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第二十八話 返り咲け、全冠の女王1

 黄龍戦が始まって4時間。長い戦いも半分を過ぎ、お昼休憩が挟まった。


「……」


 俺達西ヶ崎高校は、2回戦の銀不成支部との対決も無事勝利を収めることに成功した。


 万事順調、このまま優勝へ一直線。──という雰囲気を出すほどお昼休憩の空気は明るくなかった。


「……」


 俺の対面に座る来崎のテンションが低い。というより、見てられないほど暗い。


「来崎……」

「……」


 東城の言葉にも耳を傾けず、ただただ上の空な状態の来崎。


 こうなってしまった原因はいわずもがな。さきほどの銀不成支部との対局のせいだろう。


 2回戦の銀不成支部との対局結果は以下の通りだ。


 大将 渡辺真才  〇

 副将 佐久間魁人 〇

 三将 武林勉   〇

 中堅 来崎夏   ✕

 五将 葵玲奈   〇

 次鋒 佐久間隼人 〇

 先鋒 東城美香  〇


 結果は1回戦と全く同じで、またもや来崎だけが負けた形となった。


 この結果に来崎は動揺を隠せなかったらしく、暫く外の空気を吸ってくると言って十分ほど席を外した後、このお昼休憩で戻ってきたところだった。


「あの……ごめんなさい……」

「ラ、ライカっちが謝ることないっすよ! こう言う日もあるっすから!」

「……」


 来崎の表情は暗いまま、今にも泣いてしまうんじゃないかと思うほど瞳を曇らせていた。


 ここに武林先輩がいたら来崎を元気づけてくれたのかもしれないが、残念なことに武林先輩は結果を報告にいっている最中だ。しかも次からは予選突破チームによる決勝トーナメント戦が始まるため、クジ引きもしなくてはならない。


 こういった雑務をすべて武林先輩が請け負ってるため、俺達は悠々とお昼休憩ができているわけだが……今回ばかりはあの元気さを来崎に分けて上げてほしいところ。


「……ね、ねぇ来崎!」

「あの、席外しますね」

「あっ……」


 東城がなんとか元気づけようと声をかけるも、来崎は暗い表情のまま席を外してトイレへと向かって行ってしまった。


「真才くん……どうにかしてあげられないかな……」

「……」


 どうにかする、というのはつまり、来崎を元の状態に戻すという意味なのだろう。


 しかし、それはかえって逆効果になるかもしれない。


 今の来崎はひどく精神が不安定な状態になっている。そんな状態で無理やり元に戻そうとすれば反発が起きる懸念がある。


 それは最善の選択とは言えない。


「東城さんは、来崎が弱くなってると感じた?」

「え?」

「さっきの来崎の試合。はっきり言ってボロボロの棋譜だ。指し手もバランスが取れて無く、ごちゃごちゃの手を繰り返し指している。これをみて、来崎は弱くなってると感じた?」


 俺の問いに東城は即答する。


「そんなはずないわ、来崎はこの大会のためにずっと将棋をやっていたのよ。それこそ、不登校になってまで全力を費やしてた。そんな来崎が弱くなったなんて口が裂けても言えるわけない」


