現代のイジメは陰湿と言うが、実際に行われているのは他者をバカにしたような口伝と空気感だ。
その程度の事で、とか。別に殴られているわけじゃないじゃん、とか。色々思うところはあるかもしれないが、そんなセリフを口にしているのは大体これらを体験したことのない側に多い。
イジメは悪いことというのはほとんどの人間が認識しているわけで、そのことを知っている者達は自分の行動がイジメの主体にならないように立ち回っている。
だがそれは結局のところ、イジメになるかならないかのギリギリのラインを線引きしているだけで、他者を攻撃している事実に変わりはない。
「なんか東城さん、最近渡辺に絡んでるよね」
「渡辺って誰?」
「ほら、クラスの隅にいる陰キャの」
「あー、あの陰キャね……くすっ……」
素の声が大きいのか、それともわざと聞こえるように喋っているのか、どちらにしろその言葉は俺の耳に届いている。
今日の朝東城と校門に入った際に多くの人の目に留まった。
学年が違えばただの二人組に見えたかもしれないが、俺と同じ学年の者達は目を見開いて驚いていたのを俺は知っている。
なんであの東城がこんな奴と。それが彼らの目から窺えた本音だった。
「……」
帰りのホームルームが終わってから、俺は部活に行く準備をする。
普段帰宅部だった俺が突然部活に入り始めた事実に、周りからはなんだコイツと思うような目線が飛んできているのを感じる。
他人はお前が思うよりお前のことを見ていない。という説はよく使われているが、それはいつも通りの日常を同じルーティンでこなす他人には興味を示さないというのが正解で、そのルーティンが崩れる瞬間に人は意識を向けてしまうものだ。
だから人は、思ったより他人の"変化"には敏感なのだ。
俺は荷物を入れたカバンを持つと、そんな目線から逃げるように教室を飛び出した。
結局、今の自分がこうして陰キャとしてくすぶっているのも全部自分の努力不足に他ならない。
積極的に行動するなり、髪形を変えるなり、他にも色々できたはずだ。
それをやってこなかったからこそ今の俺はこんな底辺の位置でくすぶっている。
東城には偉そうなことを言ったが、俺だって結局のところは努力不足を棚に上げて現状の自分を嘆いているだけの凡人だ。
「……自業自得だな」
そんな言葉を吐き捨てながら俺は将棋部の部室へとたどり着く。
そして扉の前に立つと、俺は静かに一呼吸おいて気合を入れた。
後悔する暇があるのなら、今の自分自身を変える努力をする。何事も挑戦する意思を持ち、前向きに歩んで行くことで人は成長していくのだ。
よし、今ならいける──!!
「お、おつかれさまです~……」
ドブネズミみたいな挨拶をかまして俺は部室に入った。
部室には既に東城を含めたいつものメンバーが集まっており、俺が来たことで武林先輩が号令をかける。
「お、渡辺君も来たな! よし、全員集まってくれ。大切な知らせがあるぞー!」
武林先輩はそう言ってホワイトボードの前に立つと、ペンを持ってボードに何か書き始めた。
周りの部員たちは何を書こうとしているのか想像がついているらしく、やる気に満ち溢れた顔を浮かべていた。
「長らく待たせたな諸君! 来週末に県の会長が直々に主催する西地区の大会があるぞ! その名は『
「おー!」
決めポーズと共にそう告げる武林先輩。それに葵だけがパチパチと拍手をして場を盛り上げようとする。
黄龍戦……聞いたことがある。
確かそれまで最弱地区としてバカにされていたここ西地区が脚光を浴びるようになった大会の名だ。
その時の大会では名も知られていないような無名の選手が突然勝ち上がり、周りの選手を薙ぎ倒していったことで伝説になっている。
名前は確か……なんだったかな。よく覚えてないや。
ネット将棋ばかりしていたせいで自分の住んでる地区のこともよく理解していないの、ちょっとまずいかな……。
俺がそんなことを考えていると、武林先輩が続けて説明を始めた。
「この黄龍戦では個人戦と団体戦があるが、オレたちが出場するのは団体戦だ!」
「しつもんでーす! どうして個人戦には出ないんですかー?」
葵が手を上げてそう問うと、武林先輩は指を鳴らして葵を指さした。
「ナイス質問だ葵君! オレもできればここにいる全員を個人戦に参加させたいところだが、西地区の個人戦はシード権を持っていないと出られないのだよ!」
シード権……?
