目次
ブックマーク
応援する
1
コメント
シェア
通報
第三十一話 電撃の勝利とハグ

 大会も終盤戦で突入し、多くのチームが脱落していく。


 あれだけぎゅうぎゅう詰めになっていた会場も風通しが良くなり、会場に残っている選手の大半は他の戦いの観戦や敗者戦に出ている者だけとなっていた。


 そして、それまで誰も観戦していなかった俺達西ヶ崎高校も段々と注目を集めていき、気づけば十数人の視線が来崎たちに注がれていた。


「なぁ、あれ無冠の子じゃね……?」

「本当だ。まさかあの東郷さんと互角に戦ってるのか? ヤバいな」


 あれだけ追い詰められていた来崎を知らないのだろう。彼らは来崎が東郷と互角に戦っていると思っている。


 実際、二人の局面は互角だ。


 だが、この互角の局面は元々来崎側が敗勢だったということを彼らは知らない。元から互角なのではなく、互角にまで戻したという事実を彼らは知らない。


 ただでさえトップスピードだった来崎が、さらにギアを一段階上げて猛攻を仕掛ける。


 同時に、それまでずっと攻勢に出ていた東郷が防衛に回らざるを得なくなった。


「バカな……東郷さんが勝勢だったはずだ……!!」


 銀譱道場の面々が愕然とした表情で拳を握る。


「くぅっ……!!」


 苦しい表情で受け手を必死に考える東郷。


 対する来崎は息ひとつ乱さない。一定に整った呼吸のまま難解な盤面を即座に紐解いていき、全てを無慈悲に刈り取っていく。


 この覚醒した来崎の思考速度と手順は、あの東城ですらまともに追いつけないだろうな。


 互いの秒読みのブザーが止まらず鳴り響く中、来崎は何かを確信した表情で顔を上げると、東郷へと一言告げた。


「──訂正してください」

「なんだと……?」


 ──パンッ!


