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第百三話 覚醒のデメリット

 時は少しだけさかのぼる──。


 決勝戦が始まってすぐ、多くの観戦者は大将戦に注目を寄せていた。


 凱旋道場不動のエースにして、これまで一切の本気を出さずに勝ち続けてきた青薔薇赤利。ネット界最強の将棋プレイヤーである自滅帝を冠した男、渡辺真才。


 この対戦カードは他のどの試合をおいてでも注目せざるを得ない戦いだ。


 ──しかし、それは副将戦も例外ではなかった。


「フフッ、随分としたたかネ。ナツ? 本気でワタシに勝つつもり?」

「……はい」


 相手は海外でも実績を残すほどの強者。幼い身でありながら天才の名を欲しいままにしてきた少女──メアリー・シャロン。


 そんな彼女に対するは、つい先日まで無冠の女王と呼ばれていた少女──来崎夏。


 二人の実力は知る人ぞ知る強豪の一角である。


 それはネットの掲示板でも多くの者達に注目されていた。



『将棋配信者ライカの応援スレPart12』


 名無しの56

 :なんか伸びてるな


 名無しの57

 :自滅帝スレから


 名無しの58

 :自滅帝スレからきた


 名無しの59

 :同じく自滅帝スレから


 名無しの60

 :自滅帝スレ民ばっかやん、なんで??


 名無しの61

 :>>60 自滅帝の勝ちはもう決まってるから


 名無しの63

 :>>60 自滅帝はどうせ勝つだろうから後から棋譜だけ拝見するつもり


 名無しの64

 :いやいや、まだ試合始まったばっかやろ?ww


 名無しの65

 :>>64 自滅帝が勝つのはもう確定事項なんよ


 名無しの66

 :>>64 青薔薇と自滅帝じゃレベル差も実力差も何もかもケタが違う


 名無しの67

 :>>64 自滅帝の実力知ってる者からすれば勝敗なんて見るまでもない


 名無しの68

 :自滅帝スレ民の自滅帝に対する信頼感がすごい


 名無しの69

 :自滅帝どんだけバケモノやねんw


 名無しの70

 :だからどっちかって言うと、こっちの試合が気になるんだよな



 自滅帝こと渡辺真才の実力を完全に知り尽くしている一部の者達は、来崎の掲示板に顔を出していた。


 現状、個人としての専用のスレが立っているのは、真才と来崎の二人だけである。


 そのため、自滅帝のスレが大盛り上がりしている裏では、来崎のスレもまた多くの者達に注目されつつあった。



『将棋配信者ライカの応援スレPart12』


 名無しの71

 :てかライカって配信者なんだっけ?


 名無しの72

 :>>71 たまにライブ配信してる、一応実況動画もあげてるけどこっちは稀かな


 名無しの73

 :ほーん


 名無しの74

 :将棋戦争で自滅帝とよく戦ってたから少しくらいは知ってる


 名無しの75

 :因みに自滅帝との戦績はどうなん?


 名無しの76

 :覚えてないけど30戦0勝とかだったかな


 名無しの77

 :>>76 全敗かよ……


 名無しの78

 :しゃーない、自滅帝が強すぎるだけだし


 名無しの79

 :相性問題もあるしな


 名無しの80

 :実際ライカは自滅帝を何度も倒してる自滅狩りに勝敗で勝ち越してるから、安易に弱いとは言い切れないぞ


 名無しの81

 :難しいことはよく分からんけど、ライカは今回の相手に勝てそうなの?


 名無しの82

 :>>81 正直なんとも言えない


 名無しの83

 :>>81 個人的にもライカちゃんを応援したいけど、相手が悪すぎる


 名無しの84

 :>>81 メアリー・シャロンって青薔薇に次ぐバケモノだからな、それこそ実績だけなら青薔薇を上回ってるし……。このスレでコメントしておいて申し訳ないけど、ライカが勝つ可能性はかなり低い



 ──掲示板の評価は、概ね妥当だった。


 序盤、開始早々に現代将棋の最新型さいしんけいへと形を組み上げる来崎に、メアリーも当然と言わんばかりに最新型へと組み上げる。


 角換わり最新定跡。──研究将棋が基準となっている現代の若者らしい最新の将棋である。


 序盤の形が組みあがるまで、来崎もメアリーも一切の時間を使わずにノータイムで指し続ける。


 最善手、最善手、最善手。それはAIが莫大な計算によって生み出した最善手のオンパレード。まさに現代将棋の神髄。


 そうして序盤の形が組みあがると同時に先に攻撃を仕掛けたのは、先手であるメアリーだった。



『将棋配信者ライカの応援スレPart12』


 名無しの99

 :仕掛けた


 名無しの100

 :仕掛けたな


 名無しの101

 :これって最新定跡?


