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第百五話 純然たる天才の暴力

 いつの世も、才覚者を崩すのは凡人達が積み上げてきた努力の一手である。


 視点が違えば隙は生まれる。どんなに秀でた人間であっても、その全てを網羅することは不可能に等しい。


 ゆえに、AI学習は人に知恵を与える。


 人の手で生み出された、人を学ばせるための機械。所詮それらは自らを高めるための道具に過ぎず、また道具に心などありはしない。


 神に最も近しい答えを編み出すその存在は、決して神の域にはたどり着けない。どれだけ願っても、どれだけ作り込んでも、人の手で作り出している以上は絶対に成し得ない境地である。


 新手の解放。それは避けようのない奇襲であり、避けようのない一手だった。


(……これは)


 正確無比だったメアリーの形勢判断にグラつきが生じる。


 膨大な数を暗記している記憶の中から近似する局面を割り出す。そして、たった今来崎が指した一手を自分の中で再計算させる。


 ──形勢が逆転している。


 メアリーの脳内で弾かれた計算結果は、そんな普通ではあり得ないものだった。


「フーン……やるじゃない、ナツ。それが奥の手ってヤツかしら?」


 メアリーは駒を手に持って不敵な笑みを浮かべる。


 角換わりの最新型さいしんけい。研究しつくされた更地を再度掘る行為。そんな狂気にも等しい財宝の発掘は、ただの人間にできるものではない。


 それが来崎夏自身の努力による成果なのであれば、今のメアリーに打つ手立てはなかった。それこそ、作戦負けからの開戦を大人しく受け入れる必要がある。


「──でも、やっぱり甘いわネ」


 しかし、メアリーは臆することなく盤上に駒を放つ。


 最善の応酬。正確な指し手。メアリーの指し手は一切狂うことがない。


(そう来ると思ってました)


 しかし、そんなメアリーの放った一手も、今の来崎にとってはただの既視感のある光景に過ぎない。


 これまで覚えてきた幾多もの分岐。最善手、次善手、その他にも候補となりそう有力手ゆうりょくしゅまで、来崎は全て暗記していた。


 ──情報は既に完結している。


 来崎の読んでいた負け筋は2つ。


 相手がメアリー以外であること。そして、メアリーが角換わり以外の戦法で指してくることである。


 無論、相手がメアリー以外だった場合も、メアリーが角換わり以外の戦法で指してきた場合の対処も準備済みである。その場合は他の有力となりそうな手法を用いて罠に嵌める方法を真才と共に研究していた。


 しかし、メアリーは選択した。来崎にとって絶対的な作戦勝ちが決まっている角換わりという戦型を。


 メアリーの指し手は常に最善手を意識しているため、手の予測は簡単だった。


 最善手というのは決して間違わないことであり、誰も隙を突くことのできない完璧な手順である。そのため、普通であればメアリーの指し手を打ち破ることはできない。


 しかし、新手という最善手を超える手を見つけてしまえば話は別である。


 ──新手さえあれば、メアリーの棋風は完全に崩壊する。



『将棋配信者ライカの応援スレPart12』


 名無しの322

 :つまり、評価値がいきなり後手に振れたのは、来崎が新手を発見したからってこと?


 名無しの323

 :>>322 そう


 名無しの324

 :>>322 そうなる


 名無しの325

 :>>322 AIの形勢判断は、最善手以外を指すとマイナスになるのが基本。だから最善手以外の手を指してプラスになったってことは新手を指したってことになる


 名無しの326

 :>>325 ヤバいな、アマチュアが県大会で新手披露かよ……


 名無しの327

 :ライカちゃんスゲーーー!!


 名無しの328

 :さすがは俺のライカ


 名無しの329

 :>>328 お前のじゃない



 局面の形勢は一転して来崎に振れていた。


 角換わりという先手が勝ちやすいとされる戦型において、後手である来崎からの仕掛けが成立したこと。これは大いに意味のある快挙である。


 もちろん、それが先手必勝を覆すに至るわけではない。数多ある変化の中のひとつである。


 しかし、それでも意味はあった。それは日々発見されていく新手の中のひとつかもしれないが、目の前の一局にとっては絶大な意味を誇る一手であったのだ。



『将棋配信者ライカの応援スレPart12』


 名無しの348

 :『評価値』後手+322 来崎夏・有利


 名無しの349

 :よしよし、悪くない


 名無しの350

 :このままいけば俺のライカがメアリーに勝てるかもしれないってこと?


 名無しの351

 :>>350 そうなるな。お前のじゃないが


 名無しの352

 :>>351 うおおおおおお!!


 名無しの353

 :『評価値』後手+356 来崎夏・有利


 名無しの354

 :いいぞ!いいぞ!


 名無しの355

 :手が進むごとに良くなっていってる!


 名無しの356

 :メアリーも指すの早いが、来崎も結構早指しだなw


 名無しの357

 :ライカは元々将棋戦争の住民だからね。早指しは得意なはず


 名無しの358

 :『評価値』後手+379 来崎夏・有利


 名無しの359

 :よしよし!!


 名無しの360

 :落ち着け……落ち着け……


 名無しの361

 :このままこの形勢を維持出来たら余裕やな


 名無しの362

 :いけーー!!勝てるぞライカーーー!!



