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第18話 夏祭り 四

この街で過ごす目的は途中で変わった。

最初は確かにハルさんの婚約破棄を手伝う事が目的だった。次は、いかにバレずに別れるかが目的になって、途中からこのまま何の変化もなく暮らす事へと移り変わっていった。

ハルさんなんて最初は好きじゃなかった。確かに泉で助けてもらった時は一目ぼれに近い気持ちになった。だけど「恋人のふりをして」なんて馬鹿げた事を聞いた瞬間一気に盛り下がった。けど、一緒に暮らせば良い所が見えてくるし、大切にしてもらっている事はよく伝わってくる。単純な性格の私だから、幻滅したはずの感情はすぐに上塗りされて、自分で言い聞かせないといけないくらい、彼から離れたくないと願ってしまった。


帰ってきたあの夜、べそべそ泣きながら家族を捨てると言った私を叱ったのは誰でもないハルさんだった。


『ブルーズは、家族が大好きでしょ。いつも楽しそうに家族の話を聞かせてくれたじゃないか』


自分の未熟さと身勝手が恥ずかしい。責任の取り方も知らない子供の私が、これからどうやって生きればいいんだろう。

勝手な事をしたと後悔して嘆くなんて自分勝手だ。正しい謝り方なんて探る前に、一刻も早く誠意を見せるべきだ。


分かってるのに、それでもハルさんと離れたくないワガママが勝った。


みんなの前で踊ってしまえばもう引き返せない。街中の人たちに、私達は夫婦になるんだと知らせるために踊る。私が踊りが好きだから踊りたかった訳じゃない。これは、街の人々へと向けた婚約発表を兼ねているからだ。

ハルさんは元々由緒正しいお家の嫡男で有名だったところをベルとの婚約解消でさらに注目を浴びた人で、注目を浴びたという部分に限ればそれは私にも言えた事だった。この街では良くも悪くも目立つ私と、人気者のハルさんとのカップルは、しばらくは人々の記憶からは消えないはずだ。それなら、ハルさんの家の人はこれで何があっても世間体を気にして、私達の味方をしてくれるはずだ。もちろん、優しい御両親だからこんな卑怯な事をしなくたってと迷ったけれど、それでも少しでも多く決め手が欲しかった。

拍手で出迎えてくれる人々の中にきっと兄もいる。愚かな私たちの気持ちを分かってくれなんて押し付けがましい事は言えないけど、私達の姿を見て欲しい。合図の音と共に、私達は手をとって一歩踏み出し音楽に体をゆだねた。


お酒を売るアルバイトをした日に羊店長が言っていた。『花嫁と花婿の踊り』は、街中に結婚する事を知らせる踊りだと。

夫婦なんて順風満帆に行くはずがない。元々他人同士が一緒に暮らすなんてカルチャーショックの連続なんだから、夫婦仲を揺るがす危機が人生で何度も起こる。だけどその時一緒に踊った事を思い出せば多少の困難は乗り越えられるから、この街では結婚が決まったカップルは人前で踊る事になっているんだよ。と。「他の人への牽制もあるよね!」と付け加えたあと大声で笑ってたけど。

その話を聞いた時から私はどうしてもハルさんと一緒に踊りたかった。十六年しか生きてない私なんかが大真面目に「永遠」を誓い合う事を、みんなに見て、認めてもらいたかった。


ハルさんとこうやって踊るのは二度目だ。最初は、ハルさんの友達の結婚式の帰り道に脇道で踊った時で、あの日に私達の距離は縮まったように思う。だって、生まれ育ちが全く違う私達に共通点なんて何もないと思っていたのに、どちらも踊りが趣味って事がすごく嬉しかった。だから手を伸ばしてハルさんを踊りに誘ったの。

きっと私達は踊ってるうちに、引き返せない境界線を大股で跨いでしまった。おかしな関係だったわりにマトモだったはずの私達がいけない事を許す様になって、心地のいい嘘に段々ずぶずぶになった。


