小さな吐息の音が、狭い世界で反響する。
膝掛けに包まれて薄ら暗い空間の中で由那はそっと、目を閉じていた。
繋がれた俺の左手が、そっと胸元に引き寄せられる。ぎゅぅ、と強く握って離さないその小さな手には、少し手汗が滲む。
(本当に、するのか……?)
つん、とこちらを向くチョッキーの向こうには、幼なじみの唇。無防備に目を閉じるその姿は、まるでキスを待っているかのようで。
そんな事になるはずはない、と思ってはいても、俺の鼓動は速くなるばかりだった。
ゴクリと唾を飲む。突き放して、こんなことやめようと言いたい。でも、俺も心のどこかできっと、思っているのだ。
────由那となら、もっと近づきたいと。
ゆっくりと顔を巻き合わせて、向けられたチョコ側のチョッキーの先端を口に含む。
それを感じ取ったのか、目を閉じたままの由那の身体がピクリと動いた。
「んっ……」
口を離せば負け。俺は鼻からこの勝負に勝つ気なんてサラサラ無い。
だから今すぐにでも、歯に入れる力を強くしてチョッキーをへし折ってしまえばそれで終わり。
終わり、なのに……
ポキッ、ポキッ、ポリッ。
小さな音を立てながら。俺の口は、何故か丁寧にチョッキーを食べ進めてしまう。
気づけば長さはもう半分。由那の顔が、およそ十センチにも満たない距離にまで近づいている。
(由那、相変わらずいい匂いがする。甘くて、落ち着く感じの……)
まるで、吸い寄せられるかのように。俺は心を奪われると、由那の甘い匂いを感じながらチョッキーを食べる。
由那は、その口を一度たりとも動かさなかった。完全に俺に身を委ね、ただじっと。そこでチョッキーゲームの終わりを待っている。
その姿勢が自らの勝利を願うものなのか。それとも、このままどちらも口を離す事なくこのゲームが終わって。キスをする事で引き分けになってしまうことを狙ってのものなのか。
もはや俺には、どうでもよくなりつつあった。
(このまま、由那の唇を……)
それは、ほんの一瞬の気の迷い。甘い香りに誘われて理性を失った俺の、男としての本能に囚われた行動。
そっと肩に触れる。それでもやはり、彼女は動かない。
いいのだろうか。このまま、奪っても。
「ふーっ……ふー……っ」
由那の甘い吐息が、俺の顔にふわりとかかる。
その瞬間。俺は、あと数センチの距離を縮めようと────
「はぁー、スッキリしたぁ!!」
「な、早くゲームの続きやろうぜ!!!」
「っぐ!?」
「あっ……」
縮めよう、なんて。暴走しかけたところに、クラスメイトの声が届いて。咄嗟に反応して膝掛けを取ると、口に力を加えてチョッキーを噛み砕いた。
(……っぶねぇ!? 俺今、何して!?)
完全に自制心が無くなっていた。もしあと数秒、声が届くのが遅ければ。俺はあのまま、幼なじみの唇を────
「ゆー、し……」
小さな声で呼びかけられて、振り向く。
由那はとろんとした目で、膝掛けで恋人繋ぎした手を覆いながら。ポリポリと短くなったチョッキーを咀嚼して、飲み込んでいた。
「やっぱり、いくじなし。あと、ちょっとだったのに……」
「な、何言ってんだ。あとちょっとって……」
「……ううん。なんでもない。えへへ、勝負は私の勝ちだね。チョッキー、取り返しちゃった」
由那はどこか、残念そうというか。寂しそうというか。少なくとも落胆した様子を見せつつ、頬を掻いて見せた。
(コイツ、本気で……俺と?)
キス、しようとしていたのだろうか。キスされるのを、待っていたのだろうか。
そして俺は、キス″したかった″のだろうか。
由那への気持ちが揺らぎ始めている。その確かな自覚を植え付けられて、心がざわめきだす。
「は〜ぁ。へへっ、ゆーしのばぁか。きっと待ってれば怖気付いて口を離すだろうなぁって思ってたもん! 私の作戦勝ちだね!!」
俺の持ちチョッキーから、由那は一本を取り出して丸ごとポリポリと食べた。
まだ心臓の動悸が治らない。彼女も、そうなのだろうか。
「……ちっ。やられたな。ついアイツらが戻ってきたのを見て、反射的に口が離れた」
「ふふ〜ん? 言い訳かにゃぁ。ま、そういうことにしといてあげる〜」
耳を真っ赤にしながら虚勢を張るその横顔を眺めながら、俺も同じように。これ以上深掘りして気まずくなってしまわないよう、考えるのをやめた。