「ゆーし、いなくなっちゃった。ゆーし? ゆーしぃ? どこぉ……?」
お姉ちゃんは一人、リビングで泣いていた。
ゆーしにいが。……いや、あの裏切り者がこの街を出ていった、その日のことだ。
ある時期を境にアイツへの気持ちに変化が現れ始めたお姉ちゃんは、これまでの甘えんぼな部分を曝け出すことが出来なくなるほどに恋をして。そして捨てられた。
「お姉ちゃん……。大、丈夫?」
「ひっ、えぐ。ゆうたぁ。ゆーし、行っちゃった……大好き、だったのに……っ」
まだ小学校低学年だった僕の頭にも、あの時初めて見たお姉ちゃんの泣き顔は深く刻み込まれた。
引っ越しの理由とか、どうでもいい。アイツは僕の大好きなお姉ちゃんを泣かせたんだ。それも、一番最悪なタイミングで裏切って。
「私、嫌われちゃったのかな? ……もう、いらないって。思われちゃったのかな……」
「っ! 違う! 違うよ!! お姉ちゃんは悪くない!! 悪いのは全部アイツだもん!!!」
「ゆぅ、たぁ……」
お姉ちゃんが頼れるのは、もう僕しかいなかった。だからアイツに代わって僕が。それからもしばらく塞ぎ込んでしまっていたお姉ちゃんを元気付けて、少しずつ。少しずつだったけれど、時間をかけて元の元気なお姉ちゃんに戻すことが出来た。
でも────
「ゆーし。会いたいなぁ。次会った時は、絶対好きって伝えるもん……」
神沢勇士という、お姉ちゃんの中の大きな中核だけは。取り除くことが出来なかった。
それからは「次会った時に」というのをモチベーションに、お姉ちゃんはどんどん可愛くなっていった。髪の手入れ、服のオシャレ、整えられた爪。
全部、アイツのためのもの。僕はただの代用品でしかなくて、お姉ちゃんの一番にはなれない。
ムカついた。僕らを裏切って姿を消しておきながらも、お姉ちゃんの中に居座り続けるあの男に。
────ただの弟では越えることが出来ない、その絶対的な壁に。
(絶対に、許さない。お姉ちゃんを一番理解できるのは、僕なんだ。あんな奴じゃない……)
いつも明るくて優しくて、世界一可愛いお姉ちゃん。
誰にも渡したくない。いつか遠くに行ってしまうのが怖い。何よりも、今一番近くにいるあの男には絶対に取られたくない。
「お姉ちゃんは、僕のだ」
ずっと一緒にいたい。お姉ちゃんとこの家で、大人になっても。少し遅く帰ってくるお姉ちゃんにおかえりなさいを言いたいし、逆に僕が遅く帰ってきた時にはおかえりなさいを言われたい。
元々は幼なじみだったとしても、今更ぽっと出で現れた裏切り者になんて、絶対に負けたくないんだ。この五年間も、僕だけはずっと一緒にいた。お姉ちゃんが一番辛い時、そばにいたのは僕だ。誰よりもお姉ちゃんの心に寄り添ってきた。
「取り、返してやる。お姉ちゃんを……お姉ちゃんの、心を!!」
誰もいないリビングで一人。勉強道具を広げながら、お姉ちゃんの泣いていたソファーを見つめて。
僕は一人、静かに誓った。