今日もあの日みたいに私達は心の底から踊りを楽しんでいる。緊張なんていつの間にか忘れて、流れる汗も気にしないで彼の事だけを見つめている。

あぁもっと踊っていたい。もっと彼と目を合わせて、手を取り合って、笑い合っていたい。

雑音も聞こえないこの世にはきっとハルさんしかいない。足がもつれたってハルさんがちゃんと支えてくれる。ハルさんが間違えたらカバーしてあげる。私とハルさんなら永遠に踊っていられる。

なのに、現実は非情だ。世界は刻一刻と時を進めていくから、あっという間に楽しい時間は終わってしまった。


拍手喝采を受けながら私達は一緒にお辞儀をすると、名残惜しく思いながら舞台袖に引っ込んだ。舞台の裏にはベル達とハルさんの友達が待っていてくれて汗をかいた私達を歓迎してくれた。ベル達は凄く良かったと褒めながら泣くから、私も色んな感情が湧き出てきて涙ぐみながらしばらく話しをしていたけど、ハルさんはいつまで経っても友達が解放してくれなかった。ちょっと待ってみたけどちっとも離してもらえないし、それどころか友達の一人はひどく酔っ払って耳を塞ぎたくなるような下ネタばかりを話し始めた。


本当なら兄と話す前に打ち合わせをしたかったけどもう時間がないと思った私は、先に一人で私服に着替えておく事にした。

ついていこうか? と心配してくれるベル達の気遣いを断った。婦人会の人たちは衣装はそのままでいいと言っていたし、脱ぐだけならそんなに時間も手間もかからない。すぐ着替えるからここで待ってて。といって更衣室へと向かう。


階段を上がって一番奥の更衣室の扉を開くと、夕方とは違って誰もおらず、がらんとしていた。隣の休憩室も覗いてみたけど誰もいない。確かそろそろ花火が始まるはずだし、そもそもお母さん世代である婦人会の方々はこの時間は忙しいだろうと思いつつ、私は一人で着替えを始めようとピアスに手をかけたところだった。


「ルーちゃん」


谷底から響く様な声に驚いて、体が飛び跳ねる。いつの間にか廊下に続く扉の前には暗い顔をしたカグラバが、動物の死骸でも観察するような目つきで私を見ていた。

いつからいたんだろう。気配には全く気付かなくって心臓が止まるかと思った。


「な、なんでいるの? ここ、女子用の更衣室だよ」


思わずすぐそばにあった櫛の尖った方を突き出した。猫も倒せない貧弱な武器を向けた私を見て、カグラバはぷはっと噴き出して笑う。


「怯えないでよ。何もしない、大丈夫。二人で話をしたかっただけ」


カグラバは持ってきたコップを、はいといって私に手渡す。


「屋台で売ってたジュース。結構いけるよ」

「……あ、ありがとう」


襲われるのかと思った私はただのジュースの差し入れに拍子抜けした。兄が「こいつも丸くなった」と評価してたのは、本当だったんだろうか? 更衣室に入ってきた事は置いておいて、昔ならこのコップに虫が入っていて驚かされるなんて事もありえたのに、覗き込んでも薄黄色の液しか入ってない。

……本当に話しをしたいだけなんだろうか。あのカグラバが? 彼は私の横を通り過ぎると、裏庭側の窓にもたれる。


「さっきはごめん。自分勝手な事ばっかり言ってさ。……エフレムとは別行動して頭冷やしてきた。最後だと思って、俺と昔みたいにおしゃべりして欲しいんだよ」

「……」

「さっきの踊り見た。すごく、すごくきれいだったよルーちゃん。その衣装も大人っぽくって、いつものルーちゃんじゃないみたい。それに、その辺の人に踊りの意味も聞いたよ。だから、もう、本当に諦めるからさ……恋に敗れた男の戯言を聞いてほしいんだ。誰にも邪魔されずに話せるのはきっと今日までだから」