 東城は少しだけ怒った表情で俺に言い返した。


「……うん、そうだね。俺もそう思う。来崎は弱くなったわけじゃない」

「ええ、そうよ。きっと調子が悪いだけ。昔から勝率が安定してなかったから、その悪い部分が出てるだけよ。きっとすぐに良くなる──」

「いや、そうでもないんだ」

「え……?」


 突然の否定に驚く東城、他の面々も俺の方に視線を向けた。


「来崎は調子なんか悪くない。体調が優れないわけでも、疲労しているわけでもないよ」


 そう、来崎は決して調子が悪いわけではない。


 そもそもこの指し方は一見滅茶苦茶なように見えて、しっかりと考えられた痕跡がある。棋譜だけ見せられても、確かに来崎が指したのだと分かる彼女自身の癖が混じっている。


 なのにどこまでもハズレを引いていて、ほとんど最善手を指せていない。来崎らしい手なのに、来崎らしくない悪手のオンパレードだ。


 ならば、この矛盾の行き着く結末はひとつ。


「じゃあどうして……」


 俺はその問いに答えることなく、ただ背を向けて会場へと戻っていった。


 そして3回戦、何の解決もできないまま俺達は対局を迎えることとなった。


 相手は西地区でも古豪と呼ばれる歴史ある道場──木下きのした道場の門下生による常連チーム『風見鶏かざみどり』。


 この辺りになると年配の方も混ざり始め、読みや実力より経験がものをいう硬派な棋風が多くなってくる。


 しかし、将棋戦争を常日頃からやっている俺や来崎は早指しの利点を生かすことができるため、相手を長考に追いやって時間攻めをしたりなど優位に対局を進められるはずだ。


 皆、そう思っていた。


「……」


 対局が始まってから2時間後、会場内が段々とヒートアップする後半戦にて、俺達は果てしなく重たい空気に包まれていた。


「……うっ、うぅ……っ」


 来崎の呻き声が仲間内にのみ聞こえてくる。


 大将 渡辺真才  〇

 副将 佐久間魁人 ✕

 三将 武林勉   〇

 中堅 来崎夏   ✕

 五将 葵玲奈   〇

 次鋒 佐久間隼人 ✕

 先鋒 東城美香  〇


 3回戦──『風見鶏』との対局結果は4勝3敗で幕を閉じた。


 ここでついに佐久間兄弟にも黒星がついてしまうが、二人の相手は向こうのエース級だったため、負けてもそこまで影響はなかった。


 しかし問題なのはやはりというべきか、来崎だった。


 東城の話では、彼女の相手はチームの中でもかなり格下だったらしい。なのに来崎は完敗という結果で幕を閉じ、再びボロボロの棋譜が発掘されたようだ。


 後半戦まで来ているとはいえ、今回は3敗というかなり危ない状態まで追い込まれた。


 そのことに来崎は責任を感じているのか、蹲って机に突っ伏している。


「来崎君……? 大丈夫か来崎!?」


 ようやく来崎の様子がおかしいことに気づいた武林先輩が歩み寄り、本気で心配そうな顔を浮かべる。


「ごめっ、ごめんなさい……こんなつもりじゃ、みんなに迷惑かけるつもりじゃっ……うっ、うぅ……っ!」

「何を言っている! お前が頑張ったからこそ他のみんなが勝利を掴むことができたんだ! 負けて責任を感じる事など全くないぞ!」

「うぅ……っ、うっ……ぁ……っ」

「来崎……」


 どんな慰めも今の来崎には効かないだろう。


 なぜなら、来崎が泣いている理由はチームへの貢献云々ではないからだ。


 これまでしてきた自分の努力が実らず、それどころかその努力をすることによって自分の首を絞める結果となっている。


 チームを引っ張っていくはずだったのに、逆に足を引っ張ってしまっている。そんな自分への失望と怒りが今の来崎の心情を埋め尽くしているのだろう。


 ひとしきり泣いた来崎はよろめきながら席を立つと、誰にも目を向けず会場の外へ走り去っていった。


 それをチームメンバーはただ見ていることしかできない。


「だ、大丈夫なんすかあれ……? 帰ってこなかったりしないっすよね?」

「……」

「来崎……」

「……こういうとき、アタシたちに出来ることがあればいいのに」


 東城が悔しそうに拳を握りしめる。


 将棋は常に自分と向き合う孤独な戦い。1対1で行われるこの競技に、誰かが味方をしてくれることはない。


 今回の大会も団体戦とは謳いつつ、結局やっていることは個々の勝負だ。誰かが助けに入ることも無ければ、自分のピンチを救ってくれる仲間もいない。


 勝負で勝つには、常に己自身と成長を共にしなければならない。


「……」


 チームが瓦解する。そんな危険性を孕み始めたこの状況ですら、俺はまだ我慢していた。


 そして4回戦──準決勝にてついにその時はやってくる。


 相手は優勝候補チームの『銀譱ぎんぜん道場26』。どこかで聞いたことのある名前だと思ったら、明日香の所属していた琉帝道場を管理するトップ──いわば親玉だった。


 末尾の26という数字が何を示しているのか分からないが、その道場の面々は表情だけ見ても嫌味な感じがひしひしと伝わってくる。


 互いに席に着き、流れるように対局が始まりを迎える。


 銀譱道場の面々はさすがと言うべきか、指し手に迷いがなかった。


 どんな状況でも適切な判断を瞬発的な思考を巡らせ、実力に則った読みの入る一手を指す。


 これは定跡で勝っても終盤に巻き返してくる厄介なタイプだ。そしてこの手の相手はさきほどと逆、俺や来崎が苦手とするタイプで、東城や武林先輩が得意とする相手だ。


 しかし、対局開始から30分後──その異変は起こった。


「……負けました」


 その声に全員が驚愕を示した。


 声の主は──まさかの東城だった。


「え……?」

「嘘……」


 葵と来崎が信じられないような目で東城を見る。


 負けるビジョンが唯一見えなかった東城の敗北に、全員が動揺を隠せない。


「よっし……!」

「これは勝てるな……!」


 逆に銀譱道場の面々は最大の壁である東城を倒せたことで勝利が目の前まで迫ってきており、士気が爆発的に上昇していた。


 その後も勝敗が次々と決まっていき、対局開始から40分が経過するころには来崎を残す全員の対局が終わった。


 そして、最悪中の最悪と呼べる状態を残して各々の印が刻み込まれた。


 大将 渡辺真才  〇

 副将 佐久間魁人 ✕

 三将 武林勉   〇

 中堅 来崎夏   

 五将 葵玲奈   〇

 次鋒 佐久間隼人 ✕

 先鋒 東城美香  ✕


 来崎を残して3勝3敗──。

 俺を除く全員が、西ヶ崎高校の敗北を悟った。


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