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第二十三話 模倣が本物に勝てる道理などあるわけがない

 開会式が終わり、一斉に並べられた対局時計と将棋盤を挟みながら俺達西ヶ崎高校のメンバーは席に座る。


 目の前にいるのは明日香を起点とした『琉帝るてい道場』の面々。


 さっき武林先輩に少しだけ話を聞いたところ、この『琉帝道場』というのは最近西地区にできたばかりの強豪道場らしい。


 そしてその目的は、西地区とは別の"北地区"という所に存在する『上北かみきた道場』を打倒するため。


 この『上北道場』は元々県内トップレベルの道場だったこともあり、その指導方針や生徒達の教育法に価値を見出した『銀譱ぎんぜん委員会』が新たに道場を建設。


 そうして作り上げたのがこの『琉帝道場』だそうだ。


 スパルタ式と実力主義を元に行われる厳しい指導環境。敗者に口を挟む権利はなく、ただ勝ち続けた強者のみが上に立つことを許される。


 そんな道場で日々鍛えられている『琉帝道場』の面々は皆、自分の力に圧倒的な自信を持っていた。


「わははは! まさか優勝候補と当たることになるとはな! 皆、すまない! どうやらオレのクジ運はあんまりよくないみたいだ!」


 空気を読まない武林先輩が笑いながら謝罪をする。


「気にすることないわ。どうせ勝つんだから」

「そうですね。私と東城先輩、それと真才先輩で3勝は確実です。あとは残りの4人のうち1人でも勝てばいいだけなので、気楽に挑めばいいと思いますよ」


 東城と来崎は琉帝道場の面々に聞こえるような声量でそう告げた。


「おい、聞いたか? 俺達に勝つってよ」

「おー怖い怖い」


 琉帝道場の面々はそんな東城たちの挑発を真に受けることはなく、余裕綽々の表情で席に着く。


 そして、そんな琉帝道場のリーダー格であろう明日香は勝ち誇った笑みを浮かべて口を開く。


「まぁ、いくらうちの道場が強豪揃いとはいえ、東城美香一人に勝つのは至難でしょうね。でもこれは団体戦。一人が勝ったところでなんの意味もないわ」


 明日香は俺達を見下すようにそう言った。


 まるでもう自分達の勝利を確信しているかのような表情。慢心と傲慢に餓えた強さゆえの余裕というやつか。


 ──くだらない。


 琉帝道場の者達が各々の席に着いていき、俺達の視線は明日香から目の前の相手へと切り替わっていく。


 しかし、俺の前の席は未だに空席だった。


 そう、座るべき人間はまだ立っているから。


「まさかあんたが本気で大将をやるなんてね。冗談かと思っちゃった」


 軽くお茶を飲みながらそう告げる明日香。


 自分と戦うには格が違うと思っているのか、その目は完全に舐めきっており、相手を見下すような視線を俺に向けていた。


 そんな明日香に俺は何も言わず無言で駒を並べる。


「あんたって昔からそうやって黙るのが趣味よね。自分にとって都合の悪いことだけスルーするの、昔から本当にうざかったわ」


 ああいえばこういう。黙ったら黙ったで文句を言ってくる。


 強者というのはどうしてこう、他人を見下すことに躊躇がないのだろうか。


 俺は駒を並べながら、席に着こうとする明日香に問いかけた。


「……なぁ、明日香。俺が将棋戦争をやっていることは知ってるのか?」

「は? 将棋戦争? あー、あの早指し将棋アプリね。それをやってたら何?」


 明日香は質問の意図が分からず首をかしげる。


 付き合ってた頃に、俺は何度も明日香の隣で将棋戦争をやっていたことがある。目の前で、なんてレベルじゃない。明日香と対局したこともあるくらいだ。


 つまり、俺が『自滅帝』という名前であることを明日香は一番最初に見た人物だ。


「……いや、なんでもない」


 そうか、それほど明日香は俺に興味がなかったのか。


