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第百六十二話 取り柄

「真才君、ひとつだけ聞いてもいいかな?」


 ある日、鈴木哲郎は部活終わりの真才を引き留めた。


「なんですか?」


 振り返る姿は凡庸で、純粋な瞳には覇気など欠片も宿って無くて、一目見れば平凡と疑ってしまうようなオーラを発している。


 ──だが、哲郎はその少年がこれまでやってきた数々の恐ろしい偉業を知っている。


 第一印象が凡人に見えすぎる。そんな真才に戸惑いながらも、哲郎はひとつの質問を投げかけた。


「私は学が無くてね。君の真意を知った気になることはできても、実際の全容を知ることはできない。だから君の行動には違和感を覚えてしまうんだよ」

「……? なんのことですか?」


 真才は首を傾げて理解していない をする。


 だが、目の色が変わった。それを哲郎は瞬時に察する。


 気配が変わり、見えない覇気が緊張を灯し、感じたこともない寒気が背中を伝う。


 それは長年生きてきた鈴木哲郎だからこそ感じる感覚であり、プレッシャーである。


「真才君はどう思っているか分からないが、私から見て……いや、他の誰でもいい。君の実力を目の当たりにした者からしてみれば、どうしてこれほどまでに実力を持った人間が今まで世に姿を現していなかったのか、それが気になるんだ」


 その問いかけに含みはない。哲郎自身が感じた、単純な興味からの疑問だった。


 だってそうだろう。真才の実力は努力の結晶によるもの、突然何かに覚醒して急激に実力が伸びたわけではない。多くの研鑽と果てしない努力によって形成されたものである。


 ならば、その過程で必ず結果を残しているはずなのだ。


 高校二年生。真才の活躍はこの西ヶ崎高校の将棋部に入ったところから全てが始まった。


 入部すらしていない状態で早々に部のエースである東城美香を完封。その後も部の面々を多面指しで撃破し、そのままの勢いで黄龍戦に出場してあっという間に優勝。


 そこからは哲郎自身が見てきた通り、圧倒的な指し回しで県大会も躍進。凱旋道場を流れるように叩き潰し、県大会までもストレートで優勝を果たす。


 それだけではない。その間に起こった様々な事件をまるで片手間に片付けている。


 これだけの才を持った人間がどうして今まで世に姿を現していなかった?


 いや、どうして"今になって"姿を現したんだ?


 哲郎の疑問は、ただその一点だった。


「真才君。君が香坂賢人君との対局を目標に掲げていたことは分かった。でも、どうして"今"だったんだ? もっと後からでも、もしくはもっと早くからでも良かったんじゃないかね?」


 そんな哲郎の言葉に真才は笑って答えた。


「……さぁ、どうしてでしょうね。退屈な高校生活の穴埋めをしたかったのかもしれませんし、過去の夢に、約束に未練があったのかもしれません。俺の行動ひとつひとつにそんな特別な理由はありませんよ。深層心理の気まぐれですから」


 はぐらかすような言い方をする真才に、哲郎は睨みを利かせて語彙を強める。


「──果たしてそうかね? 君ではない真才君の本心は、今とは違う答えを持っていそうだが」


 凡人のように振舞っていた顔がヒクつく。人畜無害に笑っていた顔に影を落とす。


 この時、この瞬間、哲郎の一言は真才の真意を看破する。


 しかし、当の哲郎本人もしてやったような顔は浮かべていない。むしろ冷や汗、自分が彼の地雷のどこまで足を踏み込んでいるのか、踏み込み過ぎていないか、ただそれだけが心配だった。


「……人を多重人格者みたいに扱わないでください。香坂賢乃じゃないんですから」


 真才は一息つくと、そんな言葉を返した。


「確かに、君のそれは多重人格とは少し違う。どちらも君の人格であり、君の本心であることに違いはないのだろう。……でも、考える脳が複数存在している」


 そこまで聞いて、真才は少し感情のトーンを落として真顔になる。


「……俺を知って何になるんです?」

「私は君達の顧問だ。悩みは全て聞きたいし、その支えになりたいと思っている。特に君の辛さは言葉にしなくても伝わってくるんだよ。……だからなおさらなんだ」


 真才は哲郎の悪意のない真意を見抜いていた。しかし、見抜いていてもなお言葉に行き詰まる。


 果てはため息とともに頭を掻いた。


「俺のつまらない過去を知りたいんですか?」

「とっても」

「知ったところで幻滅するだけですよ」

「誰しも黒歴史はあるものさ、男の子なら特にね」


 よほど話したくない姿勢が伝わってくる。


 しかし、哲郎はそれでも知りたかった。


 真才のプライバシー、過去の全てを知りたいわけじゃない。ただ、どうしてそれだけの才を持ちながら今になって行動を起こす気になったのか、それだけが知りたかった。


 香坂賢人と戦う約束。それを何よりも優先にしていた彼が、香坂賢人の生死すら分かっていなかったのはあまりに不自然である。


 それほど将棋に熱中していたということなのだろうか。それとも周りが見えていなかったのか、そこまで意識が向いていなかったのか、まさか死んでいるだなんて予想外の未来は想像できていなかったのか。


