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第五十四話 絶対強者との対峙

 真才が自滅帝として将棋戦争で100連勝を達成した同日、佐久間兄弟は学校を後にしてとある場所へと向かっていた。


「おい隼人、今動くのはさすがに得策じゃ──」

「そうは言っても時間がないだろ兄貴、県大会だってもうすぐそこまで迫ってきてるんだぞ」


 そう言って先行する隼人の後ろを離されないようついていく魁人。


「だからって"アレ"に会うのはマズいって、下手したら消されかねないぞ……」

「そこは一か八かだ。俺達には敵意が無い、そこを読み取ってくれることを祈るしかない」

「そんな行き当たりばったりなやり方でいいのかよ……」


 そんな二人が先々を歩くこと数十分、目的の場所にたどり着く。


 そこは湖が見える崖の上。柵もなく、ただ草花が咲いているだけの小さな場所だった。


 時間帯のせいか周りには誰もおらず、その場所には先客で来ていた一人の少女だけが佇んでおり、その少女は前方に広がる巨大な湖を静かに眺めていた。


 どこかうれいを灯すその雰囲気に、二人は声を掛けるタイミングを見失う。


「諦観もこれで最後か。芸術に魅了され、芸術に食われて死ぬ運命だなんて、我ながらよほど師の影を──」


 少女は最後まで言葉を紡ぐことなく、小さな溜め息を零して後ろを振り返った。


「それで、話とはなんだ? 佐久間魁人、佐久間隼人」


 対峙しただけで分かる少女の異質さに、二人は思わず足を後退させてしまう。


 これだけ小さい少女から出る強者の雰囲気はまさに異常としか言えない。肌がひりつくような感覚を覚え、決して戦いを挑んではいけないと、そう本能が危険信号を飛ばすほどの緊張感が全身を襲う。


「……まずは、こちらの話し合いに応じてくれたことに感謝する。ありがとう」

「鈴木哲郎に頭を下げられたから来たまでだ。礼は必要ない。本題に入れ」


 少女は自分より一回りも二回りも背の高い佐久間兄弟を前にして、なお高圧的な態度を崩さない。


 それどころか、少女の方が遥か高みにいるような感覚を二人は覚える。


(いやいや、あの県の会長に頭を下げられるってどんな大物だよ……! おい隼人、やっぱコイツだけはヤバいって……!)

(……っ)


 隼人は隣から感じる魁人の焦りに冷や汗を流しながらも、単刀直入に本題を切り出した。


「……実は今、一人の馬鹿な行動によって俺達の部活が終わろうとしている。俺達はそれを阻止……いや、傷口を塞ぎたい」

「馬鹿な行動? ……あぁ、こいつのことか。よくもまぁこんな目立つことをしたものだ」


 少女はスマホを一瞥すると、隼人が何を伝えたいのかを一瞬で察してしまう。


「だが、これを傷口と言うには些か小さすぎるんじゃないか?」

「……情報は認識されると一気に拡張する。どれだけ小さな傷口でも、傷ができてしまえば広がる一方だ」

「火のないところに煙は立たないともいうぞ?」

「それでも、火が赤く燃える必要はない」

「おぉ、面白い回答だ。今のが一番気に入った」


 それまで大した関心を見せていなかった少女が、隼人の一言で宙に向けていた視線を二人に向ける。


「お前達の要件は、事を治める協力をわたしに取り付けるといったところか?」

「いや、そこまで手を煩わせるつもりはない。対処はこっちで何とかする。だからアンタは俺達の味方……敵対しないという姿勢だけ欲しいんだ」

「上手い言い方をするものだな。それはお前達の行動をわたしが全面肯定するようなものだ。一介のアマチュアでありながらわたしの手綱を握ろうとするとは、随分と怖いもの知らずな兄弟だな?」


