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第十三話 自滅帝、本気を出す

 指し手にはその人の本質的な性格がよく表れる。


 武林先輩であれば普段は豪快で気さくな人格者だが、指し手は硬派で重装歩兵のような重くどっしりとした一撃を携えている。


 東城も硬派な将棋ではあるが、堅実堅牢な指し方で狙いも堅く一貫している。これは勝利のために地道に積み上げていく指し方と言えるが、今はその汎用さが足かせとなっているのだろう。


 葵はトリッキーな戦法を多用する節がある。普段の性格からも滲み出ているその関心と興味は、色々な戦法を試したいという欲が表れているのかもしれない。


 佐久間兄弟はアマチュアに最も多いタイプで、攻めも守りも強弱をハッキリつけながら行うのが特徴だ。この手のタイプは勝ち負けより攻めている時間を最も楽しんでいるタイプと言える。


 そして俺の本質は、なりふり構わず突撃して砕けるタイプ。いわゆる"自滅型"だ。


 自分の感覚ではいける、攻め切れると思って突撃しても、結局は相手にうまくかわされて自滅してしまう。


 そんな自分の弱い部分を自虐して将棋戦争のアカウント名に『自滅帝』なんて名前を付けたのを今でもたまに思い出す。


 だが、この感覚は長い間俺を苦しめると同時に大きな成長も促していった。


 自滅型は攻めが失敗して初めてそう言われるわけで、失敗しなければ最高の攻めとして成立した証拠にもなる。


 当然最初は負けっぱなしで芽が出ることはなかったが、それでも諦めず勉強しながら何百回、何千回、何万回と戦っていくと、段々自分の攻めが通るようになってくる。


 そしてそうなってくると、自滅型の俺は大きなアドバンテージを得られるわけだ。


 大事な場面、大事な局面、後にも先にも引けない重要な場面が目の前にあったとき、人は保身的な行動に移りやすい。


 ──失敗したくないから。


 それは誰もが持つ普通の感覚で、誰しも巨大な失敗のリスクを冒してまで挑みたいと思う人はいない。


 だから一般的な人間はそういった重要な場面で保身的な行動に移ってしまいがちで、手堅く指してしまう傾向になる。


 だが、自滅型の俺にその恐怖はない。人間が本来持つであろう『いけるか? いけないか?』という心理的な駆け引きが存在しない。


 行けると思った時点で、その攻めは成立しているからだ。成立させるまで何度も研究を重ねてきたからだ。


「──っ!」


 集中力を限界まで高め、俺の目の前に広がる4人分の棋譜を一度頭の中に詰め込み順に精査していく。


 形勢判断、次の一手、その一手を読み切られた際の対応手、別な手を指された際の切り返し。


 可能な限り、可能性として挙げられるものの全てを精査して完全に読み切る態勢へと変わる。


(な、なんだ?)

(雰囲気が変わった……?)

(ミカドっち……?)

(これは……)


 自滅帝としての俺の考えは、自分も相手も蔑ろにする圧倒的な自滅型。

 突貫特攻による猛獣のような勝利への渇望と、一切の容赦を行わない残虐的な思考。


 いわゆる『友達をなくす手』を連発するようになる。


「なっ……」

「バカな……」


 先に読み切った佐久間兄弟の両方を潰すため、俺は守りを捨てて大駒を全部切り捌き、持ち駒の物量で相手の王様を上から押しつぶした。


「速い……っ!?」

「クソが、調子に乗るなよ──!」


 切り返される反撃手、捌かれる大駒たち。

 しかし、俺の手はそれよりも早く動いていた。


 0秒、0秒、1秒、0秒、2秒、0秒、1秒、0秒、0秒──。


 佐久間兄弟の手に対して俺はすべてノータイムで片付ける。


「……あ? な、なんでだ!? なんで、なんで……!?」


 それまで優勢だった隼人の攻めは完全に置き去りにされ、俺の攻めが先決して隼人陣地の玉形を壊滅させていく。


 そして気付けば速度は逆転し、隼人は劣勢へと立たされた。


「どうなってんだこれ……!? なんで攻めが途切れないんだ……!?」


 魁人の駒台には俺が切り捌いていった駒達が溢れんばかりに乗せられている。

 3つしか駒を持っていない俺に対し、魁人は20個以上駒を持っている状態だ。


 だが、魁人の手番は永遠にやってこない。

 なぜなら、俺がそのたった3枚の駒で永遠と攻めを繋いでいるから。


「バカな……!」


 武林先輩が珍しくそんな声を漏らした。

 佐久間兄弟は頭を抱えて長考に入っており、俺の持ち時間が動くことはない。


(二人はもう抑え込んだ。あとはこっちを片付けるだけだ)


