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第百二十九話 薄明にすがって

「え……なんで……?」


 突然告げられた将棋部の廃部。


 そのあまりにも唐突な宣告に、葵は将棋盤を両手に持ったまま呆然と硬直する。


「は、廃部って……」


 隼人も愕然とした表情で兄である魁人と目を合わせる。


「なに言ってんのよ……ていうか、アンタ誰よ……!」

「これは申し遅れたな。私は宗像むなかた銀司ぎんじ、西ヶ崎高校3年2組の担当教師にして、本将棋部の──『顧問こもん』だ」

「顧問……!?」

「そ、そんな……この部に顧問がいるだなんて聞いてないっすよ!」

「そうだ、この部は部長が先導してきたんだ! ふざけるなよ……!」

「いいや? 確かに武林勉はお前達をまとめ上げていたかもしれないが、形式上は私がこの部の顧問教師となっている。ゆえに、この部に関する全権を持っているのもまた私だ」


 宗像の視線が部室の最奥で黙っている勉へと向けられる。


 しかし、そんな宗像の視線を遮るように魁人が立ちはだかった。


「俺達は部長の元でずっとやってきたんです。それなのに、顧問であるアンタは今までこの部に顔すら見せてこなかった。そんでもって唐突に現れたかと思えば勝手に廃部を宣告するなんて、あまりにもこちらの事情を考慮してなさすぎではありませんか?」


 冷静にそう告げる魁人の眼には、確かな怒りが宿っていた。


「何と言われようと結果は変わらない。既に職員会議でもこの部の廃部が決まっている」

「はァ!? 何勝手に決めてんだよ、んな話聞いてねェよ! いくらなんでも理不尽すぎんだろ!」

「落ち着け隼人。──そうです、理由を話してください。これはあまりにも一方的です」

「……」


 宗像はその質問に沈黙を返した。


 理由が述べられない。つまり、正当な主張ではないということ。


「は……? 何黙ってんのよ……? 理由を話せっていって──」


 傍で聞いていた東城の怒りが沸々と湧き上がる。


「──ふ、ふざけんじゃないっすよ!」


 しかし、それより早く感情が決壊したのは葵だった。


「わたっ、アオイがこの部に入ったのは、大会で活躍すれば奨励会に推薦するって聞いたからで……!」

「どこでその情報を知った?」

「そ、それは……」


 宗像の質問に言葉を詰まらせた葵は、それ以上の勢いを無くし、目だけで宗像に訴えかける。


 宗像はそんな葵を鼻で笑うと、全員に背を向けた。


「まぁいい、とにかく廃部は決定した。猶予は来月まで作ってやるから、その間にお別れ会でもしていろ」


 問答の終わりを余儀なくされ、宗像の真意を崩せないまま捨て台詞を吐かれてしまう。


 そんな横暴な態度を見せたまま去ろうとする宗像に対し、東城が口を開いた。


「はっ、とんだクズ教師ね。言うだけ言ってこちらの事情はお構いなしかしら? ……いいわ、別に部活がなくったって大会には出られるんだから。廃部にしたければ勝手にすれば?」


 苛立ち混じりにそう告げた東城は、これ以上宗像と会話を続けたくなかったのか、目線を合わせず悪態をついた。


 だが、それを聞いた宗像は悪辣な笑みを浮かべて振り返る。


「何か勘違いしているようだが、黄龍戦は支部会員限定だ。廃部になれば全国にはいけないぞ?」

「え……?」

「お前達は西ヶ崎高校が所有する『西ヶ崎支部』の名を借りて大会に参加している支部会員だ。その費用も年会費も全てこちらが負担している。まさか、アマチュアの大会だからとタダで公式戦に参加できると思ってはいないだろうな?」


