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第226話 耳から摂取する幸せ1

 薫さんと別れて。私は家に戻って部屋着に着替えると、お母さんが用意してくれていたご飯を食べてから自室に戻り、ベッドの上に転がった。


「でへ……でへへへへへへへっ♡」


 元々は薫さんが使っていたのだという、お古のヘッドセット。それを鞄から取り出すと、ついついうっとりと眺めてから変な笑みを浮かべてしまう。


 ゲーム好きなあの人だ。きっと毎日のようにこれをつけ、プレイを繰り返していたのだろう。綺麗に使われていたように感じるけれど、やっぱりところどころに傷がある。


 けどそれをそっと指でなぞると、私の知らないあの人に触れられたみたいで。身体の奥からじわりと幸せが溢れ出てくる。


「薫しゃん、優しかったなぁ……」


 それに、薫さんを感じていられるのはヘッドセットからだけではない。


 猛暑の中自転車を漕いで移動する私はいつも汗だくになる。それを見越してシャワーを貸してくれるようになった。


 そのおかげで、薫さんからするふわりとした石鹸の匂いと同じものが今、私の身体には染み付いている。もちろんあの人特有の生まれつき持った匂いと掛け合わせられたあの人だけの匂いになることは、できないけれど。それでも同じ石鹸を使って身体を洗い、少しでも近づけたことに。心が高揚していく感覚が離れない。


 本当は同じ石鹸を買って愛用したいんだけど、あれはどうやら薫さんのお母さんの趣味で作られた手作りらしくて。こうやって薫さんの家に行った日にしか堪能することはできない。まあ、その頻度も上がってきているし今のところ問題はないけれど。


「薫しゃん……薫しゃん薫しゃん薫しゃんっ♡ へへっ、へへへっ♡ 〜〜〜っ♡♡」


 ぎゅぅ、とヘッドセットを抱きしめながら、薫さんに頭をなでなでされた時の感触を思い出して身悶える。


 最近、向こうから色々なスキンシップを図ってくれて。恥ずかしくて私からはできないことを、薫さんはいつも……


「もっと、触られたいなぁ……って、えっちすぎるかな。なんて……でも、私も触らせてもらえてるし。今度はもうちょっと積極的に……」


 恥ずかしげもなくそんなことを考えながら、スマホを開く。ホーム画面から検索アプリをタップし、決して見られてはいけない検索履歴の数々の一番上の文字入力のたまに空けられた空欄を触ってから。これから検索しようとしているワードを打ち込んで────


 プルルルル、プルルルルルルルルッ。


「ひゃぁっ!?」


 その瞬間、突然の着信音と共に画面が切り替わる。


 表示された名前は「薫さん」。もう別れてから三時間ほど経っているし、多分言っていたヘッドセットのテストをするための電話だ。


『あ、もしもし〜。ひなちゃん、今大丈夫か?』


「は、はははい! えっと、オンライン通信……しますか?」


『お〜う。やろやろ。ヘッドセットの接続方法とか分かる?』


「い、いえ。どこにどう刺せばいいのか……」


『ならビデオ通話するか。にっしし、ひなちゃんの可愛い寝巻き姿見てやろ〜っと』


「ふえぇっ!? そ、そんな見せられるほどのもの持ってませんよ!?」


『え〜、いいじゃねえかよぉ。恥ずかしがんなってぇ。かく言う私もジャージだしな〜。ほれ、どの道説明するならビデオ通話しながらのほうが楽だからさっ』


 か、かか薫さんのジャージ姿!? 見たい、見たいっ!! フォルダに保存したい!!!


「わ、わかりました……。じゃあビデオ通話付けます、ね」


『やりぃ。早く早く〜』


 ああ、どうしよう。耳が幸せになっちゃう。はっ……これ、もしかしてヘッドセットを付けたらもっと近くから薫さんの声が!? ち、近くから囁いてもらいたい……ちょっと意地悪なこととかも、言ってほしいなぁ……。


 我ながら変なことを考えすぎだと思いつつも。目の前に吊るされた″薫さんの囁きボイス″に加えて″ジャージ姿″の欲望には、勿論逆らえず。





 流されるがままに、ビデオ通話を始めてしまった。

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