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第17話 夏祭り 三

「—————もう一度言って? 何が?」

「赤ちゃんができた」


店員とお客さん数人が心配して覗き込みに来るほどお茶屋さん中に響いた兄の絶叫と、豆鉄砲を食らった鳩の様に目を丸くしてその場にいた全員が驚きを隠せていない中、淡々と話を続ける私に兄だけがそれに慌てふためきながらも反応し続ける。


「だからカグラバとは結婚できないの。私はハルさんと結婚するの。というか、それしかないっていうか」

「ちょちょちょちょ、え? 冗談じゃろ?」

「本当は今日それもハルさんのご両親に話す予定だったの。それから、ハルさんと一緒に村に報告も兼ねて帰ろうと思ってて」


隕石でも落ちてきたかのように慌てふためく兄は矛先をハルさんに向け、明らかに冷静ではない距離まで顔を近付けて唾を飛ばした。


「嘘じゃろ⁉ ちょっと、ハルさん?」

「……おれのこどもです」

「って事は心当たりがあるんか⁉」

「こころあたりが、あります……」


ハルさんの同意で一筋の光もなくなったからか、兄は「バカやろー!」と叫んだ後、ヘロヘロとその場に座り込んだ。


「……ほんまに?」


何度もうなずく私を見て、頭痛に悩まされるように兄はこめかみを押さえしばらく無言のまま座り込んだ。

「じゃあ、無理よ無理。カグラバとの結婚は無理。だって、子供なんて」と、ぶつぶつとつぶやく兄を見ると、申し訳なくて胃痛がする。


「……赤ちゃん、男の子? 女の子?」


気にするのそこなんだ、と遠くでカナの声がした。


私が「わからんよまだ生まれとらんし」と返すと、「あぁ~、おえん《だめだ》。訳分からんくなっとるわ」と髪をぐじゃぐじゃに掻き乱すとため息をついて姿勢を正した。


「……ハルさん、本当に責任取るつもりなんですよね?」

「約束します。彼女が死ぬまで添い遂げる覚悟です」

「……分かった。もう分かった。……じゃあ、もう、分かりました。俺からも一緒に親父と話しするから。子供がおるんなら、怒られるじゃろうけど、まぁ、どーにかなるじゃろ。親父子供好きじゃし。とにかく一回我が家に」

「……はぁ? エフレム惑わされんなよ。こんなのとっさの嘘だろ」

「嘘じゃない。今はまだお腹が目立たないだけ」


そう言って私がお腹を優しく撫でると、苦虫を嚙み潰したような顔をしたカグラバに、私はそのまま強気で言い返し続けた。


「だからごっこ遊びなんかじゃない。何言われたって何も変わらない」

「ルーちゃんに、そんな事出来るわけない」

「あなたに、私の何が分かるの? お願いだからもうほっといてよ」

「……なぁ、嘘だろ? 冗談だよな? 嘘だって言ってくれよ、なぁ」

「……悪いけど、本当の事だから」


立ちくらみでも起こしたかのような顔のカグラバをほっといて、まだ腑抜けた状態の兄へ「この後は用事あるから、終わってから続きを」と伝えた。他にもいくつか言葉を交わした後、「俺もちょっと冷静になりたい」と言うので一旦解散する事になった。


「どっちも親父に殴られる覚悟はしときぃよ」と話す兄の横で、カグラバが最後まで湿っぽい瞳で私達を睨んできていたのには無視を続けた。お茶屋さんから二人が出ていくと、緊張の糸が切れて、思わずその場に崩れる様に倒れた。すぐ私にハルさんが寄り添ってくれたので、勝手に口走った事を謝罪する。


「…………まぁ、大丈夫だよ」


勝手な事を言ったのに、ハルさんは怒らずちょっと困った事になったなぁという本音が見える笑みを浮かべた。


「ベルも、ありがとう。助かったの」

「……私、何の力にもなれなかったわよ」

「そんな事ないよ。すごく心強かったもん」

ベルとギュッと抱きしめ合う。「何があっても私はあなたの味方よ」とベルが囁いてくれたのが心強くてまた少し泣きそうになった。


兄達が去ってからは遠くで見てたカナとハーナにも全て本当の事を伝えた。

本当は孤児なんかじゃな事。ベルとハルさんの婚約解消を手伝ためにたくさんの嘘をついていた事も全部謝って、頭を下げた。でも二人はそんな事全然怒ってないと笑い飛ばしてくれる。


