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第二十二話 自滅帝として、潰しに──

 東城から今まで聞いたことのないほどの怒気を含む声色が放たれ、俺は思わず振り返る。


 そして気づいた。


 怒っていたのは東城だけではない。葵に来崎、そして佐久間兄弟すらも不快な視線を明日香に向けていたことを。


「……ちょ、ちょっと、離してよ」


 掴まれた腕を離そうとする明日香に、東城はキレた表情で静かに喋る。


「お前さっきから真才くんに何イチャモンつけてんだよ。黙って聞いてれば当て馬だの才能がないだの好き勝手言って、アタシたちの大将バカにしてんの? 真才くんはうちのエースなんだけど?」


 普段の東城からは想像も付かないほどの口調に、俺は鳥肌が立った。


「は、ははっ。エースって、本気? そいつはね、あたしに見捨てられたゴミ同然の負け犬なのよ? 大将なんて務まるわけないでしょ。ていうか離してよ、キモイんだけどッ!」


 明日香は東城に掴まれていた手を無理やり振りほどいて距離を取る。


 コイツ、俺と付き合っていた頃より随分と荒れた性格になってるな。まるで野獣が檻から出たみたいだ。


 目の前で睨み合う東城と明日香を尻目に、俺は地面に落ちた紙を拾い上げる。すると、来崎が後ろの方でボソリと呟いた。


「──非才が」

「……あぁ?」


 そう呟いた来崎が俺の隣に立ち、自分より背が低いはずの明日香を上から見下すように睨みつける。


 対する明日香は"非才"と言われたことに眉をヒクつかせ、嘲笑するような視線を来崎の方へと向けた。


「貴方は真才先輩の実力を一ミリも理解してないようですね。貴方ごとき、真才先輩なら目を瞑ってでも勝てるんですよ。その実力の差を理解してないなんて、貴方の方こそ自分が滑稽なことに気づいていないようですね。この浅学非才せんがくひさいの凡人」


 来崎は冷静な怒り口調でそう告げ、何も理解していないバカに向ける嘲笑の視線を明日香へと向けた。


 いや、まて、さすがの俺でも目を瞑って勝つのは難しいぞ。一応できるけど。


「……あはははっ! 目を瞑ってでも勝てるって? 実力差を理解してないのはそっちでしょ。いい? こいつは将棋しか取り柄がないくせに、その将棋ですらまともな結果を出せなかった無能なのよ。奨励会の6級試験すら落ちたんだから」


 奨励会の6級というのはアマチュアで言うところの四段レベル。当時まだ小学生だった俺にそこまでの棋力はなく、試験は惨敗という形で不合格を押し付けられた。


「そんな奴があたしに勝つなんて、夢を見るのも大概にすることね。……まぁ、そんなんだから今もこうして無名の恥を晒しているんでしょうけど。あははっ!」


 直後、東城の眼光が再び明日香を貫いた。


 俺への侮辱は許せないのか、東城は激昂した様子で明日香の胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。


「お前、いい加減に──」


 しかし、直前でその手は止まった。


「あぁ、あんたのことももちろん知ってるわよ? 西ヶ崎の神童」

「なっ」


 明日香はそう言うと、続いて来崎、佐久間兄弟、葵の順に指をさして確認した。


「無冠の女王に、元研修会に所属してた兄弟、後ろにいるのは小中学生選手権で優勝した変則好きのトリックスターじゃない。随分と豪華なメンバーで組んだわね?」


 明日香の言葉に五人は不快感を露わにした。


「あんたたちの強さはよく知ってるわ。そしてあたし以下ってこともね。あと、何か勘違いしてるようだけど、あたしはそいつに"忠告"してやってんの。バカにされてるように見えたなら、それは図星ってことなんじゃないの? あはははっ!」