 俺が開いた瞳孔を向けると、武林先輩と葵はビクッとなって驚愕する。


 本当はこういう悪目立ちする行為はあまりしたくない。

 勝負の世界でそんな甘いことを言うなと思うかもしれないが、俺みたいな陰キャはそういう周りの目にどうしても不安になってしまう。


 自分が誰からも見られていない存在だと自覚しておきながら、変な目で見られたらどうしようという不安感に襲われている。


 なんとも不合理で愚かな生き物なのか。自分で言ってて悲しくなるものだ。


 ──だけど、さすがにこのままやられっぱなしでいるわけにはいかない。


 俺には"約束"がある。それを果たすまではここで引き下がるわけにはいかない。

 この場で負けて失望されるくらいなら、多少印象が悪くなっても本気を出して叩き潰すまでだ。


 俺は脅しでも冗談でもなく、真剣な表情で武林先輩に告げた。


勝ち寄せますよ」

「……遠慮無用!」


 豹変した俺の態度など意にも介さず、武林先輩は俺から繰り出される速攻の攻めを全部受け止める。


 だが、俺は細かい仕掛けを挟みながらつなぎ目を作っていき、武林先輩が受けようとする陣地とは逆方から攻めを開始する。


「なに……!? いや、これは挟撃きょうげきか……!?」


 流石は将棋部の部長と言ったところ。一見理解不能に見える俺の考えを即座に見破る。

 だが、見破ったところで対処できるかは別問題だ。


 俺はすかさず葵の手も高速で切り返していき、合間に佐久間兄弟を追い詰めていく。


 俺の持ち時間は残り5分から微動だにしないまま止まっていた。

 むしろ今までとは逆、4人の方がどんどん持ち時間を消費している状態だ。


 俺がやっていた将棋戦争というアプリはとにかく早指しが基本だった。

 1手10秒や持ち時間5分で切れたら負けなど、常に時間切れと隣り合わせの対局が日常になっている。


 そこで『九段』を取った自滅帝の本気の早指しは、時間を1分も消費せずに決着をつける──。


「くっ……!」


 葵が珍しく焦った表情を見せて指先を噛む。


 トリッキーな戦法と言うのは視覚的には優位に運ぶものが多いが、厳密に紐解いていくと悪手の一種に分類される。


 もちろん対処法を知らなければその悪手は妙手として火を噴くだろうし、対処法を知られていないからこそトリッキーな戦法は多くの人に使われる。


 だから誤ったな、葵──。俺にこの手のまやかしは通用しない。


 綱渡りのような読みからほんの一瞬間違えた葵。俺はその隙を突いて小駒たちを一気に鏖殺おうさつしていく。


「……!? しまっ、咎められ──」

頓死とんしだよ。詰みおわりだ」


 俺はまだ傷つけられていない葵の王様の脇腹に飛車を放り込む。そしてその飛車を捨て駒にすることで形を乱し、葵の守り駒には一切触れない形で王様の首を静かに跳ねた。


「ま、負けたっす……」


 そんな葵の投了宣言を耳に入れることもなく、俺はすさまじい速度で武林先輩の囲いを切り崩して王様を寄せていく。


 そんな俺の猛攻に武林先輩は終始気圧されていたが、やがて踏ん切りがついたのか片手を盤の前にかざしてこう告げた。


「……参った!!」


 その言葉の先端が聞こえた瞬間に俺は佐久間兄弟の指し手に戻り、既に指されている一手から勝利までの道を繋げて読み切る。


 そして強烈な反撃手を指すと同時にパンッ! 勢いよく対局時計を押す。


 時間は絶対に切らせない──。


「くっ、くそ……!! 俺がこんな奴なんかに……!」

「クソ……! 舐めやがって……!!」


 佐久間兄弟も勢いを取り戻してなんとか反撃に出ようとするが、将棋は勢いだけではどうにもならない。

 ただ真っ当に計算しつくされた読みと策略だけがただしく反映されるゲームだ。


 特にこの二人に限っては相手の手を信頼して次の手を考えるということをしていない。俺が相手だからだろうか。


 東城は俺個人を侮ってはいたかもしれないが、俺の手を侮ったことはなかった。


 だが、佐久間兄弟は俺の手すら侮っている。こんな手を指せるはずがない、悪手に決まっていると決めつけている。


 そのツケが今の形勢に現れているだけだ。


「ち、ちくしょおぉぉ……!!」


 頭を掻きむしりながら何かないかと模索する隼人。しかし俺はそれすら許さない絶対不可避詰みの状態まで持っていく。


 認めたくないのなら、認められる局面を作って分からせてやる。


 自滅帝の思考に一切の容赦はない。ただ相手を負かし完封することだけに全てを費やしたこの思考力に余計な煩悩は入らない。


 それは唯一、俺が陰キャとしての不甲斐なさを払拭できる状態でもあった。


「「ま、負けました……」」


 詰みに入ったことでもう逆転は不可能だと悟ったのか、佐久間兄弟は二人そろって同時に投了の宣言をした。


「ありがとうございました」


 俺はそこで初めて、4人分の勝利の宣言を口にしたのだった。


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