「ねぇ、そんな事より話す事があるでしょ……⁉」

「私達何も聞いてないわよ!」


それよりも小鼻を膨らませて事情を聞き出そうとするいつも通りの二人に、また涙と汗が止まらなくなって大変だった。


「ブルーズさん!もっとお腹を凹まして!」

「本当にコルセットってすごいわね!もう少し引っ張れば四十センチ台いくんじゃないかしら!」


感動の涙から一転、集会所の更衣室に移動した私は今、一滴の涙も出そうにない。


兄からは太ったと言われたし、確かにこの街に来てから美味しいものをたくさん食べさせてもらっていた私は、ちょっと、ほんのちょっとだけ太ったかもしれない。とはいえ私はもともと人から馬鹿にされるくらいガリガリだ。そんな人間に多少肉がついたからといって痩せているのには変わりないし、実際私には掴めるお肉なんてお尻くらいにしかないのだ。


だけど私は今、そんな痩せたお腹をさらに細く見せるために『コルセット』という筒状の物をお腹に巻き付けられ、さらに背中から伸びた紐を両側から強く引っ張られている。西の国に住むお姫様は全員これを毎日着て砂時計みたいな体型を作ったまま一日中過ごすらしいけど、きっと体のつくりが違うんだと思った。だってこんな物毎日巻いたら息ができなくて死んでしまう。


気が遠くなりそうになりながらコルセットの支度を終えると、鏡越しに見るいつもより一回り以上細い自分のお腹に謎の感動を覚えた。その後も着せ替え人形みたいにどんどん服を着せられて、高そうな織物を使った真っ白な衣服に頭から腰までジャラジャラとアクセサリーを次から次へとつけていく。重さに負けて耳たぶが伸びても、大ぶりのピアスの美しさに目を奪われてそんなのは気にならなかった。いくつもの宝石がついたネックレスも、腕輪も、腰につけたチェーンも、それだけ見ると派手すぎて似合うか不安だったけど、全てを着用した後に見ていると私用にあつらえたかのように調和している。


お化粧も最初から全部やり直してもらってほぼ完成状態になると、鏡の中に見た事がないくらい綺麗な私がいた。

婦人会の方に褒めてもらっても、私じゃない誰かが映っているみたいでくすぐったい。照れた私の背中を押すように褒め殺しされている最中、別室で着替えていたハルさんが「もう大丈夫ですか?」と更衣室前で問いかけた声に、何人かが気付いて勢いよくドアを開けた。


扉を開けて入ってきたハルさんは鏡の前の私を見ると、驚いた顔でドアノブを持ったまま固まっていた。何か言いかけて、どの言葉を選ぶのか迷ってるみたいだ。どう思われてるんだろうと私はドキドキしてその言葉を待っていたのに婦人会の方がハルさんを引っ張るように部屋に招き入れると「仕上げをしろ」と大量の花が入った籠を手渡した。


ハルさんは夏に満開を迎える花の中から一番大きな花を摘んで花の咲き具合を確かめている。なんでも、私の髪飾りに使う生花を着替えの仕上げとして髪に挿すのは、いつもペアの役目らしいのだ。


ハルさんは婦人会の方々に見張られながら、花を一輪ずつ、私の背中に下ろされた三つ編みに挿していく。明日には散り始めてしまいそうなほど満開な花で私の髪は次々と飾られていった。


「……花に花」


最後の一輪を挿しながらハルさんは満足そうに呟いた。ん? と私が返したら「お花を、花で飾ってる。綺麗だよ」と言って、三つ編みを持ち上げてキスをした。

みんなが見てる前なのに恥ずかしくて、俯きながら「本に出てくるキザな人のセリフみたい」と言うと「ほんとの事だから」と笑って、花でいっぱいになった三つ編みをそっと背中に下ろす。ずっしりとした重みで結構な数の花が差してあるんだと分かる。三つ編みがまるで花畑みたいに飾られていて、まるで花の妖精だった。