 なんとも支離滅裂な事を言う。俺は別に忠告をしてほしいと頼んだ覚えはないんだが。勝手にしゃべり掛けてきたのもそっちじゃないのか。


 どうして明日香が俺を執拗にバカにするのか分からないが、頭のネジが飛んだ相手の考えることなんてそもそも分からないものだ。


「呆れたものだな……」


 俺は誰にも聞こえないよう小さく呟く。

 東城たちが怒ってくれたおかげか、俺の怒りは大分収まっていた。


 しかし、東城の方は我慢ならないらしく、今にも飛び掛かってしまいそうなほどの殺意を明日香に向けていた。


 俺は東城の袖をすっと掴んで軽く引く。


「……!」


 東城がそれに気づいたところは俺は立ち上がり、明日香の方へと顔を向けた。


「言いたいことはもう終わったか?」


 俺がそう言うと、明日香は満足したような顔でこう返した。


「そうね。あたしには敵わないだろうけど、この色物面子なら大会の余興くらいにはなるでしょ。せいぜい全敗しないよう頑張りなさい?」

「ああ、頑張るよ。だから用が済んだなら消えてくれ。──今すぐ」


 そう告げると、明日香は鼻で笑って去っていった。


 そして俺は静まり返った仲間の方を向いて、一言漏らした。


「ありがとう、みんな。そしてよく我慢してくれた」

「……ここが大会の場じゃなかったら、間違いなく手を出していたわ」

「私も掴みかかっていたと思います。でも、真才先輩に迷惑をかけたくなかったから……」


 ──優しい人達だ。こんな俺なんかのために怒ってくれるなんて。昔の俺には味方なんて一人もいなかったのに、今はこんなにもいる。それこそ嘘みたいな光景だ。


 でも、もしあの場で東城たちが殴りかかりでもしたら、きっと大問題になっていただろう。


 むしろ明日香はそれを狙っていた可能性すらある。


 ここは将棋の大会、知恵と知識と知略をぶつけ合う戦場。暴力とは正反対に位置する競技だ。そんな中で暴力を使ってしまっては、勝てるものも勝てなくなる。


 そう、俺達は勝ちに来ているんだ。決して負けるためにここにいるわけではない。


 俺は未だに震わせている東城の手を両手で掴み、優しく握った。


「真才くん……」


 明日香とも手を握ったことがない俺にとって、女子の手に触れるのは人生で初めての経験だった。


 だから正直かなり勇気がいる。気持ち悪いと、手に触れるなと、そう拒絶されたらどうしようと不安が募っていく。


 でも、こうするのが一番だと思った。


「……ありがとう」

「落ち着いた?」

「うん」


 東城はそう言うと、大きく息を整えて普段の東城に戻った。


 うん、やっぱりこっちの東城の方が雰囲気とよく似合ってる。


「……ミカドっちぃ」


 すると突然、葵が俺の背中に掴みかかり顔を近づけてきた。


「アオイは全然我慢ならないっすよー! なんなんすかアイツー!!」


 やめて、耳元で叫ばないで。あと顔近い。


「ミカドっちは悔しくないんすか!? あんな風にボロッカス言われて! あんなのプレス機で押しつぶされたあとシュレッダーで粉々にされたようなもんですよ!」


 何だよその例え、俺チリと化してるじゃん。


「ま、まぁ真才先輩は優しいですから……」


 俺のことを分かった風の来崎が、苦笑いで庇ってくれる。


 しかし、俺はそんな来崎の言葉に反論を呈した。


「いや、普通に悔しいし、怒ってるよ?」


 真顔でそう告げる俺に、周りは驚いたような顔を浮かべた。


「こんだけバカにされて、貶されて、煽られてさ、普通に考えて怒らない方がおかしいよね。実際、俺今めっちゃ怒ってるし、東城さんが代わりに怒ってくれなかったら手を出してたと思うよ」


 そう、俺は今普通に怒っている。

 怒りが収まっていたのはあくまで表面上の話で、内では煮えたぎるほどの怒りで埋め尽くされている。


 そして、俺は心の奥底で湧いたこの怒りを晴らさないほど、人間が出来ちゃいない。


 正直なところ、俺はこの大会でどこまで本気を出すか迷っていた。


 もちろん勝負は真剣にやるし、全力を出すつもりだ。でもそれは渡辺真才としての全力であって、自滅帝としての本気ではない。


 自滅帝の指し方は心理戦に囚われない嫌味全開の指し回しだ。マナーもへったくれもないし、ルールの範囲だったら全てを行使する"勝つため"の指し方だ。


 ハッキリ言えば、俺はリアルで自滅帝の思考で指すのを躊躇っている。


 あれはネットの世界だからこそ無制限にできた芸当だ。リアルで毎回あんな指し方をしていたらそれこそ友達もいなくなる。


 俺は陰キャだ。今までずっと一人だったボッチだ。だから一人の怖さを誰よりも知ってるし、仲間がいる今だからこそ一人になりたくないって感情がより大きくなっている。


 だから、俺はこの大会では自滅帝を封印しようと思っていた。渡辺真才としての成長も含めて、力いっぱいの一局を指そうと思っていた。


 ──だが、気が変わった。


 明日香は俺に対して言ってはいけない言葉を何回も浴びせた。


 俺の容姿をバカにするのもいい。俺の行動を侮辱するのもいい。なんだったら浮気をしたことだって、俺は一度も問い詰めなかった。


 だってそれは俺の努力不足が招いた結果だから、俺の頑張りが足りなかったせいで生まれた弊害だから。


 だが、こと『将棋これ』に関しては、俺は一切の努力を怠ったことがない。


 それは俺にとって、人生をかけて築き上げてきた結晶のようなものだ。それを否定することは俺の人生を否定することに繋がる。


 そんな俺の人生を、明日香は何度も愚弄した。ボロクソに叩いて、すりつぶして、足元にある石ころを蹴るような感覚で俺の人生を否定した。


 ──許せるわけがないだろう?


「もし、ここの誰かが明日香と戦うことになったら、全力で叩き潰しに行ってほしい。俺はそれを全力で応援する」


 俺がそう言うと、三人は納得した表情で首を縦に振った。


「……分かったわ」

「はい」

「りょ、了解っす……!」


 そんなところでちょうど武林先輩が受け付けから戻ってきた。


「待たせたな! 受け付け終わったぞ! ……って、どうした? 何かあったのか?」


 俺達の異様な雰囲気を察したのか、武林先輩は心配そうな顔でこちらを窺う。


「いや、そのっすね……」


 葵は説明し難い状況に言葉を詰まらせ、何とも言えない表情を武林先輩に向けていた。


「別に何もないわ。ところで、対戦相手は決まったの?」

「ああ! 初戦の相手は『琉帝るてい支部』に決まったぞ!」


 え、何その厨二チックな名前の支部は……。


「……ん? 確か琉帝って銀譱ぎんぜん委員会の傘下支部じゃない?」

「あー、銀譱の所っすか。じゃあ優勝候補なんすかね?」


 ヤバい、全然話についていけない。

 銀譱委員会? 傘下支部? 普段大会とか出ないから全然分からないんだが……。


 俺がそんなことを思っていると、さきほど去っていったはずの明日香が再びこちらに向かって歩いてきていた。


 ……おい、なんでまたこっちに来るんだ? これ以上何の用があるんだよ。


 そう思って苦い顔をする俺だったが、やがてひとつの結論にたどり着いて嬉々を交えた冷や汗を流す。


 ……いや、これはまさか。


「あら、数分ぶりじゃない。まさかあんたのところと初戦から当たるなんてね。西のみなさん?」


 ──あぁ、幸運だ。まさかこうも早く潰しに行けるなんて。


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