 もし仮に俺が自滅帝であることを知っていたのなら、さすがの明日香もここまで俺を舐める態度はとらなかったはずだ。それは東城や来崎の反応を見れば大体予想がつく。


 だから明日香は、俺が自滅帝本人だなんて一ミリたりとも思ってないのだろう。


 昔見た記憶など頭から消し去っているのか、もしくは初めから覚える価値なんてないと思われていたのかもしれないな。


 ……あぁ、ここまで苛々したのは初めてだ。


「じゃ、始めようか」

「何勝手にあんたが仕切ってんのよ。あたしが振るに決まってるでしょ」


 互いの先後を決める振り駒の主導権を俺から奪い取った明日香は、駒を振ってチームの先後を決定する。


 同時に会場のスタッフがマイクを手に取り、試合開始の合図を取った。


「それでは、これより西地区黄龍戦の団体戦、その第一試合を始めます。一斉に対局を始めてください」


 その言葉に呼応して会場に集まった大勢の選手が頭を下げ、対局を開始させる。


「「お願いします」」


 そして、俺と明日香の戦いも幕を開けたのだった。


 ※


 同時刻、会場の陰からひそかに顔を出して大会の様子を覗き込んでいた者がいた。


 可憐な容姿に色白の肌、アイドル顔負けの整った顔立ち。どこからどう見ても美少女と呼べるその少女は、腕を組みながら壁にもたれかかり大会の様子を視察する。


「やあ、珍しい客人だね」


 そんな少女に話しかけたのは、西地区黄龍戦の主催者であり、県の会長でもある男だった。


「鈴木哲郎か。随分と老けたな」

「あはは、耳が痛い言葉だ。だがそういう君こそ随分と……いや、余計なことか」


 少女に何か言おうとしていた鈴木哲郎は思いとどまり、少女の見ている視線を追って会場の中を見渡していく。


 そして、一番の疑問を少女にぶつけた。


「……それで、これから何が起きるというのかね?」


 その言葉に反応した少女は、目線だけを鈴木哲郎に向ける。


「ここは君のような"大物"が来るべき場所じゃない。なのに君は足を運んだ。普段誰にも興味を示さない君がだ。ならば、関心を向けるその視線の先にはきっと何かが起きるのだろう。それを教えてはくれないかね?」


 そんな鈴木哲郎の言葉に、少女は間をおいて答えた。


「視えないのか?」

「老いぼれたものでね」

「ならば心眼を開け」

「無茶を言う」


 困り顔で頭を掻く鈴木哲郎を一瞥した少女は、ひらりと踵を返して会場に背を向けた。


「もう帰るのかい?」

「結果の決まった試合を見るほど、わたしは暇じゃないんだよ」


 その言葉に鈴木哲郎は何も返せず、ただ去り行く少女の背中を見つめていた。


 そして少女が見ていた目線の先を再び自分で確認し、彼女が何を考えていたのかを読み取る。


「……あれは」


 その目線の先にあったのは、琉帝道場と西ヶ崎高校の戦いだった。


 ※


 昨今の自動販売機は凄い。なんたって色んな種類の飲み物がある。

 俺が小学生だった頃はそんなに飲み物の種類は無かったが、今ではかなりバリーエーション豊富だ。


「……美味いなこれ」


 試しに買ってみたレモンティーを飲んでみたが、中々どうして香りが良い。しかもこれで110円というのだからなおのことハマりそうだ。


 俺はペットボトルにキャップをして隣に置き、流れるように盤上を見渡した後に時計を確認する。


 今回の大会で使用される持ち時間は30分の30秒だ。つまり、30分が切れたら1手30秒以内で指すルールとなっている。


 そして、俺の残り時間は29分16秒。明日香の残り時間は7分2秒となっていた。


「……あんた、一体何をしたのっ……?」


 思わず明日香からそんな言葉が漏れ出る。


 おいおい、話しかける余裕があるのかよ。俺と違ってお前の残り時間はもう7分しかないんだぞ?


