真っピンクの、どこか色っぽい唇と舌。
目を閉じ、そっとこちらにそれを向けて来る由那の姿は、無防備そのものだった。
(お、俺があーんを、するのか……?)
四つん這いになり、グッとこちらに距離を縮めてきている彼女の口から視線を外すと、下には両腕で強調されたたわわ。
変な気分になりそうだった。というか、なった。
少なくとも思春期男子の前でしていい格好じゃない。コイツはあまりにも自分の魅力に気づかなすぎている。
美少女だという自覚はないのか。いくら俺が幼なじみだからと言っても信頼しすぎだ。いや、信頼されてること自体は嬉しいのだが……。
「ゆーひぃ、まらぁ……?」
「うっ!」
はぁ、はぁっ。と、由那が甘い息を吐く。
彼女はずっと口を開けて待っているのだ。大口ってわけじゃないけれど、それでもずっとというのはキツイだろう。
舌の先が、少しずつ濡れていく。口の端から、少量の唾液が顔を覗かせた。
「じっと、してろよ……」
俺は覚悟を決めた。多分、このままじゃコイツは唾液を垂れ流しにしても待ち続ける気がするから。
俺の使っていたスプーンにドリアを乗せ、ゆっくりと口に運ぶ。食べ始める前に割っておいたから、ある程度は冷めているしこのまま充分食べられるだろう。
(俺のスプーンが口に当たらないようにしよう。か、間接キスになるし……)
口元まで持っていき、唇に触れないギリギリで口内へスプーンを入れる。
指先に、甘い息がかかる。緊張で思わずスプーンを離しそうになるが、なんとか耐えて。ゆっくりと、向きを変えてドリアを落とそうと────
「はむっ!」
「あっ!?」
した、その時。口が閉じ、スプーンの先端は口内へと収納された。
もにゅ、もにゅっ、とそれを咥えたまま、ドリアを咀嚼する。
その光景を、固まって眺めることしかできなかった。
俺が……俺が使ったスプーンを、口に咥えている彼女の、嬉しそうな顔を。
「んっ……あむっ。ゆーしがじれったいから、スプーンごと食べちゃったっ♪」
「あ、あぁ。えっ、と……」
「間接キス、しちゃったね」
「っっっ!!」
意識しないようにしてたのに。由那は俺の心を読んでいるかのように、耳元で小さくそう呟くと。艶っぽく濡れ、ドリアの色が消えて綺麗な銀色に戻ったスプーンを俺に手渡す。
分かっていて、やっていたのだ。俺と間接キスになってしまうということも、そうならないように俺が配慮していたことも全部。分かっていて、スプーンを咥えた。
なんで、こんなに嬉しそうなのだろう。その笑みの意味するものは、俺を揶揄うなんて理由だけじゃない気がする。でも……それが何なのかは、分からない。
「ゆーしぃ。ゆーしも、私と間接キス……しよ?」
「ふぇへっ!?」
「私の咥えたスプーンで、ね? ドリア、食べて?」
「っ、っっあ!!?」
じぃ、と。上目遣いで、由那の顔が迫る。
何を考えてるのかさっぱり分からない。なんで、俺にそんなことを頼む。なんで、期待するような目で見てくる。
なんで……そんなに、嬉しそうにするんだ。
「もう一回、あ〜んしてあげよっか? そしたら、食べてくれる?」
「な、なんでそこまでするんだ。そんなに俺にも、間接キスして欲しいのか……?」
「……ゆーしは、私と間接キス。嫌?」
「っぐ、ぅ……」
こちらの質問には一切答えずに。質問を質問で返しながら、由那は不安そうに見つめてくる。
本当に分からない。コイツは一体何を考えて、こんな行動をしているのか。
(今の由那と、間接キス……)
右手に握られたスプーンを見つめる。
このスプーンを口に含んだら、どんな味がするのだろうか。
甘いのか、苦いのか。直前まで食べていたピザやハンバーグの味か。それとも、由那の味か。
動揺と相反して、目の前の魅惑に心がざわついていた。
俺は由那のことを、一度も恋愛対象として見たことはなかった。お互いにまだ子供で、ただ仲のよかった幼なじみ。小学五年生なんて相手を異性として意識するとか、そういう段階に入るには早すぎる時期だ。
きっと当時の俺なら、何も考えずにこのスプーンを使えた。でも、今は違う。
由那は、誰もが振り向くほどの美少女に成長した。もう俺は、少なくとも彼女を″ただの幼なじみ″としては見れない。再開して半日で恋になんて、きっと落ちてはいないけれど。それでも、俺にとって彼女はもう立派な異性だ。
だから、俺には────
「ごめ────」
「なーんて、ね! ごめん、意地悪しちゃった。はい、新しいスプーンっ」
「へ? あ、おぉ?」
何も心の整理がついていないままで、こんなキスも同然のこと。できない。
そう考え、断ろうとしたその時。由那からスプーンを取り上げられ、新しいものを渡された。
杞憂、だったのだろうか。ただ揶揄いたかっただけなのか、由那は意外にも素直に手を引くと、ピザを摘んだ。
(コイツ、俺の気も知らないで……)
ただ、すぐに俺はその横顔を見て気づいた。
(ん? そういえば、由那って……)
それは、由那の無意識的な変化。さっき不意に頭を撫でた時もそうだったのだが、彼女は恥ずかしくなるとすぐに耳が真っ赤になるのだ。昔、小学校で由那がドジを踏んだり、見られたくないものを見られたりした時。顔より先に耳が赤くなっていたのをよく覚えている。
そしてその症状は、今も。余裕綽々な様子でピザを摘む彼女の耳は、真っ赤に染まっていて。次第に、俺の視線に気づいて少しそっぽを向いた後も。耳が赤いのは、一向に治らなかった。
「……ゆーしの、いくじなし」
「? 何か言ったか?」
「ふぇっ!? な、なんでもないもん! ゆーしのばーか!!」
「な、なんで急にそんな言い方!?」
由那も案外、恥ずかしかったのだろうか。
なんて、な。