 名無しの102

 :最新定跡っぽい


 名無しの103

 :先月買った角換わり新手の定跡書に載ってた手順かな


 名無しの104

 :うわー覚えてねぇ……


 名無しの105

 :後手は完璧に受け切っても互角なんだっけ、メアリーやるやん



 最新定跡は速度勝負。後手である来崎は自然と受けを強要され、メアリーの怒涛の攻めが僅かな間だけ降り注ぐ。


 しかし、来崎はそれらを全て完璧な手順で受け切り、メアリーの攻撃を紙一重のところで回避する。


 その手に対し、メアリーはそれまでおこなっていた攻めを途中で中断させ、攻撃に使う銀をあえて自陣に引き付け、落ち着いた展開に戻す。


 ──ここまで全て定跡の範疇。最善手の応酬である。



『将棋配信者ライカの応援スレPart12』


 名無しの110

 :うわ、ここで攻めないのか


 名無しの111

 :俺だったら攻めるわ、桂馬取って両取りかかるだろ……


 名無しの112

 :銀引きは最善手だからな、攻めるとほんの少しだけ形勢が後手に振れる


 名無しの113

 :このクラスになるとやっぱその差すら認めないのか



 メアリーは自身が危うくなる一手に飛び込むことなく、ただ真っ当に最善手を意識していた。


 対する来崎もまた最善手を意識するように手を指し、メアリーとの差を付けまいと受けの姿勢を強める。


 形勢は互角──全くの互角である。


 両者ともにAI将棋で学んできた経験があるからか、局面の形勢を意識した指し回しが顕著に表れていた。


 メアリーが自陣の守りを固めるために飛車先の守りを外すと、すかさず来崎がその飛車先の歩を突いて攻めに出る。


 しかし、そんな両者の攻防は一瞬で収まり、攻めていた来崎は再び守りに入って自陣のバランスを保ち始める。


 まるでそれは小さな枠で行われる小競り合い。盤面全体におけるポイントを少しでも稼ごうとする応酬である。


 なぜ両者はそんな小さい戦いを繰り返しているのか。どうして微調整でもするかのように大きな攻めを繰り出さないのか。


 ──理由は単純明快。ほんの少しでも不利な状態で攻めれば、相手に一撃で沈められてしまうからである。


「……やるじゃない、ナツ」


 二人とも理解している。


 目の前の存在が、自身を屠るに等しい刃を持っていること。そしてその刃を今もなお研ぎ続けていること。


 そんな相手に、おいそれと隙を見せた攻撃などできるはずがない。


「ッ……」


 来崎が珍しく舌打ちをする。


 自身の狙いを全て見切られ、低く抑えた戦い方をするメアリーに、見た目以上のダメージを受けていた。


 まるで千日手も辞さないと言わんばかりに堅実な将棋を指すメアリーは、ある意味でプロのように思える。


 しかし、このままではラチが明かない。


「──へぇ」


 守りにばかりに注力しているメアリーを見て、来崎はその僅かな隙を突くように大胆な攻めに入った。


 ここでの千日手などもってのほか。今の来崎はゾーンに入っている。それは極限の集中力と引き換えに、常に体力が失われ続けている状態だった。


 そんな状態で千日手など起こってしまえば、それこそ疲労による敗北が目に見えている。


 後手である来崎が攻めるのは、当然の選択であった。


「──甘えたわネ?」

「……なんのことですか」


 メアリーは狙いすましたかのように口角を上げると、来崎の攻撃に反発するように自身もカウンターを切り出した。


「確かに"今の"アナタは強いわ。以前とは棋風も指し手の切れ味も別格。……でもそれは所詮、借り物の力でショ?」


 そんなメアリーの手順に、来崎は焦燥を浮かべる。


「……! この手順って……」

「……ナツ。アナタ、自分が強くなったからって少しワタシのこと舐めすぎじゃない? この定跡の分岐、ワタシは最後まで研究し終わってるわヨ?」


 そんな、絶望的な一言がメアリーの口から放たれる。


「……敵のワタシが聞くことでもないけど、ここから巻き返す新手でもあるノ?」


 来崎の攻めを完璧に咎め切るかのように、メアリーは一切の労力を消費せず脳内に刻み込まれた最善の棋譜を踏襲する。


 来崎の攻めは定跡書に書かれていない一手。だが、メアリーにしてみれば研究されて当然の一手だった。


 ──両者の評価値は、当然のようにメアリーに振れていた。



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