「何も。普通に指してただけだが?」


 局面は中盤の入口。定跡を辿って自分の土俵に引き入れようとした明日香だったが、俺はその手をすべて避けながら持久戦へと持ち込んでいた。


 そして、対局が始まってから今まで、俺はすべての手を3秒以内に指していた。


「そんなはずない! あたしの方が優勢のはずなのに……なんで!」


 明日香が繰り出した戦術は、最近見直されてきた三間飛車さんけんびしゃという戦法だった。


 明日香はそこから早石田はやいしだと呼ばれる急戦策に出たのち、俺が持久戦にする動きをみて石田流本組いしだりゅうほんぐみと呼ばれる将棋の理想形を形作った。


 普通に考えればこの時点で明日香は優勢を確信しただろう。


 だが、形勢は火を見るより明らか。明日香の作り上げた石田流本組を俺は飛車ひとつで軽く受け流し、残った全ての小駒を進軍させて明日香の上部を抑え込んでいる。


 守りの上部を抑え込まれた明日香はこれ以上守りを堅くすることができない。かといって攻めてしまうと、攻め駒が俺に渡ってしまい抑え込まれた上部から一気に攻勢を仕掛けられて負けてしまう。


 ──つまり、何も出来ない。それが今の明日香の状態だった。


「理想形に組んだのに、なんであたしがこんな……あんたごときに……っ!」


 確かに明日香の形は将棋の理想形だ。


 そして、明日香はその理想形を必ず完成させるように色々な小技を交えながら指していたように思える。


 明日香の考えを代弁するならこうだろう。『理想形にすれば勝てるのだから、理想形を作り上げるための研究をすればいい』と。


 なるほど、実に合理的な発想だ。


 だが明日香はそもそもとして、根本的な考え方を間違えている。


 ──今の将棋に、理想形なんてものは存在しない。


 厳密にいえば、将棋の理想形と言うのは『人間にとって最も指しやすいとされる理想的な形』のことを指している。


 つまり、それを作ったからと言って優勢になるわけじゃない。理想形はあくまで人間にとっての指しやすさの問題。形勢は関係ないのだ。


「……確か、"大会の余興くらいにはなる"。だったか?」


 俺のその言葉に、盤上の駒を凝視していた明日香の動きが一瞬止まる。


 頬から垂れる冷や汗。上げれもしない目線。


 この日、この瞬間──俺と明日香の立場が逆転しようとしている。


「い、いきがるんじゃないわよ。陰キャの分際で……っ! あたしは琉帝道場のエースなのよ? あんたなんかに負けるわけないでしょ……!」

「なら当ててやろうか?」

「は……?」


 俺はそう言って、盤面に視線を落とす。


「お前が今考えてる手は、3六歩、8五歩、6二金の3つだ。そうだろ?」

「は、は……? な、なんで分かっ……」


 驚いて狼狽する明日香に、俺は大きくため息をつく。

 そして、でいる明日香に"答え合わせ"をした。


「はぁ……何か勘違いしてないか?」

「えっ……?」


 居飛車と振り飛車、対照的な戦法を指していながら、俺は微かに感じ取っていた。


 まるでシンメトリーの合わせ鏡。自分と戦っているかのような懐かしい感覚。


 それを感じるのは必然であり、未だ虎の威を借りている明日香に失望と落胆をせざるを得ない。


「お前のその磨かれた将棋観。それを最初に教え、創り上げたのは誰だ?」


 俺の問いに明日香の手が止まる。


「その戦法、その手筋、その勝ち方。全てをお前に教え込んだのはこの俺だ。お前が強くなった気でいるその戦い方は、俺の技から盗んだだけの模倣技術に過ぎない」


 そう、明日香のこの指し回しは昔の俺の戦術だった。


 ひたすら合理性を求め、徹底的に弱点を削り、理想的な立ち回りから勝ちへと結びつける戦い方。


 過去の学びから踏襲する人間臭いその指し回しは、どんなに格上の相手でも倒せる可能性を秘めている。


 あぁ、全くもって不快極まりないな──。


 バチン! と時計を叩きつけながら俺の思考は言の葉を介した。


「なぁ、明日香──」

「ひっ」


 ここに来てようやく触れた逆鱗に気づいた明日香は、小動物のような瞳と恐怖で取れなくなったにへら顔を浮かべながら目線を上げる。


 その先にいたのは、自滅帝として目の前の相手を徹底的に潰す覚悟を決めた男の顔だった。


「……なに笑ってんだよ、偽物。人から研鑽を積んだ程度の牙で自滅帝人生を懸けた相手に勝てると思ったのか? 舐めるのも大概にしろよ」



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