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第百十二話 地獄へようこそ

 県大会1ヵ月前。


 学校を仮病で休んでいた佐久間兄弟は、自転車で30分ほどの道のりを経て少女の道場に訪れていた。


「来たか、入れ」


 インターホンを鳴らすと、扉を開けて小柄な少女が顔を出す。


 そのあまりにも整った童顔とサラサラと伸びた綺麗な髪色に、佐久間兄弟は一瞬だけドキッとする。


 しかし、現状の窮地を思い出した彼らはスッと真面目な表情に戻り、少女の跡を追って道場の中に入っていく。


「ここがお前の道場か……」

「いや、厳密には違う。わたしが通っている道場だな」

「それ勝手に使っていいのかよ……」


 広々とした道場の最奥で、少女はその先にある部屋の電気を付ける。


「さて、お前達の目的は県大会までに強くなりたいとのことだが、どの程度の強さを望んでいる? 県大会でまともに戦えるレベルか? それとも県大会で優勝できるレベルか?」


 少女の問いに、佐久間兄弟は揃って答えた。


「「全国で優勝できるレベルだ」」


 迷いなくそう答えた佐久間兄弟に、少女は僅かに笑みを浮かべた。


「……いいだろう。地獄を見せてやる」


 そう言って少女は部屋の中から携帯端末を2つ取り出すと、それを佐久間兄弟に放った。


「受け取れ」

「わっ」

「っと」

「まずはそれを解いてみろ」


 佐久間兄弟は言われるがままに端末の中身を見ると、そこには詰将棋の盤面が表示されていた。


 疑問に思った魁人が少女に問う。


「これは……3手詰の詰将棋か?」

「そうだ」

「……解けってことか?」

「ああ、間違えても構わん。解いてみろ」

「お、おう」

「なんだ、楽勝じゃん」


 秒で解き始める隼人に次いで、魁人も端末を操作しながら詰将棋を解いていく。


 3手詰とは、自分→相手→自分の計3手で相手の王様を詰ますことができる局面のことを指す。


 つまり、勝利目前となっている盤面から、実際に勝利することを目的とした問題である。


 1手詰を初心者の問題とするならば、3手詰は級位者の問題。有段者である佐久間兄弟には造作もない難易度だった。


 ──しかし、その表情は段々と険しくなっていく。


「……おいおい」

「……いつまで続くんだよこれ!」


 佐久間兄弟は当然のように1問目を数秒で解いた。


 しかし、そこからも問題は継続して新しいものが表示されており、10問、20問、30問と解いても終わることなく問題が表示されていった。


「なあ、これ全部で一体何問あるんだ?」

「100問だ」

「は!?」

「マジかよ……」


 3手詰がいかに簡単な問題といえど、100問も解くとなるとかなりの神経を使う。


 なまじ難易度が低いゆえか、早く終わらせようとした佐久間兄弟は後半で2回ほどミスを挟んでしまう。


 それでも5分もしないうちに100問全てを解き終わった佐久間兄弟は、クリアと表示された端末を少女に見せる。


「ふう、終わったぞ」

「簡単だが100問はめんどくさいな」

「よし、次だ」


 少女は端末を回収すると、新しい端末を取り出して再び佐久間兄弟に渡す。


「もう一回解いてみろ、ただし今度はミスはするな。制限時間は30秒、問題は全部で10問だ」

「は?」

「それ無理じゃね?」

「安心しろ、問題はさっき解いた3手詰の100問から出される」

「あぁ、なんだ……」

「まぁ、それならいけそうだが……」


 安堵する佐久間兄弟は、端末のスタートボタンを押して問題を表示させる。


「!」

「ちょっ」


 すると、画面に映っていたのはさっきとはまるで違う盤面だった。


 いや、厳密にはさっきと同じ盤面でもある。しかし、今二人の前に表示されているのは"局面全体"だった。


 基本、詰将棋と言うのは詰ます場所以外は無駄として省かれるため、局面の一部分しか表示されない。他の駒は周りにあってもなくても詰将棋の内容には変わらないため、普通であれば表示されない。