 手数にして数十手。最善手を指し続けるメアリーに対し、来崎は覚えてきた分岐を踏襲するかのように最善手を繰り出す。


 同じ最善手であっても既に形勢が後手に振れている分、両者が手を繰り出すごとに刻々と評価値が後手側に傾いていく。


(このままいけば勝てる──!)


 来崎の中で渦巻く勝利への喜びが、指先をつたって駒を震わせる。


 最善手の応酬に隙は無い。来崎がここから間違える可能性は限りなくゼロに近かった。


 それはメアリーも理解している。


 理解しているからこそ──彼女は今も冷めていた。


「──全部覚えている」


 対局開始から50分。それまで黙っていたメアリーが数十分ぶりに口を開く。


 それがどこまでも不気味に来崎の胸に突き刺さったのは、彼女が追い詰められているにもかかわらず"冷静"であったからだろう。


「……ええ、そうね。きっとアナタはこの分岐を全部覚えているんでしょう。凄まじい努力ね。……ワタシからしてみれば、まるで普通のことだけど」


 メアリーの口調が変わる。


 片言だった喋り方をやめ、まるで人が変わったかのように向けられた真剣な眼差しが来崎を貫いた。


「……言いたいことはそれだけですか? 見れば分かると思いますが、形勢は既にこちらに傾いています。……そして、私はここから間違えませんよ」

「そうね。アナタは間違えない。それはここまでの手をみれば誰だって分かること」


 意味深な言葉を吐き捨てて盤面を見下ろしたメアリーは、まるで盤上を支配する軍師のような視線を向ける。


 そして、小さく呟いた。


「──だから、ワタシが変わる」



『将棋配信者ライカの応援スレPart12』


 名無しの400

 :『評価値』後手+429 来崎夏・有利


 名無しの401

 :うう、もどかしい!


 名無しの402

 :まだ有利のままか。まぁメアリーは最善手指し続けてるわけだから当然っちゃ当然か


 名無しの403

 :でもそろそろ優勢になるはず


 名無しの404

 :『評価値』後手+458 来崎夏・有利


 名無しの405

 :よし、少しずつ上がってきてるな……


 名無しの406

 :ライカも凄いな、ほぼ完璧に指し続けてるじゃん


 名無しの407

 :少しずつ後手に振れていってるし、このまま勝ちそうやな


 名無しの408

 :『評価値』後手+501 来崎夏・有利


 名無しの409

 :お、500越えた!


 名無しの410

 :優勢まであとちょっと!


 名無しの411

 :きちゃーー!!


 名無しの412

 :『評価値』±0 互角


 名無しの413

 :>>412 ???


 名無しの414

 :>>412 え??


 名無しの415

 :>>412 は??


 名無しの416

 :>>412 誤作動やめろ


 名無しの417

 :>>412 ビビるからそういうドッキリやめてくれない?


 名無しの418

 :『評価値』先手+1972 メアリー・シャロン・勝勢


 名無しの419

 :>>418 は?


 名無しの420

 :>>418 は?


 名無しの421

 :>>418 は?


 名無しの422

 :>>418 は??


 名無しの423

 :>>418 は……??


 名無しの424

 :>>418 はい?


 名無しの425

 :>>418 なにこれ?


 名無しの426

 :>>418 え?


 名無しの427

 :>>418 は……?


 名無しの428

 :>>418 なんで……?



 来崎が形勢の変化に気が付いたのは、メアリーが指してから3手目のことである。


「……なに、これ……?」


 優勢になりそうだったはずの局面でメアリーが指した一手は、来崎の暗記していた分岐には存在しない手だった。


 つまり、メアリーのその一手は悪手である。


 これによって来崎の優勢は確実なものとなり、メアリーは泥沼に沈むが如く落ちる一方だと思われた。


 ──だが、そこからの3手で来崎は目を疑う。


 形勢が自分に振れていない。勝っていたはずの局面が形を成していない。それどころか自身が敗勢に陥っている。


 いつの間に……なんて言葉を挟む間もなく、メアリーは告げた。


「新手を発見してワタシを潰す作戦は悪くなかったわ。──でもね、やっぱりアナタはワタシを舐めてる」

「嘘……ウソ……」


 信じられないものでも見るかのような視線を向ける来崎に、メアリーはただただ冷たい視線を返す。


 特訓の成果はバッチリだった。恐怖は薄れていた。


「たった一手の新手発見に随分な時間を掛けたみたいだけど──」


 そんな、目の前のいる存在を脅威とすら認識していなかった来崎の目には──完全な恐怖心が宿ってしまっていた。


「そのくらい、ワタシにだって出来る」


 メアリーは成し得た。成し得てしまった。


 たった今、この瞬間、この短い時間の中で……純粋に新手を"発見"したのだ。


「そんな……こと……できるわけ……」


 本当の天才とは、世代の壁をいともたやすく破壊する。


 真才との研究であれだけの時間を費やし、ようやく見つけ出すことのできた新手を、メアリーはこの対局の中で発見してみせた。


 それはただの暗記で上り詰めた安っぽい地位ではない。純然たる棋力の暴力から生まれ出る理不尽なまでの一手。


 彼女が天才たる所以は、その圧倒的な『実力』に他ならない。


 ──メアリー・シャロン。第三世代に名を連ねる才覚者。


「ワタシは、アナタの上位互換よ。ナツ」


 本気を出したメアリーの瞳に宿っていたのは、来崎と同じ極限の場所にたどり着いた者の煌然かがやきだった。





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