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第二十一話 激昂する東城

 今から2年前──。

 当時まだ中学生だった俺は、幼馴染の明日香あすかと付き合っていた。


 なんで陰キャのお前に彼女が出来るんだよ、なんて問い詰めはやめてくれ。俺は別に彼女に対して何かアプローチをしたわけじゃない。気付けば付き合っていたような薄っぺらい関係だ。


 でも、当時の俺にはそれが人生の全てに思えるほどに大きな青春だった。


 こんな俺が恋愛なんてものに手を出せていたのは、きっと幸運と巡り合わせが良かったからだろう。


 人生にモテ期があるのなら、俺のモテ期はきっとこの時だった。


「ねぇ、あたしたち、もう別れよっか?」


 雨上がりの街路時、雫が垂れる木々の真下で俺は明日香から唐突にそう告げられた。

 ちょっと奮発して高いご飯を奢ったデートの帰り道だった。


「な、なんで……」


 一瞬何を言ってるのか分からず、それが分かっていく過程すらトラウマになりそうだった。

 心臓が止まってしまうのではないかと思うほど動揺したのを今でも覚えている。


「あんたと一緒にいてもつまらないから。ていうか、あたし猪俣いのまた君と付き合ってるから」

「は……?」


 明日香の口から出た言葉は常軌を逸するものだった。


 猪俣と言えば、クラスでもスポーツが出来てイケメンだともてはやされている男だ。俺とは正反対の性格で、女遊びもよくしていると風の噂で聞いたことがある。


 そんな奴と明日香が付き合っている。その事だけでも頭がおかしくなりそうだったのに、よりによって別れ話の理由に持ってこられるとは思わなかった。


 別れてから付き合うのではなく、付き合うから別れる。つまり俺は明日香に浮気をされていた。


「なんだよそれ……」

「じゃ、そういうことだから」

「ま、待ってよ! いくらなんでも話がいきなりすぎるって……!」


 背を向け去ろうとする明日香を俺は必死に引き留める。すると明日香はまだ分からないのかと言った表情で呆れながら振り返った。


「はぁ……あたしが女流目指してるって話、あんた知ってるわよね?」

「う、うん」

「あたしはね、あんたが周りから天才児だ、才能の塊だって評価されてたから付き合ってあげたの。将来あたしの夢を叶えるために利用できると思ったから付き合ったのよ。なのに蓋を開けてみればてんで無能じゃない。奨励会の試験に落ちて、研修会にすら入れず、大会で優勝することもない。今のあんたに何の価値が残ってるわけ?」


 その言葉はグサリと胸に突き刺さった。


 長年付き合ってきた幼馴染から放たれた本音は、自分を利用していただけという事実と、自分には何の価値もないという冷酷な言葉の雨だった。


「……俺と付き合ったのは……将棋のためだったのか……?」

「あたりまえでしょ? それ以外になんの取り柄があるのよ? あんたにはそれしかないでしょ」


 本当に当たり前のことのように、明日香はそう言い放つ。


 思えば俺と付き合っていた頃の明日香は、俺のことなんてまるで見ていなかった気がする。


 昼休みはいつも他の女子たちと会話していたし、放課後はデートなんてかこつけていつも俺が将棋を教えていた。


 明日香にしてみれば俺の存在は将棋の教養、いわば経験値を蓄えるすべだ。俺に近づけば将棋が強くなると思ってていよく利用していたのだろう。


 それで、俺がいつまで経っても成長しない無能な将棋指しだったから、見切りをつけて別れ話を持ち掛けたといったところか。


 初めからこんな薄っぺらい関係だったのに、俺は彼女ができたと常日頃から舞い上がっていた。このまま少しでもいい関係を築いていこうと努力していた。


 全く、笑い話にもならないな。


「……そっか、俺は将棋だけが取り柄か」

「ええ。まぁ顔はそんなに悪くないけど、猪俣君の方が断然カッコいいしね。あんたはもう用済みよ。それじゃ」


 明日香はそう言って去っていき、俺はその場に一人残された。


「……あはは、散々な言われようだったな。涙すら出てこないや」


 俺はしばらくその場で立ち尽くし、先ほど投げられた言葉のナイフで滅多刺しにされた心を冷ややかに笑っていた。


 なんでこんな奴と付き合ったんだって、そう言われると耳が痛い。


 思春期の学生なんて所詮そんなものだ。特に俺みたいな内気の性格は他者からの好意をすぐ勘違いしてしまう。


 ちょっと優しくされただけで、ちょっと好意を寄せられただけで、ちょっとかわいい子から告白されてしまっただけで、俺みたいなバカはすぐに勘違いを引き起こす。


 でも、おかげで自分の魅力の無さに気づけた。その程度の男だったんだって改めて自覚できた。


 逆に言えばこれは、社会の厳しさを知るいい経験だったのかもしれない。


 ──あぁ、そういえば明日香に言い忘れていた。


 俺、自滅帝ってアカウントで将棋戦争やってて、そこで『七段』になったんだよって。大会に出ないのは研究の成果をまだ披露したくなかったからだよって。そう告げるのを忘れていた。


