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第百四話 最善手を超える手

 真才先輩の県大会へ向けた特訓法は、非常に合理的で効率的なものだった。


 オーソドックスな戦い方を好む東城先輩を、あえて乱戦を得意とする葵にぶつける。互いの弱点を出来る限り削って、苦手な相手が現れた時の対策を事前に脳に覚え込ませる。


 対する私は真才先輩と二人っきりで研究することになり、外野から飛んでくる妬む視線に耐えながらも研究に没頭していた。


「いや、そこは▲同飛車じゃなくて▲6三銀かな」

「△同銀に▲7二角狙いですか。駒捨てすぎな気がしますけど、それに玉の小鬢こびんが開いてるので危険では?」

「△4四角には▲7七角と合わせる」

「でもそれだとバラして桂頭けいとう攻めが来ますよ」

「その場合は放置して▲5二銀成から▲6四飛で一手勝ちかな。△7七歩成には▲同金△8六歩▲8二銀△7六歩▲6二飛成で」

「なるほど、△8四角にはそこで▲7六金と歩を払えばギリギリ先手が保てている格好というわけですか」


 まるでオタクのように早い口調で言い合いする私と真才先輩。


 いいや、実際私達は誰よりも将棋オタクなのだろう。


 あの憧れの自滅帝と、真才先輩と研究ができる日が来るなんて思わなかった。それだけで私の内心はウキウキだ。


「……東城先輩、二人が何言ってるか分かるっすか?」

「分かるわけないでしょ、日本語にすら聞こえないわ。大体アタシは棋譜読むの苦手だし」

「アオイはある程度棋譜読めるっすけど、二人の会話が高度過ぎるっていうか、早すぎて全くついていけないっす……」


 少し離れたところからジト目を向けてくる二人に、私は指先で頬をかきながら目の前の研究に集中する。


「この変化も先手勝ちですか。どうやっても評価値はプラスから変わらないですね」

「しょうがないよ。最善手だけ追い求めた将棋は先手の勝ちが大体決まっている。だからこそプロ棋士はその辺を工夫して、あえて最善手を外す将棋に精を出しているわけだしね」


 私達が今研究している戦型せんけいは角換わりだった。


 プロ棋士の中でも特に頻出するこの戦型は、他の戦型と比べて分岐多いうえに危険な変化がよく見られる。


 しかし、膨大な分岐を計算できるAIにとって、この角換わりという戦型は先手必勝で結論が付いている。後手がどれだけの分岐を探っても、先手が最善手を指し続ける限り負けはないと言える。


 もちろんこれはAI同士の話だ。最善手100%はAIという機械だからこそ成し得ることのできる神業であって、人間には到底不可能な話である。


 しかし、世の中にはそんな常識をひっくり返す天才が稀に存在する。


 ──私が対決する予定の相手、メアリー・シャロンのAI一致率は平均8割を超えていた。


 これは異常な数字だ。


 実際、メアリーは黄龍戦地区大会の第一試合でAI一致率86%。第二試合ではAI一致率88%、決勝戦に至ってはAI一致率97%を叩き出している。


 つまり、120手の勝負があったとすれば、自身が指した半分の60手のうち、約58手が最善手ということになる。


 これはハッキリ言ってあり得ない数字。アマチュアで出していい数字じゃない。


 もちろん、最善手と言うのは相手が弱ければ指しやすく、相手が強ければ指しにくいという明確な比例がある。プロ棋士よりアマチュア帯の方が最善手を指しやすい環境であることに間違いはない。


 しかし、その事実を加味したとしても、メアリーのAI一致率は明らかに常軌を逸した数字だ。他と比べても突出しすぎている。


 ──私は、そんな相手に勝たなければならない。


「この変化で後手を引いたら、真才先輩ならどうするんですか?」

「俺はもちろん最善手は指さないよ。例え最善手じゃなくても、相手がその変化を知らなかったら実質的に最善手になるわけだしね」

「……なるほど」

「それかもしくは──最善手を上回る手を見つける、とか?」

「……はぁ」

「……なんでため息?」


 当然のようにそんな無理難題を口にする真才先輩に、私は思わず苦笑してしまう。


 ……いや、この人なら本当にそれを実現できてしまうのだろう。


 だけど、私には無理だ。


「……真才先輩ってほんと凄いですよね。私には無理ですよ」

「そうかな、無理ってことは無いと思うけど……」

「無理ですよ、大体この変化は危険な手が多すぎます。ちょっとでもど忘れしたらおしまいじゃないですか」

「まぁ、確かにそうだね……。後手を引いた以上は先手の攻めを受ける展開になりがちだし、それらを受け切った後のカウンターも形だけのことが多い──」


 真才先輩は先手プラスになっている画面を見つめながらそう呟いていると、途中で言葉を紡ぐのをやめた。


「……来崎」

「はい?」

「そこで△5五角って指して評価値出してくれないか?」

「……? ここで角出かくでですか? あんまり意味の無いような手に見えますけど……」


 私は真才先輩に言われた通り、角を1マスだけ動かしてAIに読み込ませるボタンを押す。


 真才先輩の手は、AIの候補手には上がっていなかった手だった。


 つまりは、悪手である。


「うわ、一気に重くなりましたね。えーっと……」


 ──しかし次の瞬間、私は衝撃を受けることとなる。


「……え?」


 ほんの一瞬、画面に後手優勢-670と表示されていたのを私は見つけてしまう。


「い、いま一瞬、後手優勢って──」

「ちょっと最善手のまま進めてみて」

「は、はい」


 真才先輩に言われた通り、そのまま手順に沿って先手も後手も最善手のまま手を動かしていく。


 ……すると、評価値は一気に後手に振れるようになり、気づけば後手の勝勢となっていた。


 ──後手勝勢-1638。画面にはそう表示されていた。


「……うそ」

「見つけちゃったね」


 まるで探し物でも見つけたかのような感覚でそう告げる真才先輩。


 私の目前に広がっていたのは、紛れもない後手勝ちの局面だった。


 しかも真才先輩が言った角出かくでから、後手は信じられないような妙手を連発している。AIの力でも読み切れないほど複雑で、今にも千切れてしまいそうなほど細い攻めの手順だ。


