「ちょ、東城先輩大丈夫っすか!?」
突然口からお茶を噴き出した東城に、周りの部員たちは驚いたような顔で凝視した。
「だっ、大丈夫よ! ちょっと
ちょっと王手飛車くらうってなんだよ。将棋で王手飛車くらったら致命傷だよ、投了級だよ。てかそれでリアル体にもダメージいくのかよ。
いつから将棋は闇のゲームになったんだ。
「なんだ、王手飛車くらっただけかよ」
「そうか、王手飛車くらっただけだったか!」
「そ、そうなんすね。それならよかったっす」
え、なに、この部で王手飛車くらうことってそんな日常的に行われてるの? それ致命的な弱点だろ。もう大会間もないんだから直した方がよくね?
いや、それより俺の心配してくれる人はいないのか? 顔びっちゃびちゃだぞ。
そう思いポタポタと垂れた顔を葵に向けると、葵は親指を突き出して口角を上げた。
「ミカドっち……よかったっすね!」
何がだよ。
「ご、ごめんなさい! 顔に噴きかけちゃって……」
「いや別にいいけど……」
俺は東城から渡されたタオルで顔を拭く。
すると東城は俺の方にさらに体を寄せてきて、ほぼ密着するような体勢で耳打ちしてきた。
「ね、ねぇ、それより、それって本物? 真才くんって自滅帝だったの……!?」
東城は誰にも聞こえないように小声で聞いてくる。
急激な密着のせいか、東城からすごくいい匂いが漂ってきた。
さすがの俺もここまで来たら誤魔化すこともできないため、東城の質問に無言でコクリとうなずく。
「なっ、なんでもっと早く言ってくれなかったのよ……! 自滅帝って分かってればアタシあんな調子乗らなかったのに……」
いや、ちゃんと自己紹介の時に『九段』って言ったんだが……。
「うわぁ~……! え~……! どうしよう……! まさかあの自滅帝と直接顔合わせできるなんて……! あ、あの、サインとか貰える!?」
どこの有名人だよ。サインなんか書けるか。こちとらただのネトゲ将棋廃人だわ。
てかさっきから胸が当たってる……。
「さ、サインは書けないけどフレンドにならなってもいいよ」
「本当!? やったぁー!」
小声で大喜びする東城。
なんかこういう時の東城ってすごい純情だよな。というか若干キャラ崩壊してる。
「ちょっと東城先輩? ミカドっち~? 二人して密着して何やってるっすか~? 部活中にエッチなのはダメっすよー?」
「ちっ違うわよ!」
葵が変な勘違いをしたため、東城はすごい速さで俺から離れていった。
しかし、東城は奥から将棋盤と駒箱を持ってくると、いつもの長机に置いて俺に手招きした。
「じめっ……真才くん! アタシと一局指しまっ、指していただいてもいいでしょうか?」
「なんで敬語なんだ?」
「東城先輩壊れちゃったっすね」
おいやめろ、変なところで違和感出すな。奥で事務仕事してる武林先輩もなんか怪訝な顔でこっちみてるから!
俺は焦った表情で東城の前に座り、小さく小声で伝えた。
「別にいつも通りでいいから……! 急に態度変えると怪しまれちゃうから……!」
「わ、わかったわ……!」
いくら同じ将棋戦争をやっている者とはいえ、自滅帝の名を見せるだけでここまで態度変わるって、自滅帝の力強すぎるだろ……。
俺今度から自己紹介するとき『こんにちは、自滅帝です』って言おうかな。
……いや言えねぇわ、誰が好き好んで自虐ネームで自己紹介するんだよ……。
「そっかぁ、真才くんが自滅帝……そりゃ強いわけよね……。将棋戦争のトップランカーがこんな一介の部活のメンバー相手に負けるはずないわ」
東城は駒を並べながらそんな呟きを小さく漏らした。
「それは過剰評価だよ東城さん。俺はネットでは強いかもしれないけど、リアルで強いかは別だ」
「それこそ謙遜しすぎよ。実際に戦ってみて格の違いを思い知ったわ。今の真才くんは全国クラス、いや……プロ棋士レベルよ。大将に推薦したのも間違いじゃなかったわね」
東城は最後に歩を並べ終えると、小さく意気込んでそう答えた。
俺がプロ棋士レベル……? それこそあり得ないだろう。
プロ棋士の登竜門とされる奨励会すら落ちた人間が、天上に位置する彼らと同格などあり得るわけがない。
「……これは俺が如何に弱いか教える必要がありそうだ」
「ええ、教えてあげるわ。真才くんがどれだけ理不尽な存在なのか」
こうして俺と東城の謎の意地をかけた戦いが始まった。
※
大会を前日に控えた来崎は、今日も今日とて暗がりの部屋でパソコンの画面に釘付けになっていた。
エナジードリンクを口に含みながら定跡書とAIの解析を同時に行う。
いつまで経っても終わらない研究、紐解けない答え、そして深く研究していくごとにどんどんと増えていく課題。
ついに限界を迎えた来崎は、目をこすりながら発狂した。
「あーもおぉぉぉっ! ぜんっぜんわからっなーーーいっ!!」
来崎が今研究している範囲は、将棋において最も重要とされる中盤から終盤への入口。
ここを完璧にマスターできるかどうかで、来崎の戦いはそのまま勝敗へ直結すると言ってもいいほどだった。
「はぁ……自滅帝に会えたらなぁ……」
ふと口にするその単語は、解決への最も簡単な糸口だった。
自滅帝なら間違いなくこの部分の解析を終えている。もし彼の意見ひとつ貰うことができたのなら、すべての点と点が繋がって解決に至る。
まさに来崎が今一番会いたい存在だった。
しかし、その存在はあまりにも大きなもの。簡単に会えるわけもなく、そもそもどこにいるのかも分からない。
ネットのスレを探しても『正体不明のアマ強豪』と言われている辺り、大会にも顔を出していない完全な無名であることが分かる。
そんな存在と繋がるなんて夢のまた夢に等しいものだった。
「はぁ……」
来崎は再びため息をついて項垂れた。
「憧れの存在に会えたらどれほど幸せなことか……」
そんな状態のまま来崎は将棋戦争のフレンドページを開き、一か八かで自滅帝とフレンドになれないものかと自滅帝のマイページをクリックする。
しかし、ふと覗いた先には自滅帝がたった一つだけフレンド登録しているアカウントが表示されており、それを見た来崎は目を見開いて硬直する。
「……はえっ?」
そしてそのアカウントは、同じ将棋部に通う一つ上の先輩、東城美香のアカウントだった。
「……???????????」
来崎の脳はショートした。