 ──哲郎の知る渡辺真才は、その全てを見越して最善の選択を取っていたはずである。


 これは哲郎にとっての過剰な期待ではない。予期できる事実だ。それほどまでに真才の知略は一線を画していた。


 しかし、そんな哲郎の真意を見抜いている真才は、二度目のため息を吐いた。


「……何か勘違いしているようですが、俺は何の才能も持ってませんよ」

「それこそ勘違いだろう? 君ほどの才覚に、才能に溢れた子を私は知らないよ」


 ──その言葉の途中だった。


 真才の目の瞳孔が開き、殺気が漏れる。


 それは、真才による明確な怒りのこもった声だった。


「鈴木会長。あなたは生まれながらに何の才能も持たない人間が、生まれながらに何の取り柄も持てない人間が、それでも好きなもののために情熱を注ぎ続ける地獄を知っていますか?」


 知らない。知る者はいないだろう。


 多くの者は好きだから続けるわけではない。続けているうちに好きになっていくものである。そして続けられるということは、その人にとっての得意なことである。


 真才は将棋が好きだった。しかし、将棋に才はなかった。将棋が好きであるずなのに、どれだけの努力を重ねても成長しない。取り柄とはならない。


 結果、半端に終わった真才の将棋に対する実績は、後の怪物と評される自滅帝の完成には程遠いものだった。


 それからどれだけの研鑽を積んだだろう。


 ──地獄だった。真才にとっては本当の意味で地獄だった。


「俺に才能がある? 面白い冗談ですね。5年前の俺を見て同じ言葉をぶつけてみてください。きっと目の前で首吊りますよ」


 何かがあった、何かがあったのだろう。それだけを答えに本音を漏らした真才に対し、哲郎は身を引いて頭を下げた。


「……すまない、失言だった。今の言葉は訂正させてほしい。才能があるだなんて軽々しく口にしたこと、謝罪する」

「……いえ、俺の方こそ少し興奮してました」


 そうして互いに非を認め合うも結局真才に関しては何も分からず終い。色々と言葉を交わしたつもりでも、真才から得られた情報は何もなかった。


 哲郎は苦笑する。


 彼の持つ責任を、負担を、少しでも減らすのが顧問としての役割。しかし当の本人は全く隙を見せてはくれない。


 ただ、少しは自分を頼ってほしいという願いが強すぎたのだと反省する。


「──別に期待するような理由じゃないんです」


 そんな諦めかけてる哲郎に、真才は背を向けると一言呟いた。


「……空の飛び方を知らなかった鳥が、ようやく飛べるようになったんです。誰かに自慢したくなるものでしょう?」


 ※


「……はぁ」


 真才が去って行ってから一人、部室に残って思考に耽る哲郎。


 渡辺真才という人間の本音が少しだけ聞けたと同時に、今の哲郎にはあり得ない量の情報が襲い掛かっていた。


『それじゃ、また来週。お疲れさまでした』

『来週……?』

『土曜日にWTDT杯に出場するので、それまで部活は休みます』

『ちょ、ちょっと待ってくれ。WTDT杯? 真才君、いつ間にそんな大きな大会に出ることが決まったんだい? 私は初耳だよ!』


 そう、真才は去り際にWTDT杯への出場を決めていたことを哲郎に告白した。


 これは哲郎自身も知らない情報だった。


(全然意図が汲み取れない……。なぜ、いつの間にWTDT杯に出場することになってるんだ……? いや、そもそも真才君はそこで何を得ようとしているんだ……。これから全国大会を控えてるというのに、あんな全国に配信される大会に出ては棋譜の情報が拡散されてしまう)


「……配信……?」


 ──思えば、先日の来崎夏との戦いもそうだった。


 非公式戦でありながら、水原記者の頼みを受け入れてその棋譜をリアルタイムで全国配信。黄龍戦の全国大会が控えているのに、西ヶ崎高校のトップメンバーを、それも2人分も全国に本気の棋譜を拡散させた。


 明らかに不利になる行為だ。全国の選手はこぞって自滅帝と来崎夏の対策に身を乗り出すだろう。


 目の前に落ちてる最新の棋譜、それも全力なのが丸分かりな棋譜。そんな、誰もが飛びつく情報を自ら進んでばら撒いている。


 今回のWTDT杯に関しても同じだった。


 黄龍戦に参加していない天竜一輝や、公式戦にはあまり顔を出さない青薔薇赤利が出場するのなら分かる。


 しかし、真才には全国大会が控えている。優勝すればプロ棋士になる可能性を得られるその大会に、多くの者は死に物狂いで対戦相手の弱点を探そうとするだろう。


 そんな餌を求める魚たちを前に、真才はまるで望んだ結末を用意するかのように餌をばら撒いている。


 ──意図的としか思えない。


 思慮の思慮、あまりにも深い水底へと潜った哲郎は、これまでの会話を思い出して何かに気づく。


「……いや、まさか。そんなことが……」


 哲郎は真才が去っていた部室の扉に目を向けると、唖然とした表情でそう呟いた。


 部活の終わりを告げるチャイムの音だけを残響させて。




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