 しかし、今佐久間兄弟が見ている端末には、その無駄と思える局面の全体が表示されていた。


「ああっ……!」

「くそっ……」


 こうなると、視点が強制的に盤面全体へと引っ張られる。それでも無理やり王様周辺へと目を向けようとするが、飛車や角といった飛び道具は他の駒達に雲隠れして見つけづらい。


 そうして対処をしているうちに、残された時間が失われていく。


「終わった!」

「くっそ!」


 30秒というあっという間の時間の中、佐久間兄弟は10問全てを解き終わる。


 しかし、端末を見た少女はすぐさま二人に不合格を突きつけた。


「佐久間隼人は1問ミス、佐久間魁人は全問正解だが制限時間オーバーだ。二人ともやり直しだな」

「マジかよ!」

「……おいまて、やり直しってどこからだ?」


 嫌な予感を感じ取った魁人に口角を上げた少女は、無慈悲にも箱からさきほどの端末を取り出す。


「無論、さきほどの3手詰の100問からだ」

「……」

「……」


 おおよその流れを悟った佐久間兄弟は、無言で息を整える。


「まぁいいや、繰り返せばいつかはできるだろ」

「そうだな」


 端末を受け取った佐久間兄弟は、再び100問の問題が詰まった詰将棋を解き始める。


 しかし、数問目辺りである違和感に気づいた。


「……ん? ちょっと待てよ……?」

「お、おい。これさっきと問題が全然違うじゃねぇか!?」

「? 当然だ。同じ問題などひとつも入ってない」


 無慈悲な一言は流れるように告げられた。


「……マジかよ」

「これ全部覚えてもさっきのタイムアタックで失敗したら無駄になるのか……」


 端末に入っている問題集は全部で1万問、その中からランダムで100問ずつ選ばれる。


 つまり、どれだけの問題を覚えようと、自身の感覚が研ぎ澄まされて行かない限り終わりはない。


 ──それから30分後、数回の失敗を経て。


「っしゃ!」

「やっと終わったわー!」


 クリアと表示された端末を床に置いて、天井を見上げる佐久間兄弟。


 たった30分に思えるかもしれないその時間は、限界まで集中力を使い切った30分だった。


「一局指すより疲れたわ……」

「こんな大量の詰将棋を一気に解いたことなんてなかったもんな……」


 見た目よりヘトヘトになっている佐久間兄弟に、少女は将棋盤を持ってきて畳の上に置く。


「よし、脳も温まってきたところで、そろそろ本番と行くか」

「今のが本番じゃないのかよ!」

「今のは準備運動だが?」

「……」

「座れ」


 そう言われて畳の上に座る佐久間兄弟。


 しかしさきほどの疲れもあってか、二人とも足を崩して胡坐あぐらをしていた。


「正座はしたことないのか?」

「あー、俺達普段は椅子に座って将棋してるんだよ」

「そうそう、座って将棋するとか前時代過ぎるっつーか」


 頭を掻きながら顔を見合わせる佐久間兄弟を前に、少女は静かに正座をしながら駒箱を開ける。


「その意見は一理ある、だが今は正座しろ。そして崩すな。これからお前達はわたしと駒落ちで対局するが、その間に1回でも正座を崩したらその時点で敗北とする。そして残り5時間で1回でも勝てなかったら特訓は今日限りで終わりだ。くだんに関しても手は貸さん」

「なんで!?」

「お、おい、そりゃないだろ……!」


 焦る佐久間兄弟は急いで正座をするが、5秒も経たないうちにきつくなって少女に訴える。


「せ、正座って長時間していたり無理やりしていたりすると、血流が悪くなって足を痛めるって聞いたぞ!」

「そーだ! そーだ!」


 子供みたいに抵抗する佐久間兄弟に、少女は無表情で返す。


「何言ってる? 足など壊れても将棋には何の影響もないだろう?」

「悪魔かよ」

「コイツ本当に女の子か?」


 こうして、どんな抵抗も無駄だと悟った佐久間兄弟は、少女の言う通り正座をしながら数時間にも及ぶ対局を続けるのだった。


 こんなことをして何の意味があるのだろう。もっと手筋や定跡の勉強をした方が強くなるのではないのか。


 そう思う佐久間兄弟は、まだ気付かない。


 自分達の棋力が、そしてその強靭なメンタルが、少女によって着実につちかわれていっていることに──。




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