目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報
第百四十七話 本物の死神

 死神を呼ぶような鐘が鳴る。


「……呼ばれていますよ、宗像先生?」


 真才はさしまねくように首を傾け、何もかもを知っていそうな瞳で宗像に視線を飛ばす。


 ──対する宗像は、顔を引きつらせていた。


 自分は今まで誰かに呼びだされるようなことをしたことはない。少なくとも、表立って目立った行動はとっていなかった。


 だが……いや、あり得ない。


 宗像の中で生まれた最悪の可能性は、外に出ることなく消化される。


 目の前の生徒一人に何ができるというのか。告発? 拡散? 好きにすればいい。それだけで現状を変えられるほど銀譱の力は軽くない。


 それに、この件を大事にしてしまったら、騒ぎが大きくなったら、彼ら選手の全責任を担う運営側が絶対に放っておかない。


 立花徹は世襲でトップに立っただけのボンボンだ。その厳格な性格は、自身の立場を危うくしたくないという保守的な考え方から来るもの。決して柔軟な対応ができる男じゃない。


 ほんの少しでも自身の送り出す選手に疑惑が掛かれば、あの男は保守的な考えに陥って選手の出場を中止させる。それは前回の県大会での渡辺真才に対する対応を見れば一目瞭然だ。


 だからこそ、こいつらは派手に動くことができなくなっている。八方塞がり、詰みだ。


 ──だから、あり得るわけがない。


 校長室までたどり着いた宗像は、その手を恐る恐る震わせながら校長室の扉を開ける。


「な、なんでしょうか。校長──」


 扉を開けた先、視界へと飛び込むその光景に、宗像は絶句した。


 奥の執務机で肘をつき、両手を組みながら座っている目黒めぐろ利明としあき校長。


 そして、その傍らで眼鏡を光らせている──


「あ、ぁ……!?」


 ──第十六議会末席、鈴木哲郎。


(バカな、あり得ない……! なぜ、なぜ!? なぜ、奴がここに……!?)


 不動の末席、辺境のご老体、普段は使い物にならない無法者として両組織からもいない者として扱われることが多い男。


 しかし、ひとたび動けば山すら動く。


 議会の懐刀。過去にそう呼ばれいた鈴木哲郎が、自分と目を合わせている──。


「宗像、もしかしてこの方とお知り合いか?」

「い、いえ……っ」


 宗像は濁流のような汗を流しながら小刻みに首を振る。


 ここで頷けば、自分は組織間の争いに関与していると白状しているようなもの。絶対に認めてはならない。


「やぁ、宗像君。久しぶりだねー?」

「っ……!」


 それを知ってか知らずか、哲郎は初対面であるはずの宗像にまるで知り合いであるかのように手を振ってきた。


(一体何の目的だ。どうしてここにいる……ッ! クソ、あのガキ、何かしやがったな……!?)


 宗像は哲郎から目を背け、なるべく表情に表さないよう冷静さを装う。


 ──この男、鈴木哲郎が最後に動いたのは黄龍戦の地区大会である。


 青薔薇赤利を引き連れ、自らも戦場に出る大胆な行動。それは第十六議会の席に座る者だからこそできる、銀譱に臆しない立ち回り方だ。


 無論、銀譱委員会もその件は非常に警戒していた。鈴木哲郎が戦場に赴く以上、何かしらの策は練っているのだろうと。


 だが、鈴木哲郎は地区大会で銀譱道場を1つ潰しただけで、他には何もしなかった。優勝するでもなく、他者に冠を明け渡した。


 ──だからこそ、銀譱委員会の不信感は募りに募っていった。


 銀譱委員会側がやたらと渡辺真才へのあたりが強かったのは、鈴木哲郎が関与している可能性が多少なりあったからだ。


 しかし、西ヶ崎高校は両組織に属していない。宗像銀司という『スパイ』の枠を除けば、西ヶ崎将棋部の面々に組織と関わる状況は訪れない。


「──して。君、今日ここに呼ばれた理由が分かるか?」

「い、いえ……全く心当たりが……」

「そうか、ならば話そう」


 目黒校長の睨みが宗像の心臓を射貫く。


「我が校──西ヶ崎高校は、生徒達が個々の信念をもって部活動に励むことを信条として掲げている。ゆえに、外部からの圧力に屈することを良しとせず、己の努力のみで成果を残すことそのものに意義があると私は思っている」


 宗像の額から汗が流れ落ちる。


「──だからこそ私は、今日まで他所の色彩が入ってくることを嫌悪していた。金に目が眩み、多角的な視点から物事を見れていない存在達。団体、組織、企業といった者達からなるべく関与しない学校を創り上げてきたつもりだ」


 そう言って目黒校長は組んでいた両手を解くと、見上げるように宗像と目を合わせた。


「──だが、君は先日、恣意的しいてきに部活を廃部にさせようとしたそうだな?」


 ──バレていた。しかも、その真意まで。


「……は? 何を言ってるんです? 私がそのようなことをするわけがないでしょう?」

「そうだな。君はまだ何もしていない。廃部の手続きも、それらを職員会議で決めたという出まかせも、君はまだ、何一つ行動に移してはいない。後になって無実を証明するつもりだったのか、それとも──いや、そもそも君は『その件』が済んだらもはやこの学校にいる必要すらないのだろう?」


 何もかもが核心。一体どこで、どうやってその真意を知ったのか、宗像の心臓は高鳴りを越える。


 しかし、それでも目黒校長の話を鼻で笑って誤魔化した。


「……あの、校長、貴方はさっきから何をおっしゃってるのですか? 私には何が何だかさっぱり──」

「そうか、さっぱりか」


 そう言葉を紡ごうとした瞬間、目黒校長は机に資料のようなものを投げ捨てるように置いた。


 それを見た宗像の背筋が一瞬で凍り付く──。


(なッ……!?)