 ──でも、それがギリギリのところで繋がっている。


「……新手しんて、これ新手ですよ! 真才先輩っ!!」

「う、うん。抱き着かないで、ぐるじい……」


 私は大喜びで真才先輩に抱き着く。


 だってそれは、定跡書にも載っていない新手の手順。先手勝ちで終わっていたはずの研究の先、角換わりの一部に風穴を開ける新手の発見だ。


 ──あの角換わりで、真才先輩は後手の新手を発見したのだ。


「……し、信じられない。どうやって発見したんですか!?」

「ちょっと局面とAIの形勢判断に違和感があったから提案しただけだよ。本当に後手に振れるとは思わなかった」

「天才! もうこれは天才の所業ですよ!! 新しい定跡書の本出せますって! 大儲け間違いなしですよ!」

「なぜ儲ける話に……」


 新手という大発見をしたのにもかかわらず、落ち着いた態度でさきほどの手順の添削に入っている真才先輩。


 そんな中で、私だけが狂乱するかのように喜んでいた。


「凄い! やっぱり真才先輩は本当に凄い人です!! 本当は将棋の神様なんじゃないですか!?」

「いや、ただの高校生だけど……というかここからが本番だからね?」

「え?」


 笑顔のまま静止した私に、真才先輩が現実を見るかのような目で告げてきた。


「新手を発見したってことは当然分岐が増えるわけだから、ここから暗記局面を広げていくね。来崎には今からこの手順全部覚えてもらうから」

「……え?」


 これが県大会へ向けた特訓、地獄の1ヵ月間の始まりだった。


 ※


 ──手は、全て覚えている。


 全1085手の分岐。脳が焼け切るような知恵熱を出しながらも、私はそれらを全て覚えきった。覚えきったんだ。


 相手に最善手の攻防を繰り広げられる実力があるのであれば、後手は常に受ける展開を強要される。


 ──そんな常識を打ち破る一手を、真才先輩は見つけてくれた。



『将棋配信者ライカの応援スレPart12』


 名無しの157

 :評価値どんな感じ?


 名無しの158

 :>>157 『評価値』先手+212 互角


 名無しの159

 :>>157 ほぼ互角だけど若干先手に振れてる


 名無しの160

 :さすがに序盤はメアリーの作戦勝ちって感じか


 名無しの161

 :というかメアリー、さっきからずっと最善手ばっか指してないか?


 名無しの162

 :言われてみれば確かに……


 名無しの163

 :メアリーって過去にもなんかAI一致率クッソ高いって噂あったけど、もし本当だったら相当ヤバいな……



 定跡の中で繰り広げられる攻防の中、メアリーは強気な指し回しを続けていく。


「──あまりワタシを舐めないで頂戴」


 そう言って指していくメアリーの一手一手に、私は既視感を覚える。


 さすがとしか言えない。ここまで指したメアリーの手は、全て最善手。寸分の狂いもなくAIが導き出した手と全く同じ最善手だった。


 AI一致率が8割を超えているというのは嘘じゃない。どうやっているのか分からないが、本当に全部覚えてしまっているんだろう。


 ──天才ゆえに身につけた桁外れの暗記力。将棋というボードゲームにはうってつけの才覚だ。


 きっと、これを見ている掲示板の人達も、彼女の正確な指し手に驚いている頃だろう。


「……」

「……?」


 一見してハッキリしている形勢。どっちが作戦勝ちをしたのか一目でわかる局面。


 ……にもかかわらず、無言のまま手を指し続けていく私に違和感を感じたのか、メアリーは僅かに眉を顰める。


 実際、形勢もずっと先手に振れている。微量ではあるが、メアリーが指しやすい局面であることに間違いはなかった。


 だけど、ある時を境に……それは一変する──。



『将棋配信者ライカの応援スレPart12』


 名無しの192

 :あれ?


 名無しの193

 :!?


 名無しの194

 :え??なにこれ??


 名無しの195

 :>>192-193-194 ん?どうした?


 名無しの196

 :>>192-193-194 え、急に何??


 名無しの197

 :いや、今ライカが指した瞬間、形勢が……


 名無しの198

 :『評価値』後手+312 来崎夏・有利


 名無しの199

 :>>198 は……?


 名無しの200

 :>>198 え!?


 名無しの201

 :>>198 何?どういうこと!?


 名無しの202

 :>>198 え?なんでライカが指した後に形勢が後手に振れてんの!?普通逆でしょ!?


 名無しの203

 :>>198 まって、何が起きてるんだこれ。AIが形勢判断誤った?


 名無しの204

 :>>198 メアリーは1回も悪手指してないよな?なんでライカが指した後で後手がプラスになるんだ?どういうこと???


 名無しの205

 :>>198 ?????????????



 将棋の形勢は常に減点方式。自分の指した手番では決してプラスになることのないAIの形勢判断で、私が指した手番でなぜか形勢がプラスに傾いた。


 そのことに対し、掲示板では多くの者達が唖然とした状態に陥る。


 そして、それまで閲覧者が少なかった掲示板では、私が指した手を境に段々と注目を浴び始めていくのだった。







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