 東城の頬がピクリと痙攣する。


 その事実は、学生だからこそ甘えられていたもので、学生だからこそおざなりになっていた部分だった。


 全員がそれ以上の具申ぐしんを出すことができず、押し黙る。


「くっ……」

「派手に動きすぎたな、武林勉。お前はもう少し冷静な男だと思っていたが」

「ちょ……待ちなさい!」


 東城の制止させる声も虚しく、宗像は最後にそう言い残し、部室の扉を開けて去っていった。


 ガタン、と閉まる部室の扉。


 後に残されたのは、やり場のない怒りと、どうしようもない無力感に苛まれた将棋部の部員たち。


 そして、この部が無くなってしまうという、あまりにも理不尽で納得できない現実だけだった。


「部長……」


 心配の色を浮かべた東城の呼びかけに、将棋盤を見つめていた勉が無言で席を立つ。


「……すまない、すべてオレのせいだ」

「そんなこと……ないっすよ……」


 勉の言葉に、葵はなんとも言えない表情で目をそらす。


「葵君……」

「あ、あはは~……アオイのことは大丈夫っすから! そんな顔しないでくださいよー!」


 少し無理をしながら笑顔を取り繕う葵。


 そんな葵の心境を分かっている東城は、複雑な表情を浮かべて話題を切り替えた。


「……それで、明らかに急な廃部宣告だったけど、心当たりはあるの?」

「オレもすべてを理解しているわけじゃない。……だが、おそらくは銀──」

銀譱ぎんぜんだろうな」


 勉の言葉に割って入って、隼人が被せるように告げた。


「銀譱って……銀譱委員会?」

「あぁ。そもそも前回の渡辺の一件、犯人は東地区の遊馬あすま環多流わたるだったわけだが、アイツは文字通り銀譱道場のエースだ。上とつるんでいてもなんらおかしくはない」


 名前からして縦の繋がりは明確にある。


 つまり、環多流の行為を銀譱は肯定していたと見るのが妥当な読みである。


「銀譱は渡辺を、俺達西ヶ崎を貶めて県大会への出場停止を狙った。これはなぜだと思う?」


 そんな魁人の問いに、葵が疑問府を浮かべる。


「それは単純に、県大会を優勝したいからじゃないっすか?」

「たかがアマチュアの県大会を勝つためにこんなリスクを犯すか? 仮に勝ったとしても、全国で負けたら意味ないだろ?」

「それはそうっすけど……」


 不審な点はいくつかあった。


 しかし、目の前の対応に追われていた自分たちにはそのことに関して考える時間がなかった。


「そもそも考えても見ろよ。凱旋道場の青薔薇赤利はなんで未だにアマチュアなんかやってるんだ? あの棋力は間違いなく奨励会有段クラス、下手したらプロに匹敵するレベルだぞ。少なくとも並みの女流棋士はとうに超えてる。……それなのに、未だにアマチュア界に残っている」


 それは、青薔薇赤利に限ったことではない。


 メアリー・シャロンも同時に、女流棋士となれる棋力を十二分に保有している。


 だが、二人ともアマチュアで高みを目指そうとしている。プロの世界に興味を示していない。


 ──明らかにおかしかった。


「理由は分かるの?」

「分からない。ただ、こうした違和感があるという事実だけだ」


 問題だけを提示して、あとの解決は専門外だと言わんばかりに魁人は告げた。


「……そう。アタシも難しいことは分からないけど、確かに違和感はあるわね」

「まぁ、俺が言いたかったのは奴らの目的じゃない。動機だ。銀譱は俺達を貶める動機がある。それが今回の廃部に繋がっているんじゃないかと思ってな」


 問題だけを知っている探偵が、事件に首を突っ込んだところで犯人の真意は掴めない。


 一見、真実を追い求めて事件を暴いているように見えた魁人だが、その本質は違っていた。


 ──誰が敵で、どうすればこの部を守り抜けるか。


 単純な話、それだった。


「……ミカドっちなら」


 解決に至らない不安が渦巻く空気感の中、葵の漏らした一言で、それまで暗かった全員の表情が変わる。


「──ミカドっちなら、なんとかしてくれるんじゃないっすか?」


 これまで幾多もの壁を難なく越えてきた彼なら。


 すべてを見通してきた彼なら、この問題も解決してくれるんじゃないか。


 そんな期待が各々の心の中に渦巻く。


「いや、しかし……渡辺君ばかりに負担をかけるわけには……」

「困ったときはお互い様っすよ! それに、ミカドっちなら絶対なんとかしてくれるっす!」

「……そうね。真才くんならこういう問題もあっさり解決しちゃいそうね」


 まだ部に入って数ヶ月の新人。ただの学生でありながら、自身の身に降りかかる問題をことごとく振り払ってきた男──渡辺真才。


 そんな彼に向けられる信頼は、あまりにも絶大だった。


「でも、このことを伝えるのは後日にしましょう。今はまだ二人とも学校を休んでいるし、明日は復帰も兼ねてデートらしいから」

「けっ、大会終わってもう女かよ。アイツ本当に陰キャなのか?」

「賭けていたらしいわ。あの一騎打ちで来崎が勝ったらデートするって」

「ライカっちも隅におけないっすね~!」


 二人の話題で、部室にいつもの和やかな空気が戻る。


 そんな様子を汲み取った勉が、頭を下げて謝罪した。


「みんな、改めてすまなかった。ひとまずこの件はオレがなんとかしようと思う。そこでもし、渡辺君に協力してもらうことができたら伝えてくれ」

「分かったわ」

「部長、また勝手にいなくならないでくださいよー?」

「ああ、肝に銘じておこう!」


 こうして、西ヶ崎将棋部は廃部の危機を迎えるも、なんとか見えつつある光明に各々が希望を絶やさず前を向いていくのだった。


「……」


 ──そして、そんな彼らの様子を部室の外から一人、聞き耳を立てていた男がいた。






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