 人差し指と中指で勢いよく叩かれた対局時計。それを叩いた来崎は東郷を睨みながら先の言葉に対する訂正を求めた。


「私を無冠の女王だと言ったこと、訂正してください」

「くっ……!」


 東郷の表情が激しく歪む。


 来崎にとって、その訂正は重要なことなのだろう。


 来崎は今まで傷つけられた尊厳を実力で取り戻そうとしている。そんな相手に対して蔑称を吐き捨てるとは、苦悩や挫折を知らないとしか言いようがない。


「あまり調子に乗るなよ小娘……! 貴様のような小物がこの俺に意を述べられると思うな、俺に敵う人間などこの地区には存在しないッ!!」


 東郷は奥歯を嚙みしめると、激昂と共に攻めに転じた。


 焦りと怒りで思考が単調になった東郷から幾多もの王手が放たれる。


 しかし、"王手は追う手"。単調になった東郷の攻めは来崎を追い詰めるどころか追いかける形となってしまい、その度に東郷の駒台から小駒が消えていく。


かんむりを失うのが怖いですか?」

「黙れ……」

「私はずっとゼロでした。どれだけ努力しても、どれだけ必死になっても、結局ひとつも手に入れられませんでした。無冠という肩書を押し付けられたままでした」

「……っ」


 来崎は駒台に手を乗せて、盤上にある駒の配置と持ち駒の数から東郷の王様を詰ます計算を始める。


 ついに、仕留めに入った。


「でも、そんな肩書も今なくなります。私は無冠ではなくなる。──なぜなら、貴方からひとつ奪い取るからです!」

「黙れッ──!」


 来崎の攻めによって僅かに生まれた隙を突いて、東郷は肉を切らせて骨を断つ手段に出た。


 しかし、東郷が手を指す前に来崎はもう駒を掴んでいた。


「銀譱は将棋に革命を齎す存在──! 一介の学生風情がお遊び感覚で通るべき道では無いッ!!」

「貴方たちの理念になんて興味ありませんよ。綺麗に舗装された道しか歩んでこなかった王者の分際で、私の行く末を遮るな──!」


 東郷が指したその瞬間、来崎も被せるようにして持ち駒を盤上に叩きつけた。


 金銀桂香の火花が散って、その残滓すらも盤上にある大駒達でさらに粉砕する。


 そこから始まる凄まじい攻防は、一瞬の煌めきを放って電撃のように走駆していく。


 それは互角の殴り合い──ではなかった。


「ぐぅ……ッ!?」


 圧倒、まさに圧巻。将棋盤の中央、天王山から繰り出される来崎の角が死神の鎌をクロスさせ、光を灯したグランドクロスが中央から放射される。


 剣戟の最中行われる刹那の攻防は、来崎の攻撃だけが全て命中していく。


 東郷は最強の駒である飛車を囮になんとか生還を図ろうとするが、来崎はそんな飛車には目もくれず東郷の王様を追い詰めていった。


 これが極限に入った者の思考、最善を突き進む非人間的状態。


 一般的な思考から生み出される罠など、かかるはずもない。


「ぐっ……! まだだ、まだ終わらん……!」


 混沌とした局面をなんとか自分のものにしようと足掻く東郷。


 それに対し、来崎は息の根を止めにかかった。


「いいえ、終わりです。37手詰みですよ」

「……あ?」


 突如、人間じゃない言葉が来崎から放たれた。


「は? ……37手詰み……だって?」


 隼人が聞き間違えたかのように来崎の言葉を復唱する。


 37手詰み──それはどう受けても37手以内に勝ちが決まっているということだ。


 勝つかもしれない、じゃない。勝ちが決まっている。それはチェスでいうチェックメイトと同じである。


 37手詰みなんてプロ戦でも滅多に見られない数だ。それを秒読みに陥った状態で読んだというのだから、一体何千万の分岐を把握したのか分からない。


 今来崎の中で行われている思考は、まさに想像を絶するものだ。


「……ハッタリだ」

「なら結果を見に行きましょう」


 そこから止まることなく指される来崎の手に、東郷の表情は段々と青ざめていく。


 たかがアマチュアが実戦で37手詰みを読み切るなんて出来るわけがない。それが出来れば、もはや将棋の技術以前の問題だ。人間を越えた何かだ。


 しかし、そんな常識を越えた存在に人々は夢を見る。


「ば、バカなッ……!?」


 来崎の指し手は一切の迷いなくノータイムで繰り出されていった。


 逆算された答えへ帰結するように、終幕へと駆け抜けていく。


 走り、走り、走り続けた先──アクセル全開で突き抜けた世界に来崎は確かな答えを見つけていた。


 そして、37手後──。


「…………は?」

「…………なんだ、これ……」

「あ、あぁ……」


 来崎の対局を見ていた者達は絶句していた。


 有言実行──。局面は東郷の完全な即詰み。


 来崎は宣言通り、37手で東郷の王様を仕留めきったのだ。


「ありがとうございました」


 投了の言葉すら吐けず固まったままの東郷に、来崎は頭を下げて対局を終えた。


「……アタシ、夢でも見てるのかな」

「現実だよ」

「……こんなことが、現実に起こるのね……」

「それが将棋だからね」


 困惑する東城に俺も安堵した声で返事をした。


 そんな東城は対局を終えた来崎の元まで向かい、労いの言葉をかけにいった。


「お疲れ様、来崎。中々見応えのある勝負だったわ──」

「真才先輩ーーっ!!」

「ちょっ、また無視!?」


 来崎は東城をスルーして俺の方に突っ込んでくる。


 おいまて、これデジャヴって奴じゃ──。


「大好きですーっ!!」

「ちょおっ!?」

「来崎!?」


 来崎はそんな言葉を告げながら勢いよく俺に抱き着いてきた。


 座っていたせいで姿勢が低く、来崎の柔らかい膨らみが頬に密着して息ができなくなる。


 このままでは窒息しそうだったので思わず呼吸をするも、女の子特有の良い香りが鼻腔をくすぐって思考が停止しそうだ。


「お前、いつも誰かに抱き着かれてるな……」


 ジト目でそう言ってくる魁人に、俺は返す言葉がなかった。


 ともあれ、来崎の勝利によって俺達は銀譱道場26に勝利を収めた。


 結果は以下の通りだ。


 大将 渡辺真才  〇

 副将 佐久間魁人 ✕

 三将 武林勉   〇

 中堅 来崎夏   〇

 五将 葵玲奈   〇

 次鋒 佐久間隼人 ✕

 先鋒 東城美香  ✕


 優勝候補を相手に4勝3敗。ギリギリながらも見事な勝ち越しを決めた。


 そして俺達西ヶ崎高校は、初出場でありながら前代未聞の決勝進出となったのだった。


「……来崎、そろそろ離れてくれないか?」

「えー! なんでですかー! もうちょっと、もうちょっとだけでいいのでこうさせてください! ……スー、ハー……あぁ、真才先輩の匂い好きい……」

「いや、東城が、東城さんが凄い目でみてるから!」


 ……決勝、大丈夫だろうか。


コメント(0)
この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?