「ハルさん、ありがとうございます」

「どういたしまして。それにしても、ほんと髪の毛長いよね。使い切っちゃった」

「昔から大事に伸ばしてるんですよ」

「ここに来てから伸びたんじゃない?」

「そうですかね?」

「それにしても、花の滝みたい。挿しすぎたかな?」


少し不安そうなハルさんの眼差しを合図に最終検査が行われ、一番年上のおばさまが「まぁよいでしょう」と合格を伝えた。すると全ての仕上げを見届けて満足した婦人会の方々は額の汗を拭い、最高の笑顔になると「さっ!私達はお茶でも飲みましょ~」と言って部屋を出ていく。


去り際ハルさんに


「手出したらダメよ!」

「服着せるの大変なんだからね!」

「お化粧もね!おちちゃうから!」


というお節介な言葉と共に各々背中を思いっきり一叩きしてから部屋を出ていく事は忘れなかった。


痛がるハルさんを豪快に笑い飛ばした声はだんだんと小さくなっていった。敵が去ったと安心するように重めの息をつくと、ハルさんは適当な椅子に座って猫背になる。



「大丈夫でした?」


もみくちゃにされてすでに疲れた顔をしているハルさんがおかしくておかしくてつい笑いが止まらない。口紅がよれないようになるべく控えめに笑うように心掛けたけど、ツボに入ってしまってなかなか笑い止まなかった。


「ハルさんもおばさま達には敵わないんですね」

「あの人達の中じゃ、俺はまだ近所に住んでるガキンチョなんでしょ……」


今日はハルさんも私とお揃いで、真っ白な衣装を着ている。男の人はアクセサリーなんてほとんどないのに輝いて見えるのは気のせいなんだろうか。白い衣装に金髪なんて絵本に出てくる王子様みたいで、着飾った彼を見てきゅんとした。でもそれを悟られないように私はわざと真面目な顔を作って、椅子から立ち上がって彼に近づく。


「すっごくかわいいよ」


すると何も言わないうちから欲しい言葉を言ってもらい、一瞬で真面目なふりをした顔はくずれてご機嫌になった。コルセットの苦しみに耐えた甲斐があったってものだ。照れ笑いしながら私は贅沢に布が使われている巻きスカートの裾を摘んで左右に振って見せる。絹の光沢と甘いデザインのレースが何十にも重なって、西洋と伝統のデザインを混ぜ合わせた特注品らしい。


「かわいいでしょ? 婦人会のかたが全部選んでくださって。私が選んだのなんて石の色くらいで」

「違う違う。ブルーズが可愛いの。ほんと天使かと思っちゃった」


顔色を変えず恥ずかしげもないまま、ハルさんはさらりと伝えてきた。私はまだ、直接褒められる事に慣れてない。前から飾らない言葉で褒めてくれる人だと思っていたけど、あの晩からさらに気持ちを隠さないようになった気がするのは私の気のせいだろうか。


「ちょっとかわいすぎて心配なくらい。男には全員帰ってほしい」


照れ臭くて俯くと、彼はからかうように私のほっぺたをぷにぷにと触って微笑む。「でもちょっと、体の線が出すぎじゃない?」と心配そうな声に、私はお父さんかと思って思わず噴き出した。


「……さっきの事だけど、俺本気だから。責任を取るなんて言い方はどこか他人事感があって好きじゃないんだけど、俺はブルーズと結婚したいし、一緒にいたいよ」

「……うん」

「うちの親には終わったら今日全部話そう? 結局こんなに遅くなっちゃってごめんね」

「今日まで黙っていてもらったのは私のわがままなんだから、ハルさんは悪くないですよ」


直前まで戻ったはずの実家に帰らず、ハルさんを選んだあの晩から一ヶ月が過ぎていた。


今すぐ全て告白すべきだと説得するハルさんに頼み込んで今日まで黙ってもらっていたのは、私だ。どうしても彼と今日の夏祭りまでを一緒に過ごしたくて、一生の一度のわがままを聞いてもらった。