どう返事をするか迷った。ハルさんがいる身で男性と二人きりになるのも気が引けるし、何しろ相手はカグラバだ。今すぐ扉を開けて部屋を出るべきなんだろう。

でも、砂漠で水を求める旅人みたいな懇願の瞳を向けられると、それを無下に断るのはとても酷い行為だと叱られている様な気分にさせられる。


「……まぁ、それで気が済むなら。でも長くは無理だよ。知ってるでしょ? お兄ちゃんと、ハルさんのご両親と話をするんだから」


私が承諾するとカグラバの顔はパッと明るくなり、声を控えめに楽しそうに話し始めたので、それを聞きながらジュースを一口飲んだ。舌がしびれそうなくらいの甘さの、完熟した桃を使ったジュースだ。のどが渇いていた事もあって水の様にごくごく飲みながら、カグラバの何でもない思い出話に耳を向けていた。


「ほら覚えてる? 隣の村のやつが羊に追いかけられて転んで大泣きしてたの」

「あぁ、あったねそんなの」


うちの村じゃ子供は全員兄弟みたいに育てられる。仕事で子供の面倒が見られない家はお互いに助け合うのはあたりまえで、両親とも働き詰めのカグラバはよくうちに預けられていた。「行こっ、ルーちゃん」と無邪気な笑顔で私の手を引くカグラバの小さな手を、私は今も覚えている。


「あの時は毎日一緒だったから」


そうだ。私達はずっと昔、仲のいい友達だった。


————やーい、ぶさいくブルーズ!

————「ぶさいく」のぶはブルーズのブー!


私は小さい頃、よく村の男の子達にからかわれていた。理由は知らないけど、大人になってから考えると別に理由なんてなかったんだと思う。だけど当時の私は、何も悪い事してないのにバカにされるのが悔しくて仕方がなかった。「やめて」と怒っても相手は面白がるばかりで、顔を真っ赤にする私がゲラゲラ笑われるのも日常茶飯事だった。からかってきた男子達はあとで私の兄達から報復を受けるくせにそれでも目を盗んではしつこく「ぶすぶすブルーズぷぷぷのぷー」みたいな事を言ってからかっていた。


「やめーや。女の子にそんな事言っちゃおえんじゃろ!」


そして、それを助けてくれていたのは決まってカグラバだった。


「昔は楽しかったな」


懐かしむ様に呟くカグラバに軽く、そうだねと返した。

今の彼の事が嫌いだ。だけど、近所に住む優しいお兄ちゃんだったカーくんは好きだった。思い出を放り出せるほど、私は人に冷たくできない。

小さい頃の私はカーくんによく懐いていたし、実の兄のように慕っていたのは事実だ。ジュースを一口、また一口飲みながら彼の口から零れ出る思い出話へ耳を傾けると、懐かしい話にはつい心が温かくなる。


「俺、小さい時からルーちゃんの事好きだったよ」

「……じゃあなんで、急に私に嫌がらせするようになったの」


そんな優しい男の子だったはずのカグラバが、八歳頃になると急に冷たくなった。それどころかすれ違いざまに悪口を言ってきたり、軽く叩いたり、道を塞いで私を困らせる様な行動を始めた。理由を聞いても面白いからの一点張りで、嫌になった私は自然と彼の事を避けるようになっていった。


「照れ隠し、じゃ納得できないよな。男って好きな子ほどいじめたくなるんだよ。バカだよな」

「……もういいよ。昔の話だし」

「からかったら顔が赤くなるのが、かわいくて」

「……でも私、そういうの理解できないの。本当に好きならきっとしないよ」

「でも実際そうな      よ。ムキになっ    可 くて」

「……?  ごめん、なんて言った?」


急に、一瞬意識が飛んだ。思わず瞼を擦る。カグラバの話を聞くためにシャッキリしようと努めても、どうしても頭がぼーっとする。

今日は二度も人前で踊ったんだから思ったより疲れが溜まってるのかもしれない。自然と大きなあくびが出たから目頭をぐりぐりしてみるけど眠気はちっと覚めない。



「ねぇ、これお酒だったりした?」

「……どうしたん?」

「ちょっと、ふらっとして」

「……ジュースだよ」

「……じゃあ疲れてるんかな」


 無理しないで、と言うカグラバに大丈夫と返した。その間もカグラバは思い出話に花を咲かせ、私も軽くストレッチをしながら相槌を打つけど眠気は一向に覚めないどころが強くなるばかりだ。



