかしていないか、問題なのはそこじゃない。不正をしているかもしれないと疑いが掛けられていること、それ自体が問題なのだ」


 立花は常識を説くかのように淡々と、しかし強い口調でそう続けた。


「無い名は呼ばれず。こうして不正の噂が立っていることそのものが、渡辺真才という男の行動の結果であり起因だ。我々はそんなリスクのある者を受け入れることはできない。仮に今の状態で全国に出してみろ。我が社の信用はガタ落ちだ」

「……」


 珈琲の湯気をまたいで対立する両者は、緊迫した雰囲気を解けぬまま対立する。


 勉は立花の言い分も理解できるからこそ、沈黙以上の答えは出せなかった。


「世の理不尽も、不条理な仕打ちも、それらは全て自らが行動したことで招かれる問題だ。そしてそれらは、正義や悪などと言った単純な思想や言論で解決できるものではない。社会で生きていくとはそういうことだ」


 立花は憂いた目をラッセルの文字が掲げられた看板へと向けた。


「君が私を説得したいのなら、もっと大きな手札を切るべきだ」

「手札……?」

「君のような一端の人間の言葉など信用に足らん。その男、渡辺真才が本当に不正を行っていないのなら、その確証となるべき証拠を持って来いと言っている。それ次第では考えてやらんこともない。……まぁ、もう県大会は始まったようだがな」


 時計をみてそう告げる立花。


 そう、今日は県大会開催日。時間は既に午前10時を回っており、これからラッセル新聞社の一階では県大会の開会式が始まろうとしていた。


 勉は歯がゆい状態で拳を握りしめ、ただ"その時"が来るのをじっと待ち続ける。


「もういいかね? 私はこれから用事があるんだ」

「待ってください。もう少しだけ話を……!」

「くどい。渡辺真才の出場は認められない。それが私の答えだ」

「くっ……」


 その時、勉のスマホが鳴った。


「……!」


 勉は急いでスマホを取り出すと、届いたメールの内容を素早く開く。


 そして、そこに書かれた内容を見て僅かに口角を上げた。


「──たった今、その"証拠"を持ってきました」

「何……?」


 怪訝な視線を向ける立花に対し、勉は既に勝ちを確信した表情へと変わっている。


「私を納得させられるだけの証拠だぞ。君にそれが用意できると──」


 その言葉は最後まで紡がれることが無かった。


 それまで勉に向いていた立花の視線が部屋の扉へと向けられ、そこに立っている者に愕然とした。


「なっ……!?」


 扉の前に居たのは自分より一回りも二回りも小さい少女。吹けば飛ぶような体格に、どこからか迷い込んだのかと思えるほどの背の小さい少女だった。


 そんな少女を前に、それまで冷静だった立花は動揺を隠しきれなくなる。


「あ、あなたは……っ」

「渡辺真才は清廉潔白の無実だ。──それ以外の言葉がいるか? 立花徹」


 凝り固まっていた事態は、少女の登場により一変した。


 ※


 黄龍戦、県大会の会場地であるラッセル新聞社一階では、各地区の団体選手達が王者の風格を醸し出して集っていた。


「あと来てないのは西地区だけっすね。来ると思いますか? ワタルさん」


 東地区の代表の一人である西田にしだは、首の後ろに手を組みながら隣にいる環多流にそう尋ねる。


「来るわけないだろ。俺が潰したんだからな。いや、が正しいか。ククク……」


 あざけるように笑う環多流に、東地区の面々もまた釣られて嘲笑の笑みを浮かべる。


 渡辺真才に対する不正の噂は日に日に酷くなっていき、もはや手の施しようがないほどに炎上しきっている。


 無論、本人の無実はそのうち証明されるだろう。しかしそれは今ではない。今この瞬間で無実を証明することは不可能に近い。


 それで十分だった。


 環多流は明日香をそそのかした張本人であると同時に、明日香との接触は一切無く、また環多流自身がこの件に関与している痕跡は存在しない。


 そう、あくまで発端となって掲示板に「渡辺真才が不正している」と書き込んだのは明日香本人である。環多流はそれを援護するように立ち回っていただけにすぎない。


 明日香自身すら気づいていないほどの自然な流れを作り出し、渡辺真才の不正を煽った。その結果が今の惨状に繋がっている。


 仮にほとぼりが冷めて犯人探しが始まったとしても、環多流は明日香を犯人に仕立て上げるだけで良い。自分の手は汚さない。それが環多流の立ち回り方だった。


 これがもし仮に天竜一輝という大物だったらこうはいかなかったが、相手が渡辺真才という無名の新人だったからこそまかり通った。


 まさに悪魔の一手。遍く全ての手の流れは環多流に来ていた。


「西地区は所詮、天竜一輝というカリスマを中心として戦ってきた地区だ。ぽっと出の新人チームが上がってこれる舞台じゃねぇよ」

「それもそうっすね」


 既に西地区のリタイアは当然とばかりに考えている環多流は、その視線を観戦席の方に移す。


(それにしても今年は観客が多いな……? 県大会とはいえ、普段は記者や関係者くらいしか顔を出さないものだが……やけに見慣れない顔が多い。そもそもコイツらはどこから来たんだ?)


 県大会は地区大会と違って参加する選手が少なく、人の数だけで言えば地区大会よりも小さくなりがちである。


 しかし今回の黄龍戦では、大会への参加を目的としない観戦目的の観客だけでゆうに50人は越えていた。


 これは明らかに異常な数である。


(……まぁ、杞憂か)


 それでも環多流は余計な考えを頭から振り払い、隣で暇そうにしていた西田に話しかけようとする。


「それより俺達の一回戦の相手は西地区だ。随分と暇になったな。おい、西田。コンビニで適当なモンでも買って──」


 寸前。その視線は会場の外へと引っ張られた。


 例年より何倍も多い今年の観戦者。その観戦者たち移動で混雑している会場の入り口から、横並びで並んだ学生たちが闊歩する。


「……は?」


 大会への参加権を片手に会場へと入っていき、そこに立って当然とばかりに同じ舞台へと足を踏み入れる者達が目に入る。


 環多流の目は大きく大きく見開かれ、やがてそれが驚愕に変わるまで、それほど時間を要しなかった。


 視界に映ったのは夢も幻でもない。現役の学生だけで構成された新進気鋭のエースたち。


 ──西地区のメンバーだった。


「あれって……」

「──来たか、西地区」

「赤利の予想通りなのだー」


 全ての地区の面々が一斉に注目した。


 あの天竜一輝を破った存在、渡辺真才を筆頭に並び行く強豪たち。今大会のダークホースにして、未知なる脅威の筆頭格だ。


「なんで、この場にいやがる……渡辺真才……っ!!」


 環多流の言葉など会場の熱でかき消される。


「……っ!?」


 すると一瞬、目が合った。渡辺真才の凍るような視線が一瞬だけ環多流へと向けられた。


 そして彼らは全員、鬼でも狩るかのような戦意と覚悟を目に宿して、環多流のいる東地区の面々の前へと立ちはだかったのだった。



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