「シード権は前年度の黄龍戦で入賞するか、西地区が主催する他の大会で優勝することでしか手に入らない! そしてうちの部では東城君しかシード権を持っていないのだ! だから個人戦は東城君一人だけが出場となる! そして東城君の優勝は確実だ! つまり! 団体戦が本番なのだよ!」
いつも以上に気合を入れて熱弁する武林先輩。
なるほど、今回の大会の個人戦はそういう仕組みになっているのか。
てか東城の優勝は確実とか言っちゃっていいのかよ、東城に変なプレッシャーかかるかもしれないだろ。
俺はおもむろに東城の顔を覗き込んだ。
「ふん、当然ね」
いや全然プレッシャーかかってないわ、むしろ勝って当然みたいな顔してるわ。どこからその自信でてくるんだよ、慢心部かここは。
「というわけで今日の課題は『黄龍戦・団体戦』の作戦会議だ! チームの順番をどうするかお前達で意見を出し合ってみろ! 因みに順番は先鋒 → 次鋒 → 五将 → 中堅 → 三将 → 副将 → 大将の順だ!」
「前々から気になっていたんですが、その順番に何か意味はあるんですか?」
佐久間兄弟の兄である魁人が疑問を持ったような顔を浮かべた。
「大いにある! とは言えないが、適当に決めることだけは避けなければならない! 団体戦は7人vs7人で行われるチーム戦だ! 先に4勝したチームが勝ちという仕組みになっている! つまり、自分だけが勝っても仲間が負けてしまえば意味がないのだ!」
団体戦は勝ち抜き戦ではなく、7人が一斉に顔を合わせて行う個人戦。
自分が戦う相手は7人のうちの1人のみ。そしてその7回行われる対局で勝利数が過半数を超えた時点でそのチームの勝ちということになる。
そこで俺はどうしても疑問に思うことを武林先輩に聞いた。
「あの、他のチームってどういう順番にしてるんですか?」
「良い質問だ渡辺君! 過去の出場校を見返してみると大体が年功序列で、その次に実力順と言った感じで決まっているところが多かったぞ!」
なるほど、年功序列ということはプライドのあるチームが多いのか。
単純に考えれば、一番強い選手を大将にして一番弱い選手を先鋒にするのが最も分かりやすいテンプレ構成だろう。
しかし、年功序列で組む場合は3年生が大将で1年生が先鋒ということになる。
この場合は実力がごちゃごちゃしていて非常に見極めづらい。
こちらの理想としては、強い相手には弱い選手をぶつけ、弱い相手にはギリギリ勝てるかくらいの選手をぶつける。そうすることで総合的な勝利数で過半数の4勝以上を捥ぎ取り、勝利しようというのがよくある逆張りの作戦だ。
だが、この作戦は2つほど欠陥がある。
1つ目は、相手も同じことをしてきた場合ドツボにハマる可能性があること。
2つ目は、当て馬にされた選手の名誉が損なわれること。初めから勝てない相手に突撃していくなんて囮と同じようなものだ。納得できない選手も多いだろう。
そして、こうした考え方から導かれる答えは、まぁそこまで気にしてもしょうがなくね? という結論になりやすい。
武林先輩の"大いにあるとは言えないが適当に決めるのだけは避けるべき"。というのはそれを指しているのだろう。
個人的には正直誰と当たってもいいので、ルーレットでもクジ引きでもやって適当に決めればいいとは思うが。
そもそも7人もいるんだから順番決めなんて争いしか起こらないと思うんだけどな、段位順でいいんじゃないか。
……ん? まてよ? 7人?
俺、東城、武林先輩、葵、佐久間兄弟。……あれ? 全部合わせたら6人じゃね?
「あの、もう一人ってどこにいるんですか?」
「ん? あぁ!
マジかよ。てか部に来ないのかよ。どうりで一度も顔を見たことが無いわけだ。
「じゃあアタシからひとついいかしら?」
東城はそう言うと立ち上がり、ボードに書いてある自分の名前ともう一人の来崎という名前を丸で囲った。
「アタシと来崎は相手が誰であろうと絶対に負けないわ。だからアタシたちの順番は好きに選んでちょうだい。その代わりに、アタシから指名をしてもいいかしら?」
「いいだろう! 部のエースが言うことだ、意見したまえ!」
部長である武林先輩の了承を得た東城は、人差し指を俺に向けて告げた。
「彼を、真才くんを"大将"に推薦するわ」
おいまて、何言ってんだこの人。