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第百三十三話 銃口を向けられたとき

 互いの思惑が交錯するのはまだまだ先、局面は10手前後しか進んでいない序盤も序盤。


 だというのに、来崎と木下の間ではピリついた空気が流れている。


 そして──。


「来るぞ……」

「ああ、木下さんの扱う最強の戦法が……」


 木下の銀が中央の5段目まで進出すると、いよいよもってその戦法が頭角を現す。


「……!」


 それは緩やかな砲弾。目に見える渾身の一振り。当たりさえすれば脳天を直撃できる、古きにして未だ現存する一辺倒の最果て。


 ──その名は『原始棒銀げんしぼうぎん』。


(これが、最強の戦法……?)


 真才は考え込むように盤面へと目を向ける。


 棒銀は他の戦法と比べても比較的狙いが単純なことで知られ、初心者でも覚えやすい戦法の代表格として挙げられている。


 しかし、ある程度将棋に慣れた中級者帯になると、棒銀の単純な攻めをとがめられて負けてしまうケースが多発し、やがて採用しなくなることが多い。


 棒銀を使っているうちは初心者、棒銀を使わなくなったら初心者卒業と位置付ける者もおり、棒銀戦法には初心者のイメージがまとわりついている。


 だが、棒銀は決して初心者の戦法ではない。


 ──むしろ、上級者にこそふさわしい戦法の筆頭格だ。


(棒銀は初心者向けの戦法だと誤解されがちだが、プロ棋士の間でも使われる立派な戦法のひとつ。……まぁ、若い者には分からんだろうが)


 木下は不敵な笑みを浮かべると、来崎が棒銀に対してどのような対策を用いるのかをしっかりと観察する。


(棒銀の対策として挙げられる受け方はいくつもあるが、ワシはその対策に対抗する手を網羅しておる。さて……どんな手で応じるのかね?)


 そうして手番が回ってきた来崎は、臆することなく攻め側の駒を動かして時計を押す。


「む……?」

「おいおい、あれ大丈夫なのか?」

「限界まで受けないつもりか……?」


 木下の戦法が棒銀であるとはっきりしたにもかかわらず、来崎は受ける手を指さなかった。


 攻撃力だけで見れば最強クラスに分類される棒銀がなぜ主流にならないのか。それは、狙いがあまりにも"単調"すぎるからである。


 将棋は常に狙いを複数持ち、相手に悟られず、読み合いに勝ってこそ立派な攻めというものが成立する。


 しかし、棒銀の狙いは一辺倒であり、"これからここの部分を攻める"と宣言するくらいには攻めが分かりやすい。


 ゆえに対策が容易であり、棒銀が使われなくなる最たる理由でもあった。


 だが……。


「なに……!?」

「マジかよ……あの嬢ちゃん、棒銀の恐ろしさ分かってねぇのか?」


 来崎は再び手番を貰っても、木下の棒銀を受ける手は指さず、他の手を指した。


 まるでやってこいと言わんばかりの挑発じみた行為だ。


(田辺さんを倒したから少しは苦戦するかと思ったが、杞憂だったか)


 木下は来崎の実力を推し量りながらも、自らの成功した攻めの陣形を見て鼻で笑う。


 棒銀の最大の欠点は、その圧倒的な攻撃力が日の目を見るより先に受けられてしまうことにある。


 だが、今の木下の陣形は完全な棒銀の成功パターン。攻めが繋がり、棒銀最大の攻撃を発揮できる理想の状態だ。


「嬢ちゃん、残念だけど、この形になっちゃうとオジサンが勝つようにできてるんだよ。帰ったら勉強してみるといい──」


 木下はそう言って棒銀の成功手ともいえる飛車先の歩を突く。


 来崎の守りの銀と、木下の攻めの銀の交換になり、棒銀は目的を果たして無事役割を終える。


 守りを欠損した状態になった来崎に対し、木下は攻めの銀が持ち駒に移動して攻撃力が増すばかり。


 棒銀の成功。──それは、誰の目から見ても明らかだった。


 ──刹那、来崎の桂馬が盤上を飛翔する。


「……!」

「攻め合い……!?」

「ここで……!?」


 間髪入れずに指し返してきた来崎の一手に、木下は悪寒のようなものを感じ取る。


(苦し紛れの抵抗か……?)


 疑念を抱きながらも、木下は来崎の攻めをしっかりと躱す。


 しかし、来崎は飛車先の歩を突き捨てて豪快に端を絡めると、そのまま飛車を捨てる勢いで捨て身の攻撃を放ってきた。


(……っ!?)


 悪寒は鳥肌に変わり、鳥肌は冷や汗を生んで全身を震えさせる。


「嘘だろ……!?」

「おい、あの嬢ちゃんやべぇぞ!」


 その上級者過ぎる攻めの作り方に、全員が理解した。


 ──この少女は、到底初心者などではないと。


(あぁ、そう言うことか)


 そこで真才は、木下の真意を看破する。


(来崎に棒銀は意味がない。攻め合いの十八番《おはこ》がひしめく魔境で育った人間だからな)


 戦法とは武器であり、その武器を上手く使えるかは使い手の技量にかかっている。


 原始棒銀は確かに強い。そして、強い武器を持っていれば、初心者でもそれなりに戦うことができる。


 しかし、それはあくまで武器の力、戦法の力である。


 使い手が受け手の技量を上回っていなければ、意味がない。


(棒銀だぞ……! 目に見えた攻め筋だぞ……!? それを無視して殴り合いに出るなど、血気盛んにもほどがある!)


 木下は焦燥しながら、自身と来崎が互いに王様を詰ますまでの手数を計算する。


 ──その数はちょうど『一手差』である。


(なっ……!?)


 それは田辺を倒したときと全く同じの手数計算。一手差というギリギリの間合いで勝利するという、あまりにも偶発的な出来事が再び巻き起こった。


 いや、本当にこれは偶然なのだろうか?


「ぬぅぅ……!」


 棒銀という攻めの代表格とも呼べる攻勢に、守りを放棄して攻め合いを持ち出す異常な指し回し。


 そのことに周りはドン引きしたように驚きを見せるが、そこに来崎の策は存在しない。


 来崎は初めから、木下の棒銀を真正面から受けるという考え自体がなかった。


 なぜなら、来崎は過去に"本物"の棒銀を何度も味わっているからである。


 そう、自滅帝の棒銀──真才の棒銀である。


 真才の使う原始棒銀は、どんなに受けても攻めが繋がる。どんなに対策しても破られる。そんな不条理極まりない戦法の権化となっていた。


 そして、そんな鬼のような棒銀をいちいち真正面から受けてもキリがないと悟った来崎は、むしろ自分から攻め返せばいいという気の狂った極論を導き出した。


(目の前の相手に銃口を向けられたとき、どうすればいいのか)


来崎は以前に真才から言われた言葉を思い出す。


そしてそれは、奇しくも真才の思考と重なった。


(──簡単だ。被弾を覚悟で突進すればいい)

(──簡単だ。被弾を覚悟で突進すればいい)


 現実では傷を負うことそのものが負けに繋がるが、将棋であれば関係ない。


 どんなに傷ついても、最後に王様を詰ませば勝つ。どんなに攻められても、相手より一手早く王様を詰ませば勝つ。


 ──木下の『原始棒銀』より、来崎の『極限はやり銀』の方が早かった。


 ただ、それだけである。






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