そうこうしている内にチャイムが鳴って、朝のホームルームが始まった。
(……さて)
外野の視線も外れ、一息ついた俺は席に着くと、教師の話を聞いているフリをして思考に耽る。
今回の大会は本当に学びが多かった。
黄龍戦という大きな大会ということもあって強豪ばかりが参加していたし、大将だったから強い相手と当たることも多かった。
そんな俺が今回の反省点を振り返るとすれば、ズバリ"戦術不足"だ。
俺は今回、素の実力で大会に挑んだ。基礎がなっていれば大丈夫だろうという軽い気持ちで挑んでしまった。
その結果が天竜一輝との苦戦だろう。
あれでは辛勝にもならない、運勝ちに近い勝ち方だ。それにゾーンにも入っていた。
これは変な言い方だが、自分の力で勝った気がしない。
もしあの場でゾーンに入っていなかったら、俺は間違いなく負けていただろう。
ゾーンに入るか入らないか、それは自分の集中力次第なのだからある意味素の実力とも言える。
しかし俺はもっと楽に勝ちたい。
何を強欲なことを言ってるんだと思うかもしれない。だが実際そうだろう? 無理して勝つより、ある程度余裕を持って勝つ方が楽だし良いはずだ。
俺はゲームでも、レベルを上げてからボスに挑むタイプだった。
だから今回、いや次回に向けて新たな"戦術"を作ろうと思う。
まずは、俺が今まで指していた自滅帝の指し回しだ。これは美しさや指しやすさといった芸術性の一端を占める部分を捨て去り、ただ勝つためだけに指す戦い方だ。
相手の戦意を削ぎ、戦う気力を失わせ、抵抗する気すら起きなくさせる指し方。
これは俺がゾーンの体験をもとに長年の経験から作り上げた基盤と言える。だから指し方そのものを壊す必要はないだろう。
問題なのはもっと細かい部分、戦術や戦法といった部分だ。
例えばそう、今回俺は天竜に現代将棋の最新型の形に持っていかれ、そのまま研究勝負に運ばれて作戦負けを喫した。
棋力差はそこまで無かった気がするのに、テクニックが圧倒的に上回られていた。
そしてこれに対抗するならば答えはひとつ。より多くの研究を積んで、相手と同じ研究勝負で勝ちに行く。
まぁ、これが現実的な答えだろう。
だがそれでは他がおろそかになってしまう。相手は無数にいるというのに、天竜一輝を相手にした場合の対策ばかり気にしていても意味がないだろう。
だから、もっと序盤から考える。もっと序盤の分岐が可能なところまでじっくりと逆算していって、自分の形に強制的に持ち込めるような戦い方を作る。
そう──オリジナル戦法だ。
将棋界では邪道とも言われているオリジナル戦法の確立。いや、良く言えば新たな定跡の発掘か。
そもそも、相手の研究している領域で戦うなど愚行に等しい。
俺は頭が悪いかもしれないが、バカではない。
研究しきった相手の領域で戦うくらいなら、序盤の僅かなリードを譲ってでも自分の領域に引きずり込む方が得策だ。
将棋界のレベルは日に日に上がっていってる。しかしそれは、あくまで現代将棋の定跡においての話。人間のレベルそのものが上がっているわけじゃない。
だからこそのオリジナル戦法だ。
序盤の定跡を多少崩してでも、自分の戦える形に持っていって相手に研究勝負をさせない。むしろその逆、こちらの研究範囲に相手を引きずり込む。
これがひとつの戦術になるだろう。
(自分から定跡を崩すなんて、我ながらイカレてるな……)
定跡とは最も正しいとされている手だ。つまり、定跡を崩すということは悪手を指すということでもある。
差し出すのは形勢の不利、それによって得られるのは自分だけが知っている盤上の
──悪くない取引だ。
自分から悪手を指しにいくなんて実に自滅帝らしい思想だ。捉え方によっては自分から自滅しに行っているようなものだ。
よし、戦術の名はそのまま『自滅流』と名付けよう。
「……ふぅ」
考えがひとまとまりしたところで、俺はようやく意識を外に向ける。
何やら騒がしいなと思って時計を見たところ、時間は既に12時を過ぎており昼休みに突入していた。
俺は午前中の授業を完全スルーしていたのである。
「……あれ、来週期末テストあるんだっけ」
これは死んだ。
※
同時刻、人気のない学校の裏庭で枝の踏まれる音が響いた。
「……はぁ、最悪」
少女はイライラしながらもなんとかそれをため息でかき消し、誰かが来るのを座りながら待っていた。
「……遅い」
やがて数分もしないうちに、そこへやってくる一人の足音が聞こえてくる。
少女の前に現れたのは、一つ上の先輩にあたる男子生徒──佐久間隼人だった。
「何の用だ」
「ずいぶんと余裕ぶってんじゃん。大会では全く活躍出来てなかったくせに」
「……喧嘩売ってんのか? お前の指示だろ」
隼人の怒気を含んだ声色に、少女は怖気づくことなく対峙する。
「そういえば琉帝の大将はどうしたんだ? 何か話していたんじゃなかったのか?」
「あんなのとっくに捨て置いたよ。あんなぶざまを晒した人間と関わっていたなんて知られたくないし」
「やっぱ取り引きしてたのか?」
「してない。あの道場はああ見えても銀譱の傘下だから、私の言葉一つで動くような連中じゃない。私は持ってる情報を提供しただけ」
少女はつまらなそうに石を蹴りながらそう答える。
「そうか。まぁ、イライラすんのも分かるぜ。なんせ決勝の相手は天竜一輝だったんだ。あそこで止まると思ってたのに、まさかそのまま天竜に勝っちまうんだからな」
「勝つ? 何バカなこと言ってんの、手加減されてたに決まってるでしょ。相手はあの天竜一輝だよ? まともにぶつかって勝てる相手じゃない」
「でも事実として勝ったわけだろ? おかげで今や渡辺真才という存在は西地区の期待のダークホース。今朝の県内新聞にまで大々的に載ってたぜ?」
「うるさい!」
隼人の言葉を聞きたくなかった少女は、素の声を出して遮った。
「あー、イライラする。せっかく東城美香の弱点が分かったのに、余計な邪魔が入って黄龍戦に間に合わなかった。おかげで計画は台無し。しかもいつの間にか来崎夏まで復帰して……何もかも振り出しなんだけど……ッ!」
少女はそうして一通り愚痴を吐いた後、落ち着きを取り戻す。
「……もういい、私が直接相手する。それで、渡辺真才を退部させる」
「俺の役目は終わりか?」
「いいえ、アンタにはその舞台を用意してもらう」
「めんどくせぇことを押し付けんなよ。……まぁ、やってやるよ。俺もアイツは嫌いだからな」
隼人は踵を返して少女に背を向けると、去り際に一言口にした。
「あぁ、それと。気持ち悪いからいつもの喋り方に戻れよな。──