 不気味な笑みを浮かべてそう言い放つ少女。


「……もちろん、タダでとは言わない。見返りは……アンタの好きに選んでいい」


 佐久間兄弟はその少女の放つ畏怖に押し潰されそうになりながらも、何とか気丈に振る舞う。


 もしこの少女が自分のこちら側についてくれるのならば、足りなかった最後のピースが埋まる。それは降り注ぐ大粒の雨に傘をさすようなものだ。


 ここを引くわけにはいかない。その決意の表れか、佐久間兄弟は冷や汗を流しながらも一歩も引く姿勢を見せなかった。


「……ま、いいだろう。今回の件、わたしの風はお前達に吹くことに決めた」


 二人の真意に根が折れたのか、少女は余計な問答をすることなくあっさりとそう答えた。


「……! 本当か!? 助かる……! いや、ありがとう……!」

「……はぁ、心臓が止まるかと思った……」


 喜びをあらわにする隼人と、なんとか交渉が上手くいって安堵する魁人。


 そんな二人に、少女は尋ねた。


「しかし、意外だな。お前達はあの少年──渡辺真才を嫌っているものだと思っていたが」


 少女の問いに、隼人は目線を反らす。


 嫌悪──確かにこの兄弟にはその傾向があった。実際、黄龍戦が始まるまでは二人とも真才に対し強い嫌悪の色を示していた。


 だが、魁人は黄龍戦の時に真才の勝負を間近で見ていたことで、真才に対する捻くれた考えを自重するようになり、それ以降一度も口出しをしていない。


 そして、そんな兄から真才のことを伝えられた隼人もまた、真才の本質を認めるようになり、その考えを少しずつだが改めるようになっていったのだ。


 ──これは、葵が真才を罠に嵌めようとしていた日のことである。


 ※


 午後の授業は別教室で移動となった真才に、別クラスである隼人が珍しく接触を図っていた。


「おい、渡辺。お前……今日の放課後、葵玲奈に嵌められるぞ」

「……!」


 開幕の一声、そんな言葉を告げる隼人に真才は目を丸くして驚く。


「奴が用意しようとしている舞台は俺に一任されている。だが、俺はこの件に関して一切手を出さないつもりだ。だからお前が今日中に決着をつけてこい。お前ならできるだろ?」

「……なんでそれを俺に?」

「チッ、いちいち言わなくても分かるだろ。お前が退部したら誰が大将務めるんだよ。……認めたくはねぇが、黄龍戦で一番点を稼いだのはお前だ。そのお前が退部したら県大会での勝率が落ちるだろうが」


 最後の方にはどんどんと声が小さくなっていったが、隼人ははっきりとそう伝える。


 予想だにしない者からの助言に驚愕を禁じえない真才だったが、やがてその言葉の意味を理解すると、思わず口から笑いを零した。


「……はははっ」

「あぁ?」

「いや、てっきり嫌われてると思ってたから意外で……」

「うるせぇな。お前のことを好いた覚えなんかねぇよ。いいからさっさと対策でも考えてろ」

「分かった。……葵が俺を嵌めるなんて信じたくはないけど、最悪は想定しておくよ」


 そう言って、真才と隼人の短いやり取りは終わったのである。


 真才がこの後の葵の奇襲にある程度の心構えを持って対策できたのは、隼人が先んじてその言伝を真才に伝えていたからだった。


 ※


「……嫌いだよ、ムカつく野郎だ。突然部活に入ってきたかと思えばあの東城をあっさり倒しちまうし、駒に触れるのも慣れてないような手つきをしてるくせに、棋力だけは俺達より強い。何よりあの鼻につくような謙遜する態度がいちいち癇に障るんだよ」


 隼人は拳を力強く握り締め、吐き捨てるように罵詈雑言を並べる。


 しかし、それらを言い終えた後に今度は否定から入った。


「──だが、それ以前に俺達は共闘する仲間だ」

「ほう」

「私情は私情、仲間は仲間。ここが区別できないほど俺は終わっちゃいない。気に食わないが、これも部活だ。同じ部活に入った以上は互いに高め合うのがうちの部の、西ヶ崎高校将棋部のモットーなんでね」


 どこか吹っ切れたような、清々しい顔でそう答える隼人。


 少女は興味深そうに、そして確かな価値を見出す視線を向けながら、その兄弟に僅かな笑みを浮かべた。


「──なるほど。アイツがこの部を選ぶわけだ」

「……?」


 少女は満足そうな顔で踵を返すと、佐久間兄弟に背を向けて歩き出す。


「"約束"は守ろう。だからお前達もせいぜい頑張りたまえ、少しは期待しているぞ」


 少女は最後にそれだけを言い残し、夕焼けの風に吹かれるようにその場を立ち去っていった。


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