「ううん。俺が全部悪いんだ。俺が全部責任を負うから、ブルーズは何も気負わなくて大丈夫だから」


それなのにこの人は全部責任を負おうとするから困る。


「何言ってるんですか。全部いっしょに背負い込みますよ。私にできる事は言ってくださいね。夫婦ってきっとそういうものでしょ?」

「……頼りになる奥さんだなぁ」


少し潤んでいる瞳をそばにあったタオルで目頭を拭いてあげたらハルさんは破顔して目を細めた。水にぬれた紫水晶アメジストみたいな瞳に私が映っている。


「ごめん、ちょっと感極まった」

「もう、しっかりしてくださいよ、ハルさん」

「俺、ちょっと不安だったんだよ。ブルーズのお兄さん達が来て、帰っちゃうんじゃないかって」

「もう!帰るわけないでしょ!」

「ごめんごめん。情けないや俺」


彼は鼻をすすってから、いつもの優しい口調で続けた。


「ブルーズのお父さんには殴られちゃいそうだけど俺頑張るから」

「私も殴られます。顔でもお尻でもどこでも」

「女の子なんだから顔はだめ。でも、ははっ、じゃあ大丈夫だ」


私の手をとってギュッと握ったから私も握り返すと、より強い力で優しく握り返してくれた。


「本当の花嫁さんみたいだね。真っ白で清らかで、本当にきれいだよ。本当は今すぐぎゅって抱きしめたい」

「ハルさんもほんとの花婿さんみたいです」

「はは、ほんと?」


三か月一緒に暮らして分かった事がある。

ハルさんは優しい。一緒にいて楽しいし安心する。

友達想いで、仕事もさぼらないし、毎晩勉強を教えてくれる真面目な所が好き。

だけどほんとは抜けてるところがあるし、気が強い方じゃない。努力家で実力があるくせに、たまに自信がないみたいでうじうじしてる。


確かに、兄とカグラバが私を探し出して来たなんて予想外だった。だからきっとちょっと気弱になっちゃったんだろう。


「私ハルさんの事信じてます」


でも私は、そんなハルさんの事も全部ひっくるめて惚れちゃったんだからどうしようもないの。


それにしても兄は「ふもとの街に来た隊商さん聞いた」と言っていたから、サライや市場にいるときに誰かに私の姿を覚えられていたんだろうか。そうだとすれば、初めてこの髪色が恨めしいとまで思った。……いや、そんなのは八つ当たりだ。自分で招いた身から出た錆を逆恨みするのは幼稚すぎると自責しながらもやもやする。そして、もうじき出番だという案内を受けてゆっくり舞台へと移動した。


夏祭りの締めくくり。もうすぐ花火も始まるし、きっと見物客が昼間よりも多くなってるはずだ。あぁー、そう思うと緊張してきた。昼間に踊った時も緊張したけどその比じゃない。心臓の高鳴りを気持ちいいと思えるほどの度胸は持ち合わせてなかったと若干の後悔を感じながら、彼と一歩ずつ舞台へ上がった。


  『この後の用事って何? 外せないわけ? 友達と飯とかなら怒るけんね? 』


階段をのぼりながら兄の不機嫌そうな顔を思い出す。


  『違うの、舞台に出て踊るの』

  『えー? さっきも踊っとったがぁー』

  『……ハルさんと踊るの』


今日のお祭りには古くから絶対に外せない伝統行事がいくつかある。その中でも特に大切に受け継がれてきたものが踊りだ。


昼間に踊ったのは、豊作を祝うための伝統的な踊りだ。(嫁入り前の女の子が集められて踊るから水面下では嫁探し会場にもなるらしく、他所からも訪れた人で本当に人が多かった。)今日はそこらじゅうで音楽が響き渡っていて、みんながいろんな願いを込めて踊っている。

だけどその中でも神格化されている踊りが一つだけある。これは神様だけじゃない。街の人にも見届けてもらってようやく完結する踊りだ。本来は数組が一斉に踊るからとっても華やかでみんなが楽しみにしているのに、今年はなんと私達しか参加者がない。アルバイトをしたあの日、夏祭り運営側である羊店長が「最近はみんな恥ずかしがってやってくれない」とボヤいていたのを私は聞き逃さなかった。


  『花嫁と花婿の踊りっていう踊りなの。夫婦になる二人で踊るのよ、お兄ちゃん』


私達は今から街中の人々に、永遠の愛を誓い合う。

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