「……カグラバごめん。私疲れちゃったから、そろそろ」

「……そう?」

「うん、ちょっとほんとに眠くて……最近忙しかったからかな……」


カグラバがさっさと部屋から出て行くのを期待する間に、外から花火ではしゃぐ人の声が聞こえてきた。ばんっという破裂音で空気が揺れる臨場感が部屋にまで伝ってくる。本当は私も花火をハルさんと見たかったけど、今はそんな事どうでもいいくらいぼーっとする。



「ルーちゃん、目が据わってるよ。もしかして、体調が悪いんじゃない?」

「……そうなのかな」

「もう少しここで休んでたら?」

「……それじゃあ、ハルさんか、お兄ちゃんか、友達、誰でもいいから、呼んできてくれん? ……多分まだ下に、おるから………」


窓から吹き込んだ夜風に乗って「そんなん無理だよ」と聞こえた気がした。

落としかけたコップを寸前のところでカグラバが奪った。だけどジュースは床にこぼれて、木の床と桃の混ざった籠った匂いが立ち籠める。あぁ、床を拭くための雑巾を取りにいかなきゃ。なのに、立ちあがろうと踏み込んだはずの足は踏ん張るはずの力が入らなかった。


何か変だ。


「大丈夫? 支えるよ」

「……だい、じょう、ぶ。いら、ない」

「強がっちゃって。フラフラなんだけど」


何かが変だ。


「さっきの、何? 絶対ジュースじゃない……」


やっと察した。何らかの方法で私は自由を取り上げられたのだと。鼻で笑うような音が聞こえて確信を持った私は大声を出そうと息を吸い込んだ。でも私の行動を分かっていたかのようにカグラバは大きな手で私の口を塞ぎ、助けも呼べなくなってしまった。手のひらの肉を噛んでも剥がしてもらえず、抵抗している合間も睡魔は強くなるばかりだ。そのうち私は体に力が入らなくなって崩れる様に机に突っ伏した。


「強がっちゃって。ほんと、かわいい」


おでこの辺りの髪をカーテンみたいに開けられた感覚にうっすらと瞼を開くと、私を覗き込んでいる黒目がぼんやりと近くにいた。まるで恋人の寝顔を覗き込む様な表情を浮かべ、彼はそのまま私の髪を毛流れに沿って撫でている。


「ばかなだぁ。何も疑わずに飲むんだから」


ぼんやりした視界のまま彼を睨んだ。あくびか涙か分からない物が机に零れていくけど、それを拭う事さえできない。


「ルーちゃんは本当、かわいいよな。細い首、細い腕、ちっちゃい手。髪も長いし、全部、昔から変わらない。俺の話なんて聞かなきゃいいのに、なんだかんだ相手してくれるところも」

「……何の話」

「昔から思ってたんだー。これが全部、俺のものになればいいのにって」


頭が働かない。頭を殴られたかの様な睡魔に逆らえない。眠くて眠くて目が開かないし、体にも力が入らなくて今にも机から落ちそうだ。カグラバはぐにゃぐにゃになった私の体を引き寄せると、自分の胸の中で私を寝かしつけ始めた。ハルさんよりも厚い胸板に顔を埋められたのが嫌なのに、抵抗するための腕が少しも動かなくなっていて、「やめて」と叫んだ声は、ちょうど破裂した花火によってかき消されてしまう。


「大丈夫、ルーちゃんには俺がいるよ」


そのまま、私は新鮮な夜風を皮膚で感じながら眠りについた。仄暗い深い湖の底に落ちていくみたいに。

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