 急な別れ話に動揺して、反論する言葉すら失っていたな。


 まぁ、今となってはどうでもいいことか。


 ※


 西ヶ崎高校を代表して、西地区で行われる黄龍戦の団体戦に出場することになった俺は、武林先輩の後ろを引っ付くように会場へと入っていく。


 なぜか来崎と葵が俺の両脇にくっつきながら歩いているのが謎だが、前を歩く東城が何かと気に食わない視線でチラチラとこちらを見てくるのは、それはそれでなんなんだ。


 それにしても会場が大きい。大会の会場に入るのは初めてではなかったが、それでもこの熱気と熱量はすさまじいものを感じる。


 将棋は頭を使って戦うマインドスポーツゆえに、準備運動が存在しない。だから会場に着いた選手達は各々カバンからスマホやら本やらを取り出し、それらを熱心に読み進めている。


 スマホを取り出した者は大会で使う定跡を確認し、本を取り出した者は詰将棋つめしょうぎを解いている。これが将棋指しとしての彼らなりの準備運動なのだろう。


 他にも、敵対する相手に自ら話しかけにいって誤情報を与えようと心理戦を仕掛ける者や、スタッフや審判など第三者と仲良くなって参加選手の情報を聞き出そうとする者もいる。


 一見和気あいあいとしている空間だが、その水面下で各々が考えている作戦は必ずある。ここに立っている以上全ての人間が優勝を目指しているのだから。


 下手したら他のスポーツよりピリピリしているのではないだろうか。


「部長ー、参加登録まだっすかー?」

「今並んでるところだ! こっちのことはオレが全部やっておくから、お前達は対局前の準備でもしておいてくれ! 大会が始まる前にトイレもしっかり行くんだぞ!」


 葵の言葉にそう返した武林先輩は、大将である俺の分の仕事まで全部引き受けて受け付けを済ませてくれる。優しいな。


「準備って言われても困るっすよねー。チームの作戦会議でもするっすか?」

「チームと言っても実際に戦うのは個人なのだから作戦も何もないわ。順番はもう決まったのだから、あとは全員が全力を出して挑めばいいだけよ」


 東城はきっぱりとそういって余裕そうな表情を浮かべていた。


 こういう時の東城は羨ましく思うよ。俺はさっきトイレに行ったばかりなのに、もう緊張で腹が痛くなってきてる。


 それから俺達は近くの椅子に座って武林先輩が受け付けを終えるのを待っていた。


 すると、背後から突然俺の名前が呼ばれた。


「真才……? あんた真才じゃない、久しぶりね!」


 振り返ると、そこには見覚えのある顔があった。


「明日香……?」

「なに、知り合い?」

「ミカドっちの友達っすか?」


 俺の前に立っていたのは、昔の幼馴染であり元カノの明日香だった。


「ええ、そうよ。まさかこんなところで会うなんて思わなかったわ。ていうかなに? あんたも大会に出るの?」

「……まぁ一応」


 開幕からいつもの調子で喋りかけてくる明日香に、俺は視線を落としてそう答えた。


 正直コイツとはあまり話していたくない。できれば会いたくもなかった。高校だって少し離れたところを選んだし、今まで会うこともなかったんだがな。


 そうか、こうして大会に出場すれば顔を合わせることもあるのか。


「そうなんだ。てかまだ将棋やってたんだ、才能ないのに」


 うるさいな。才能が無くたって別に将棋くらいやってもいいだろ。


「えっ! これよく見たら大将の用紙じゃん、なんであんたがこれ持ってんの? まさか大将やるの? あんたが?」


 そう言って俺の持ってる大将が記入する用紙を奪い取る明日香。


「練習将棋で一度もあたしに勝てなかったあんたが、こんな大きな大会の団体戦で大将って本気? あーそれとも、あまりにも弱いから当て馬にされちゃったってわけ? だとしたら滑稽ねー!」


 明日香はさきほど奪い取った用紙を俺の頭に乗せてグリグリと頭を揺らす。直接触りたくなかったのか、くしゃくしゃになった用紙だけが頭上から落ちてきた。


 何なんだコイツ、人が陰キャだからって出会い頭に罵詈雑言浴びせやがって。佐久間兄弟より不快なんだが。


 あまりにも頭に来たため、俺は明日香の腕を掴もうとした。


 その時だった──。


「少し黙れよ、おい」


 その言葉を放ったのは俺ではない。


 ──横から激昂した東城が明日香の腕に掴みかかっていた。


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