「これが何か分かるか? ──君が銀譱委員会との繋がりを示す確固たる証拠だ」


 目黒校長が見せた資料には、元銀譱委員会の役員として活動していた宗像銀司という男の記録がずっしりと書かれていた。


「そ、そんなものどこで……! ど、どこで手に入れたんですかッ!?」

「どこででもいいだろう。それを今、君が知る必要があるのか?」


 そしてその資料は本来、銀譱委員会の本部──宗像銀司の座っていたデスクの引き出しにしか存在しない。


 誰にも見つからない、見つかることのない。宗像銀司の唯一の弱点。


 それを、まるで「ほら、証拠だ」などと言わんばかりの軽い気持ちで出された。


 ──そんなバカなことがあっていいのか。そんなバカなことが……。


 そう焦る宗像とは反対に、目黒校長は冷静な眼差しで置かれた資料をトントンと指で叩く。


「君は以前、将棋部を存続させるには銀譱委員会の支援が必要だと言っていたな?」

「っ……!」

「支援を受けなければ将棋部の発展は夢のまた夢、大会への参加費が生徒達の自費であるならば、部員が部活に居つく理由は無い。少しでも良い成績を残したいなら銀譱委員会の支援を受けるべきだと。そして、その対価として──活躍した選手がいれば、そこに銀譱委員会の名を添えて欲しいと」

「そ、その通りです……!」


 宗像はトントンと叩いていた指を拳に飲み込ませてそのまま机を強く叩いた。


「私はそれを断った・・・はずだが?」


 宗像の顔が引きつる。


 西ヶ崎高校は、表立っては銀譱委員会に所属していない。それが西ヶ崎高校の矜持であり、信条。ゆえに二つの組織から板挟みにされている現状に、目黒校長は難儀していた。


 ──が、水面下では既に銀譱委員会の傘下になっている。


 西ヶ崎高校の将棋部で優秀な成績を残せば、どんな選手であっても銀譱委員会の支援を受けられる。──などという噂がどこかしこで広まっていたのも、西ヶ崎高校が銀譱委員会の手中に落ちている何よりの証拠である。


 西ヶ崎支部のマークには、知らず知らずのうちに銀譱の色が付けられていた。


 孤高の存在を決め込む西ヶ崎の間で繰り広げられる両組織の利権争い。……だが、銀譱は先んじて少しずつ毒を撒いていたのだ。


 ──目黒校長が出した資料には、そのこともしっかりと書かれていた。


「ま、待ってください校長! わ、私は本当に何も知らず──!」


 知っている。宗像は全てを知っている。


 だが、それでもまだ言い逃れできると踏んでいた。知らないとしらを切り通せば、目的を達成するくらいはギリギリなんとかなると思っていた。


 例え自分の進退が関わる事案になろうとも、この学校から追放されることになろうとも、目的さえ達成できれば何もかも用済み、宗像は晴れて元の席に戻れる。


 そう、西ヶ崎将棋部さえ潰せれば。否、全国大会にさえ出させなければ。


 ──宗像は、勝利するのだ。


「いいや、今さらながら君の意見には一理ある」

「え……?」


 なぜか、凍るような冷気が背後から漂った。


 目黒校長の突然のひるがえしに驚く宗像。


 何を思ったのか、目黒校長はその場から立ち上がると、それまで黙って立っていた鈴木哲郎の方へと少しずつ歩み寄る。


「君の言う通り、支援は大事だ。いくら金に物を言わす者達が嫌いといっても限度がある。それで生徒達がすくすくと成長していかなければ意味がない。だから私はひとつの決断をすることにした──」


 目黒校長はそう続けると、哲郎の肩に手を置いて未だ唖然としている宗像を見た。


「──我が校は本日より、第十六議会と正式に手を組むこととする」

「………………………………」


 宗像の息が止まった。


(…………は?)


 何を言われているのか分からないほどの酩酊と、耳鳴りがするほどの幻聴に苛まれ、時間の流れがゆったりと遅くなり、そんな時間がいつまでも長く続く地獄のような刹那の感覚を叩き込まれた。


(何が……何が……どうなって……そんな結論に至る……? 校長は……なんで議会と手を組む流れになったんだ……なんで、なんで……は、はぁ!? 意味が、意味が分からねぇ……!! なんだこの茶番は!? 何がどうなってそんなバカげた結論にたどり着いたんだ! ふ、ふざけんじゃ──!!)


 ガチャ──。


 そんな音と共に宗像の背後にある扉が開く。


「──これでいいんだろう? 渡辺真才くん」

「はい」


 そう言って、真才は校長室の扉をノックもせずに入ってきた。


 その声はまるで死神のようで。


 首筋に伝う冷気の出どころで。


 命を刈り取る鎌を首元にかけられているかのようで。


「あ、また会いましたね。宗像先生」


 自分が一体誰を相手にしてしまったのかを、恐怖と共に呼び覚ました。


「は……?」


 宗像の凄い視線が真後ろの真才へと向けられた。


 そして、理解した。


 そう、事が始まる頃には。



 ──すべて終わっていたという、事実に。




コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?